「あいちトリエンナーレの少女像」と「日韓 報復の応酬◆普通の国民は傍観、同調してはいけない」(藻谷浩介 )

愛知県の愛知芸術文化センターで、8月1日に国際芸術祭「愛知トリエンナーレ2019」が開幕しました。「平和の少女像」の展示は、2015年に「排除された作品」を復活させる試みであり、表現の自由がまだこの国では生きていることを示すための企画「表現の不自由展・その後」は、津田氏の意図に反して、名古屋市長や政府の権力側が締め出す方向で動いているのが本当に残念です。テロの予告があっても、警察が自由を守る側で動いてくれないのなら、もう安倍政権下では表現の自由はないということになりますね・・・これぞ『表現の不自由な国・日本』!

◆ 安田氏はNHKの「100分で名著」の平家物語で解説をされた能楽師さんです:

内田樹 Retweeted

安田登 @eutonie 8月2日

あいちトリエンナーレ従軍慰安婦像、国家の方針に逆らうのはアートではなく反日だ!なんていう人がいるけれども世阿弥は武士の棟梁である北条氏の見ている前で、武士たちを修羅道に墜とし、苦しんでいるさまを見せたそれを「反・武士だ!」と怒る狭量の人はいなかった。日本人は小さくなった。

 

山崎雅弘

@mas__yamazaki 8月2日

国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」に展示されている特定作品は、別に現在の日本国に対して何の実害も与えておらず、ただ過去の大日本帝国時代の「負の歴史」を一般日本人に思い出させる効果を持つ程度だが、それをあたかも「自分への挑戦」のように捉えて逆上する安倍政権。
想田和弘さんがリツイート
町山智浩 @TomoMachi 8月2日
「あいちトリエンナーレで「表現の不自由」をテーマに慰安婦問題を象徴する少女像が展示されていることについて、官房長官は、補助金を交付するかどうか慎重に検討」
とうとう官房長官まで「表現の不自由」というコンセプチュアル・アートに参加。

◆とうとう撤去決定、というかコーナーそのものが閉鎖です。残念ですね。

つい先日、蛙ブログ(「在日一世詩人・金時鐘に訊く(4)」(日韓市民サイドの関係を深める創意工夫を)で、「心ある人たちがあれを融和の像にすればいい。たとえば日本の市民の誰か1人、たった一輪の花でいいから、通りすがりに少女像の前に置いて、黙礼したらどうでしょう」という在日70年、今年90歳の詩人・金時鐘さんの『ひそやかな期待』は無残にも打ち砕かれる日本の現状です。

津田大介氏が謝罪「想定を超えた。僕の責任であります」

内田樹さんがリツイート
安田登 @eutonie 8月3日
「テロ予告や脅迫の電話等もあり…」って日本政府はテロには屈しないはずでは…。「撤去しなければガソリンの脅迫も」企画展中止に知事:朝日新聞デジタルhttps://www.asahi.com/articles/ASM835SDPM83OIPE01R.html

 町山智浩氏が、里山資本主義の藻谷浩介氏の日韓問題に関する発言を取り上げておられます。「嫌韓反日の応酬で得をするのは誰なのか?」考えてほしい。ほんとうにそうですね。ここは冷静になって、考えるべき時です。

 内田樹 Retweeted

町山智浩 @TomoMachi 8月1日

藻谷浩介氏「嫌韓層には『韓国を懲らしめてやれ』という強い処罰感情がある根っこにあるのは、ストレスに満ちた日本社会の中で抱え込んだ個人的な敗北感。普通の国民は、嫌韓派に同調してしまってはいけないそもそも嫌韓反日の応酬で得をするのは誰なのか考えてほしい」

(藻谷氏引用続き)「日韓の対立をあおって得をするのは(国内の不満を隣国に向けさせることで延命を図る、日韓双方の)政治家損をするのは韓国から昨年だけで2兆円の経常収支黒字を稼いだ、日本のハイテクメーカーと観光関係者官邸関係者も、嫌韓の人たちも、決してその責任を取りはしない」

 ◆◆◆全文引用です◆◆◆

【日韓 報復の応酬】 藻谷 浩介さん

2019/7/29 11:00

西日本新聞 オピニオン面

 

◆傍観 その先にある損失

 内心に募る否定的な感情を、他者にぶつけて憂さを晴らそうとする人が増えているように感じる。その最悪の例が、京都での無差別放火殺人かもしれない

 もちろん、そういうところまでいってしまう人は、まだ社会のごく一部だろう。だが犯罪行為ではなく、政治的なトピックの場合には「自分たちだけが正しく、相手だけが間違っている」という一部の過激な主張に、その外側にいながら何となく同調してしまう人が、市井の普通の人にも増えている感じがする。彼ら自身は否定的な感情を大人げなく他者にぶつけはしないのだが、誰かの排他的で視野の狭い行動を「そうはいっても相手の方がより悪いよな」と、何となく許してしまう

 そういう人こそ気付かなければいけない。相手側から自分たちがどう見えているか」についても考えないと、結局は自らの利益を損ねる可能性があることを。

 日本の韓国に対する、一部製品の輸出に関する優遇措置剥奪のニュースを、何となく肯定的に受け止めている人たちは典型例だろう。

    ◆   ◆ 

 今回、日本政府には「韓国から第三国へ不正輸出が行われている可能性が否定できない」という表向きの理屈がある。しかし、文在寅(ムンジェイン)政権の経済失策で弱り切っている韓国国民の、心中の機微を理解しないままにさらにプライドを傷つけるのは、日本にとっておよそ得策とは思えない。

 日本だって自分が当事者でなければ「判官びいき」だ。だから分かると思うのだが、日本の理屈が世界から「弱い者いじめの自己正当化」とみなされる危険性は十分にある。

 駆け引きにしてもやり過ぎに見えることから考えて、外務省ではなく首相官邸経済産業省ラインが主導したのだろうが、それで世界貿易機関WTO)は通るのか。韓国による東北産水産物の輸入規制をWTOが是認したのは記憶に新しい。連敗した場合、政権に責任を取る覚悟はあるのだろうか。

 もちろん、コアな嫌韓層はそれでも満足だ。彼らには「韓国を懲らしめてやれ」という強い処罰感情があるだがその根っこにあるのは、ストレスに満ちた日本社会の中で抱え込んだ個人的な敗北感を、自分が「強者」の側に立って攻撃することで発散したいという欲求ではないか。

    ◆   ◆  

 普通の国民は、嫌韓派の極論に「もっともな面もあるな」と何となく同調してしまってはいけない。

 そもそも嫌韓反日の応酬で得をするのは誰なのか、考えてほしい。徴用工問題で被告にされている、日本企業の担当者は喜ぶだろうか。両国の関係がこじれるほど、いけにえにされていじめられるだけではないか。

 輸出規制の対象企業はどうか韓国企業が日本に頼るリスクに気づき、独自の技術開発にまい進するほど、今の独占的地位を失う危険が大きいそれらに該当しないあるハイテクメーカー関係者も「韓国への輸出減で大損害だ」と漏らしていた。さらにいえば、韓国人観光客が減って九州の誰が得をするのだろう。

 半年前の当欄で「日韓の対立をあおって得をするのは(国内の不満を隣国に向けさせることで延命を図る、日韓双方の)政治家」と指摘した通りだそのせいで損をするのは国際競争でもうかっている側、すなわち韓国から昨年だけで2兆円の経常収支黒字を稼いだ、日本のハイテクメーカーと観光関係者である。

 かかる金銭的損害をもたらしたとしても、官邸関係者も、嫌韓の人たちも、決してその責任を取りはしない一般国民はいつまで、彼らのことを「何となく許し続ける」のだろうか。

 

 【略歴】1964年、山口県徳山市(現周南市)生まれ。88年東京大法学部卒、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)入行。米コロンビア大経営大学院で経営学修士MBA)取得。2012年1月から現職。著書に「デフレの正体」「里山資本主義」など。

7月最後と8月最初の金曜デモ(ポピュリズムとソーシャル・リスニング)

お知らせ:今夜の24時(4日0時)からNHK総合で「透明なゆりかご」(1~3)一挙再放送です。見逃した方、録画の値打ちありです!

 

◎先週は7月最後の、そして昨日は8月最初の官邸前再稼働反対抗議のデモの日でした。先週はぎっくり腰もどきでパソコンの前に座らずでパスしてしまいましたので、蛙ブログを通して読んでおられる方のために2回のデモの様子をいつものように「特別な1日」さんを通してご紹介です。まず、先週のタイトルは:

参院選後の最初のブログでしたので選挙結果に関連してのタイトル。そして日本に限らず、英国もややこしい人が首相になっています。

トランプ、ジョンソン、安倍晋三、3人の共通点は嘘つきです。そんな連中の嘘を少なからずの国民が信じてしまうくらい、それだけ既存政治への失望が高まっている。

 

ポピュリズムは民意による変革をもたらしますが、このような狂った政策を進める、強いてはファシズムに陥るリスクもあります。戦前だって、度重なる政争で政党政治が無力化したことへの庶民の失望が大政翼賛会などの『革新』政治への道を開きました。

 

「社会への不満は溜まっている。しかし野党も国民、特に若い人に魅力的な政策を示し、変化の必要性を説得することが出来ていない。だから現状維持で良いと思ってしまう。少子高齢化の日本は現状維持なんかできないんですけどね(笑)。
 選挙にも行かなくなってしまう。自分で何とかするしかないと思ってしまう。この『自己責任』もまた、一種のポピュリズムかもしれません。」

 

「トランプもジョンソンも安倍晋三山本太郎も『答の安売りでポピュリズムを動員する』と言う点ではあまり違いはありません。民主主義にポピュリズムはつきものだと思いますが、安っぽい答によるポピュリズムの害毒をどう防いでいくかは、まさに現代的な課題です。」

◎選挙が終わってから案の定、れいわ新選組がテレビで取り上げられています。同じようにNHKをぶっ壊せのN国も。世相がポピュリズムを生んでいるのは間違いありません。既存の野党がしっかりして、れいわを取り込んでいくようにならないと日本の批判勢力は消滅ですね。大人たちの知恵の見せ所、日本のリベラルの生き残りをかけてがんばってほしいですが・・・7月26日のデモの様子です:

ということで、今週も官邸前へ #金曜官邸前抗議
 今日は暑かった~。気温と言うより日差しが強かった。午後6時の気温は30度。それでも夕方になると涼しく感じます。今日の参加者はやっぱり200〜300人くらいかなぁ。

★ここで取り上げられたのが「今週は『福島県原発事故のあと行っている子供の甲状腺検査で、がんやその疑いがあるという報告に漏れている患者が少なくとも17人はいるということがNPOの調査で明らかになった』のが報じられました。」紹介されている記事が「Not found」なので、こちらを:
★それでは、ブログ全文と写真をぜひこちらで:

『ポピュリズムの蔓延』と『0726再稼働反対!首相官邸前抗議』 - 特別な1日

◎続いて、昨日、8月最初のデモについては:
★ソーシャル・リスニングという言葉が気になります:

・さて、この前 あるコンピュータ・サービスの話を聞いたんです。
 『ソーシャル・リスニング』と言うんですけど、要はネット上で呟かれている投稿を定性・定量的に見て、世論を分析する仕組みです。具体的には予め『自民党』、『安倍晋三』などのキーワードを登録、それに対するLine、twitterフェイスブック、インスタ、『はてな』などのブログ、YouTubeの反応を分析するサービスです。
 今は、ネット上のソーシャルメディアもLineは全年代が使用、Twitterは10代、20代が多い、Facebookは60代が主、インスタは10代、20代女性が主、などの特徴があることがはっきり判っています。

 

・ネット上の呟きの内容だけでなく、莫大な量のデータをAIが分析、政治家の発言や投稿に対して否定的/肯定的な反応の割合まで判ります。料金は年間 自動車1台分。社民党だって使える?くらい安い(笑)。あとは1人か2人、使いこなす脳味噌と感性がある人間がいればよい。野党にはそれくらいの人材もいないのでしょうか?

 

我々の投稿、言葉も全て誰かに見られており、分析されています最早、それが前提です。ちなみに『やばい』という言葉は若い人の間では色々な意味でつかわれますから、AIではまだ肯定的なのか否定的な反応なのか判別できないそうです。みんなでどんどん『やばい』を使いましょう(笑)

◎集積された膨大な情報をAIを使って分析、それをどう読み取ってどう利用するか頭の勝負みたいですね。時代がどんどん新しく変化していってます。

 ということで、今週も再稼働反対の官邸前抗議へ #金曜官邸前抗議
 うだるような暑さの1日、午後6時でも気温は32度😁。でも時折 風が吹くと気持ち良い、夕涼み抗議?です。参加者はいつも通り、2〜300人くらい、今日は国会前も見てみたんですけど延べで300を少し超えるくらいだと思います。

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★ここで取り上げられているのが、「今週 やっと東電が福島第二の廃炉を決定」というニュース。
併せて、2800億円と見込んでいた廃炉費用が4100億になること、また、使用済み核燃料は敷地内に一時保管するが廃炉が終了されるまでに福島県外に搬出されることを約束したことが報じられました。
 110万KWという大型炉の廃炉は初めて、また第1と合わせて10基の廃炉を同時期に、という作業の問題、電気料金に載せられるであろう費用の問題と困難なことばかりです。何よりも使用済み核燃料の問題。」

★★★こちらもぜひ全文をブログで:

『夕涼みとソーシャル・リスニング』と『0802再稼働反対!首相官邸前抗議』 - 特別な1日

 

「在日一世詩人・金時鐘に訊く(4)」(日韓市民サイドの関係を深める創意工夫を)

青木理氏の金時鐘さんへのインタビュー、いよいよ最後です。あの慰安婦像を融和の像に?どうやって? 金さんの”一輪の花の期待”はさすが詩人です。これは金さんに言われる前に日本人の誰かがやっていれば素敵だったのに、否、今からでも・・・

ところで7月31日の朝日新聞にこんな記事が。愛知県で、8月1日開幕の国際芸術祭「愛知トリエンナーレ2019」では、企画展「表現の不自由展・その後」が愛知芸術文化センターを会場に開かれます。記事によると:

 今回の企画展は、2012年に東京の新宿ニコンサロンが、韓国人写真家安世鴻(アンセホン)さんによる元慰安婦の写真展をいったん中止にした問題をきっかけに、市民による実行委員会が、東京・練馬のギャラリーで15年に開いた表現の不自由展続編にあたる。

  今回のあいちトリエンナーレで芸術監督を務めるジャーナリストの津田大介さんは、15年の表現の不自由展を鑑賞し、「表現の場から排除された作品群に衝撃を受けた」という。

  少女像は、韓国人彫刻家のキム・ソギョンさんと夫のキム・ウンソンさんが「元慰安婦の苦痛を記憶する」ための象徴として手掛け、「平和の少女像」と呼んでいる。今回は15年と同じ2体を展示する。

 津田さんは「感情を揺さぶるのが芸術なのに、『誰かの感情を害する』という理由で、自由な表現が制限されるケースが増えている政治的主張をする企画展ではない。実物を見て、それぞれが判断する場を提供したい」と話している。(黄澈)

◎これは、とても良いニュースですね。 金さんが「在日朝鮮人に対する差別というのは、差別ではなくて蔑(さげす)みだ」「これは明治以降、まるで遺伝子のように脈々と受け継がれている。内心化されたDNAみたいなものです。それは拒否感、嫌悪感です」と答えていますが、これは戦中戦後を知っている世代。若い人たち(中年も?)は韓流ドラマに胸躍らせ、K・POPのアイドルに夢中です。市民サイドの関係をより密接に深くしていく努力こそやりがいがあるかもしれません。では昨日の続き、最後の部分です:

あの少女像だって、拳を振りあげている像じゃありませんよね。

ならば、心ある人たちがあれを融和の像にすればいい

 

金時鐘 そういうことを青木さんがいろいろ書いたり、発言したりもしていらっしゃる。でも、日本の国民は気にもとめない。公文書の改竄などが起きたときもそうです。私は定住外国人ですので公に発言したことはありませんが、こんなことが続いたら、この国は確かに恥知らずの国になっていくかもしれない。本当に、絶句するしかないようなことばかりがつづいている。しかも言葉が届かないんですから。たとえば慰安婦銅像問題がありましたね。

――ソウルの日本大使館前に韓国の市民団体などが設置した少女像ですか。

金時鐘 あんな像を大使館の前に置くのはけしからん、撤去せよと日本政府もメディアも声を荒げ、日本の国民感情は昂りましたが、僕は日本に暮らす1人の市民として、実はいつもひそやかに期待していたことがあるんです。

――どういう期待ですか。

金時鐘 あの少女像だって、拳を振りあげている像じゃありませんよね。ならば、心ある人たちがあれを融和の像にすればいいたとえば日本の市民の誰か1人、たった一輪の花でいいから、通りすがりに少女像の前に置いて、黙礼したらどうでしょう最近は日本人も毎年200~300万人が韓国へ観光に行ってるそうですね。そのうちの1人、反骨精神のある日本の市民が一輪の花を置き、それに何人かが続いたら、雰囲気は途端に変わりますよ。それこそ爆弾ほどの反響を呼び起こしますよ。

――そうかもしれません。

金時鐘 ですから、日本と韓国についていえば、市民サイドの関係をもっと深める創意工夫はできないものかと思うんです。青木さんは知ってくださっていると思いますが、朝鮮人はとっつきにくい隣人と思われていいるようですけど、わかり合えばまたとないほど人情に厚く情にもろい人たちですよ。


――ええ。僕も通信社の特派員として計5年ほど韓国に暮らし、人びとの情の厚さを幾度も感じました。特に忘れがたい思い出がありましてね。実は僕の父が、幼いころ韓国で育っているんです。

金時鐘 ほう。それはまたなぜ?

――僕の父方の祖父は先の戦争中に亡くなったのですが、もともとは農商務省の役人だったんですね。どうも技官系の研究者だったらしく、植民統治下の朝鮮半島に赴任し、現在の麗水市(韓国南部の全羅南道に位置する都市)にあった試験場に勤務していたそうです。だから父も幼いころ何年か麗水で暮らし、子どもですから言葉もあっという間に覚えて、お手伝いさんや近隣の人とは朝鮮語で会話するほどだったと。その父も数年前に他界しましたが、僕がソウルにいたころは元気で、「一度でいいから麗水に行ってみたい」と言い出したんです。

金時鐘 麗水は美しい港町ですからね。

――でも僕は正直、戸惑いました。父は「麗水に行ったら、昔住んだ家や試験場があった場所も訪ねたい」と言う。しかし、詳しい場所など覚えていないし、風景は完全に変わっているでしょうから、そう簡単にたどり着けるわけがない。本気で見つけようとしたら、麗水の市役所にでも行って尋ね回るしかありませんが、植民統治下の日本の役人の息子と孫が昔を懐かしがって来たなどと言ったら、誰だっていい気持ちはしないだろうと思って……。

金時鐘 いやいや、みんな大歓迎してくれるはずですよ

――そうなんです。実際に父と一緒に麗水の市役所を訪ね、事情を話したら、当時の試験場や住宅の場所を役所の人が丁寧に調べてくれたうえ、「今日は時間があるから」といってわざわざ車で現地まで案内してくれました。だいたいこのあたりだろうという場所がわかり、記憶が蘇った父が感激して目を潤ませていたら、役所の人まで一緒に目を潤ませて……。


金時鐘
 よくわかります。そうそう、日本が戦争に敗れた後、たくさんの人びとが日本に引き揚げて行きましたね。そういう人びとが朝鮮人に暴行されたとか、ひどい目に遭ったという話を聞いたことがありますか。むしろ、引き揚げていく日本人を隣近所の人たちが助けたことの方が多かったはずです。ちょうど1946年、私が済州島にいたころの話ですが、上海からだったか引き揚げ途中の日本人の船が遭難して、済州島に漂着したことがありました。自前で仕立てた小さな船が嵐に遭ったらしく、10数人が救助されて南小学校という、日本の子どもたちだけが通学していた塀の高い小学校に収容されたんです。

――引き揚げ船ということは、女性や子どももいたんですか。

金時鐘 子どももおったし、乳飲み子もおりました。九州の人が多かったようだけど、近隣の住民が塀をよじ登ってまで差し入れに行きましてね。私ももちろん行きましたが「こんな荒海でよく助かった」「とにかく助かってよかった」と手を握りながら励まして、救助された人たちはみんな泣いていましたよ。別の船で再び送り出す時も弁当を作って持たせてあげて、またみんな泣いて、私の手を握って「生涯忘れない」と言っていたのをいまも覚えています。庶民レベルなら、そういうこともできる。互いに分かち合える。ところが国対国になると感情ばかりが先立ち、激憤してしまう。何も知らん連中がそれを煽り立てる。

――ええ。特に現在は政権と与党が敵対感情や激憤を煽動し、政権と与党の提灯持ちと化している一部メディアや言論人がそれを囃し立てているのですから、まさに「官製ヘイト」と呼ぶべき状況なのでしょう。(了)

 

金時鐘 × 青木理

金時鐘(キム・シジョン)

1929年釡山生まれ。詩人。元教員。戦後、済州島四・三事件で来日。日本語による詩作、批評、講演活動を行う。著書『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書)で第42回大佛次郎賞受賞。『原野の詩』(立風書房)、『「在日」のはざまで』(平凡社ライブラリー)他著作多数。『金時鐘コレクション』全12巻(藤原書店)が順次刊行中。共著に佐高信との『「在日」を生きる』(集英社新書)等がある。

青木理(あおき・おさむ)

1966年長野県生まれ。ジャーナリスト。共同通信社社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、2006年フリーに。著書に『日本会議の正体』(平凡社新書)、『安倍三代』(朝日新聞出版)、『情報隠蔽国家』(河出書房新社)、『日本の公安警察』(講談社現代新書)、共著に『スノーデン 日本への警告』『メディアは誰のものか―「本と新聞の大学」講義録』(集英社新書)等がある。

「在日一世の詩人・金時鐘に訊く(3)」(ディアスポラへの冷淡)

 日本と韓国。青木理氏のインタビューで在日一世の90歳の詩人・金時鐘さんに訊くを朝日新聞の連載「詩人 金 時鐘(キムシジョン)『語るー人生の贈りものー』」と合わせて読んでいますが、今回はその3です。

 先に「語る」の4~7まで。

《1945(昭和20)年8月15日、日本の敗戦で植民地朝鮮は開放された》

金さんは数えの17歳で朝鮮半島南西部、光州(タワンジュ)にある教師になるための学校に在学。夏休みで済州島(チェジュド)に帰省中、晴天のへきれきのような「解放」に出会う。公民科教育が骨の髄まで浸透していた皇国少年は、「万歳、万歳(マンセー)」と町中が歓喜で沸き返る中、一人日本の軍歌や唱歌を口にして打ちしおれていたという。そんな時、ふと口をついて出た歌、朝鮮語の「いとしのクレメンタイン」だった。幼いころ,済州港の突堤で毎晩、釣り糸を垂れる父の膝で聞いていた歌詞が血肉の中に居座ていた。朝鮮が私の中でよみがえったのです。やがて、植民地統治の過酷さを知るにつれ、血が逆流するように学生運動なだれていった。

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 《1948(昭和21)年4月3日、南朝鮮だけの単独選挙に反対する武装勢力済州島で蜂起。軍や警察の鎮圧で数万人の島民が虐殺された》 解放後の済州島では、米軍政下の警察が極右勢力と組んで横暴を極めた。「3・1独立運動」の記念日を祝う集会のデモ隊に発砲して死傷者を出し、抗議のゼネストでも多くの若者が残忍な拷問を受けて惨殺された。目に余る弾圧への怒りが、蜂起の導火線になった。

《48年8月15日に韓国、9月9日に北朝鮮が樹立する》蜂起側に加わった金さんは追われる身となり、身をひそめる。南単独の選挙で作り上げられた韓国の李承晩(イスンマン)政権は「反共・滅共」を大義名分にして済州島での虐殺をほしいままにしをし、 米軍はむしろ後支えをした。

 ハルラサンにこもった蜂起勢力に対し、韓国の軍隊や警察は「焦土化作戦」で中山間部の集落を無差別に焼き払い、大勢の農民が巻き添えになった。「赤狩り」と称した民間人虐殺は、朝鮮戦争(50~53年)まで続いた。

 事件から70周年の昨春、追悼の思いこめて金時鐘さんが作った詩です:

 「死者には時がない」

強いられた死の死者に時間はない。

その日その時のままに凝固して止まっている。

記憶が褪せない限り 私たちが怠らないかぎり

4・3の死者は私たちのかたわらで生きている。

南朝鮮の単独選挙に反対する48年の武装蜂起「済州島4・3事件」に参加。官憲の虐殺を逃れ、49年初夏に島を脱出する》友人や知人の助けを借りながら身を潜め、明日をも知れない自分の命に怯え通した金さんでした。「父はあらん限りの手を尽くして済州島から私を逃がすことに懸命でした。サーチライトが交錯する中、私は、調達された小さな漁船で済州島を離れ、日本に向かう闇船が来るという沖合の小さな岩場の無人の島を目指しました。」「李承晩の反響独裁政権が続いた韓国で「赤色逃亡者」を息子に持った両親の暮らしが、いかほど過酷のものであったかは想像するに余りあります」。最終会を果たすことなく両親は57年、60年と相次いで亡くなる。「年老いた父母を捨て、『4・3』から逃げを打った私は日本で生きながらえているのです。私の『在日』は積み深い日々の重なりでもあります。」

◎金さん自身、ディアスポラ(離散者)ですが、日本の難民や離散者に対する差別やヘイト、それは離散者となって他国へ行った日本人に対してすら同じような冷たさ、無関心に心を痛めます。それでは、引用です:  

ヘイト本を出している出版社は、

人種差別をあおるようなことまでして金もうけに躍起になるなんて、
人間として恥ずかしくはないのか


――このままいくと、この国はどうなると思いますか。時鐘さんにとっては、ディアスポラとしてですが、人生の多くを過ごした場所でもあるわけですが。
金時鐘 最近は特定秘密保護法だとか、盗聴法(通信傍受法)の強化だとか、そんなことまで強圧的に導入されてしまいましたからね。私のところにもさまざまな方から、反対集会をするから発言してくれとか、賛同人になってくれといった依頼がくるときがあって、お断りするのも非常に辛いんですが、定住外国人の私は出入国管理令(現在の入管難民法)などで政治活動を禁じられている立場のひとりです。たとえば青木さんが普段発言されていることの3分の1くらいのことを私が口にしたら、すぐにも外事課の人が尋ねてくる可能性だってあります。
 ディアスポラの問題にしても日本は難民受け入れにもっとも消極的な国であるばかりか境界を行き来することに制約が多い国でもあります。渡りに船とばかりに厄介払いをしたつもりの帰国者たちだったかもしれませんが、“地上の楽園”と喧伝されて北朝鮮へ帰国した10万人近い在日コリアンのその後の消息についても、日本政府は関心ひとつ向けませんでした。夫に従って北へ帰っていった日本婦人の想像に余る窮状に、同族として声を上げることもありませんでした。この人たちは実質的な離散家族となって、生活苦の北朝鮮で生涯を大方終えつつあります日本人妻といわれる婦人たちの境遇には特に、朝鮮人のひとりとして胸が痛みます


――時鐘さんが指摘されたとおり、朝鮮総聯はもちろんですが、政治的、社会的に影響力のある在日コリアンは、一貫して公安警察公安調査庁の監視対象にもされてきました。これも苛烈な人権抑圧そのものですが、そんなことすら知らない、知ろうともしない連中が、何度でも言いますが「在日特権」などというデマを撒き散らす。しかもそれを政治が煽り、大手の出版社までがヘイト本を平然と出版しています。時鐘さんとは比べるべくもないですが、僕も物書きの端くれであり、僕たちの生業の場である出版界、メディア界が差別や排他主義を商売にしている状況をどう考えますか。
金時鐘 本当に許しがたい。朝鮮に対してだけじゃなく、中国に対してもひどいもんだ。裏を返せば、金もうけのためならなんでもするという一面が日本の出版社にはあるんですよ。こんな本や記事ばかり読まされたら、北朝鮮ばかりか、韓国嫌いにもなる。私は日本に定住している朝鮮人として、こういう本を出してはばからない出版社に改まって聞いてみたい。人種差別をあおるようなことまでして金もうけに躍起になるなんて、人間として恥ずかしくはないのか、あんたたちに恥の概念や人権意識は働かないのか、と。

――こんな腐ったことをしていたら、本当にこの国は滅びかねません。

 

【次ページ  あの少女像だって、拳を振りあげている像じゃありませんよね。ならば、心ある人たちがあれを融和の像にすればいい】

金時鐘「語るー人生の贈りもの」(7~9)、いよいよ日本での暮らしが始まり、朝鮮戦争勃発です:

1929年生まれの金さん《二十歳のとき、虐殺が続く韓国の済州島から海を渡り、大阪の「猪飼野(いかいの)」で暮らし始める》

猪飼野大阪市生野区、東成区)は本国でさえ廃れてしまった生活習慣が民族遺産のように受け継がれていた。在日同胞の集落地であり、その源流のようなところだ。49年の6月、ここにたどり着き、ろうそくを作る工場の住み込み行員になった。生活は困窮を極めたが、命の危機がないのが幸い。ただ、両親をおいて逃げた後ろめたさから民族団体の活動家になった。

《「猪飼野」という地名は70年代前半、行政の住居表示から消えた。同胞の日々の暮らしを78年、『猪飼野詩集』にまとめる》

<なくても ある町。/そのままのままで /  なくなっている町。/

 みんなが知っていて / 地図になく / 地図にないから /

 日本でなく /  日本でないから / 気ままなものよ。>(「見えない町」から)

植民地朝鮮から渡り、低賃金労働者として猪飼野に住み着いた同胞は、日本の戦争遂行を支える貴重な労働力でもあり、後の朝鮮戦争でも一帯の零細工場が末端の下請けとなり、特需景気に沸く日本企業を支えた。

 猪飼野の商店街はいま「生野コリアタウン」と称し、韓流を楽しむ若者たちでにぎわっている。小戸ずれる人々は歴史認識をことさら気にしなくても、K・POPのリズムは高く鳴り響き、漫然と日韓はつながっていもいるのです。

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 翌年の1950年6月25日、朝鮮戦争勃発。《日本は、韓国軍を支援した国連軍の出撃や軍需物資補給の拠点になり、特需景気にわいた》

南海難波駅で配られた号外でしり、「これで南朝鮮(韓国)の反共の殺戮者が一掃されると興奮すら覚えた。在日朝鮮人運動は「共和国」を支持する同胞が圧倒的多数を占め、金さんも社会主義を掲げる北朝鮮に正義があると信じていた。

下請けで爆弾の信管に使うピンを削る仕事をしている在日の零細工場を回り「同胞を殺す兵器づくりに手を貸してはならない」とせっとくしたり、応じないと、組織の青年が力ずくで機械を壊しにかかった。一家総出の工場のおばちゃんがじめんにへたりこんでやめてぇ」と泣きわめき、若い工場主は「おれ、もう朝鮮やめやぁ」と路地で声を上げました。今もって心に食い込んでいる叫びです。

《52年6月、大阪府国鉄吹田操車場にデモ隊が侵入。警官隊と衝突する「吹田事件」が起きる》

金さんは組織の機関誌にルポを書くためデモ隊を追った。「軍需列車を1時間遅らせれば、千人の同胞の命が助かる」と言われていた時代。列車を止めようと線路に横たわっていた青年たちの姿は、今でも込みあがってならない記憶です。

 53年7月27日、休戦協定が調印されたのが板門店(パンムンジョム)です。南北軍事迂回船が通る文壇の象徴の場で今年6月末、米朝首脳が顔を合わせました。両首脳の思惑をこえて、同胞の一人として熱くなりました。和解につながる実りがあることを願わずにはおられません

金時鐘さんが詩と出会ったのは道頓堀の古本屋で手にした小野重三郎著『詩論』だった。小野先生が始めた「大阪文学学校」では詩の講師を長年務め、文学を志す多くの仲間と年齢国籍を超えた交流ができた。もう一つは、組織に属さない在日朝鮮人の青年が出会える文学サークルの詩誌だった。ここで、ここで、60年以上共に暮らしてきた妻とも出会い、そして、生涯の友となる梁石日(ヤンソギル)とも。

《日本語の詩作は1955年、第1詩集『地平線』として実を結ぶ》詩集は、済州島へ行き来する人に頼んで両親に送り、2年後亡くなった父の棺の中にその詩集は収められた。

<父と子を 割き / 母と わたしを 割き / わたしと わたしを 割いた/

   『三八度線』よ、/ あなたを ただの 紙の上の線に返してあげよう。>

(「あなたは もう わたしを差配できない」から)

夏水仙とアナベルの刈り取り

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数日前、J:COM8月号がポストに入っていました。オンデマンドで映画が視聴できるというので「愛唄-約束のナクヒト」を観ることに。ただの青春映画と思っていましたが、泣かされました。母がよく言う、年寄りが死ぬのはいいけど、若い人、これから花も咲き、実も生るという若い人の死は困るね~です。京アニの35名の方たちも本当にお気の毒です。人口減の日本、若い人の命は今まで以上に宝なのに。

映画は余命3か月を告げられる青年(横浜流星)と、命に限りのある少女(清原果耶)とのめぐり逢いと若い仲間と少女の詩と唄というお話ですが、全てのきっかけが伊藤凪という14歳の少女の詩から始まります。二つの若い命の最後を看取る母親の辛さもたまらないですね。20歳前後の青年が病気で亡くなる、その彼を愛した娘は10年間心を閉ざして・・・という身近な例を思い出しました。娘さんは彼によく似た新しい彼を見つけて今は二人の男の子の母親になって幸せになっています。

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今朝、庭に出てみたらピンクの夏水仙の花が咲いていました。先日つぼみだったので見逃さないようにしようと思っていたところでした。野ボタンの鉢植えがすぐ水涸れを起こすので目に届く場所に移しました。

そして、きれいなグリーンボールになっている西洋アジサイをいよいよ切り取ることに。アナベルは、最初は緑色から始まって盛りの時は真っ白、それからまた徐々に緑色になる不思議な花です。 

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ドライフラワーになっても、この美しい薄緑色が残っているといいのですが。

以前、梅雨時に倒れた花はドライフラワーにならず失敗でしたので、今回は夏日が続くまで刈り取らないで置いていました。 柏葉アジサイの方はアースカラーに仕上がっています。 

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「在日一世の詩人・金時鐘に訊く(2)-朝鮮人差別は蔑み=拒否感・嫌悪感」

昨日のブログに続きの前に、朝日新聞の金 時鐘「語るー人生の贈りもの」の「1~3」から。

1929(昭和4)年、日本が植民地支配した朝鮮の釜山から(プサン)生まれ。父親の郷里は北部の元山(ウォンサン)。旧制中学時代、抗日独立を訴えた「3・1運動」(19年)のデモに加わって退学させられる。母親も読み書きの素養があり、高齢出産のためか、幼いころ元山のプロテスタント信者の長老格の祖父宅に預けられ育つ。やがて両親が母親のふるさと済州島(チェジュド)に移り住み、引き取られる。日本の敗戦で開放を迎えた後、両親と一緒に済州島から元山を目指すも、北緯38度線に阻まれ南北に生き別れる「離散家族」となる。

母親の実家は今の済州空港辺りにあり料理店を営んで忙しくしていた。父親は突堤で釣り糸を垂れ、朝鮮服姿で町を歩き、使ってはならない朝鮮語で暮らしていた。「非国民」呼ばわりされても仕方のない父親とは対照的に、時鐘の「皇国臣民化」は順調。朝鮮人の子どもが通うわ公立普通学校(小学校)に通う。3年から朝鮮語の授業はなくなり朝鮮語は使えなくなったが何の差しさわりもなかったという。

日中戦争が始まり、南京陥落を祝うちょうちん行列にも勇んで参加、植民地朝鮮の子どもを「天皇の赤子(せきし)」にする教育を受け、天皇は「現人神(あらひとがみ)」だと信じて疑わなかった。国民学校6年の1941(昭和16)年12月8日、太平洋戦争が始まる。「毎月8日は『大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)』となり、朝礼時に式典がありました。東方遥拝、皇国臣民の誓い、「君が代」「海ゆかば」の斉唱。12月8日は旧暦での私の誕生日でもあり、大変誇らしかったです。」

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◎さて、インタビュー記事のつづき、その2です。

青木理 特別連載】官製ヘイトを撃つ 第六回
第六回 日本と韓国、市民サイドの関係をもっと深める創意工夫を 在日一世の詩人・金時鐘氏に訊く
金時鐘 × 青木理
2019.7.19

本文見出し↓の「日本人は自分に損得がない限り社会にかかわろうとしない」というのはここ数年の安倍政権の無茶苦茶に対して国民が怒らない、表に出て行動しないことからも明白な事実ですね。それが国民性と言われるとそうなのかも・・・そして金さんは「在日朝鮮人に対する差別というのは、差別ではなくて蔑(さげす)みだ」「これは明治以降、まるで遺伝子のように脈々と受け継がれている。内心化されたDNAみたいなものです。それは拒否感、嫌悪感です」と語ります。これも、事実だと認めたくありませんが、そうなんですね・・・

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自分に直接的な損得がないと

日本の人は社会に関わろうとしない

――かつて何があったかの歴史を知り、おのれの国が何をなしたかを真摯に省察し、相手の立場や周辺状況にも思いを致す……。まったく同感ですが、近年の日本社会はやはり逆の方向に歩を進めています。何よりも政権が先導する形で歴史認識を逆回転させている。韓国との間でも、いまだに歴史認識問題をめぐって対立が続き、むしろそれは高まる一方という始末です。

金時鐘 これは日本人の伝統的な気質みたいなもののように思われてならないんですが……、私は、決して悪口として言うつもりではないんですけど、日本人は総じて、過ぎ去ったことは過ぎ去ったこととしてケロッと過ごしてしまうという習慣めいた気質があるようですね。日本が戦争に負けたのは私が17歳のときです。言うのも恥ずかしいけれど、植民統治下で生まれ育った私も相当な軍国少年、皇国少年の1人でした。鬼畜米英といってアメリカを憎み、アメリカ兵に捕まったら女はみんな凌辱されると思っていた。アメリカ兵なんていうのは人間じゃない、人間を生のまま食ってしまう鬼のような奴らだと教えられ、それを本当に信じ込んでいたんです。

――ところが敗戦と同時に大半の日本人はそんなことを忘れてしまったと。

金時鐘 ええ、見事なほどにケロッと。しかもトルーマンの日本占領政策というのは、皮肉も込めて言えば、非常に優れていました。日本は天皇さえ安泰にすれば、国民はみんな静かになると見抜いていた。天皇に戦争責任がないなんて思った人、当時はほとんどいなかったでしょう。天皇の名で召集され、徴用され、死ぬときは「天皇陛下万歳」と叫ばされたんですから。私みたいに植民地で育った人間ですら、戦争に負けた際は茫然となってしまって、10日ほどは飯もろくに食べられなかったほどです。なのに日本人は、お人好しなのかどうなのか、過ぎたことは過ぎたことというふうにケロッと忘れ、冷戦体制下における極東の一大拠点にするというアメリカの思惑どおりに染まってしまった。原爆投下だってそうですよ。あんなものを落とす必要はなかった。実験ですよ、あれは。

――おっしゃる通りです。実験であり、民間人に対する無差別殺戮でしょう。

金時鐘 一方の韓国では、教科書などで延々と植民統治の過酷さ、残酷さを教えますからね。ただし、それでも韓国の人びと、特に若者たちは最近、年に百何十万人も観光で日本に来ていますから、韓国人は決して日本人嫌いではない。日本は清潔だし、礼儀正しいし、むしろ好感を抱いている。だけど、国と国という関係に立つと、教えられたものがちゃんと作用する。

――もちろん韓国にも、まして北朝鮮には大いに問題はありますが、やはり僕は日本に暮らすジャーナリスト、物書きの1人として、日本の政治と社会の現状を深く憂います。そして思い出すのは生前の金大中(キム・デジュン)にインタビューした際のことです。日本の表も裏も知り尽くした彼は、こんな趣旨のことを言いました。結局のところ日本の人びとは自力で民主主義を勝ち取ったことが1度もないんだ、と。そのとおりだと僕は思います。米軍基地を押しつけられた沖縄にせよ、軍事独裁に抗して民主化運動を繰り広げた韓国などは特にそうですが、民主主義の本当の必要性やありがたさを切実に感じている。虐げられてきたからこそ、民主主義というものは人びとが自分でつかみとり、努力を続けていかなければならないことを肌で知っている。

ところが戦後の日本は、僕も含めて幸せだったといえば幸せだったんでしょうが、先ほど時鐘さんが指摘されたように、戦争に負けたら「鬼畜米英」から「戦後民主主義」へと瞬時に宗旨替えし、ドイツなどとは違って分断の苦悩は朝鮮半島に押しつけ、日米安保体制こそが日本の基軸だといいながら、その最大の負の側面である米軍基地は沖縄に押しつけている。しかも戦後日本の高度経済成長は朝鮮戦争が最初の跳躍台でした。要するに、不幸はすべて周縁部に押しつけ、日本の人びとは……もっと正確に言えば本土の人びとは、その果実だけを貪り食ってきてしまったのではないですか。

金時鐘 いや、押しつけた意識すらないでしょう。押しつけるというのは、ある意思が働いた結果です。本当は、押しつけていることすら知らない――そうかもしれません。

 総じて日本人はおとなしいし、波風を立てることがないように慎ましやかに対応する人たちですが、私のようにとうが立った者からすると、関わることをむしろしないんですね。関わることをしなければ、波風だって立たない。そうした中でも敏感になるのは自己との関係における直接的な得失でしょう。得るか、失うかの関係には、日本人はものすごく敏感に対応します。

――ならば、ここで例に出すのは不適切かもしれませんが、街頭に繰り出してヘイトスピーチをがなりたてる連中などというのは、時鐘さんの見つめ続けてきた日本社会ではむしろ珍しい存在なわけですね。

金時鐘 あんなに正面きって口にするのは、よほど豪胆なのか、あるいはよほど無神経か、そのどちらかでしょう。ただ、在日朝鮮人に対する差別というのは、差別ではなくて蔑みだと申しあげました。これは明治以降、まるで遺伝子のように脈々と受け継がれている。内心化されたDNAみたいなものです。それは拒否感、嫌悪感です。日本に何十年住んでも変な日本語を使い、身なりは汚らしく、食べ物は訳のわからんものを食べるというので、そういう嫌悪感や拒否感が蔑みに変わった。

 もちろん、是正されている部分もあります。同じ蔑みであっても、振り返ってみれば1980年代の半ばまで、朝鮮人を悪し様にいう罵りの最たるものに「ニンニク臭い」というのがありました。あのにおいが苦手な者には確かに嫌なものでしょうが、いまは「ニンニク臭い」なんて誰も言わない。焼肉やキムチがこれほど一般に広がったんですから。日本全国のあちこちにある焼肉屋の味つけは在日朝鮮人の生活の知恵からはじまったもので、本国の焼肉にまで広がっています。ホルモン料理だってそう。あんなもんは昔、タダみたいに分け合っていた。でも、臭くてよう食べられんかった。それを在日朝鮮人が工夫をして、あれはメリケン粉で揉むとにおいがとれるんですね。腸を裏返して、メリケン粉をぶち込んで揉んだらとれる。それでホルモン料理が盛んになった。

だから文化という面では是正可能だと考えるんですが、文化というのは非常に独自なものでね。ある一定量の人びとが、ある特定の場所で、一定の年月を超えて生活すると、その人たちの独自の生活文化がそこに芽生えてくる。行った先で豊かになってくる。ただし、蔑みが完全に是正されるのは難しい。


――しかも最近の日本を眺めていると、要するに余裕を失ったから、あるいは不安や焦燥に怯えているから、自分たちは優れているんだとか、日本はスゴイんだと強調する一方、隣国やマイノリティに薄汚い悪罵を吐きかける風潮が強まっている。

金時鐘 そうかもしれませんね。さらに言えば、現在の政権の下では森友学園とか加計学園の問題などが相次いで発生し、財務省は公文書の改竄などという信じがたいことまでしでかした。こんなもの、ほかの国なら懲役刑ものの犯罪行為ですよ。なのに誰も罪に問われない、責任も取らない。日本の国民も大して怒ることもなく、大規模なデモやストが起きるわけでもない。やはり自分に直接的な損得がないと、日本の人はあまり関わろうとしないんですね。平和であればいいというふうに言うけれど、民主主義がそうであるのと同様、平和というのも手放して保たれるものではなく、憲法9条が掲げている平和主義に不断に思い致して、そのような国の日本であるように銘々が努力しなければならないというふうには考えない。

【次ページ  ヘイト本を出している出版社は、人種差別をあおるようなことまでして金もうけに躍起になるなんて、人間として恥ずかしくはないのか】MMMMMMMMMMM

 

「日本と韓国、在日一世の詩人・金時鐘に訊く(1)」青木理特別連載【官製ヘイトを撃つ】

 

内田樹 Retweeted

集英社新書編集部 @Shueishashinsho Jul 19
韓国との関係が政治主導で悪化する今読んでほしい→青木理特別連載【官製ヘイトを撃つ】第六回「ヘイト本を出している出版社は、 人種差別をあおるようなことまでして金もうけに躍起になるなんて、 人間として恥ずかしくはないのか」 在日一世の詩人・金時鐘氏に訊く③

山崎 雅弘

@mas__yamazaki

ミキ・デザキ監督の重要な指摘。共に考え、未来をより良いものにするための糧とすべき歴史問題や人権問題を、「日本対韓国」の図式にすり替えて本質から目を逸らせる汚いトリックに惑わされ、煽動され、日本を守ると錯覚して不毛な叩き合いに加担するのは、もうやめにしよう。

中山道を歩くため夫が早朝家を出ましたので、日曜の朝食は母と二人で。コーヒーを淹れて、そのままサンデーモーニングを見ることに。 日韓関係の話を聞きながら、隣の国なのに仲良くしなきゃ、露中合同軍事演習と竹島領空侵犯の話になって、いやね~今度戦争になったら大変だと。そして、女学校時代の話をしてくれました。石川県加賀市出身の母の村は大聖寺川の橋を渡った田んぼに囲まれた小さな村でした。小学校の頃、毎年のように大聖寺の父の実家と母の実家に帰っていましたので、この橋はよく通りました。従兄弟たちと川で遊んだこともあります。橋はかなり急な坂道の上にありましたので、天井川だったのですね。暴れ川で、川下にある前田の殿様の弟の大聖寺藩があった大聖寺はよく水がついたようです。その川の堤の蛇篭を組むのに朝鮮人が働かされていた。日本人が蛇篭を組んでいる姿は見たことがなく怖くもあり、また可哀そうにと思って見ていた。連れてこられてたのよねと私。そう、日本もひどいことをしてたね~、そのうえ、なんで大陸まで行ってあんなことをしてたのかと思うと。
夫も同じ地域の温泉町の出身ですが、高校の同窓生の方が我が家に来られた時、何の話でか朝鮮人の話になり、ひどい差別を受けていたという話に。その方のお母さんはクリスチャンで台所に訪ねてくる朝鮮人に食べ物を分けてやっていたと話しておられました。夫はその頃の差別意識からかなぜか朝鮮人は嫌いだというのから抜け出せなくて困っているようです。

私の場合は小学校の5年生のころだったか、白さんという転校生がやってきたことがありました、が、それもすぐ学校をやめてしまったので、またどこか引っ越されたのか分からずじまい。ただ、『朝鮮人』という言い方はどこか蔑(さげす)んだ響きがあって子ども心にも使えない言葉でした。その後、民生委員になってから、在日の方で生活保護の受給をめぐって関わったことがあり,京都での在日朝鮮人の過酷な暮しの一端を知りました。
朝鮮征伐を仕掛けた豊臣秀吉亡き後、徳川の江戸幕府になってからは朝鮮通信使が通る江戸までの道筋は大歓待だったといいますので、朝鮮人差別は明治になってからのことですね。その明治の大日本帝国に戻りたい安倍政権の外交が朝鮮人への差別意識を再び呼び起こしているというわけですから、歴史の逆行そのものです。
ちょうど朝日新聞の文化欄では7月17日から、金時鐘(キムシジョン・日本語読み:きん ししょう)さんの「語るー人生の贈りものー」の連載が始まりました。「皇国少年」から「在日」へと数奇な運命をたどった今年90歳の詩人金さんのインタビュー記事を読んでみたいと思いました。

青木理 特別連載】官製ヘイトを撃つ 第六回

第六回 日本と韓国、市民サイドの関係をもっと深める創意工夫を 在日一世の詩人・金時鐘氏に訊く

金時鐘 × 青木理

2019.7.19

近隣諸国やマイノリティへの敵意を煽り、攻撃することで政治にまつわる不都合、問題から、不満をいだく民衆の目をそらさせる手法は古来、たびたび繰り返されてきた。

同時に、そうした姑息な政治的方便が、本物の憎悪(ヘイト)を生み出し歯止めがかけられなくなったとき、不条理で悲惨な弾圧や虐殺が引き起こされてきたことは歴史の常である。

これは現代日本も例外ではない。政治家、官僚、公共機関の長から一般にいたるまで。この国を蝕んでいるこの風潮の深層に、反骨のジャーナリスト青木理が切り込む。

 

第六回 日本と韓国、市民サイドの関係をもっと深める創意工夫を

 在日一世の詩人・金時鐘氏に訊く③-1

北朝鮮を危険視して感情を高ぶらせるより、

向き合って話し合うことの大切さ

――それにしても、アメリカ軍政とともに民衆を虐殺した軍事政権の韓国が現在は民主化を果たし、当初は正当性を持っていたかに見えた北朝鮮が3代世襲の政治体制、地球上で最も特異な独裁体制のひとつになってしまったというのは皮肉というか、歴史というのは本当にわからないものですね。

金時鐘 もちろん北にしてみれば、アメリカ帝国主義が南に駐屯し、北を侵攻しようとしているから、それに対する応戦体制を維持することは、当然の防衛対策ということになりはします。それだけに一触即発の危機は北の核ミサイル実験とも絡んで、日々緊張の度合いを増してもいます。ことのついでに言うと、核開発の問題に関する限り、北の言い分にも一理はあると私はずいぶん前から申しあげてきました。70年近くも経っている休戦協定を平和協定に結び直し、アメリカが北を攻めないという保証が得られれば、自分たちが核武装する理由など何もないんだと、これは金日成(キム・イルソン)が生存時から言い続けてきた北の主張です。

ところがアメリカと韓国はチームスピリット(1976年からはじまった米韓合同の軍事演習)をはじめとする大規模な軍事訓練を繰り返し、原子力空母や潜水艦まで動員し、ついには北のトップの「斬首作戦」などまで公言しはじめている。それは向こうだって全身ハリネズミになって身構えざるを得ないでしょう。それを背後で支える日本にしても、北からすれば最たる敵対国です。しかし、その北の金王家体制はもう10年ももたないだろうと、1990年代後半の世界中が思っていましたね。おびただしい数の餓死者が出たと伝えられ、いずれは自滅する、崩壊すると広く思われてきた。

――冷戦体制が終焉を迎え、旧ソ連などの支援を失った北朝鮮は1990年代、水害や干ばつなども重なって深刻な食糧危機に見舞われました。いわゆる「苦難の行軍」などと呼ばれた時期ですね。

金時鐘 だから当時はアメリカも日本も、放っておけば潰れるとみんな思っていたのです。でも、そう簡単に潰れるもんじゃない。一定以上の特権階級の国民が存在している限り、独裁特権政権は潰れませんよ。ですから、日本が拉致問題ナショナリズムを激化させるようなことばかりせず、逆に国交正常化に関する話し合いをしようと真剣に提案すれば、北はすぐに飛びつきますよ。日本はそういうことを提案できる国でもあるんです。

――そうですね。日本にとっても先の戦争の処理が済んでいない外交的な戦後の宿題が主に2つあって、ひとつはロシアとの間の平和条約締結、もうひとつは北朝鮮との国交正常化ですからね。

金時鐘 韓国との間は一応、1965年に条約を結びました。しかし、北朝鮮だけはそのままの状態です。断言しますが、北は圧力だけでは絶対に潰れません。ただし、日本と国交正常化の話が進んででも行けば、必ず風穴があきます。

――風穴、ですか。

金時鐘 ええ。北の市民の、北の同胞たちの最大の不幸は、政権というものが民衆の意志と動向によって定まるのだというのを知らないことです。政権とは特権を持つ者が握り、民衆はそれに従わざるを得ないのだと思い込まされてしまっている。そういう人びとがいま、孫の世代になって成人しているわけです。これは非常に厄介なことです。ただし、日本との関係修復の話し合いが具体的にはじまれば、必ず風穴があいてくると思います。日本との間の市民の往来がはじまり、さまざまなモノや情報が少しずつでも入るようになれば、テレビのチャンネル規制やラジオのメモリ規制などもできなくなってくる。

 しかも北は慢性的に外貨が枯渇しています。日本と韓国との間では日韓基本条約によって経済協力資金などの名目で有償2億、無償3億、計5億ドルが日本から支払われました。北朝鮮もそれ相応の賠償を当然もらえるものと確信していますから、日本から本気で提案があれば必ず乗ってきます。それが強固な体制の風穴になり得る。だから日本の国民にも知ってほしいんです。北を敵視し、危険視して感情を高ぶらせるより、向き合って話し合うことの大切さを。

――現に韓国は民主化を果たしたわけですからね。ただ、拉致問題などを機に激昂し、排他や不寛容の風潮が強まる現在の日本が現実に舵を切れるかどうか……。

金時鐘 繰り返しになりますが、拉致などという本当に愚かな国家犯罪を私は絶対に許しません。断罪します。しかし、そこには私の秘めた願いも同時に込められているんです。

――どういうことですか。

金時鐘 10数名、あるいは数十名あるかどうかの拉致被害の問題で、日本の国民感情は列島がゆらぐほどに激昂したわけですね。私も気持ちはわかります。ならば、そこでやはり冷静に考えてほしい。北の人びとにとってみれば、つまり朝鮮民族にとってみれば、かつての日本に200万人近い強制徴用、強制労働を強いられた。これもやはり教科書的な数字をとって70万人だったとしても、日本人が被っている拉致被害の何百倍以上の悲嘆、憤慨、悲憤を抱えている。この問題と拉致問題を対置し、相殺するなどという発想を私は断固拒絶すると申しあげましたが、それほど大きな悲嘆、憤慨、悲憤を朝鮮民族が抱えていることには同時に思いを致してほしい。私の秘めた願いとは、まさにそこにあります

【次ページ  自分に直接的な損得がないと、日本の人は社会に関わろうとしない】

◎ 島国日本にいるせいか地続きとは違って隣国の摩擦からは距離があり、近隣国の国情に疎くても平気でいられる私たちです。金さんの北への想い、それは朝鮮人だからではなくて日本人の私でも容易に想像がつきます。司馬遼太郎さんがアジアの問題でよく言われていたのが『惻隠の情』ということでした。母が大聖寺川で見た蛇篭を編む朝鮮人というのはまさに強制徴用、強制労働を強いた人たちだったのです。そのことを抜きに日本人が2つの隣国を語ることはできないと思いました。