伊勢志摩ドライブ(五ケ所湾)

2日の夜、夫が思い立って伊勢志摩ユースホステルへメールで申し込み。翌日の3日、電話で確認.4日一泊2食付き、一人8424円で和室申し込み完了。
昨年の秋、コーヒータイムで夫が母に、私を連れて高野山に一泊で出かけたいと言い出したことがありました。山仲間と高野山で泊ったのが良かったので、行ったことのない私もぜひ連れていきたいということでした。それには、母が安心して送り出してくれることが不可欠です。そのため、めったに使わない母の携帯の登録電話のかけ方を練習したり、予行演習も必要です。この時は、母が、高野山は寒いのでもっと暖かくなってからにしたら、と自分たちの経験からのアドバイスでした。そのうち、バタバタして高野山行は立ち消えになりましたが、白内障の手術での病院一泊が、母の携帯電話の受け取り、かけ方の良い練習になりました。

それで、3日のコーヒータイムに母に伊勢志摩行きを伝え、いってらっしゃいと快く言われ、4日、10時ごろ出発しました。この日の午後には父のリハビリもスタートしますので、母も少し自分の時間が持てるでしょう。さて、以前から伊勢志摩の海鮮料理をという話は出ていましたが、今年、なぜ急に伊勢志摩? で、思い当たるのは、カヤックを浮かべる港探しです。きっとこれが目的なのでしょう。私の方からは何にも言わずに、”いいよ、行くよ”でした。ユースホステルだから、石鹸、歯ブラシ、歯磨き粉?、タオル、バスタオルは持参とのこと。ボストンバッグにパジャマと着替えと、それらを突っ込んで、準備OK。出発です。

が、走り出した方向が納得がいきません。これから向かうのは三重県の伊勢志摩。箕面からは東南方向です。それなのに、ナビでは名神に入って一路東北方向の京都から滋賀へ向かいます。「おかしくない?」と私。スマートナビとかで混み具合とか計算してコチラなんだと夫が。『そこまでナビ任せ!? (今年私が引いたおみくじじゃないけど、自分の頭で考えよ!じゃないの)』と思いつつグッとこらえました。今さら変更できない戻れないなら、我慢と辛抱。

草津ジャンクション新名神(私は初体験)に入り、甲賀PAで忍者麺で昼食。鈴鹿トンネルを越えて1時ごろやっと三重県に。名古屋方面は道路が混んでいましたがコチラはスイスイ。2時、玉城出口で料金4260円。一般道で伊勢市を走り、2時半頃、国道260へ。この道が海岸沿いの道です。

海が見えてきました。
五ケ所湾です。
ヤシの木が並んで海水浴場になっているところがあります。
海の色が美しい。
アロエの花が咲いて少し南国風。
草むらの中から湾を眺めることに。
国道を車で走っていると
枯れ木や緑の葉に交じって赤い色の葉が見えます。
冬の日差しを受けて燃えるような真っ赤な色。
葉の形からしても色からしてもウルシのようです。
冬景色の中でアロエのオレンジ色
ウルシの赤い差し色が映えます。

良い地図がなくネットの地図をかりましたが、この地図の左端の五ケ所湾を国道260の細い道沿いに宿浦、田曽浦と漁港をたどりました。

アロエ水仙の花が咲いていました。トップの写真も田曽浦漁港です。



カツオ漁の漁船が繋がれています。
お正月のお祝いの集まりにでも使われたのか広場に巨大な飾りつけが残っていました。
太くて背の高い竹を使った大きな門松が一対。その後ろに巨大な輪が立ち上がっていました。
逆光で写真にうまく写りませんが、浜風の中にそびえ立っているようです。
ユースホステル(YH)の入館は16時以降と決められています。
時間は3時半過ぎ、ここから志摩スペイン村の近くにある伊勢志摩YHまで、ちょうどいい時間です。

4時ごろ伊雑ノ浦沿いの道路にYHの看板が出ているのを見て、登り口を確かめてから、もう少し先まで行ってみることに。
冬至を過ぎて日没は5時ごろに伸びていますが、すでに4時を過ぎてあたりは暮れなずむころ。
海面のさざ波がキラキラと輝いて海鳥が浮かんだり飛び立ったりしています。
対岸に塔や斜めの造作物が見えて、あれがどうもスペイン村のようです。
(↓写真の右端の丘の上に突き出て見える)

そろそろ戻って、あの急坂を登って、ユースホステルへ。
私たちのほかにあと一組と一人だけでした。部屋は二階。食堂は一階。
夕食は、食堂へ降りて6時半から。お刺身とタコの入った練り物の一人鍋と肉じゃがやヒジキの煮物などなど。私は一人分の7分目ぐらいしか食べられないし、一人分ではちょっと物足りない夫が1.3人前ほど食べると満足なので、出される食事はいつも二人で丁度です。
部屋には無いと思っていたテレビも置いてありました。大きな湯船のお風呂に一人で入って、10時ごろには就寝。明日7時頃が日の出。朝食は7時半と言われています。明日は英虞湾を巡ります。(←日暮れ前、2階の部屋のベランダから)

ユースホステルの談話室のテーブルに置いてあった雑誌、「Hostelling Magazine」の表紙の写真は、1日の夜BSで放送のあった「江戸城無血開城」で印象的なアーネスト・サトウを好演していた満島真之介さんです。書棚に分厚い「BACKPACKER」という写真誌のような雑誌も置いてあり、自由にとっても良いそうです。この2冊をもらって部屋へ。
家へ帰ってから分かったのは、夫がユースホステル協会の会員なので、毎月この「Hostelling Magazine]」は届いていたのだとか。関心がないと思って私には見せていなかったとか。満島くん、なんで表紙かと思えば、2010年の俳優デビュー前に7か月かけて日本一周自転車旅行をやっていて、その時利用したのがユースホステルだとか。旅の思い出をたっぷりインタビューで答えていました。