映画「海辺の生と死」とグランフロント初体験

昨日は、梅田のロフトの地下にある映画館「テアトル梅田」で「海辺の生と死」を見てきました。夫がイタリア旅行中に映画の2,3本は見たいと思っていたのですが、やっと1本、見ることができました。日曜、Sさんから電話があり、「映画、もう、見た?」と言われ、先週お誘いしたこの映画を火曜日に見る約束ができました。
偶然に一月ほど前に見たNHKの「SWITCHインタビュー達人たち」という番組で、満島ひかりさんが選んだ相手は人類学者の海部陽介氏でした。海部氏は「日本列島にはどんな人たちがどのような方法でやってきたのか?という謎を解くため、想像力を駆使して、3万年前の航海を再現」しようとしている方。草で舟を作り海図も磁石もない状態で台湾から与那国島へ渡るプロジェクトを立ち上げ、その挑戦の様子を何度かニュースなどで紹介されて失敗するのを見ていました。その海部氏が満島さんに「役作りはどうやって?」という質問。満島さんは「資料を読み込んで取材を重ね万全の準備を整えた上で想像力を働かせる」と答えていました。あの入魂の演技には、なるほど、そういう準備があったの…と思いました。それで、一度は映画を見てみたいと思って。
映画は、ともに作家の島尾敏夫(「死の棘」)とミホ夫妻の、1944年(昭和19年)12月の出会いから8月15日までを描いたもの。
音楽が極端に少ない映画でした。私が気が付いたのは一か所のみ、あとは、小鳥のさえずり、フクロウの鳴き声、波の音、風の音、そして島唄。緩やかな時の流れに、戦争が入ってきます。白い軍服姿の朔中尉(永山絢斗)と、島で国民学校の代用教員を務めるトエ(満島ひかり)は出会い、恋に落ちます。
そして「ほかの島の人と縁 結んじゃいけないよ、縁を結んでしまえば、落とすはずのない涙 落とすことになるよ」という奄美島唄通りになります。
中尉は、「島の人たちを守るためでなく、死ぬために来た」と告白。ベニヤ板で作った特攻艇での出撃命令を待つ運命です。二人の伝令役を務める若い兵士も手紙を預かってトエさんのもとを訪れるのが楽しいようです。終戦間際に命令を受け特攻服に身を固める中尉。知らされたトエは、身を清め、形見の喪服に身を包み、懐剣を手に暗闇の中、基地へ向かいます。トエのほとばしる生と愛と死の狂奔です。

映画は一人で見なくてよかったと思いました。夏休みとはいえ、平日のお昼ですが、たくさんの人、女性が多かったし、私達より若い世代が多かったようです。ロビーに出ると、昨年の11月12日以来ずっと上映が続いているという「この世界の片隅で」の監督さんの映画館と観客への感謝のメッセージや原画が飾ってありました。夫と二人で見たのもこの映画館でした。Sさんは、テアトル梅田は初めてとのこと。冷房で冷え切った体に外の蒸し暑い空気が暖かくて気持ちがよいぐらいでした。

時間は3時近く、三番街で食事しようということになり、地下街へ。レゴで作ったおじさんがベンチで座っていました。近づいてみてみると、昔、子供たちが遊んだと同じあのレゴのサイズで作ってありました。Sさんも私も三番街で食事をするのは久しぶり(10年以上!ももっと前)。

不二家のペコちゃんがベンチに座っているのを見つけて入ることに。漁師風スパゲッティ(ムール貝イカやエビなど)と、アイスクリームが欲しかったのですが「フルーツミルキーソフトパフェ」を注文。子供連れや女性客ばかり。私の背後の子供さんが、アニバーサリーメニューで誕生ケーキを注文、サービスでペコちゃん人形を抱っこした写真のプレゼントがあったようです。帰りレジのところでSさんが「いつからやってらっしゃるの?」と質問、「4年前からですが今月でお仕舞いなんです」と。新陳代謝が激しいようです。
次は、二人ともまだ行ったことのないグランフロントへ行こう、その前にヨドバシカメラの空中通路を渡ってみようと地下街からJR大阪駅へ向かいました。二人で梅田を歩くのは、一昨年のデモの時以来です。あれは、2015年、戦争法案反対のデモで大阪の扇町公園に行った時でした(2015年8月31日の蛙ブログ「8月30日の大阪扇町と国会前」)。ついついあの日の思い出話になりました。

二人とも箕面の田舎で十分と、買い物も暮らしも地元で満足なので、全くのお上りさん。グランフロントは何年前かに出来ていたのに、行ったことなし。私は、スカイビルの映画館に行くとき、地下道を目指して横目にこのビルを見るだけで、行ったことなし、で、二人にとっては冒険?です。
(写真の歩道橋とその下が、ヨドバシカメラ前抗議があったとき鈴なりになる場所。下手前がヨドバシカメラ街宣車が停車する場所)
ところが、地下街を急ぎ足で歩いていると目の前にヨドバシカメラ、二人で、「なんで!?」。ヨドバシカメラは地上の信号を渡ってしか行くことができないと二人とも思い込んでいました。だから空中通路という陸橋ができて便利になったからそこを通ろうと思ったのに、あっけなくヨドバシカメラへ着いてしまいました。なんで?納得のいかない二人は外に出て位置関係を確かめることに。
 阪急から地下で繋がっていたのですね。目の前に阪急からJR大阪駅の陸橋が見えて、左手にお目当ての通路も見えました。それからグランフロントのビルがわからなくて地下や地上、ヨドバシの二階を巡り巡って、一度外に出て、やっとたどり着きました。時間を忘れていた私たち、北ヤードが見えるガラス窓のところで一服。

Sさんが、18時、6時だよ。私は、身軽ですが、彼女はご主人がお休み、買い物とお風呂の掃除も頼んできたからとはいえ、そろそろ帰らなきゃ。帰り路もちょっとぐるぐる迷って何とか阪急の駅へ。
退社時刻と重なったので急行は諦めて普通電車に座って、二人で「偶には梅田へ出ないと置いて行かれるね〜」と田舎者丸出しの珍道中でした。でも、自分の足で歩いたので、これでやっと阪急の梅田駅とJR大阪駅ルクアヨドバシカメラ梅田スカイビルの地下道やスカイビルとウェスティンホテル梅田北ヤードとJR大阪駅の位置関係が掴めました。楽しい半日梅田体験でした。お洒落なグランフロント(ただし南館のみ)のブティックのウィンドーショッピングの後に、箕面のお店を見るとつくづく「田舎やね〜」と二人で。(こうやって書いてみると、ここ数年、梅田は、抗議デモ参加と映画のために出てくる街になっていました)