《中村哲医師 絶筆》『信じて生きる山の民ーアフガニスタンは何を啓示するのか』

ペシャワール会の12月5日の号外は昨年内に中村哲氏追悼と事業継続の決意を会員に知らせるために発行されました。おかげさまで一会員の私も安心して新年を迎えました。この号外には西日本新聞に掲載された中村哲さんの絶筆となる記事も転載されています。書き移してみますが、読んでみると少し悲観的な物悲しさが心を打ちます:

(14日の蛙ブログでは弔辞を書き移しています:ペシャワール会村上優会長弔辞「中村哲先生と犠牲者の御霊に事業の継続を誓います」 - 四丁目でCan蛙~日々是好日~)

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信じて生きる山の民     <中村哲医師 絶筆>

  ーアフガニスタンは何を啓示するのか

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 PMS(平和医療団・日本)総院長/ペシャワール会現地代表  中村 哲

 

中村医師は二〇〇九年より年に四回、西日本新聞に「アフガンの地で 中村医師からの報告」と題した文章を寄稿していました。絶筆となった十二月二日朝刊掲載分をここに転載します。

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「緑の大地計画」は最終段階へ

 我々の「緑の大地計画」はアフガニスタン東部の中心地・ジャララバード北部農村を潤し、二〇二〇年、その最終段階にはいる。大部分がヒンズークシュ山脈を源流とするクナール河流域で、村落は大小の険峻(けんしゅん)な峡谷に散在する。辺鄙(へんぴ)で孤立した村も少なくない。

 比較的大きな半平野部は人口が多く、公的事業も行われるが、小さな村はしばしば関心を引かず、昔と変わらぬ生活を送っていることが少なくない。我々の灌漑計画もそうで、「経済効果」を考えて後回しにしてきた村もある。こうした村は旧来の文化風習を堅持する傾向が強く、過激な宗教主義の温床ともなる。当然、治安当局が警戒し、外国人はもちろん、政府関係者でさえも恐れて近寄らない。

忠誠集める英雄

 ゴレークはそうした村の一つで、人口約五千人、耕地面積は二〇〇ヘクタールに満たない。これまで、日本の非政府組織(NGO)である日本国際ボランティアセンターが診療所を運営したことがあるだけで、まともな事業は行われたことがなかった。PMS(平和医療団・日本)としては、計画の完成にあたり、このような例を拾い上げ、計画地域全体に恩恵を行き渡らせる方針を立てている。

 同村はジャララバード市内から半日、クナール河対岸のダラエヌールから筏(いかだ)で渡るか、我々が三年前から工事中の村から遡行する。周辺と交流の少ない村で、地域では特異な存在だ。圧倒的多数のパシュトゥン民族の中にあって、唯一パシャイ族の一支族で構成され、家父長的な封建秩序の下にある。

 パシャイはヌーリスタン族と並ぶ東部の山岳民族で、同村の指導者はカカ・マリク・ジャンダール。伝説的な英雄で、村民は彼への忠誠で結束が成り立っている。他部族にも聞こえ、同村には手を出さない。

 十月中旬、我々は予備調査を兼ねて、初の訪問を行った。クナール河をはさんで対岸にPMSが作った堰があり、年々の河道変化で取水困難に陥っていた。ゴレーク側からも工事を行わないと回復の見通しが立たない。ゴレークの方でも取水口が働かず、度重なる鉄砲水にも脅かされ、耕地は荒れ放題である。この際、一挙に工事を進め、両岸の問題を解決しようとした。

 「諸君の誠実を信じます」

 最初に通されたのは村のゲストハウスで、各家長約二〇〇名が集まって我々を歓待した。他で見かける山の集落とさして変わらないが、貧困にもかかわらず、こざっぱりしていて、みじめな様子は少しも感ぜられなかった。

 ジャンダールは年齢八〇歳、村を代表して応対した。彼と対面するのは初めてで、厳(いか)めしい偉丈夫を想像していたが、意外に小柄で人懐っこく、温厚な紳士だ。威あって猛(たけ)からず。周囲の物を目配せ一つで動かす。

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 PMSの仕事は良く知られていた。同村上下流は、既に計画完了間際で、ここだけが残されていたからである。

「水や収穫のことで、困ったことはありませんか」

専門家の諸君にお任せします。諸君の誠実を信じます。お迎えできたことだけで、村はうれしいのです」

終末的世相の中

 こんな言葉はめったに聞けない。彼らは神と人を信じることでしか、この厳しい世界を生きられないのだ。かつて一般的であった倫理観の神髄を懐かしく聞き、対照的な都市部の民心の変化を思い浮かべていた。

ーー約十八年前(〇一年)の軍事介入とその後の近代化は、結末が明らかになり始めている。アフガン人の中にさえ、農村部の後進性を笑い、忠誠だの信義だのは時代遅れとする風潮が台頭している。

 近代化と民主化はしばしば同義である。巨大都市カブールでは、上流層の間で東京やロンドンとさして変わらぬファッションが流行する。見たこともない交通ラッシュ、霞(かすみ)のような街路を覆う排ガス。人権は叫ばれても、街路にうずくまる行き倒れや流民費への温かい視線は薄れた。泡立つカブール河の汚濁はもはや河とは言えず、両岸はプラスチックごみが堆積する。

 国土をかえりみぬ無責任な主張、華やかな消費生活への憧れ、終わりのない内戦、襲い掛かる温暖化による干ばつーー終末的な世相の中で、アフガニスタンは何を啓示するのか。

 見捨てられた小世界で心温まる絆を見出す意味を問い、近代化のさらに彼方(かなた)を見つめる。

  MMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMM(引用おわり)