◎ペシャワール会からNO.151 (4月6日付)記念号の会報が届いています。中に用水路と堰のお陰で灌漑が行き届き農耕地になった地域を示す航空写真が入っていました。写真です:
◎中村哲さんが亡くなられたのはもう3年前の12月4日でした。あれから世界はますます不安定。それでもペシャワール会は新しい会長・村上優さんを先頭に続けられています。今回紹介したい記事は、文字だけで7頁分の長さですので、最初と最後を書き移して紹介します。出だしはロックバンドU2のステージからです:(太字by蛙)
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私が見た素顔の中村哲医師
――― 『天、共に在り』英語版への寄稿
日本電波ニュース社 谷津賢二
二〇一九年十二月五日。世界的なロックバンドU2の公演が日本で行われた。会場のスタジアムは三万人近い熱狂的なファンで埋め尽くされていた。彼らの代表曲「Sunday Bloody Sunday」で幕が上がり、ボーカルのボノが熱を帯びた歌声でファンの心をつかんでいった。そして公演の半ばでボノが突然、ある日本人の名前を呼び、その生きざまを称え始めた。
「みんなの心に留め置いてほしいことがある。いま僕らはここにいる、ここにつどっている。みんなのスマートフォンの光をキャンドル代わりに、輝く星空を作り、このスタジアムを大聖堂に変えよう。少しの時間、ある男のことを思い起こそう。偉大な男、テツ・ナカムラのことを。テツ・ナカムラのことを。寛大で偉大な男、テツ・ナカムラ! 偉大なピースメーカーに祝福を捧げよう!」
何度も、日本男性の名前テツ・ナカムラを口にする。そして、これも彼らの代表曲の一つ「プライド」の演奏が始まる。一九六八年にアメリカで暗殺された公民権運動指導者マーティン・ルーサー・キング牧師に捧げられた曲だ。
愛の名のもとに男が現れ 愛の名のもとに男は去っていく
男は正義のために現れ、悪しき体制を打ち破るため
…苦しみからは解放されたが、あなたは命を奪われた
しかし、誰もあなたの誇りを奪うことは出来ない…
U2がキング牧師の生きざまと重ね合わせて追悼した男、テツ・ナカムラ。その人こそが『天、共に在り』の著者、中村哲先生だ。アフガニスタンやパキスタンで三五年の長きにわたって、NGOを率いて医療支援、そして用水路の建設を行ってきた。しかし、このU2日本公演の前日二O一九年十二月四日に、中村先生はアフガニスタンのジャララバードで何者かの凶弾に命を奪われた。その悲報は日本だけでなく世界を駆け、その報に触れたU2が急遽、公演の中で中村先生への追悼を行ったのだ。
多くの日本人やアフガン人だけでなく、U2が追悼し思いを寄せた中村先生とはどんな人間だったのか。私はドキュメンタリーカメラマンとして一九九八年から二〇一九年まで、中村先生の活動を記録し続けて来た。その映像を使い、これまでいくつものテレビドキュメンタリー番組や記録映画の製作を行った。その二一年間に私が触れ、目撃し、薫陶を授けてくれた人間の素顔を今回は文章で記したいと思う。
しかし、その存在はとても大きく、全体像を表すには何十ページあっても足りないだろう。そこで私は人物像を理解するうえで重要だと思う、いくつかの言葉を手掛かりに書き進めたい。「利他に生きた義の人」、「比類なき知性を持った人」、「正しく勇敢である人」、「人は愛するに足ると言える仁の人」。そして中村先生がよく口にされた「人と自然の和解」。これらの言葉をよすがにして、私が見て知った、様々な中村先生の姿を素直に伝えたいと思う。
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◎この悲劇のあった翌日のステージを描写する書き出し、中村哲さんが世界でも偉人として受けとめられていることを示すエピソードですね。そして、5項目にわたって中村哲さんを身近に見て来た谷津氏が中村哲さんの人となりを表す記事ですが、4項目を割愛して最後の「人と自然の和解」の途中から書き移してみます。その前に挿入されている写真から今年の2月28日の2枚を:
「人と自然の和解」
二〇一九年四月。アフガニスタンの強い日差しの中、私はマルワリード用水路沿いの丘の上に立っていた。眼前には鮮やかな緑の大地が広がり、心が浮き立つのが分かった。アフガニスタン取材は三年半ぶりの古都、前回も同じこの丘に立ち、すでに緑に覆われた大地を見てはいた。
(中略)
取材の間、私はあることを考え続けていた。それは、この十年ほど中村先生が静かに口にし、繰り返し書き記している言葉についてだ。「人と自然の和解」。この言葉を私はアフガニスタンでも日本でも、何度も聞いてきた。しかし、私はこの言葉の真意をなかなか理解できなかった。人と自然が和解するとは、どういうことなのか。「人が自然を守る」のでもなく「人と自然が共生」するでもなく「人と自然が和解」する。私は思い切って、こう問いかけてみた。「人と自然が和解するとは、どういうことなのでしょうか?」と。その問いに中村先生はこう話してくれた。
「私は自然にも人格があると考えています。だから人格を持つ自然と人間が和解する、と表現しているのです」
その後も続いた先生との対話から、その真意を私はこう理解した。「自然を物言わぬものと思えば、人間は欲望のままに恵を奪いつくす。しかし、自然に人格があると思えば、対話が成立し、いたわる気持ちも持てる。人は自然と対話しながら、分をわきまえた恵みを受け取ることでしか、私たちの未来は成立しないのではないか」
これは中村先生が実践から導いた施策の頂点の一つだろうと思う。用水路の要となった「斜め堰」は川から必要な水だけを水路に導き、残りは川に戻す仕掛けだ。必要な恵だけを受け取り、奪い過ぎないという古(いにしえ)の技術が備えた自然観を先生は哲学へと深化させた。私は「人と自然の和解」という施策が私たちの未来を確かなものにするカギだと思っている。
信ずるに足りない政治家や利に聡(さと)いばかりの人間が跋扈(ばっこ)するこの世界で、命を守り、素朴な正義感と倫理観を持ち続け、人と自然の和解を説いた中村先生の生きざまは、私たちを励まし続けてくれるだろう。先生とアフガン人たちが命を賭して造った用水路とその水が取り戻した緑の大地は、この先も長く、長く人々の命を支え続けていくことだろう。私はそう願っている。
★出典:『Orivudebce Was with Us』出版文化産業振興財団、二〇二〇年
(2021年11月30日)
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