「当事者は誰だ?(先送りも巻き戻しもできない現実を生きる)」


6月21日(日)出発のスペイン旅行、昨日7月2日(木)、予定通り帰国。
30日、ホテルの朝、テレビのBBCでもギリシャのニュースでもちきりの中、”日本の弾丸列車で火災事故。2名死亡”というニュースが入り心配しました。今回で夫婦2組の海外個人旅行は3度目。丁度3年おきで南フランス(スイス)、イタリア、スペインと地中海周辺の国を巡っています。毎月の積立金が丁度貯まった頃、上手く条件が整って出発できることになりました。今回は、隣の両親が高齢(98歳と93歳)で長い旅行は無理かと思っていたのですが、妹の一人が留守役を買って出てくれました。24日〜30日予定のところ、新幹線事件の影響で7月1日まで我が家に泊まってくれ、水やりや集金の対応、コーヒータイムの世話までお願いして、安心して出かけることが出来ました。またお茶飲み友達のSさんからも何かあったら電話をと言っていただいて、母も喜んでいました。
帰国しての今日は、洗濯に追われてまだ写真や旅行の整理には手がつかず、ブログ再開のスタートは、留守中の郵便物の中にあった「積木(つみき)」の記事にしたいと思います。豊能(とよの)障害者労働センターが毎月発行している「積木」の7月1日付257号からです。「当事者は誰だ?−−熊と東北とわたしたち」というタイトルの記事、筆者は「石原 礼」さん。東北の被災地の障害者たちを訪ねての内容です。

豊能障害者労働センターは、我が母校である二中の西側に事務所があります。ここへ、今から20年前、阪神淡路大震災がきっかけで、WさんやUさんと一緒にお手伝いに出かけることになりました。スタッフの一人、当時、金髪で色白の石原さんは、オバサンの眼にはまぶしい美少年でした。そして同じページに見つけた若竹さんの訃報。今朝、記事のことで許可を得るためお電話でお話した田岡さんから、十数年前当時自立を目指していた車椅子の若竹育子さんのその後を教えていただきました。34歳の若さで亡くなられたとか。健常者も障害者も一緒に同じ作業をしていた時、進行性の障害を持ちながらも人一倍生きる意欲に満ちた若竹さんたちを見ながら考えたものです。私は、手術で胃を3分の2切除した内臓障害者だけど外見からはそれとはわからない、それにこれから先、年老いて車椅子が必要な生活にならないとも限らない。外見だけ、今だけを考えて、健常者、障害者と区別すること自体が無意味だと。
さて、その美少年だった石原さんの記事、「熊という生き物はああ見えて保守的な臆病者で、冒険心というか、開拓精神に欠くところがあって、山や森の中で、それぞれ決まった時間に決まった範囲で食い物やコレクションを求めてうろうろと一日をすごしておるそうな」と、しばらく熊さんのお話が続いて、「そうやって木の上でドングリなどのんびり食ってると、それを漁師が鉄砲で撃ってさ、と言った悲劇になって」「我々人類が、断りもなく山や森を切り拓いたりするものだから、熊としては、うっかり人里に出て、うっかり人間に遭遇し、不安に駆られ、結果、臆病ゆえに攻撃的になってしまって、またしてもそれを猟師が鉄砲で、と言った悲劇。果たして鈍くさいのは熊なのか、我々人類なのか。」(以下移してみます/太字・色字by蛙)

当事者は誰だ?________________________熊と東北とわたしたち  石原 礼


<前略>


 三月十一日、東日本大震災から四年の時を迎えた宮城に行ってきました。被害の大きかった閖上港、志津川、いまだ続く余震、と、一向に復興は進んでいない現実を目の当たりにしました。情けないやら腹が立つやら、明らかにトーキョーオリンピックとやらに関心も人手も取られ、放ったらかしになっているのだなと思いました。現地で暮らす仲間たちの言う、「忘れ去られてゆく不安」が現実の景色として迫ります


 全国的な動きとしては、これまで活動してきた東日本大震災障害者救援本部も、この度、四年間の活動をもって解散、今後はそれぞれ現地での活動へ、といった運びになった訳でありますが、このような厳しい現実、状況の中、あとは現地で、となったところで、まだ出会ったばかりの現地の若い障害者たちとしては、何をどうしてよいものやら、それこそ、まるで森からはぐれた熊の様な思い、ますます、「忘れ去られてゆく不安」に駆られていくのではないのでしょうか。実際はこれからこそ、継続した支援が必要であると、ますます認識させられる訪問となりました。『ゆめ風基金』としても、我々としても、現地の仲間たちと共に暗中模索しながらの活動を続けて行こうという思いを新たにしました。現実は先送りも巻き戻しも出来ない。ましてや、そこに暮らす人々だけの問題ではないのだ。


 そうやって被災地の復興が遅々として進まない一方で、今の社会を、とんでもない速度で、どんどんストロングな、きな臭い方向に進めようとする動きがあります。果たして、彼らだか彼女らだかの掲げる、「おもてなしの文化国家」とはいったい何なのでしょうか基地も原発も河口堰も公共事業も、そこに暮らす人々は、そんな危ないものはいらない、やめてくれろと言っているにも関わらずやめないのはどういう訳か。政治家の皆さんはいつも自分たちは安全はひととこに固まって、現地で暮らす人々や最先端にいる人々の知恵も意見も気持ちも反映もしないし聴きもしないではないか。そんな事でおもてなしも文化もあったものか、政治家の皆さんも、電力会社も、その言いなりになっているマスコミもやっぱりみんな嘘つきだ、吸血鬼だ、がりがり亡者の金食い虫だ。土建屋談合国家なのだという事実を、被災地の現状からはっきりと思い知らされたのでした。外国から来る皆さんも、くれぐれもだまされるなよ。


 一見、呑気に、気ままに暮らしているような熊たちも、山や森の自然の中で他の動植物たちと一定のリズムに則って、何かを先送りすることもなく、それぞれの範囲でいま現在の役割と言ったものを担い、暮らしています。一方、我々人類は、原発や基地の問題で、よく、未来の子どもたちにツケを、回すな、と言ったりしますが、その言い方自体に先送りを感じてしまいます。しっかりと、今現在の事として向き合い、いま現在の事として立ち向かわなければ何も始まらない、変わらないのだという事を被災地で暮らす人々も、沖縄で暮らす人々も、障害を持った人々も、それぞれの範囲からずっと、我々に訴えかけているのではないでしょうか。それは、当事者の問題ではないという事も。ひょっとしたら、山や森で暮らす熊たちも、同じ事を我々に伝えてくれているのかもしれない。鈍くさい人類よ、いい加減に気づけよ、と。