「戦後から遠く離れて」より

加藤典洋の「さようなら、ゴジラたち」、半分ほど読んで中間報告のようなものを。
本のタイトルになっている「ゴジラ」はまだですが、ここまでが「敗戦後論」についてで、切りもよいようなので。

その前に、2月に入って初めての水中歩行に出かけたのですが、その往復の道中での写真を。
いつも畑を写す時、鍋田川という水路のような川に小さな「竹下橋」がかかっています。それより南の下流の鍋田川は曲がり池という池の横を流れています。大きな鳥が翼を広げて旋回しているのに出会い、その内、池を取り囲む金網の上に止まって悠然とあたりを眺めています。カメラを向けていると小父さんが、「あれがアオサギでっかいな〜?」と話しかけて来られます。手にカメラ?ではなくて双眼鏡を持って。「この間は、コッチの木にメジロが50羽ほどもおりましてんで〜」「これ、ビワの木ですよね。今日はいませんが、花でも咲いているのでしょうか??」と私。
帰りはいつもの唐池公園を通り抜けて。  


さて、「敗戦後論」以後の加藤典洋氏ですが、私も反省や戸惑いを通過して、同じような位置に辿り着いたような気がしています。私が改めて戦争や憲法や九条について考え出したのは、東京の息子が年に一回帰ってくるか来ないかの帰省の折、小林よしのりSAPIOを読んでいた息子が、親世代の考えを「戦後民主主義」のノー天気な平和主義と攻撃し、家族を守るためなら武器をとると宣言した時からです。戦争の犠牲者の血で贖った平和憲法だと思ってきましたが、自分の息子から「押し付け憲法でいいのか」と言われたのはショックでした。そして、考えついたのは憲法の「選び直し」でした。押し付けがいけないんなら、もう一度、選び直してこんどこそ自分のモノにすればよい。平和憲法が選ばれないリスクはあっても、その時は仕方が無いというものでした。でも、その後、内田樹氏の「辺境論」を読み、特に、ブログの「愛国心について」を読んで(参照:昨年7月13日の私のブログ:http://d.hatena.ne.jp/cangael/20100713)考えました。
これは、広島の高校の校長先生が国旗掲揚国歌斉唱完全実施問題で県教委と県教祖の板ばさみになって自殺した事件について書かれたものでした。<国家の象徴を前にしたときのこの「気まずさ」、この「いたたまれなさ」が私たちの国家とのかかわりの偽らざる実感なのである。ならば、そのような実感に言葉を与え、市民権を与え、それを国家への態度の基本として鍛え上げてゆくことがいま私たちに課されている思想的な仕事ではないのか。>(青色はcangael)  憲法誕生の最初から、天皇制を残すための九条であり、安保体制と抱き合わせの九条でした。九条と自衛隊をともに抱えて敗戦後の日本が生き延びてきた事実を受けとめようと。自衛隊に反対して憲法の理念を守ろうとしてきた人も、自衛の為の軍隊は「軍隊」ではないとして現実対応をし、憲法問題は先送りしてきた歴代政権も、ともに、敗戦国日本の背負わされた運命の、二つで一つの現象で、何とか「平和な」日本の戦後を生き抜いてきたという事実を受け止めよう。

加藤氏も、考察の最後に、同じように内田樹氏の「憲法がこのままで何か問題でも?」という著書を引いて論じています。
私なりのまとめ方ですが、内田樹氏によれば、「憲法のねじれ、九条と自衛隊は、日本の占領者アメリカ人の視点から見ると全く矛盾がない。しかし、戦後の日本人はそこからスタートせずに、むしろ、人格分裂という病態をとることを選んだ。」ということは、内田氏と加藤氏の言葉を借りて言い換えれば、「アメリカの思い通りを生きることに喜びを感じる日本人であれば、悩まなくて済んだ。しかし、プライド高い日本人はそうはならなかった」ということです。そして、「問題の先送り」で、戦後60年間、なんとか「戦争をしないできた」。
「日本人が今まず行うべきことは、「問題の先送り」という疾病利得を得ることの代償に、憲法九条と自衛隊の無矛盾的並立を矛盾として苦しみ、それでもなお生きながらえてきたという動かしがたい事実を世界に告げることだと私は思うのである」という内田樹氏に「付け加えることはわずかしかない」と言い、加藤氏は続けて、「戦後憲法を支えてきたのは、他国が攻めてくると怖い、しかし、他国を攻めるようなことはもう、したくない、というふつう一般の世間の人々の願いの形だったのではないか」と言います。(赤字部分は原文では・が打ってある部分)
「他国が攻めてきたら怖い、でも、他国を攻めるのもいやだ。憲法九条は、自衛隊の存在と「合わせ技」でこういうふつうの人の不安と願いに応えてきた。これにもっともよく応えるのが、憲法九条を動かさない、変えない、しかもなかば灰色の状態で「自衛隊」をもち続ける、そうしならが、この先を考えていく、つまりー内田樹ふうに言えば、「すっきりする」必要はなくー矛盾を矛盾として持ちこたえ、現実的に思考し、「ねじれ」を生きる道なのである。」
そして、「筆者は、この理由から、内田に倣い、もし、改憲の是非を問われたら、現状維持の第三のオプションに立ち、憲法の選び直しを、主張したいと思う」と書いています。
加藤氏によると、憲法九条の本質は、「理念と現実の落差」であり、その落差の受け止め方に「およそ三つの選択肢」がある、その三つのオプションとは:<括弧>内は加藤氏の考えです。
<第一は、平和憲法の「高邁な理念」に、現実の方を変えていく(しかし、何らかの形で「戦力は保持しない」という九条の理念の現実化する行き方は、世間一般の「もし北朝鮮が攻めてきたら」という不安に応えられないし、現実化には在日米軍の撤収や日米同盟の見直しが必要となるが、その実現の見取り図が示せない)>
<第二は、現状に憲法を合わせる(「集団的自衛権の行使」を「盛り込む考え方の難点は、憲法から「高邁な精神」が消える。また「他国を無法に攻めるようなことをしたくない」という国民一般の思いに応えない。また、内田氏の「憲法がこのままで何か問題でも?」で述べているように、「このことは、戦後日本が、とうとう、全国的に、自己欺瞞なしに、日米同盟の枠内で、米国追従路線を国是として採用する事を、意味している。」一方、「戦争のできる「ふつうの国」となる改憲路線を歩むことは、米国に対して戦争を仕掛けることもありうる日本ヘ向かうことであり、国際的孤立は必定」。で、二つの「このような行き方が、一般国民の支持をかちとることができないことは、火を見るよりもあきらかではないだろうか。)>
<第三は、「理念と現実の落差」をもったままの憲法九条の現状維持。>
私自身は、第一の理想論から、第二の「ふつうの国」を経て、第三の現状維持に至る経験をしました。

 安倍政権の国民投票法案とそれに続くだろう動きに対し、筆者が言いたいことは、一つだけである。それは、憲法改正に関しては、他国が攻めてきたらやはり怖い、というふつうの人の不安に、しっかりと権利を与えなければ、憲法九条の擁護の議論は弱くなる、ということである。その不安に権利が与えられてはじめて、戦後における九条の意義は、明らかになる。
 この不安の声に対し、いや、そんなことはない、と否定する必要はない。否定してはいけない。左翼性からだけでなく、戦後からも遠く離れ、自分の理念の場所からではなく、ふつうの人のふつうの不安と希求の場所から憲法九条について考えることが、これを擁護するにあたり、必要なのである。

戦争の記憶が薄れ、戦争を知らない子供たちの時代になってもう何世代にもなります。
その間、矛盾を抱えたまま憲法は改定されることなく今もそのままです。
戦争の体験を風化させてはいけない、語り継がなければいけないとも言われます。
加藤氏はバトンを落としても、必要なら叉拾って走り出すだろうとも。
自衛隊憲法九条の「合わせ技」がいかに戦後の戦争の危機から日本を守ってきたか。
バトンは出来る事なら引き継ぎたい。でも、この戦後60年の間を生きてきた日本人なら、
もし、バトンを落としたとしても、拾い直してくれるのではないかと信じることが出来るのか・・・
(以上、当然ですが、私の独断と偏見で私の勝手な感想を書いています。関心のある方は是非直接読んでみて下さい)
教会の北側、まだ朝日も西日も差し込まない小さな花壇に水仙が芽を出しています