日曜日の朝、夫から急に映画に行くぞ!と。「じゃ、エドガー!」と私。
早速パソコンで調べてみたら、大変、朝9時50分1回限りの上映、それも3月2日まで。
両親とのコーヒータイムを終わって、二人で今日は車で出かけました。
クリントイーストウッド監督で、FBI長官のエドガー・フーバーをディカプリオが演じます。
2時間以上のかなり長い映画でしたが、誇張なしに一瞬も見逃せない濃密で緊迫した時間の連続でした。アメリカ史の重要な事件をフーバーの視点で描かれますが、1960年代〜72年の晩年、ケネディ暗殺やキング牧師のノーベル平和賞、ニクソン登場あたりはその表のニュースをリアルタイムで知っています。
1924年、資料の検索システムを近代化して、FBI長官になり、赤狩りで徹底的に共産主義者をリストアップ、根絶やしを謀り、「翼よあれがパリの灯だ」のリンドバーグの誘拐事件をキッカケに州を越えて連邦広域の捜査体制に変えていきながら、権力の座にのし上がっていく。自伝の口述筆記をタイピストに打たせている今(60〜70年代の70歳代)と昔の若い頃の事件が激しく交錯して絡むように紡ぎだされていきます。
その若いエドガーと老けたエドガーをディカプリオが鮮やかに演じ分けています。複雑で難解な手法が映画の風合いの厚みを作り出していますが、登場人物は4人だけでシンプルです。母(ジュディ・デンチ)と、結婚より仕事と最後までエドガーの個人秘書として仕える女性ヘレン・ギャンディ(ナオミ・ワッツ)、そして、副長官として公私ともにパートナーであった男性クライド・トルソン(アーミー・ハマー/ソーシャルネットワークにも出ていた背の高い上品で人の良さそうな・・・)。
見終わると一寸「怖い」感じです。母との強烈な母子密着とマザーコンプレックス。母は息子の性癖(女装癖と同性愛)を(知ってか知らずか)決して許さず息子にはいつも「強い男であれ」と叱咤激励していますが、エドガーはそれが唯一の支えでもある。ヘレンに結婚を申し込んで断られ、晩年、自分よりもアクドイ大統領ニクソンの登場に力の限界を感じ死後の個人ファイルの始末を頼むときのやり取り。トルソンとの不可解な二人の関係、口述筆記をさせていたタイピストとの握手の後のエドガーの仕草とか、母が死んで解放される面も…と思わせる鏡に向かってドレスを合わせてみる演技とか、細部にわたって丁寧にエドガー像をこしらえています。
48年間FBI長官の座にあり続け、盗聴を始め不法に得たスキャンダラスな個人情報で8人の大統領を意のままに脅し(映画ではルーズベルト大統領夫人の件とケネディ大統領のことで弟のロバート・ケネディ司法長官が)、最後はキング牧師のノーベル平和賞を辞退させる画策が失敗、やっと力の陰りに気付くまで、仲間であり続けた者まで「そこまで?」と思うほどの狂気を淡々と描いて、怖いです。
アメリカ、は不思議な国ですね。今は、FBI長官は10年までとなっているそうです。
「民主主義国家」の裏に、実は、半世紀近く君臨していた裏の独裁者がいたということをクリント・イーストウッドは敢えて非情にドライに描いたのですが、その描き方は、手が込んでいてスリリングでした。
見終わっても濃密な手ごたえがず〜〜っと残る映画です。