「四国比例区・未来の党立候補者の手紙」と”歴史をつくる”

原発のない日本を目指して福島から叫びます」さんに、「四国ブロック比例区日本未来の党」から立候補したという鷲野陽子さんという方の立候補に至る気持ち(決意)がご自分の家族と共に紹介されています。広瀬隆氏とのお手紙のやり取りの形で紹介されていますので、引用してみます。(引用先:「四国ブロック比例区:伊方を止めよう!!」http://blogs.yahoo.co.jp/phkhn641/14436239.html


広瀬様


いつも感謝しています。官邸前デモにも夫と長男が参加しました。
四国ブロック比例区代表の鷲野陽子です。
急なことでしたが、未来の党で出馬しています。


私は大阪生まれの神戸育ち。いまは沖縄で習得した染色業を四国の山の中で営んでいます。小学3年生と中学2年生の息子二人、夫の4 人家族。 ごく普通の主婦がなんで国政選挙に??・・誰もがそう思うし、自分でもそう思っていましたが、私のような普通の子育て中の主婦が憂わなくてはいけないほどこの国の現状はひどく、危険だと誰もが思ってます
今、何かしなくちゃ。「子供たちの未来を守る」という基本さえかなわないのだと、私たちはあの福島の事故後思い知りました。


今から4年前、私の暮らす愛媛県伊方原発プルサーマルが始まろうとしていました。フランスからMOX燃料が運ばれようとしていたとき、普段から電気に興味のあった長男が勉強を始めました。彼はその危険性を訴え、子供だけの署名を集め、プルサーマルを許可した県議会に請願として「僕らの未来をなくさないでください」と訴えました。11歳。小学校5年生の時です。
請願は否決されましたが、以来次世代エネルギーの勉強を始め、地熱発電のことを九州大学の江原先生に教わったり、飯田哲也さんの本を読み、いっしょに広島エネルギー会議に参加したり、いろんな講演会に参加した意見を述べるなど今も中学校で友人を巻き込んで頑張っています。



今回、立候補の打診を頂いた時も、私はすぐに(無理)とお断りしていたのですが、息子の言った一言が私の背中をどんと押しました。
「お母さん、それはないやろ? 俺に来た話なら俺が受けるぞ」
今やらんと、いつやるの?
この言葉に答えられない大人にはなりたくないなと思って少ない期間ですが頑張っています。全国の心ある人たち、ぜひ一緒に頑張りましょう。
何のためでもない。
子供たちのために。
                                      鷲野陽子

染色業を営む一主婦が止むに止まれぬ気持ちを中学生の息子の言葉に押されて国会の衆議院議員を目指して選挙に立候補する!
日本の現状はこういう主婦の思いをくみ上げてくれる政治家や党が無くなって、主婦自らが立ち上がらざるを得ない状況だということです。
最近知った「青空学園だより」というブログの10日付の記事「私たちは今どこにいるのか」は、そういった今の状況を大きな流れの中で位置づけ、差し迫った衆議院選挙の意義を分りやすく説いておられます。
これを読むと、今度の選挙の結果が大切であることには変わりありませんが、選挙の結果に関わらず二つの大きな歴史の流れの闘いは新しい流れが奔流となって迸(ほとばし)りだすまで、あらゆる場面でその二つの流れはせめぎ合いをつづけるのだということが判ります。そこまでに至るアメリカの衰退や、その衰退するアメリカと日本の関係、そして世界で行き詰まる資本主義を解く辺りも納得ですが、ここでは最後の部分をコピーします。

 こうして2012年,日本国内の政治潮流は次の二つに明確に完全に分岐した.


1.国民の生活を第一とし地方の再建をめざす政治.対米独立・脱原発人間原理確立.富の再配分.
2.アメリカへ従属しその利益を優先する政治.対米従属・原発維持.経済原理優先.富の偏在増大.



2.の側を旧体制という.この分岐は主観的なものではない.これからの日本がどのようにすすんでゆくのかに関する客観的な分岐である.いずれの政策が行われるかで,世のあり方がまったく変わるという,そのような分岐である今回をふくめ今後数回の選挙の真の争点である.もとより大手マスコミ,テレビとほとんどの新聞社は2.の側,旧体制の側にあり,この分岐を隠そうとする.対米独立・脱原発の勢力を新聞テレビの視野の外に追い出し,旧体制内部の矛盾をことさら大きく取りあげて,あたかもそこが主要な争点のように見せかける.そして人々を旧体制内部のいずれかに誘導しようとする.しかしマスコミのウソを見ぬく人々が増え,本当の分岐のあり方をおさえる人々が増えた.この量は一定の時間がかかっても,遅かれ早かれ質的転化をもたらす.


しかし新しい人と人の繋がりの形が見出されているとはいえない.アラブの春でも,欧州の反緊縮抗議行動でも,新しい情報技術を駆使することで,そのときそのときの協働行動は実現した.これは今後ますます大きくなってゆくだろう.だがそれだけでは組織を生みだしたとはいいがたい.植草さんが5月に呼びかけられた主権者国民連合などは,それを指向するものであるが,まだ提唱された段階である.いろんな市民の活動が,議会内外の地についた日常活動として,国民連合の一環になってゆくかどうかは,これからの課題,今回の選挙を省みるところからはじまる運動ではないかと思われる.人間は新石器時代以来,つねに協働のための組織を作りだして生きてきた.言葉をもつことと協働のための組織をもつことは,人間の人間たるゆえんである.この点から言えば,人々の新しい組織形態,人と人がつながる形,これはまさに現在の試行錯誤である.



以上.これがわれわれの生きている世界の今ではないだろうか.歴史はいつでも現代がいちばんおもしろい.作ってゆく時代なのだ.ここに人の生きる意味もまたある.ただし作るといってもそれはかつてのように政治活動そのものとはかぎらない.まず,人として許せないことには声をあげ,自分の仕事と生活において誠実であること.長いものに巻かれたりはしないで,自分の人生をつくること,などなど.まさに「人間として」を身のまわりから.それが世界史につながる.そういう時代である.


  <引用先:「青空学園だより」10日付「私たちは今どこにいるのか」(http://d.hatena.ne.jp/nankai/20121210)より>

読み終わって、高杉晋作の辞世の句と言われる句を思い出しました。「おもしろきこともなき世をおもしろく・・・・」
昨日のヨガの席でも、お孫さんを預かっている方たちが、孫は無条件に可愛いというお話でした。

無条件の信頼に私たちはこたえる責任がありますね。世直しの時代です。

(写真は小さな教会の建物のそばに咲く冬薔薇。ここのバラはいつも鮮やかな真紅です。)