原子力は「消せない火」

5日のNHKの「ニュースウォッチ9」、大越キャスターの原発インタビューシリーズ、昨夜はノーベル賞受賞者野依良治氏。科学者としての発言です。大越さんの考え方が少しづつ変化してきているように思います。野依氏の発言は、少し弱い言い方に聞こえますが、原子力は人間のコントロール下にないので脱原発にしていかなければと聞こえました。
頂いた☆印を辿って訪れたブログのなかで、原子力について一番分りやすい解説を見つけました。
(詳しくはコチラで=http://d.hatena.ne.jp/eirene/20110505/1304555058
高木仁三郎さんの著作集を読んでいる。脱原発理論を構築した市民科学者として、高木さんは今の私たちが直面している苦難(原発事故の災い)を正確に言い当てている」、「 高木さんの講演記録が、著作集第六巻に収録されている。一部を引用する」という中から、また、その一部を省略しながら引用です。(赤字はcangael)

結論として私が考えるようになった事は、結局原子力の一番の問題は……原子力発電というのは"消せない火である″という事です。


 原子力発電をやると、この中に死の灰が生まれてきます。原子力発電の運転を止めることはほとんどの場合出来ます。チェルノブイリの事故は運転を止める事が出来なくて暴走してしまった訳ですが、多くの場合、スリーマイル島もそうでしたが、制御棒を入れることによって運転を止める事は出来ました。で、運転を止めた段階で火が消えてくれればいいのですが、原子炉はなかなか急には止まりません。


 というのは、死の灰という形で火が残るからです。死の灰という言葉は大変象徴的な口葉で、日本の新聞記者が考え出した言葉なんですが、非常に鋭い、素晴らしい言葉ですが、実をいうとこれは灰ではない。ここに出てくるものはまだ冷えきっているものではない。灰というのは冷えきった物というイメージがありますよね。冷えきっていないから問題があるのです。私はいつも"燠(おき)"だと言っているんです。ここに出来てくるのはまだ燠であって、放射能とか、熱とかいう形でまだエネルギーを出し続けている。その為に、それが又、何年も、何十年も、何百年も続く、出し続けるものがあるのですね。


 その消せない火を作り出すという事は、したがって人間がエネルギーの技術を手にしたという事にはならない。人間がある火を手にしたというのは、その火を付けたいときに付けられるし、消したいときには消せるという事でないといけない。原子力の火は、付けたいときには付けられるようにはなったけれども、消したいときには消せるという点ではまったくこれ零です。出来ない。そうである以上、これは完成された技術でもないし、人間の頼るべき技術でもない。私はそういう観点から今は確信を持って反対をする。これは事故があってもなくても駄目だと私は思っている。そのうえに事故というのは人間のやる事ですから起こり得る事です。チェルノブイリがなくても私はこれは原理的に駄目だと思っています。反対をしなくては、どこかでこの残った消せない火がかならず将来の世代を苦しめる事になると思います。私たちの時代に事故が起こらなかったとしてもね。


野依氏は、(原子力に頼らないで、)限られた自然エネルギーの中で人間が生きていくうえで当然どう生きていくかは考えなければならないと仰っていました。科学者の間でこういう声が大きくなってほしいですね。危険である事を一番知っている人が警告を発すべき時ですね。
(本日2つ目です)