先週末の菅直人首相による浜岡原発運転停止要請に応えて中部電力は受け入れを決めました。
一方、海江田経済産業相は9日「短期的な対策が適切に講じられた」とし、「他の原発の稼動には太鼓判」を押しています。
日本経団連の米倉弘昌会長は9日の記者会見で:
「民主党政権は結論に至る思考の過程がブラックボックス。唐突感は否めない。
だれがどう議論したのか。詳しく国民に根拠を説明すべきだ。
政府がこれほど無責任だと、企業内行動の倫理観にも影響する。」と述べました。
テレビで見た時、なんとも傲岸不遜・傲慢無礼な言い方が気になりました。
アンテナに入れている「永田町異聞」さんのブログにこの発言の「読み解き方」が載っていました。
な〜るほど!と納得できました。
「これを別の言い方に翻訳すればこうなるのではないか。
自民党の時代には、こういう時にはちゃんと経団連にお伺いをたててくれたものだ。
民主党の時代になって、ウチに何の相談もなく決め、結論だけ出てくる。
もっと経団連と意思疎通をはかってもらわねば困る。」
経団連そのものが、「財界の原子力推進本部とでもいうべき存在」であるという理由も書かれています。
(詳しくは5月10日のコチラ: http://ameblo.jp/aratakyo/ )
前にも書いたのですが、エネルギー政策の行方はこれから闘いになると思います。原子力推進は国策であり、アメリカの要請?でもあったといいます。そのために広島・長崎の原爆で原子力(放射能)アレルギーに罹っている日本国民の症状を押さえる為に、あらゆる「治療」が施されていたはずです。
原子力潜水艦を何度も寄航させて慣らしていくというのは、昨年のNHKの番組でアメリカ側からの証言もあり、それが狙いでした。事実。佐世保での反対運動は消滅させられていました。この度の東北沖に原子力空母が来たというニュースに、私は、これも「慣らし」のステップアップ、「共同作戦」の一環なんだろうな〜と思いました。反対できない状況で寄こすのですから、沖縄が喜んでいないと槍玉に上がるわけです。
こうやって何十年がかりで私たちは自主的判断の場すら奪われて、アメリカの仕組みの中での日本でしかいられない。そして、そのことすら意識できない。あるいは、「自主的」にアメリカの言いなりでいることこそ日本の幸せだと考える日本人エリートが社会の多数派なんだ、というのが現実なんでしょうか。
私の一番の憂鬱はそこにあります。何とかしたいと思ってブログを書き出したのもそこだったように思います。政治・経済の動きを見ていると悲観的になってしまいますが、諦めてはいけない、がんばろう、日本です。
エネルギーも地産地消でやれば原子力に頼らないでも十分日本の電力は賄えるという科学者もいます。地熱発電のプラントはほとんどが日本製、ところが国内での利用は限られているとか。原発から方向転換できればこういう産業に光が当たりそう。
去年お招きくださったYさんのお宅の垣根のナニワノイバラ
大震災から丁度2ヶ月の昨日11日午後4時現在の死者14,981人、行方不明9,853人、避難115,098人
関西テレビの夕方の報道番組「アンカー」、昨日の水曜は青山繁晴氏の担当。先週(5月4日)は、福島の事故対策現場を訪れて、第一線で指揮を取る福島第1発電所の吉田所長を現場に訪ねた報告でした。その後作業員の劣悪な環境がニュース番組でも取り上げられ、現場の改善の動きにも繋がっているようです。
昨日は、菅首相の浜岡原発停止要請はアメリカの圧力によるというお話でした。福島が事故を起こした直後から、直下に活断層のある浜岡の危険は、丁度風下に当たる横須賀、米軍第7艦隊の母港である横須賀の危険で、「浜岡止めろ」は米軍の要請というお話です。(いつものように全文の書き起こしはcangaelのアンテナの「ぼやきくっくり」さんのブログで読むことが出来ます)
なるほど。唐突に、早々と「浜岡に限って」の理由はここにあるのかも。福島の原発事故は、「安全神話」や「原発推進グループ」のナゾを辿っていけば、戦後の日米関係や現在の日米同盟の実態を私達に解り易く教えてくれる好例なのかもしれません。