今朝のコーヒータイム、父が何やら持ってきてテーブルの上に。
大きな口を開けたアケビです。
昨日、滝道を歩いて100円で買って来たんだそうです。
早速、コーヒーをいつものように淹れて、大きな実の中身を4等分して小皿にとってスプーンを付けました。
母が俳句仲間のアケビの句を披露してくれました。
あけび 割れた 多分 笑い過ぎでしょう
これ、俳句なんですね〜。笑っちゃいました。 笑ってるアケビを残しておこうと実を入れて写真を撮ってみました。
とろりと甘い実を口に入れて大きな黒い種を舌でしごいて出します。
これがアケビの味か〜としっかり味わっておきました。
真ん中の写真、アケビの横に見える本は、昨夜、夫が「面白かった」と言いながら返してくれた孫崎享著「戦後史の正体」です。
実は、昨日のヨガの日、Uさんに渡すはずだったんですが、先日から夫が読み出して水曜日には間に合わないようなので困ったな〜と内心思いつつ、夫にも是非読んでほしい本だったので、これは良かった、Uさんにはもう少し待ってもらってと急かさず待っていました。
「竹島、尖閣問題ですっかり右寄りになっちゃった」と言っていた夫の親友のFさんのことが、このところ気になっています。「Fさんにも薦めてみたら?」と言ったら、「もちろん話してみる」とのこと。良かったぁ〜でした。
この「戦後史の正体」、9月30日の書評欄に取り上げた朝日新聞が、10月21日には書評の訂正を掲載するに至ったという事実を初めて知りました。
孫崎享氏による、「戦後史の正体」の朝日新聞の書評のその後と、朝日新聞による訂正に至るまでの一連のツイートをまとめました。書評の10行削除の告知のみという不十分と思える訂正ではありますが、大新聞社が訂正を出した事自体、大変大きな出来事です。ツイッター等での情報交換により形成された世論を、在京の大マスコミが無視できなくなってきたことを示しており、彼らの思うままに世論を操作できなくなってきたことを、彼らが認識し始めた証拠ではないかと考えています。(引用元: http://togetter.com/li/393640?f=reco0 )
訂正では、10行ほどをカットするという内容で、カットした分は掲載されなかったようですので、ツイッター部分から孫崎氏の反論をくっ付けて以下に:
孫崎氏9月30日ツイッター:戦後史の正体・朝日新聞書評:
30日朝日新聞が「戦後史の正体」の書評を出した。目を疑う位低レベルの書評だ。朝日新聞は「この書評は適切でなかった」とお詫びの文書を掲載すべきだ。余りに馬鹿馬鹿しいから、全体を論ずることなく、最初の数行をみてみたい。
冒頭「ロッキード事件から郵政民営化、TPPまで全ては米国の陰謀だという本。米国が気に入らなかった指導者は全て検察によって摘発され、失脚してきたという。著者の元外務省情報局長という立派な肩書きも後押ししてか、大変に売れている。しかし本書は典型的な謀略史観でしかない」。わずかこれだけの行でも全記述に疑問がある。事実と違う。
「米国が気に入らなかった指導者は全て検察によって摘発され、失脚してきたという」、私の「戦後史の正体」のどこにそんなことが記述してあるか。日本の政治家を追い落とすパターンを1.占領軍の指示で公職追放、2.検察基礎、3.政権内の主要人物切り捨て、4.党内反対勢力高める、5.大衆動員と分けた。この分類分けをしている事だけ見ても「米国が気に入らなかった指導者は全て検察によって摘発され、失脚してきた」という記述は間違いである。
ロッキード事件は、「キッシンジャー自身が中曽根元首相にやり過ぎ」と述べてる。中曽根元首相の記述が嘘だというのか。「中曽根元首相の嘘を信じているとんでもない本だ」と書けるのか。米国はロッキード事件に何の関与もなかったというのか。TPP,これに米国の働きかけがないというのか。馬鹿いっちゃいけない。TPPは米国の圧力そのものでないか。郵政民営化に米国の働きかけがないというのか。
「謀略史観」と批判している人の最大の欠点は、論じられている個々の案件について全く論ずることなく(多くの場合能力がない)、全体を「謀略史観」として批判する。「元外務省情報局長という立派な肩書きも後押ししてか」と書いているが、この世の中、「元外務省情報局長という立派な肩書き」で本が売れるお目出度い世界でない。「元次官」の本の売れ行きを調べたら良い。
20万人の人が買った。この人達を冒涜してはならない。読者一人一人は、この佐々木俊尚とかいうより、はるかに優れたコメントを出来る。朝日新聞、売れている本を単に貶めようとする書評しか掲載できないなら、書評欄なんてやめてしまえ。朝日はこの書評で如何に自分達のレベルが低いか、少なくとも20万人の読者に示した。朝日新聞が高質新聞と信じている人々よ。私の本を読み、この書評を読めば、改めて朝日新聞のレベルの低さが判る。
ところで、昨日のヨガでのこと、田中文科相が話題に。やり方は田中さんのキャラだけど、「あゝいう人が騒ぎを起こさないと今までのやり方を変えることは出来ない」と好意的な意見が出ていて、一寸と思う方は黙っていらしたのか・・・大勢は頑張ってるね〜という感じでした。私も、私たちヨガメンバー3人とも同年ですので、まあ「頑張ってるよね〜」でした。
ところが、帰って、内田樹氏のブログを読んでビックリしました。なるほど、そういう問題なのか〜と目からウロコというか、ナルホド、ナルホド、そうだったのか!と納得、納得でした。審議会のあり方に一石を投じたと評価するだけではこの問題の本質は解っていないということを大学教育の現場におられた方からのご意見を読んで初めて気づきました。是非コチラの「田中大臣の不認可問題の影にあるもの」で:http://blog.tatsuru.com/2012/11/07_1601.php
◎「内田樹の研究室」、本日も連続して大学問題です。本日は「大学を減らすために何ができるのか?」(http://blog.tatsuru.com/2012/11/08_1156.php)
(真ん中の写真、いよいよ最後のフジバカマ、と手前は、咲き出した孔雀アスターの紫の小花。右端のススキのような枯葉はクロコスミア)