龍馬、新資料!

昨日の夕刊にタイミングよく、というのは来年のNHK大河ドラマは「龍馬伝」、一年間坂本龍馬が取り上げられます、
直江兼継の「天地人」が「坂の上の雲」に譲って、例年より早々と終わってしまっていますが、
あと数週間(早い〜!)で新年度の大河が始まるという今、
龍馬に関する新資料が見つかったというニュースです。

幕府側資料としては初めての発見ということで、目をつけられていた証拠ですね。
司馬遼太郎さんの幕末ものを、上の子が幼稚園に行っている頃、読み漁ったことがありました。
新撰組血風録」から、土方歳三の「燃えよ剣」、高杉晋作吉田松陰の「世に棲む日々」、坂本龍馬の「竜馬がゆく」、西郷隆盛の「翔ぶが如く」、徳川慶喜の「最後の将軍」と読んでいくうちに不思議なことが。明治維新の最高の立役者といえば、どうしても欠かせない人物、勝海舟をどうして司馬さんは書かないのだろうか?と。探して子母沢寛の「勝海舟」を見つけたときは嬉しかった! そして同じく子母沢寛の「新撰組始末記」、これは実録という感じで聞き語りが入っていて、小説とはまったく別の重みを感じました。

ところで、その後、司馬さんは勝海舟が嫌いだから書かないんだというような事が言われていることも知りました。私は「竜馬がゆく」で書かれている竜馬と海舟の関係からは、司馬さんの海舟嫌いは窺えないし、むしろ、子母沢寛の「勝海舟」が海舟を余すことなく描き切っているので遠慮?されて書かれないのかな〜なんて勝手な想像をしていました。

今回、昨日のブログで書いたように、「文藝春秋12月号」の司馬さんの論文「日本人の二十世紀」の最後のくだり、リアリストの商人の「理想的なイメージ」として、「江戸時代の商人にして学者、思想家だった山片蟠桃や富永仲基、商人にしてすぐれた対露外交をやった高田屋嘉兵衛などが去来します。彼らは武士以上に倫理のふとい背骨がありましたし、武士のつまらない官僚主義はもっていませんでした。武士以上に剛直でした。」として、最後に「歴史のなかの商人像をあれこれ考えてゆくと、勝海舟などまったく商人的発想ですね。・・・かれにとって出藍の弟子だった坂本竜馬をふくめてです。」と締めくくっています。

私は、この文章を読んで、やっぱり!!ととっても嬉しい! 体制の中にあって時代の趨勢を見通して「敵」のなかに「味方」を作り、育て上げていく勝海舟の偉さ。一目会って、その偉さを見抜いて、考えを変え、自由な立場で「新しい日本」の創造にまい進、命を捧げた坂本龍馬。こういう現実主義を貫ける、敵も味方もない、ただ日本国を考えることの出来るスケールの大きな人物を生み出さないといけませんね。司馬さんは「外交のみならず内政の問題もレトリックで対応できるはずです」と書いています。レトリックといえば修辞学。人の心をつかむ話術ということでしょうか。

政権交代のこの9月、ドタバタのなかで、「勝海舟はいないのか?」と、無血開城をリードした海舟になぞらえて、叫んだ人がいました。国難に際して、「海舟・龍馬」頼みになると英雄待望論になってしまっていけませんが、言いたくもなります。
与党、野党にかかわらず、ただ日本の利益を考えて「その状況、状況で自らを慰め、相手に訴えるレトリックを生み出すべきです。」 国際問題の交渉の中で、「当事国に日本の立場を説明するときに、ウィットとユーモア、華やいだレトリックをどうしてもっと展開しないのでしょうか」とは司馬さんの言葉です。鳩山さんに頑張ってほしいですね。