戦後変わらぬ日米安保体制と石田雄「戦争に向かった戦前と似ている」(2014年)


ウィンザー通信」さんの5月8日のブログでは、連休明けの国会での安倍首相の改憲についての答弁がなってないし、「教育無償化って言葉で釣って、壊憲に弾みをつけようと企んでいるんでしょうけど」とお怒りです。そして、この改憲発言に対して、東京新聞(5月9日)の社説「9条空文化は許されぬ」を全文掲載しています。そのあと、今こそ読んでほしいと2014年に日刊ゲンダイが掲載した石田雄氏の記事を取り上げておられます。
石田雄(たけし)という名前に聞き覚え、見覚えがあります。NHKスペシャル丸山真男「民主主義を求めて」という番組をブログで書き起こしたことがあったので調べてみました。ありました。あの石田氏でした。石田氏に関係した個所を拾ってみました:


2014-08-05
丸山真男「民主主義を求めて」(2)「抑圧の移譲」と「無責任の体系」と「明治の精神」>
政治学者・石田雄さん「永久革命としての民主主義は一人一人が主権者として発言できる、ということが民主主義なんだと
その一人一人が発言できるためには、お互い理解し合わなきゃいけない、対話がなきゃいけない。対話が成立するためには不利な人の立場もその身になって見るということが必要なんだ。本当に絶えず下から言葉を掘り起し主権者としての発言が出来るようにするためには、それをくみ上げる他者感覚が必要なんだと。だから、私としては永久革命としての民主主義と、永遠の課題としての他者感覚とは、表裏の関係を成しているということは、丸山真男から今日引き継ぐべき最も重要な遺産だと。」


2014-08-09
丸山真男「民主主義を求めて」(7)エンドレス革命と後継者たち>
 当時東京大学丸山ゼミ生の政治学者石田雄(たけし)さん(91歳)も、学徒動員で内務班の体験をした。復員後、「超国家主義の論理と心理」を読んで強い衝撃を受け、丸山の教えを受けました。

私は私なりにどうしてあんな戦争を支持するようになったのか、あんな軍隊によって実行された戦争を支持するようになったのか、何とか私なりに学問的に解明したいと思っていたところなんですね。『超国家主義の論理と心理』、日本が総力戦という形ですべての国民を自由に縛っていた、そういうのが一体どういう構造を持ち、どういう機能を果たしていたのか、現実から分析したのは、これが初めてだった。それで、これだ!でした。」


石田さんが注目したのは「抑圧の移譲」。それは上からの抑圧を、下のものを抑圧することで順次移譲し、組織全体のバランスを維持していくことです。
石田さん:「即座に軍隊体験を思い出した。軍隊にいて内務班でひどい目にあって、どうしてこういう目にあうのか、その構造が抑圧の移譲の体系で見事に説明された。つまり私たち学徒兵は知識があると思われていたけれども、逆にお前らは大学まで行っているのに何だと、いじめられる種になる。これは丸山真男の分析によれば、『抑圧の移譲』で下士官、古い兵隊、そしてその抑圧された心理的不満を初年兵にぶつけることによって心理的なバランスをとる構造が非常によくわかった。

◎これより4年も前の安保闘争を取り上げた番組でも石田氏の発言がありました。ついでに石原慎太郎氏の発言もコピーしてみました。60年の安保闘争を経験した人たちは、先日内田樹氏が指摘していた問題、日本がアメリカの属国であり、自立のための戦い、主権の回復を明確に自覚しておられるということがわかります。確かに今の為政者たちは忘れてしまったということにもなりますが・・・

2010年9月12日「60年安保 市民たちの一ヶ月(つづき)」より
9/5に放送されたETV特集「シリーズ安保とその時代」の第3回(9/10日のブログ)のつづきです。(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20100912/1284217325



「新安保条約はその後1970年に自動延長された。日本はアメリカに基地を提供し、アメリカは日本を防衛するという日米同盟の構造、その根拠となる日米安保条約は冷戦が終わった今日も全く変わることなく日本の安全保障のあり方を規定している。」(番組ナレーション)


石原慎太郎さん(東京都知事・作家):凄まじいうねりって何? あっという間に収束した。つまり、センチメントなんだよ。論理の闘いじゃない。それだったらもっと激しいものが残るでしょうけど。岸さんがね、辞任したら、岸が倒れたで納得した。そんな問題じゃない。首相が退陣しても残るわけだから。未だにそれが続いているわけでしょ。私は、やっぱり、岸内閣もそうですがね、東京のど真ん中に横田みたいな基地がね、2次大戦の戦利品として残っているそして、日本の政府もオドオドしてものが言えない。私一人バタバタしているから。もう、日本の外務省もみんな逃げ腰でね、この問題について言及することも恐がってやらないこんな馬鹿な国はありますか? これに通じているのが安保条約だ。あの時分のあの改定は仕方ない、しかし、それ以後、2ステップ、3ステップと改定する努力をしてこなかった。日本は、乳母日傘(おんばひがさ)で、この国はフヌケになった。アメリカのメカケです未だに。


東大助教授だった石田雄さんやっぱり60年安保のツケが今もある。本当なら安保の時に片付けておかねば・・・つまり具体的に言えばアメリカの基地をどうするかということであり、もっと根源的に言えば、そもそも武力による抑止力というものに依存する事の有効性がどこにあるのか、それに伴う犠牲がどういうものであるかということを本来もっと60年に詰めておかなきゃいけなかったのに、それをしないで、岸が倒れて一応の決着がついたということが今日まで安保の問題を50年経とうとしている一つの重要な切っ掛けになっている。今日から見ると大いに考えないといけない。


60年の安保闘争のさ中、圧倒的多数の反対派のなか、異を唱えた学生たちがいた。彼らはいかに安保と向き合ったか、安保に賛成した男たちの半世紀を辿る。シリーズ安保とその時代、第4回 「愚者の楽園 〜安保に賛成した男たち〜」 9月12日(日)夜10時から


(この石原氏と石田氏の二人の考えをいま改めて読んでみると大きな違いが見えてきました。同じ現状のとらえ方、日本はいまだにアメリカに従属したままだという認識は同じですが、一方は尖閣国有化・自主防衛に走り、一方は根源的な平和の問題を考える。内田樹氏は、政治家も三代目ともなると日本の主権回復なんて忘れて特権的身分を守りたいと対米従属平気になると指摘されていますが、主権回復を忘れない人たちの間でもこれだけの考え方の違いがありますね・・・)
★★★前置きが長くなりました。それでは、3年前の日刊ゲンダイから石田雄氏の記事です。
2014年6月の朝日新聞「声」欄への投書から始まって、開戦後10時間以内に元首、首相、閣僚、議員を最前線に行かせるという「戦争絶滅法案」まで、安倍首相の人となりの評価も交えて、たっぷりのお話です:(引用元:https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/151621/1

東大名誉教授・石田雄氏 「戦争に向かった戦前と似ている」

2014年7月7日


学徒出陣した私には首相のいかがわしさがすぐ分かる
 先月、朝日新聞の「声」欄に、「人殺しを命じられる身を考えて」という投書が載った。末尾には大学名誉教授 石田雄(東京都 91)とある。この投書が話題になったのは、石田氏は戦争の生き証人であるだけでなく、その生涯をかけて、「どうしたら、二度と戦争を繰り返さないか」を研究してきた学者であるからだ。投書した老学者の目に、いまの安倍政権はどう映っているのか。



――なぜ、投書を書かれたのか。やむにやまれぬものがあったのでしょうか?


 私は軍国青年だったんですよ。自分がなぜ、そうなったのか。それを明らかにするために研究者になったんです。二度と戦争を起こさせないために政治学、社会科学を研究してきたつもりでしたが、こういう時代が来ちゃった。


――こういう時代とは?


 戦前、戦争に向かっていった時代と非常に似ていますね。しかし、この年ですから、デモにも行けないし、官邸前で大きな声を出すわけにもいかない。社会科学者として何ができるか。切実に考えて、やむなく、朝日新聞に投書したのです。


――具体的には、どの部分が戦前と似ているのでしょうか?


 私は「日本の政治と言葉」という本を書いた際、「平和」という言葉が歴史上、どういうふうに使われたかをフォローしたことがあるんです。平和というのは最初は、非暴力という意味で使われる。しかし、日本においては次第に東洋平和という使い方をされて、日清、日露、日中戦争において戦争の大義にされていく。これは日本の戦争に限った話ではなく、ありとあらゆる戦争の言い訳、大義名分に「平和」という言葉が利用されてきたのです。唯一の例外がナチス・ドイツの侵略ですね。こういう歴史を見ていれば、安倍首相が唱える「積極的平和主義」という言葉のいかがわしさがすぐわかるんですよ


――平和という言葉の使い方がまず、そっくりだと。


 それと排外的なナショナリズムのあおり方ですね積極的平和主義と排他主義が重なり合うと、非常に危険な要素になります。平和とは非暴力であり、非暴力とは敵を憎まないことです。敵を理解することで、問題を解決しようという考え方ですしかし、今の安倍政権は中国、韓国を挑発し、緊張をつくり出している。そこに積極的平和主義が重なるものだから、危ないのです



■もう一度「国のために死ね」と言うのか


――靖国参拝がいい例ですね。


 論外です。戦争体験者として、個人的な意見を言わせてもらえば、誰がお国のため、天皇陛下のために死んだものですか。みんな無駄死に、犬死にだったんですよ歴史学者藤原彰氏の調査によれば、戦死者の6割が餓死だったという。特攻隊だって、どうせ死ぬなら、美しく死のうとしたわけで、誰も喜んで死んだわけじゃない。それを美化し、首相が「尊崇の念を捧げる」などと言うのは「もう一度、国のために死んでくれ」という宣伝だと思う。死んだ人の霊を慰めたいと言うのであれば、それは二度と戦争を起こさないことなのです


――政府は集団的自衛権の行使についても、限定的であって、戦争する国になるわけじゃないと主張しています。


 海外の邦人を保護するため、と言っていますね。この理屈も戦前と似ています。1932年の第1次上海事変の直前、日本人の僧侶数人が殺傷される事件が起こった。日本政府は邦人の生命を守るという名目で、上海の兵力を増強し、戦闘が拡大。その後、本格的な日中戦争になりました個別的自衛権であれば、「日本の領土内に攻め込まれたとき」という歯止めがかかりますが、邦人保護という名目で海外に出ていけば、歯止めがなくなってしまうのです。


――駆けつけ警護はどうですか?



 アフガニスタンで援助活動をしているペシャワール会中村哲代表は「自衛隊が邦人救助に来るのは危ないからやめてほしい」と言っています。実際、ペシャワール会は日本がインド洋の給油活動をする前は、車両に日の丸を掲げて活動していた。それが守り札になったからです。しかし、給油活動を境に日の丸を消した米国と一体と見られる懸念があったからでしょう。集団的自衛権による武力行使や集団安全保障による制裁措置に自衛隊が参加すれば、ますます、憎悪と攻撃の対象になる。もうひとつ、集団的自衛権で海外に出ていけば、おそらく、米軍の傘下に入る。邦人がいなくなったから帰ります、なんて言えるでしょうか。米軍は無人機で攻撃する。一般市民が巻き添えになれば、その恨みは陸上で展開している自衛隊に向く。こうなる可能性もあるわけです。 


――戦後70年間、せっかく平和国家としての地位があるのに、あえて、それを捨てて、恨みを買う必要があるのか、ということですね。


 言葉がわからない地域で武力行使をするのがいかに危ないかイラクに駐留する米軍が「止まれ」という制止を振り切った車両を攻撃したら、殺されたのは、お産が近づき、病院に急ぐ妊婦だったという報告もありました。相互理解がなければ、どんどん、紛争は激化してしまう。それよりも、日本は戦後一人も海外で人を殺していないというプラスの遺産を生かすべきです武装の支援に徹すれば、外交的パワーもついてくるその遺産を今、食い潰してしまうのは誠に愚かなことです


首相は他者の気持ちが分からない人



――先生は殺せと命じられた身にもなってみろ、と投書で書かれましたね。


 私の父親は二・二六の直後に警視総監になったものだから、寝るときも枕元に拳銃を置いていた。父親は神経がもたず8カ月で辞任しましたが、私も武器恐怖症になって、不眠症が続いた。学徒出陣となって、徴兵検査のときは兵隊に行くべきだと思っていたが、人を殺す自信がなかった。東京湾の要塞重砲兵に配属になったのですが、軍隊というのはいつでも誰でも人を殺せる人間を作る。そういうところなんですね。敵を突き殺す訓練をやらされ、「そんなへっぴり腰で殺せるか」と殴られる。命令があれば、それがいいか悪いかを考えちゃいけない。なぜ、それをやるのかを聞いてもいけない。幸い、負け戦でしたから、敵が攻めてきて殺されるのを待っているような状況でした。そんな中、東京空襲に来た米軍の戦闘機が東京湾に墜落して、パイロットが泳いできたんですね。捕まえて司令部に報告すれば、「殺せ」と命令されるかもしれない。捕虜を殺すのは国際法違反です。しかし、命令に背けば、陸軍刑法で死刑です。これは大変なことになったと悩みました。


――しかし、命令する側は平気で「殺せ」というわけですね。憲法解釈を変えれば同じような境遇に自衛隊員も置かれる。殺される方もたまらないが殺す方も大変だ。そういう国に戻そうとしている安倍首相という政治家をどう見ていますか?


 自分よりも不利な人の立場で物事を考えられないのだと思います他者感覚の欠落、共感能力の欠如というか、ずっとチヤホヤ育てられると、そうなっていくのかもしれません。デンマークの陸軍大将、フリッツ・ホルンは戦争絶滅法案なるものを提唱していて、開戦後10時間以内に元首、首相、閣僚、議員を最前線に行かせる。そういうことを決めれば戦争はなくなると言っています。そういう立場に立たされれば、積極的平和主義なんて、簡単に言えるわけがないのです。



――国民も正念場ですね。


 一番恐れているのは沈黙の螺旋です出る杭は打たれるからと黙っていると、その沈黙がだんだん広がって誰も声を出せなくなる。若い人の方が「出る杭は打たれる」と心配するでしょうから、ここは年長者が声を出さなければいけないと思います。

(聞き手=本紙・寺田俊治)


◇いしだ・たけし 1923年6月7日生まれ。旧制成蹊高校から東北帝国大学法文学部へ。在学中に学徒出陣を受け、東京湾要塞重砲兵連隊に入隊。復員後、東大法学部へ。東大社会科学研究所教授・所長、千葉大法経学部教授などを歴任。著書多数。