「卒業生に贈る言葉」と「世界の幸福度」とアレコレ(想田和弘氏)

◎恒例、金曜デモのルポについては、今日の大規模イベントに備えてお休みです:

今週の金曜官邸前抗議は明日 渋谷・原宿で行われる原発に反対する大規模イベント『NO NUKES DAY』のためお休みです。NO NUKES DAYのことは次回のエントリーで書きたいと思います。

★ブログの「特別な1日」さんでは「読書『メディアと自民党』と映画『ジェンダー・マリアージュ』」というタイトルで書いておられ、どちらも読みごたえのある内容ですので、蛙ブログを通して読んでおられる方は、ぜひコチラで;http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20160325/1458905809


◎さて、卒業シーズンですが、卒業生に校長先生が贈る言葉…「shuueiのメモ」さんが取り上げておられます。「自由の森学園」という私学の高校の校長先生の言葉です。卒業式では一人ひとりに卒業証書が渡され、卒業生と在校生の言葉が交わされ、5時間にも及ぶとか。一期生に吉岡秀隆さんの名前があります。
先日、関西市民連合の街宣で「Be the One」の言葉の説明があり、”自立した個人であれ”と言われていましたが、校長先生の言葉を読んで、この言葉を思い出しました。ワイツゼッカーの「荒れ野の40年」、私は何年も経ってから岩波ブックレットで読みましたが、歴史と現在、戦争と平和、国家と国民を考えさせてくれる素晴らしい言葉で綴られています。校長先生はここから引用した言葉を贈ります。全文コピーさせていただきます:(引用元はhttp://d.hatena.ne.jp/shuuei/20160324/1458765683

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卒業生のみなさん 卒業おめでとうございます

保護者のみなさん、お子さんの卒業おめでとうございます。そして、これまでの学園に対するご支援とご協力に感謝申し上げます。

みなさんが3年間を過ごしたこの自由の森学園は、授業という場を通して、学問や芸術の世界に出会い、また自分とは異質な思考や価値観に出会うことにより、自己を問い直し、自己を形成していくことを大切にしようと誕生した学校です。

そのため、この自由の森においては授業というものの持つ意味は深く重いものだと思っています。私がここで話すいわゆる校長の言葉も、入学式においてはみなさんにとっての最初の授業、卒業式においては最後の授業というつもりで私は臨んでいます。

それでははじめます。

みなさんが3年生として過ごしたこの2015年という年は、戦後70年という日本にとっても世界にとっても大きな節目の年でした。戦争と平和の問題、そして安全保障の問題に大きく揺れた年でもありました。みなさんの中にも、こうした問題にどう向き合っていくのかということを真剣に考えていったり、行動しながら学んでいった人がいたことを知っています

そこで、今から30年前、敗戦40年にあたる1985年5月8日に西ドイツの連邦議会で、当時西ドイツ大統領であったワイツゼッカー氏によっておこなわれた「荒れ野の40年」という演説を紹介します。

ワイツゼッカー氏はその演説の中で、ナチスの過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはいかない、われわれ全員が過去を引き受けなければならない―と訴え、そしてこう続けています。

過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも目を覆っていることになります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」

この強烈なメッセージは歴史を学ぶこと、歴史から学ぶことが現代を生きる私たちの使命であることを教えてくれました。

そして、戦争を知らない若い人たちへのメッセージとして、次のように続いています。


若い人たちにかつて起ったことの責任はありません。しかし、その後の歴史のなかでそうした出来事から生じてきたことに対しては責任があるのです。」

ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。

若い人たちにお願いしたい。
他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。

若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。

民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。」
ワイツゼッカー氏は、自分とはちがう思想や考えを持つ他者、異質な他者を、自分とはちがうものとして受け入れ、その中で相互理解を深め対立を和らげ、平和な世界をつくりたいという理想を持っていたのです

そしてこれは、現代においても、混迷する世界情勢のみならず日本国内におけるさまざまな問題、差別や人権に関わる問題など私たち一人一人に問われているメッセージなのではないでしょうか。

この演説があった1985年は、まさに自由の森学園が開校した年です。

このメッセージを、私たちはどう受けとめたらいいのか、私は当時の生徒たちと一緒に考え合ったことを覚えています。


あれから30年たった今、また、みなさんとともに考え続けたいと思い紹介しました。

民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい」とワイツゼッカー氏は語っています。このことにも少し触れさせてください。

2015年に改正公職選挙法が成立し、いわゆる「18歳選挙権」が実現することになりました

イギリス在住の免疫学者 小野昌弘さんは自身のブログに「投票とは大人への階段」という記事を書いています。「誰に入れても同じだ」「「たった一票で社会が変わるわけがない」という人に向けてこのように言っています。
いや、それでも誰に入れても同じだ、という人もいるかもしれない。本当にそうだろうか。それは違いを知らないから、知ろうとしていないからではないか。選挙の結果にしたがって社会がどう変わっているかを見ようとしたことがないからではないか

社会での自分自身の立ち位置に一番近い候補者を選ぶためには、何より自分を理解しなきゃいけない。」

選挙にどう向き合うのか、それは自分自身と向き合うことであり、自分自身が問われていることなのでしょう

これは、じつは「学ぶ」ということつながっているのだと私は思っています。

自由の森学園で学びは、誰かが用意した選択肢から正解を選択するというものではなく、事実や対象と向き合い、自分たちで問いを見つけ、調べたり確かめたりしながら、また、意見を交わしながら、自分自身の考えや答えを見つけていくというものであったと思います。


誰かに自分を丸投げするのではなく、自分の頭で考え、判断し行動していくこと。そして、学び続けていくことこのことがワイツゼッカー氏のメッセージに応えることになるのではないかと私は思っています

さあ、いよいよ卒業です。一人の市民として一人の人間として、しっかりと歩んでいってください。

みなさんのこれからに期待しています。卒業おめでとう。


自由の森学園高等学校

校長 新井 達也

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◎世界の幸福度ランキングが国連から発表されました:


【AFP=時事】国連(UN)は16日、2016年版の世界幸福度報告書(2016 World Happiness Report)を公表した。報告書によると、昨年スウェーデンに最高位の座を明け渡したデンマークが1位に返り咲き、小差の2位はスイスで、紛争が続くシリアやブルンジは最下位グループとなった。

 同報告書は、社会をより健康に、より効率的にする手段として、幸せの質を数値化したもの。国連は、2012年に最初の報告書を発表した。

 上位10か国の構成は昨年と同じで、3位以下にはアイスランドノルウェーフィンランド、カナダ、オランダ、ニュージーランド、オーストラリア、スウェーデンがランクイン。10か国中7か国が西欧の中小規模国となった。

 157か国中最下位はブルンジで、(以下、下位から順に)内戦の続くシリアやトーゴアフガニスタンサハラ砂漠以南のベニン、ルワンダギニアリベリアタンザニアマダガスカルが続いた。


■日本は53位

 世界的な景気後退に苦しみ、現在では移民危機に直面しているギリシャは順位を大きく落とした。

 米国は、13位となり、昨年から2ランク上昇。ドイツは16位、英国は23位、フランスは32位で、中東の王国が続いた後、イタリアは50位、日本は53位となった。

 世界で最も人口の多い中国は83位で、最も大きい民主主義国のインドは118位だった。

 報告書の作成者らによると、一人当たりの国内総生産、社会的支援、健康寿命、社会的自由、寛容さ、汚職のなさの6要素で、各国間の違いの約4分の3を説明できるという。
【翻訳編集】AFPBB News(3月17日)

共産党の『暴力革命の方針』は変わらないから破防法の対象という閣議決定は、ナチスの国会議事堂放火事件を共産党弾圧の口実にしたことを思い起こさせます。ナチスの手口を学んでるわけ? 映画監督の想田和弘氏のツィッターから:


想田和弘 ‏@KazuhiroSoda · 3月23日


僕は無党派だが(と断るのも面倒だし嫌だが)、このタイミングでわざわざ閣議決定するのは卑怯な政治的威嚇&プロパガンダですね。そもそも「暴力革命」なんてとっくの昔に捨ててるでしょ、共産党は。→政府答弁書「共産は破防法調査対象」…閣議決定 http://mainichi.jp/articles/20160323/k00/00m/010/077000c#


・僕は政治家や候補者に聖人であることを求めるのは無理だと思っているし(求めたら誰も政治家になれなくなる)、したがってプライベートなことを問題にすべきではないと思っている。でも妻の謝罪にはびっくりした。あれぞ、ザ・自民党的価値観。あれを肯定的にとらえられるのが自民党支持なのかも。


いずれにせよ、デモクラシーを事実上否定した自民党改憲案のスキャンダラスさが自民党を政権から引きずり下ろすほどのスキャンダルにならないことこそが、本当の問題だと思う。安倍ちゃんなんて、あの改憲案を誇ってちゃってるしね。この辺が日本のデモクラシーの根本的な問題


安倍政権に批判的なニュースキャスターたちが次々に降板するこの事態は、後世、歴史のターニングポイントの一つとして振り返られるような気がしてならない。とにかく不吉である。

 しかし渦中にいると、その不吉さはそれほど感じにくい面がある。日本がアジア太平洋戦争に突き進み、全体主義化していった過程でも、きっと同じような不感症が蔓延していたのではないかと想像

(写真の花は、上からルリ草、まだ咲いている椿、庭のあちこちで咲くムスカリ、蕾のチューリップ、そして、編み笠ユリ)