あれこれメモ(小出氏・「村山談話」誕生・NYタイムズ支局長日本メディア痛烈批判など)

◎「小出裕章(京大助教)非公式まとめ」(3/2)から:
2月22日 日本で「原子力」と呼ばれてきたものはもともと「核」と同じものなのです。:シンポジウム「原発と差別、戦後日本を再考する」ー 講演 小出裕章氏(京都大学原子炉実験所)&白井聡氏(文化学園大学):(https://hiroakikoide.wordpress.com/2015/03/02/ymcaasia-2015feb22/

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更に今日聞いていただいたように、日本で「原子力」と呼ばれてきたものはもともと「核」と同じものなのです。
原子力というようなものをやってしまえば、核兵器と縁が切れないことになってしまうし、日本というこの国は、始めからそのことを承知の上で、核兵器を作りたい、持ちたいというために原子力平和利用という言葉を作って、国民を騙してきた、そういう歴史があります。
でも、力の論理で世界に平和が作れるわけはないわけで、原子力からも核からも抜け出さなければいけないと思います。

◎朝日デジタル記事(3/4)より、安倍氏は国会決議を欠席、村山首相は談話を決断 95年
http://www.asahi.com/articles/ASH330G9RH32UTFK01N.html?ref=nmail

☆20年前、「村山談話」はなぜ生まれたか、そして、その時、安倍氏は・・・この記事に先立って報道ステーションで熊本の村山氏を訪ねてのインタビューがありました。たまたま見ていた私も、当時の橋本龍太郎氏とのやり取りには感心しました。今では自民党も情けなくなりました。と言うより、当時から安倍氏は今と同じ考えだったということです。村山談話を継承する小泉談話についても書かれています。

決議の文案づくりは翌95年に始まったが、協議は難航。「不戦」や「謝罪」の表現を求めた社会党に対し、自民党慎重派「終戦50周年国会議員連盟」を中心に「後世に歴史的禍根を残す」と反発が広がった。

 同年3月、新人議員の安倍晋三氏が国会で「我が国が一方的に不戦の決議をするのは意味がない」と訴えた。安倍氏は議連の事務局長代理に抜擢(ばってき)されていた。

槙田氏の考えは違った。「おわびという言葉を入れるかどうかは、世界が注目している。入れるべきだ」。五十嵐長官にこう進言し、その場にいた園田博之官房副長官もうなずいた。五十嵐長官からおわびを盛り込むよう指示を受けた谷野氏は、「最終的には政治判断に従った」。こうして村山談話の骨格が整った。

 村山「あの文案見てくれたか」

 橋本「見た」

 村山「異議はありませんか」

 橋本「別にないですよ。ただ強いて言えば、あの文章を見たら『終戦』と『敗戦』の二つの言葉が使われている。どっちか一本に絞った方がいいんじゃないでしょうか」

 村山「どっちがいいと思いますか」

 橋本「そりゃあ『敗戦』の方がいいんじゃないですか」

★「カリフォルニア加州ラジオ草紙」(3/5)さんの ■「報道の自由度」ランキング後退の理由、前々からネットで言い尽くされたが、漸くYahooニュースでも取り上げられる!!
(http://d.hatena.ne.jp/Mapple/20150305/p1)

★「ウィンザー通信」(3/5)さん戦争はもうやめなよ!戦争を繰り返さない!日本は戦争しない!」小澤征爾(http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/ae30aecde6cc00c9053219d63587cf44)
手塚治虫氏、やなせたかし氏の言葉も、あります。

マイケル・ムーアが語る『アメリカン・スナイパー』、政治家サラ・ペイリンの終焉、そしてPTSDhttp://jp.vice.com/program/vice-com-original-program/11712

◎「No Nukes 原発ゼロ」(3/5)の「NY・タイムズ支局長のマーティン氏、日本メディアを痛烈批判「メディアは最悪。政府対応の追及すらしていない」 (http://no-nukes.blog.jp/archives/8082436.html

 今回の事件でイスラム国のテロリストは「日本の首相へ。おまえはイスラム国から8500キロ以上離れているが、イスラム国を掃討する十字軍に進んで参加することを誓った」と言っている。繰り返しますが、安倍首相はこれまでの日本とは全く異なる国家をつくろうとしている。日本はそういう岐路に立っているわけです。


 国家として重大局面を迎えているにもかかわらず、なぜ日本のメディアは国民に問題提起しないのでしょうか。紙面で議論を展開しないのでしょう。国民が選択しようにも、メディアが沈黙していては選択肢は見えてきません


 安倍政権になり、世論が右傾化したという人もいますが、私はそうは思いません。世論はさほど変わっていないでしょう。変わったのは、メディアです。