石の叫び
戦後40年、ひとりの女性の告白より
「深津先生へ ・・・軍隊がいるところには慰安所がありました。
看護婦とみまがう特殊看護婦になると将校相手の慰安婦になるのです。
兵卒用の慰安婦は1回の関係で50銭、また1円の切符を持って列をつくっています。
私たち慰安婦は死の影とともに横たわっていました。私たちは洗うひまもなく、相手をさせられ、
死ぬ苦しみ。なんど兵隊の首を切ってしまいたいと思ったかしれません。半狂乱でした。
戦争が終わって40年にもなるというのに、戦死した兵隊さんや民間の人のことは各地で弔われる
けれど、戦争で引っ張られていった慰安婦に対する声はひとつも聞こえてきません。
中国、東南アジア、南洋群島、アリューシャン列島で、性的欲望のため体を提供をさせられた娘たちは、
死ねばジャングルの穴にすてられ、親元に知らせるすべもない有様です。
途中で足手まといになった女はほっぽり出され、荒野をさまよい凍てつく山野で食もなく、
野犬か狼のエサになり骨はさらされ土になり、粉々に砕けた手足は陣地の表示板になりました。
それを私は見たのです。この目で、女の地獄を・・・。
戦後40年が過ぎても健康を回復できない私ですが、今は幸せです。・・・1年ほど前から、祈っていると、
かつての同僚の姿がまざまざと浮かぶのです。どうか鎮魂の塔を建ててください。
それが言えるのは私だけです。生きていても、そんな恥ずかしい過去を話す人は
誰もいないでしょうから・・・」
◎「石の叫び」、これはSPYBOYさんのブログ「特別な1日」の20日の「鶴橋育ちのロックンローラー:映画『オース!バタヤン』」(http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20130520/1369051592)のコメント欄にmiyotaさんが書き込まれました。昨日miyotaさんから「お役に立てるなら」と了解を得ましたので、私のブログでも紹介することに。SPYBOYさんのブログでのmiyotaさんの前書きです:「こんばんは。 実は千葉県南房総に婦人保護施設「かにたの村」があり、元従軍慰安婦の碑があります。 過去にユネスコ協会の主催で「戦争遺跡めぐり」で訪れたことがあります。 ある一人の元従軍慰安婦の心の叫びがあります。 参考までに掲載させていただきました。」
PS:miyotaさんの今日の「ほのぼの日記」でも取り上げておられますので詳しくはコチラの
<婦人保護施設「かにた婦人の村」「噫(ああ)従軍慰安婦」の碑で>:http://d.hatena.ne.jp/miyotya/20130528
◎ところで、24日、先週の金曜日は韓国人の元従軍慰安婦のお二人、金福童さん[87]と吉元玉さん[84]が橋下大阪市長と会うことになっていましたが、橋下氏が従軍慰安婦問題での発言は撤回しないということで急きょキャンセル。その後、お二人は講演をされたということをその後のローカルニュースでも放送され、25日の日経夕刊では「あのような妄言を言う人がなぜ市長をしているのか不思議」と市内の集会で批判したという記事が写真と共に載りました。
昨日、ネットで見つけたブログ「えびす顔の造花卸売り問屋社長からの手紙」さんの記事は、その講演を聞かれて書かれたものです。
5月27日の「問屋社長」のブログ(http://blog.goo.ne.jp/tukasahajime/e/5e5c58904686549922dc8c434dbce6af)から:
元日本軍慰安婦の方のお話を直に聞いてやっと確信が持てました。
「14歳の時、軍需工場で働くんだと言われついて行った。連れて行かれたのは暑い国の戦場。(中国)広東の慰安所。陸軍司令部があって、部屋が準備され、軍医が身体検査をした。その後、軍隊に連れられてマレーシア、スマトラ、ジャワ、シンガポールと移動し血の涙が出る思いをした。日本政府は自分たちはやっていないというが、どうやって民間人が慰安所を作れるのでしょうか」
おとといの25日、橋下徹大阪市長との面会を拒否した元日本軍慰安婦の韓国女性二人の証言集会に行ってきました。そのおひとり、金福童さんのお話です。
この集会に行くまで不勉強な私は、朝鮮で日本軍による慰安所の管理はあったにせよ日本軍による強制があったのか確信が持てませんでした。もちろんインドネシアでオランダ人女性が、また中国では現地の中国人女性が軍による強制で慰安婦にさせられたことは認識していましたが。しかし、今回の証言集会で朝鮮でも日本軍による慰安婦強制はあったと確信しました。
金さんは「軍需工場で働く」と嘘を言われ慰安所に連れてこられました。誘いに来たのは朝鮮人と日本人だったそうです。その日本人は軍人だったかどうかは分かりません。しかし一方、日本軍が慰安所を管理していたことを示す文書はたくさん残っています。誘いに来たのが軍人だったかどうかに関わらず、日本軍の管理下の慰安所から逃げ出すこともできず、そこで強制的に兵士の性的な相手をさせられていました。そのことに対し日本の警察や軍隊は金さんを保護することはありませんでした。これを強制といわず、なんと言うのでしょうか。
朝鮮人女性の場合、日本の軍隊が直接脅したりしてを慰安所へ連れて行った事実は確認されていませんが、金さんのようにだまされたり、甘言を言われて連れて行かれた例はたくさんあります。そして連れて行かれた先の慰安所では逃げることもできず、性的サービスを強制させられたのです。銃剣を突きつけて連れて行ったことだけが強制ではありません。そのことがやっと分かりました。
1993年に出された河野談話はこのところをきっちりと抑えています。しかし今、慰安婦の強制があったなかったの議論は、そのことが置き去りにされ「日本軍が暴力や脅しで慰安所に連れてきたことは無かったから強制は無かった」に摩り替わっています。 (後略)
◎昨日の外国人特派員協会での橋下氏の長時間の釈明会見。「多弁を弄(ろう)する」とはこのことか…と思いました。
橋下さんが「侵略」を認めたこと、その侵略戦争で多大の迷惑をかけたことをお詫びしたことは良かったですし、また沖縄で「風俗業」を持ち出したのは米兵の性犯罪を無くしてほしいという強い気持ちからだった…という所は何とか理解できますが、その言い方が「言葉の問題」(英語が出来れば…)というよりは、本音が出てしまった表現としか思えない。また「当時、従軍慰安婦が必要だというのは誰だって分る」という言い方は、発言者が「必要性を認めた」と理解するのが普通ですので、橋下さんが誤解されたという前提で、言えば言うほど、取り繕いや言い逃れや言い訳に聞こえる…という会見だったように思いました。
NHKの夜のニュース番組の扱いが秀逸でした。各党の批判を紹介した最後が共産党の市田書記局長、「みんながやっていたから」では言い訳にもならない(というような意味だったかな?)、そのあと、「弁明と言い逃れに(特派員協会を)活用した」と。大越キャスター、「次に行きましょ!」がかなり雄弁でした。
あの場で責任の問題を問われて、橋下氏は「政治家は選挙がすべて、参院選で敗北すれば代表の座を問われることに」と。あとは、日本の有権者の常識・良識が問われることになりました。ここで、明確にNOの意思表示を維新支持者が示さなければ、非常識な政治家が日本の大阪に居るでは済まなくなります。
「石の叫び」と金福童さんのお話だけでも「軍が強制(連行)した証拠がない」「証拠がなければ・・・」とは言えないでしょう。昨日のような保身のための弁明が日本で通るようでは、「石の叫び」で女性が訴えているように、”女の地獄”はまだ続くということになります。
PS:今日の「琉球新報社説」:
橋下氏会見 政治家としての資質を疑う(2013年5月28日)
日本維新の会の橋下徹共同代表が日本外国特派員協会で一連の発言について釈明した。自らの見解を英語と日本語で公表。海外メディアに「真意」を訴えて事態の収拾を図ったようだが、その人間性があらためて問われたのではないか。
橋下氏は在沖米軍に風俗業活用を求めた発言について「米軍、米国民を侮辱することにもつながる不適切な表現だった」と正式に撤回すると表明。「謝罪を米軍と米国民の皆さまが受け入れてくださいますことを願います」とわびた。
だが県民や女性たちへの謝罪はついに聞かれなかった。米軍犯罪の防止を沖縄の風俗業に求める差別的な発想や女性を「モノ」として扱うような人権感覚に、今後も無自覚であり続けるのだろうか。
「米軍の犯罪被害に苦しむ沖縄の問題を解決したいとの思いが強すぎて誤解を招いた」と、沖縄のためを思っての発言だったというが、苦しい弁明だ。「県民の基本的人権が尊重されるよう、米軍が実効性ある取り組みを開始することを切に望む」とも述べたが、大型連休中に来県した際、県などが長年求めている日米地位協定の抜本改定を「市民運動的」と酷評していたことを指摘しておきたい。
一方、橋下氏は旧日本軍の従軍慰安婦制度は「必要だった」との発言は撤回せず、「真意と正反対の報道が世界中を駆け巡った」と説明。「一つのワードを抜き取られて報じられた」とマスコミ批判を展開したが、果たしてそうか。
最初の発言は「精神的に高ぶっている猛者集団に慰安婦制度が必要なことは誰だって分かる」だ。翌日のツイッターには、自身に批判的な新聞も「発言を比較的正確に引用してくれた」と書き込んだが、非難が殺到すると態度を一変。「大誤報」「日本人の読解力不足」と責任を転嫁するさまは見苦しく、政治家としての資質さえ疑う。
発言の修正を重ねて臨んだこの日の会見では「女性の尊厳と人権を普遍的価値として重視している」と最初とはまるで別人だったが、慰安婦に関しては、「利用」した日本は悪かったとしつつ、外国軍も同様のことを行ったと重ねて主張した。
問題解決への向き合い方が問われている自身の責任は棚に上げ、「他も同じことをやっている」と反論を繰り返していることが、海外の日本批判をさらに強めていることにもいい加減気付くべきだ。
花の写真は上から、黄色の一輪は父が大事にしていた山野草の生き残り、次は玄関先の紫のイソトマとブラキカム、藤色はシソ科のハーブ、白い小さなバラはツルバラのスノーホワイト、斑入りの赤いミニ薔薇、火鉢のプランターは冬越しのナデシコ、白い柏葉アジサイ。