北アフリカと印象派

田中宇(さかい)の国際ニュース解説」にチュニジア情勢のその後についての解説がありましたので引用します。(引用先:http://tanakanews.com/)田中氏はアメリカのアフガニスタン爆撃やその後のイラク戦争の頃、民放でコメンテーターとして中村哲医師とともによく出演され、中東情勢について解説されていた方です。

チュニジアから中東に広がる革命
 【2011年1月21日】チュニジア革命は、他のアラブ諸国に伝播し、中東が英米から支配される構図を破壊していく流れになりそうだ。エジプトやヨルダンがイスラム同胞団主導の国に転換すると、パレスチナ問題が劇的にイスラエルにとって不利になる。最終的には、中東のほぼ全域がイスラム主義に席巻され、イスラエルは窮して自滅的な戦争を起こすか、連続的な譲歩を強いられた挙げ句に消滅するだろう。ドル崩壊という米国の経済覇権の失墜が、チュニジア革命の拡散を通じて、中東から米国が撤退せざるを得なくなり、イスラエルも潰れるという、米国の政治覇権の失墜につながる流れが起きている。中東は米英の拘束から自立し、豊富な石油ガスの資源を背景に、多極型に転換した世界の一つの極になるだろう。

指摘されているような大きな流れになるのか?は別としても、イスラム世界の理解を深める事は大切だと思います。

私の「アンテナ」の「松岡正剛の千夜千冊の1395夜の「イスラム経済論」で「NARASIA 2010」について話しておられる内容から一部を。(引用先:http://www.honza.jp/senya/1395

 このことは9・11以降の日本ではさらに目立ちます。スンニー派シーア派の区別はおろか、イスラム原理主義イスラム主義の区別もつかないし、なぜ自爆テロがあれほど過激なことができるのかも、理解できません。いや、はなっから理解しようとしていない。
 それはまだしもだとして、一億総じて経済主義のはずの日本人がイスラムの経済社会に利子がないことなど知ると、まるでそっぽを向いてしまいます。その理由を考えようともしない。これはあまりにおかしな話です。イスラムは普遍宗教ですよ。いまや13〜16億人がムスリムなんですよ。その経済力はオイルマネーとともに世界の5分の1か4分の1を覆いつつあるんですよ。
 それなのに、イスラム経済をわれわれは理解しようとしていない。なぜそんなふうになるのか。むろん勉強不足でもあるけれど、どうもそれだけではないようです。それに、根本的な過誤を犯しているようにも思います。まず、とりあえず、次の説明を読んでみてください。

私の苦手な経済のお話ですが、利子がないのに金融があるという不思議な世界。
引用を続けると、<この答えは本書『イスラム経済』[によれば、明々白々なのです。答えは「そのことがコーランに書いてある」という以外にはありえない。利子の禁止はアルコールの禁止と同様の宗教的タブーなのですね。もっとはっきりいえば、イスラムにはそもそも「特別な経済社会のためのプログラムがあるわけではなかった」ということです。 とはいえ、その「コーランに書いてあること」が経済ルールや生活経済に及ぶというところが、欧米型の知識で固まった連中には、またわれわれにも、どうもわからないところなんですね。では、どこをどう理解すべきなのか。本書は次のように説明します。>と解説が続きます。興味のある方はつづきを是非。

で、土曜の夜のテレビ大阪の「美の巨人」という番組。1時間半の「美の巨人たちスペシャル版。
滅多に見ないのに見ることにしたのは「チュニジア」でした。夕刊の番組欄の案内は、「”情熱の北アフリカ”モロッコ印象派誕生の秘密!?青の村と極彩色の名画▽チュニジアイスラム芸術の極み…幻想モスク」と長いものでした。
地図引用先http://www.tabihon.com/chiiki/africa/map_northafrica.html
取り上げられたのはドラクロアルノワールとクレイです。この3人の画家たちは、地中海の向こう側の北アフリカの、モロッコアルジェリアチュニジアを訪れ、その強烈な光と色彩に影響を受けて新たな作品世界を生み、絵画の新しい世界を開いてきました。ジャポニズム以前に、イスラム世界の影響を受けて印象派が生まれ、その後のクレイによる20世紀絵画も生みだした、ということを知りました。

ドラクロアの「アルジェの女」が印象派を生む切っ掛けの絵。きらびやかな装飾に身を飾るハーレムの女性を描いたこの絵が、ルーブル学芸員の手によってくすんだ色を元の色に戻す作業を経て、色鮮やかなイスラム風俗の世界を今に伝える。そこには原色の世界、色彩の補色の世界が、画家の目で捉えられている。この絵に大きく影響を受けたのがルノワールで、黒い影は消えて、光の印象が画面に。また同じテーマでも描いている。水浴の絵が幸福の画家、最後の作品となった。



クレイの絵もチュニジアを訪問して大きく変化した。
モチーフや色彩など、街の民家の扉の鋲の遊びやモザイクタイルの影響などが見て取れます。

偶像崇拝を禁じるイスラム教では、代わりに飾り文字が発達。カリグラフィで経典の言葉を書き写した。
クレイの墓石にはアルファベットが模様のように描かれています。
こうしてヨーロッパ絵画は北アフリカイスラムの光と色彩を取り入れて大きな発展を遂げたといえる。
一昨年、南仏にルノワールのアトリエがあるル・コレットを訪ねました。そこには、ルノワールが訪ねたアルジェリアの面影が確かにありました。南を向いた漆喰塗りの建物も、タイル張りのキッチンやダイニングにも。
日本にいると余り意識しないイスラム文化の影響ですが、番組で写された皮なめしの作業をしている場面で思い出しました。
昔、夫が海外出張のお土産でもらったといって大きな皮製のつま先が反り返ったスリッパを持ち帰ったことがありました。スリッパの表側は黒エナメルに金彩で模様がついていました。あれはこうやって作られたものだった! 男たちは何百年と続く皮なめしに特製のコルセットをつけて腰まで浸かって厳しい作業をしていました。
仕事中でも時間になるとマットを敷いて西の方を向いて祈りだす中東の人たちとのビジネスに、そういえば、「わからん?!」と夫も言っていました。
一寸、意識して、関心を持ってみたいな〜と思い始めています。