奈良少年刑務所「人間の本質は、優しさでした」(寮美千子さん)

◎雑誌交換で月遅れで読ませていただいている「ハルメク」。元は、75歳以上を『新老人』と名付けた故日野原重明さんのシニア向け(50代以上)雑誌「いきいき」でした。先々月号で初めて寮美智子さんの「リレー連載」の「こころのはなし」に奈良少年刑務所詩集が取り上げられていたのに気づきました。その連載が今回の11月号で最終回。そのタイトルをブログのタイトルにしました。

映画「きみの瞳が問いかけている」のあらすじと感想を書いた最後にも前回のブログで取り上げた服役中の少年二人の詩を紹介する内容(「世界はもっと美しくなる」)を貼り付けました。映画のダブル主演の一人横浜流星さんが演じた篠崎塁は3年5か月の刑期を終えて再スタートを切った青年でした。出所後も元のボクシングジムのコーチや会長、育った養護施設の修道院のシスターや偶然知り合い愛し合うようになる盲目の女性たちとの優しい関係が描かれて、罪の意識と贖罪の物語が進行するという映画でしたので、ちょうどいいかなと思って紹介しました。

ユニークな奈良少年刑務所の建物を設計したのはジャズピアニストの山下洋輔氏の祖父山下啓次郎氏。明治の五大監獄を設計しました。奈良少年刑務所星野リゾートによりホテルに生まれ変わりました。

・「ドバラダ門」(不思議な体験) - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ ・・・(hatenablog.com)

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寮美千子編「空が青いから白をえらんだのです…奈良少年刑務所詩集」 - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)

奈良少年刑務所詩集「世界はもっと美しくなる」(寮美千子)より - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)

さて、最終回のタイトル「人間の本質は、優しさでした」という今回の記事も、本当かしらと思うほどの優しさについて書かれています。「詩」の朗読を聞いた受講生のコメントの優しさが信じられないくらいです。その優しさが優しさの連鎖を生んで・・・人は変われるという体験を寮さんはなさっています。記事を移してみます:

最終回

人間の本質は、優しさでした

 

作家の寮(りょう)美千子さんは、2007年から16年まで奈良少年刑務所で受刑者の少年たち186人に絵本の朗読や、詩を書く授業を行ってきました。その中で寮さんは少年たちの書く詩と、その詩に対する彼らの反応に触れ、人間の本質は優しさではないかと気付いたと言います。

 

 刑務所の少年たちが書いてくれた詩の中にこんな一編がありました。

 

   すきな色

 

 ぼくのすきな色は

 青色です

 つぎにすきな色は

 赤色です

 

 確かに私は少年たちに、「書きたいことが見つからなかったら、好きな色について書いてきてください」と言いました。とはいえ、こんな直球の詩が来るとは思わず、のけぞりそうになりました。コメントに困っていたら、受講生がみんな手を挙げるのです。

「僕は、〇〇君の好きな色を一つじゃなくて二つ聞けてよかったです」「僕も、二つも教えてもらってうれしかったです」「僕は、〇〇君は青と赤がほんまに好きなんやなあ、と思いました」……本当になぜ彼らはこんなに素直に優しさをあふれさせることができるのだろう。少年刑務所に入るほどの罪を犯した子なのに。

 その詩を書いた子はいつも表情がなくて、目も宙を泳いでいるような子でした。それがみんなの感想を聞いてふっと笑ったんです。刑務所の教官はそんな彼を見て「○○君、いい顔してるじゃないか」と言ったら、はずかしくなっちゃって頬がぱっと赤くなって、急に悪い魔法がとけて魂が戻って来たようでした。

 彼の魔法をといたのは、この詩です。そしてそれを「詩だ」と思って受け止めてくれた仲間です。私たちは何もしていません。こんな詩を書きなさいとも言いませんでしたし、この詩は上手ですね、と評価もしませんでした。やったことと言えば「おぜん立て」。ここなら何を言っても大丈夫。安心な場所ですよ、という場所づくりをしただけです。それでもこうした奇跡のような出来事が、毎回起きたのです。

葛藤しながら書いた神聖な言葉。

それが人の心を動かしたのです

 これは、まだ純粋さが残る少年が対象だから起きえたことだったのでしょうか。私自身も疑問でしたが、あるとき私は別の刑務所で1日だけ、成人男子の受刑者に同じような授業を行う機会を得ました。たった1日の授業でしたが、ある受刑者の作品に対し、みなが「○○さんがそんな気持ちを持っていたなんて初めて知りました」「そんなにしんどかったら、僕に言ってください」「○○さんを助けてあげたいって思いました」……。そんな言葉が次々に飛び出したのです。驚きました。大人も子どもも同じなのです。

 おそらく、作文ではなく詩という、より研ぎ澄まされた言葉で綴ることが良かったのではないかと思います。彼らは、心の襟を正して一生懸命に書いたでしょう。言葉にすることで自分の魂の隠していたい部分もバレてしまうかもしれない。怖い。そんな気持ちを乗り越えて一生懸命書く。その言葉は、スマートフォンやパソコンのSNSなどでやりとりされる言葉とは違います。もっと神聖な言葉その言葉を自分自身で「これは詩だ」と思ってみんなの前で読む。みんなが「ああ、詩だねえ」と受け止めてくれる。こうして言葉は詩になり、人の心を動かす力を持つのだ、と私は思いました。 

自分が人の輪の中で生きていると気づくと

自分の罪にも自ずと向き合える

「北風と太陽」の「太陽」教育

 私たちが行った「詩の授業」は「社会性涵養プログラム」と言う教育の一環で、その人の内面を豊かに育てていく教育方法でした。他にもいろいろな種類の授業がありました。例えば、生まれたばかりの赤ちゃんと同じ重さの人形を彼らに抱いてもらい、自分のこのくらいの大きさ、重さで生まれてきて、今ここまで大きくなったのだということを実感してもらう授業。これは殺人を犯した少年たちが全員受ける授業でした。

 また、10名ほどが集まり、一人が大きな毛糸の玉を持って、誰か一人に「あなたのこういうところが好きです」と伝えながら毛糸の玉を渡す。そうして次の人へ、次の人へと玉が渡されていくうちに、毛糸の網の目が張られていきます。その糸の網のように、人と人がつながっていて、みんながみんなに支えられているんだよ、これが社会ってものなんだ、と実感してもらう授業もありました。

 私はこれを太陽教育だと思っています。「北風と太陽」の寓話があるでしょう。「自分の罪を反省しなさい」と指導するのが北風教育です。でも普通に生きてきた私でも、「自分のどこが悪いのか反省しなさい」と言われたら、とても苦しくなります。まして本当に罪を犯していれば、耐えられることではないでしょう。私たちは授業の中で一度も「反省しなさい」などと言ったことはありません。でも自分からこんな詩を書いてくれた少年がいました。

 

   つぐない

 

 つぐない

 

 きびしい刑務所生活

 いつもかんがえる

 被害者の心のキズ

 

 つぐない

 

 つぐないきれない

 あやまち

 もう二度と

 

 つぐない

 

 犯した事件

 生きているまで

 つぐないつづける

 

 彼は、このプログラムを通して、自分が傷付けた相手にも同じ人生があったのだということを悟り、自分のしたことに思い至ってこの詩を書いた。これが太陽教育なのだ、と私に実感させてくれた詩でした。

 私は刑務所で受刑者たちと出会い、人間の本質は優しさなのだと信じることができました。ひどい罪を犯した人の中にも優しさがある。その優しさをうまく出せずに、罪を犯してしまったけれど、また変わることもできる。彼らがそれまで受けられなかった、他人からの共感や理解が得られれば、本当に更生することができるのではないかと思うのです。

 残念なことに、奈良少年刑務所は2017年に廃庁となり、私の授業も終了となりました。しばらくは「刑務所ロス」でしたが、やがて児童自立援助ホームという、15歳から20歳までの家庭のない児童や、家庭にいることのできない問題を抱えた児童が、自立を目指すための施設で、少年刑務所で行ったのと同じ授業を行うチャンスに恵まれました。

 私は刑務所で講師をしながらずっと「この子供たちがここに来る前に、こうした授業をしてあげられたら、どんなにいいだろう」と思っていたので、これは嬉しい経験でした。ただ、コロナ禍でなかなか集まって顔を合わせることが出来なくなっているのが目下の悩みです。どんなにテレビ電話などが発達しても、現実に顔を合わせ、言葉を交わす臨場感や場の空気感にはかないませんから。

 教育者でも臨床心理士でもない私が、奈良少年刑務所の建物に憧れたことがきっかけで、受刑者たちに詩を教えることになり、人生観も人生そのものも変わりました。でもそれも私一人の力で変わるわけではなく、人と人が出会って場を作るから変われたのです。こういう出会いで人生や社会が出来上がっていくということを、もっとたくさんの人に知ってほしい。そう願っています。 

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