「河口慧海 仏教探求の旅―チベットで求めたものー 企画展」と仁徳天皇陵(堺市)

◎昨日は車で堺市まで行ってきました。夫が河口慧海展へ行くというので私も。堺という街へ行ってみたいというのもありましたし、沢木耕太郎の「天路の旅人」でも出てきた「西蔵チベット旅行記」の著者のお坊さんですので、是非にと。車に乗り込むとき折傘を持って出たのですが、途中、難波通過の頃、降ってきましたがあとは大丈夫でした。

↓右手中ほどに両手を挙げたランナーのグリコの看板が見える道頓堀

すぐ、正面アーチが見える松竹座の建物も。

降り出した雨に正面に難波駅がかすんで。フロントガラスの雨粒も写り込んでいます。

金曜日は”生協の日”なので受け取りを済ませて10時半ごろ出発、お昼前到着。

大きな公園の中でサンドイッチの昼食を済ませてから博物館へ。

河口慧海(えかい)(1896~1945)は仏教の原点を求めて日本人で初めてネパールからヒマラヤ山脈を越え、当時厳重な鎖国下にあったチベットへ入りました。帰国後に出版された『西蔵チベット旅行記』は、仏教を究めるためという一途な目標のもと、策を巡らせ数々の困難を突破していく様が活き活きと描写され、痛快な冒険譚として人々を魅了し続けています。

今年は明治36年(1903)に慧海が第一回チベット旅行から日本に帰国して120年に当たります。本店では関係者の子孫のもとに遺された資料を中心に、仏教探求に生涯を捧げた川口慧海とその活動についてご紹介します。

堺出身の僧。若くして語学の天才。竹ペンで書いたという文字の几帳面な美しさ。

堺は千利休の生誕地でも。園内に利休の像がありました。

車を駐車した時、反対側が仁徳天皇陵だと分かったので帰りに寄ることに。

三重の堀に囲まれています。

平面の大きさはエジプトのピラミッドを凌ぐ大きさなので、入り口を見ただけでは到底その大きさを実感することはできません。可愛い埴輪が並んでいました。

車は下の図の「現在地」の反対、左側、図の外になりますが、小さな駐車場に置くことが出来ました。

2時半ごろ、金曜日だし、道路が混むといけないのでと、真っ直ぐ来た道を引き返すことに。真ん中の赤い線の一番上(千里中央)を上(北)に伸ばした山すそが箕面

左に大阪駅、正面下薄茶色のビルが阪急百貨店、その右手が阪神百貨店

曽根崎署の右手、1963年(昭和38年)村野藤吾設計の梅田換気塔。

この下に梅田の地下街が広がっています。

阪急HEPと観覧車・・・(以上、我ながら、お上りさんの写真ですね)