スペイン旅行(4.バルセロナー3)グエル公園


4人でフ〜〜凄かったな〜凄かったね〜と、感嘆冷めやらぬまま外に出た私たち。「良かったな〜意外だった」というのを聞いて私も安心。「お金は余ってるからタクシーでグエル公園行ってもいいですよ」とF氏が言って下さったので「じゃ!」と、サグラダファミリアの前でタクシーを拾ってグエル公園へ。11時40分。
すでに行列が出来ていて、あとにつくことに。階段状の処に座って横の斜面を見るとニッコウキスゲのような花が咲いてオレンジ色に近い壁の住宅が見える。Fさんが、「ルノアールのアトリエみたい」と。本当に、6年前のF夫妻との最初の南仏旅行で見た丘の上に立つルノアールのアトリエみたいでした。

1時30分のチケットが取れたので、それまでに昼食ということに。門の外に出ると、すぐ呼び込みをやっていて、やり過ごして探してみても、辺りは、山の手の住宅街風、それらしき店もなく、すぐ戻って、呼び込みをしているレストランに入る。公園前の道路が最上階で、階段状のレストランになっている。階段を二つほど降りて、空いたテーブルに座って、1時20分まで。
同じようなグループやカップルがテーブルを囲んでいる。
ここで頼んだ小鰯のフライはカリッと揚がっていてとても美味しいものでした。
1時半に備えて10分ほど前に店を出て、また並ぶ。
そして、いよいよ、グエル公園の中へ。
←外の通りから
グエル公園(Park Guell)世界遺産 1984年。
1900年、実業家のグエル氏と建築家のガウディが意気投合してバルセロナ市街を見下ろす山の手にイギリス風の田園都市を築いて60個の分譲住宅を手掛ける夢を描いて、結局、資金が続かず、1914年、夢は終わり、売れたのは2軒。それも買ったのは、ガウディ本人とグエル氏のみ。
エウゼビ・グエルの死後、彼の遺産はバルセロナ市庁に買い取られ、その4年後の1922年に公園は一般公開された。
グエル公園は二人の夢の跡ということ。ガウディが住んでいた家は、見て来なかったのですが、ガウディ記念館として公開されているとか。
グエル公園の入口に建つ門衛の小屋と東屋をみてサルバドール・ダリは「砂糖をまぶしたタルト菓子のようだ」と評した。「ギリシア劇場」と名付けられているテラス、大階段に鎮座する人気のトカゲ、敷地中央にあるホール天井の円形モザイク装飾等、粉砕タイルを使用してのデザインはガウディの助手ジュゼップ・マリア・ジュジョールの貢献が大きい>とガイド本には。
サグラダファミリアとは違って、こちらは、『ガウディのごちゃごちゃ』にあたるものが一杯でした。
最初に目に飛び込んできたのが
青いタイルを貼った尖塔のある建物。
以前は新興住宅の管理人室で、
都市に訪れるお客様を迎えたり、
待合室として発案された。
今は売店・書店となっていて、
帰りに寄ることに。

 グエル公園の建設が始まった1900年には、バルセロナは近代的で国際的な大都市でした。産業に基づき経済的に豊かでたいへん栄えていました。50万人以上の人口を抱えていたました。街の城壁を取り払ってからすでに半世紀が経っていました。1860年以降、エンジニアのイルデフォンソ・セルダーによって新市街の拡大をするアシャンプラ計画が劇的に進みました。19世紀のヨーロッパでもっとも大きな都市計画でした。(パンフレットより)


門番の家


 グエル公園のメイン・エントランスの右にあり、1901年から1903年に建てられました。現在はバルセロナ市歴史博物館の一部となっています。質素なガウディの少ない作品の1つで、実用的で簡素で、しかし形の豊かさがあり、特にカタルーニャの円天井を使用しています。

大階段を登ると門番の家の全景が見えてきた。
大階段にはあのトカゲがある。
タイルの欠片(かけら)を貼り付けたような
トカゲではなくて、ドラゴンか、サンショウウオ
上にある丸いのはカタルーニャの紋章とか。

モニュメント階段 


 入口にある広場から始まる階段は、上部が砦のようになった二枚の凸状のこぎり壁に囲まれています。さらに右側は柱のように円い広場になっています。この階段は2つに分かれ、多柱室または柱のホールと呼ばれる場所へと続きます。ここは上部から中央軸に水を貯めるための場所でもあります。

 

多柱室の内部

 このホールは、新興住宅地の市場になる予定でした。密度のある列柱の規則的なリズムをずらして3つの空間を造っています。
 天井は小さなドームになっていて、カタルーニャの円天井の技術により平らな煉瓦でつくられています。ガウディの協力者ジュゼップ・マリア・ジュジョールによって設計され、並外れた素材と形と色を使っていて、まるでシュールレアリストの前兆のようです。


多柱室の外部

 この空間には天井があり、筋を付けた26本の柱があります。ドーリス式で伝統様式の上部飾りがあります。特徴的な軒蛇腹、突起の上には、大変強い対比のある形と色をした白い陶器のベンチがある広場が設置されています。


↑広場のタイルの縁取り越しにアクセス ラ・ナトゥーラ広場を見る



↑広場からバルセロナ市街と海。
↓広場を、入り口とは反対側から下ると:

ブガデラ(洗濯女)の回廊

 上部の壁に固定された柱廊が見えます。手を加えていない石で造られていて、大きな傾斜面に上手く統合されています。その外部は控柱が並んでおり、そのうちの1つはブガデラ(洗濯をする女)として知られているあか抜けない女像柱です。彼女は家事の道具を持っています。



ブガデラの回廊からラセン状の坂道を下ると左手に小学校が。
1931年に公園が公共スペースになり、
ブルディリ・レイシャック市立学校へ変わったそうです。
道なりに歩いてくると、大階段の下に出ました。
入口の両側のお菓子の家。
門番の家の手前は青い尖塔のある「コンセルジュ」(今は売店)。
ここに入ることに。窓を縁どる青いタイルが美しい。
窓も鉄柵も、直線ではなく曲線を描いている。


ガウディが愛した装飾方法、
陶器の破片を表面に張り付けた手法を
トランカディス」というそうです。
売店の内部から見た窓。
ガラスと鉄の組み合わせも美しい。
メインエントランスの鉄の門。
これもガウディの主要な作品の一つ。
 
鉄の扉を出て、振り返ると、ガウディの2つの建物に挟まれた中央階段と、ドーリス式列柱、その上には、「ギリシャ劇場」と名付けられた広場が、人体からその断面の形が決められたと言われるタイルのベンチで縁どられているのが見えます。階段真ん中あたりには凹型の縁取りも。(囲みの中の解説は、上の写真、左の日本語案内より)

3時にはホテルに。留守番を買って出てくれた妹が明日までなので、日本は夜10時、まだ大丈夫と電話を入れる。「こちらは順調、明日帰る」とのことでした。
ホテルでゆっくりして、夜8時、(私たちもすっかりスペイン時間になっています)地下鉄でバルセロナ一番の繁華街へ。デパートでショッピングです。別行動にして集合時間と場所だけ決める。私は、帰りの飛行機に持ち込める少し大きめのバッグを購入。


9時、通りをぶらつく。日本語の上手な年配の客引きが、”マテ貝、ホタテ、美味しいよ”と呼びかける。一度は素通りしたものの、あそこがおいしそう、と戻ってバルへ入ることに。奥で私たちは待っていて、夫たちが決めてくる。
ホタテガイのムニエル。エビ、マテ貝(2枚目の写真)、イワシと、確かに海鮮モノが美味しい。ここにして正解。
ウエイターは不愛想でしたが、どのお料理もおいしかったので満足。
11時過ぎにホテルに戻って、12時半就寝。
ガウディづくしの長い29日が終わりました。明日は最終日。