今朝の広島原爆慰霊祭の記念式典の様子をNHKのテレビ画面の写真を並べて:
広島・長崎と福島が繋がってきました。そして核廃絶を阻む者は一体だれ? 何?ということが解ってきます。
一度は「核の平和利用」という誤魔化しを信じもしましたが、もう、誤魔化しはきかない、騙されない・・・
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さて昨日「原発のない日本を目指して福島から叫びます」さんのブログで見つけたリオの地球環境会議でのウルグァイ大統領の演説が素晴らしいのでブログに引用しようとして、この「リオ会議」っていつの?と気になって調べてみました。以前、ブログで取り上げたリオの会議での少女のスピーチ<セヴァン・スズキの「あなたが世界を変える日」(蛙ブログの2011・1・3)>はもうだいぶ前のことですが、まさか今年の?と思ったら今年6月でのことでした。
国連持続可能な開発会議(リオ+20)(2012年6月20日〜22日,ブラジル(リオデジャネイロ))
2012年6月20日(水曜日)〜22日(金曜日)までの3日間,リオデジャネイロ(ブラジル)において,「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」が開催されました。
リオ+20は,ブラジル政府が,1992年の「国連環境開発会議(地球サミット)」(「環境と開発に関するリオ宣言」やそれを具体化するための「アジェンダ21」が採択されたほか,気候変動枠組条約や生物多様性条約が署名されるなど,今日に至る地球環境の保護や持続可能な開発の考え方に大きな影響を与えた。)から20周年を迎える機会に,同会議のフォローアップ会合を行うことを提案したことを受け,2009年の第64回国連総会で開催が決定されたものです。
我が国は,この会議に関連して,以下のような活動を行いました。
(詳しくはコチラで:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/rio_p20/gaiyo.html)
あなたが世界を変える日―12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ
- 作者: セヴァンカリス=スズキ,Severn Cullis‐Suzuki,ナマケモノ倶楽部
- 出版社/メーカー: 学陽書房
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「なんということでしょう。リオ会議(Rio+20)は環境の未来を全世界で決めて行く会議で、日本メディアも新聞やテレビで大きく取り上げてきたのに、もっとも衝撃的で環境危機の本当の問題を唯一示し、考えさせられるウルグアイ大統領の本音スピーチを誰も日本語に訳していません! こんな大事なスピーチですので、日本の皆様にも紹介したく未熟ながら翻訳しました。訂正点や思ったことがありましたらコメント欄にお書きください。」
それでは、ムヒカ大統領のスピーチ・・・に入る前に、打村明氏の紹介を兼ねて、「50万人の反響」についてブログから:
ホセ・ムヒカ大統領のリオ会議でのスピーチを翻訳しました、打村明です。
前回の記事でも話した通り、日本語に訳されていない、日本のみなさまにもこの人とこのスピーチを知ってほしいという強い気持ちで訳しました。
一夜明けネットに繋げてみたら、このサイトが落ちるほど訪問者が殺到していました。この4日間の訪問者数を調べたら主にFacebook, Twitter, Alfalfa、Mixiやヤフーを通して50万人以上の人がやってきたのに非常に驚きました。(略)
今回は翻訳者としてムヒカ大統領と日本人のみなさんを繋げることができたと思います。チリ人の母と日本人の父のもとに、コスタリカで生まれ、小さいころから父の仕事で国を転々しながら育ってきた私は、日本と世界を繋げるのがライフワークなのだと小さい頃から思っていましたが、今回のような出来事で更に自信と勇気がでました。本当にありがとうございます。(後略)
それでは、ウルグァイのムヒカ大統領のリオ会議でのスピーチです。(http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/)
リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版)
Posted by Akira Uchimura
/July 22, 2012
会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています
「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」
これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。
根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。
私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。
幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。
ありがとうございました。
◎3・11と福島原発事故以後の日本人には切実で納得の内容ですし、国民総幸福量のブータンにも通ずる考え方です。
◎ウルグアイ在住の打村明氏のブログでは会議の様子や、ご本人の写真(紹介に貼りつけました)、「じゃ、どうすれば?」についても語られています。是非ブログ(コチラ:http://hana.bi/2012/07/translating-mujica/)を訪ねてください。
◆意見募集(パブコメ)の締切日は12日。パブコメの入力はコチラ:https://form.cao.go.jp/aec/opinion-0027.html