コロナ時代の日常を生きる一冊(映画監督・安藤桃子)と福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」

紫色のノボタンの鉢を母のいない隣の実家の玄関先に置いてみました。

赤いのは我が家の玄関先で咲いているゼラニューム。

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◎「shuueiのメモ」さんの7月30日のブログのタイトルは:

高知県在住の映画監督の安藤桃子さんは、妹さんが俳優の安藤サクラさん、父親は俳優の奥田瑛二さん、母親はエッセイストの安藤和津さんですね。

安藤サクラさんが大阪制作の朝の連続テレビ小説安藤百福さんの妻を演じていた頃、子どもさんを連れて長期出張のような形で仕事をしておられ、母の安藤和津さんが、四国にいる長女の子どもを見て、帰りに大阪でサクラさんの子どもに会って帰ると何かの番組で言っておられたので、安藤桃子さんが高知県で暮らしておられるのを知りました。安藤桃子氏があげておられる一冊は、東城百合子『家庭でできる自然療法』。

子育てで悩んだ時に、今の情報社会では調べれば調べるほど様々な説が出てきます。ありとあらゆる情報を360度すべてきちっと見て聞いて読んで、その中で自分が一番違和感なく素直に受け入れられることを選ぶのが大事だと思っています。高知ではこの本に書かれていることが最も実践しやすかった。『自然療法』の読み方はいろいろあると思いますが、医学的な情報として紹介したいわけではありません。私がすごく感動したのは、読んで「楽しい」ということで、この本を読むことで、世界の見え方が変わりました。身体と自然は直結していて、必要なところには必要なものがきちんと組み合わさり、この地球は作られているということが理解できるのです。

 ◎全文は「shuueiのメモ」さんのブログで是非。

Vol.2となっていましたので、ついでにVol.1は誰かな、どんな一冊かなと探ってみました。すると、楽家坂本龍一氏と建築家の伊藤豊雄氏が、同じ一冊、福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」を選んでおられるので、「前編」「後編」となって二人の記事が載っていました。福岡伸一氏のこの本は私もだいぶ前に読んでいてブログにも書いています:

◎ お二人の最後の方を引用して紹介です:

連載
コロナ時代の日常を生きる一冊
Vol.1<前編>
音楽家・坂本龍一

 

コロナ禍が証明したこと、世界は減速できる

 これまで何度も考え、3.11の時も大きなテーマとして直面し、未だに答えはないですが、これは自然対人間の大きな対立から起きたことです。自然に即していない人間の生き方、文明、経済のあり方の問題です。僕自身も繰り返し発言してきましたし、警告を発した先達、具体的に変えようとした人はたくさんいましたが、良い方向には向かっていない。悪い方向に加速していることを改めて強く感じます。何とかしないと先がないような気持ちです。僕は気候変動、気候危機が及ぼす影響は、コロナ禍より遥かに大きいと思っている。コロナ禍でも食糧危機が一部で起きていますが、気候変動がもたらす危機はこれどころではないはずです。

コロナ禍は、人間が起こした気候危機の1エピソードでしかなくて、今後10エピソードぐらいがドカンと一気にやってきた時には、それがどんなものか僕の想像力を超えます。乗り越えるのは難しいのではないかと思います。ただ一つ言えることは、コロナ禍という1エピソードでここまで減速できた。経済のために減速なんかできないよと言っていた人たちもストップせざるをえなかった。やればできることが証明されたのです。

コロナ時代の日常を生きる一冊
Vol.1<後編>
建築家・伊東豊雄

コロナ禍から学ぶ新しい暮らし方

 今の日本は、都市か地方かの二項対立になっていますが、コロナ禍でテレワークを多くの人々が体験し、同時に両方を活用できる暮らし方の可能性が浮上したと思います。都市には小さなスペースを持ち、地方は地価も安いし空き家も多いから、大きな一軒家を改修して住むとか、これからは、多様な暮らし方、都市と地方が等価な暮らし方が可能になるでしょう。このコロナ禍は、自然が豊かで密集の少ない地方での暮らし方をもう一度考えさせてくれたような気がしますエネルギーを減らしながら、今までより快適な暮らしができる社会は可能なのです。

 現代都市は、人を街の中へと誘い出す。もちろん、人を動かさないと経済活動は成り立ちませんし、消費社会はそういうものです。しかしあまり過剰になると、コロナ禍のような事態を招きかねない。自然と都市のバランスがとても大事だということを、今回、みんなが考えさせられたのではないでしょうか。台風や地震が多発する日本においては、自然をコントロールできると考えるようになったのは近代以降の話です。そうした近代主義の思想自体を変えることができれば、かなり社会は変わってゆくはず。3.11の後にそのことを期待しましたが、一年もすると世の中は戻ってしまいました。世界中で人間の驕りに対する反省が起こるのかという一縷の期待を抱いています。 

福岡伸一氏の「生物と無生物のあいだ」は読み継がれていて、新しい時代の考え方の基礎というか、それより、新しい時代を生み出す考え方 になるのかもしれません。内なる外とか、常に死滅して生成する人間の体は方丈記の「行く河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」と同じとか・・・・思い出します。