「朝日の記事が無くても慰安婦問題は起きたと思う」(「報道ステーション・”吉田証言”検証」その1)


9月11日、朝日新聞社長が従軍慰安婦の強制連行についての「吉田証言」を取消し、謝罪記者会見を開いた夜、報道ステーションが検証の番組を放送しました。その時、最後にコメントした産経新聞の客員論説委員氏の言葉が「朝日の記事が無くても慰安婦問題は起きたと思う」という言葉でした。
朝日の「吉田証言」の記事に対して最初に虚偽ではないかという記事を書いたのが産経新聞だったこともこの番組で知りました。その産経新聞の方がこういう言い方をされるのは・・・とても印象に残りましたし、あとお二人の言葉も覚えています。一人は河野談話作成に関わった石原信雄(87)氏の「吉田証言は当時から眉唾もんだとして怪しいと感じていた。河野談話は吉田証言を根拠に強制性を判断したのではない」。 もうお一人は元外交官で今は京都産業大学の教授東郷和彦の「強制連行のあるなしにこだわっている日本は世界と本当に落差がある。今、世界が女性の戦時性暴力は人道に対する罪と考えているのが解っているのかとアメリカで言われた」。
ところが、日本でのその後の進み方は、朝日たたきと、吉田証言が取り消されたのなら慰安婦問題もなかったことになるという方たちの意見が蔓延です。先週の「たかじんのそこまで言って委員会」でも、司会の辛坊氏がわざわざケビン・メア氏に発言させていました。あの番組の常連さんお気に入りのメイア氏の意見(世界の常識的意見)でさえ、一同、聞く耳持たずという感じでした。ざこばさんが意外と元気がなかったようですが、意見はありませんでした。(*ケビン・メア国務省の東アジア・太洋局にて日本部の部長を務めていたが、舌禍事件により、依願退官した。先日のNHKの武器輸出問題の番組でも、民間企業のコンサルタントとして取材に応じ「日本側の追跡なんかアメリカはさせませんよ」と発言していました。)
私は朝日の「吉田証言」については読んだ記憶がありませんし、90年ごろからは読者でもないので、それ以後の吉田証言についても知らないで来ました。幸い、途中から録画したものが残っていましたので、今週に入って見直してみました。よく整理されている内容だと思いましたので、文字起こしをして、いつものように私なりにまとめてみます。
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1983年に、済州島慰安婦を強制連行したという吉田清治氏(1913〜2000)の著書が出版された。
その内容は虚偽であった。なぜ、嘘を書いたのか? 
息子さんの話でも、満州時代の話もよく聞いたし写真もあるが、済州島の話は聞いたことが無いし写真もないとのこと。
1992年4月30日には、産経新聞が「吉田証言裏付けなし」の記事を掲載。
テレビ朝日では1991〜93年にかけて「ザ・スクープ」で5回取り上げ「強制連行はなかった」とした。
朝日新聞では計16回記事にした。1997年3月31日、「真偽は確認できない」とし、今年2014年8月15日、「虚偽と判断」して記事取り消し。
9月11日、朝日新聞社長伊藤尹量(ただかず)氏が謝罪の記者会見。(それにしても時間がかかっているのは本当に不思議です)
★そこで、”デタラメ”(古館氏)と分った吉田証言が1993年(平成5年)8月4日の河野談話に関係(影響)があったのかを検証。
河野談話の全文を掲げたパネルの関係部分をカメラがアップ:

慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

早速自民党からは「吉田証言が無ければ、河野談話の信憑性が問われる」との声が上がっている。
「吉田証言」が日韓関係に与えた影響は?

○毎週水曜日、ソウルの日本大使館前では元慰安婦への謝罪や賠償を求める抗議集会が20年以上続けられている。中心となっている「挺身隊問題対策協議会」の初代代表尹貞玉(ユン・ジョンオク)(90)さんに聞く:「吉田氏の著書は勿論読んだし、会ったこともある。この人の話はほとんど信じました。しかし一寸誇張された部分がある。文章に書く時誇張する人もいますから。新聞にも取り上げられたし、影響がなかったとは言えない。」

91年に事態は大きく動いた。故金学順(キム・ハクスン)(当時66)さんが初めて元慰安婦の名乗りを上げた当時日本政府は軍の関与を否定。慰安婦については民間の業者が連れ歩いていたと説明していた。金ハクスンさんはそれを聞いて怒り名乗りを上げる決心をしたという。
この年12月にはほかの元慰安婦とともに日本政府に補償を求めて裁判に訴えた。翌92年に宮澤総理の訪韓を控える中、謝罪を求めるなど日本への批判が一気に高まった。
「吉田さんの本が出たことによって慰安婦の方が名乗り出やすくなったか?」挺身隊問題の初代代表尹ジョンオクさん:「それは違うと思います。ハルモニたちが名乗り出したのは宮沢首相の時です。宮沢総理が謝罪のために韓国に来ると思ったのです。だから、なかなか表に出なかったハルモニ(おばあさん)たちがたくさん名乗りでました。」


慰安婦問題が外交問題
韓国元外務省アジア局長の金錫友(キム・ソクウ)氏:「外交問題として解決を迫られるほど韓国の世論が大きくなってしまった。歴史的真実が何なのかを確認してほしいというのが我々の要請でした。」た
1992年、慰安婦に関する韓国の中間報告書には吉田証言が引用されている:「アフリカでの奴隷狩りと似たような手法で人間狩りで慰安婦を補充したりもした。」
<「吉田証言」の影響は?> 金氏:「なかったとは言えない。韓国では強制的に連行されたという事は事実としておおむね知られていました。従って吉田証言によって基本的な事実関係が左右されることはありません。当事者や目撃者の証言をなるべく多く収集して全体的に見て強制性があったと判断した。」

○韓国側は日本に慰安婦の募集に強制性があったことを認めるよう求めた。これに対して、1993年8月、日本政府は、騙されるなど『本人たちの意思に反して集められた事例が多くある』と強制性を認め謝罪ーこれがいわゆる河野談話だ。
○実際、当時官房副長官として河野談話の作成に関わった石原信雄(87)氏に「強制性を調べる際、吉田証言を根拠にしたのか?」を聞いた。
「あれ(吉田証言)は眉唾もんだというような議論をしていましたね、当時から。政府の関係者としては、かなり怪しいという感じは持っていたようだ。全体の慰安婦問題についてのムード作りというのでしょうか、反日運動に力を与えたという事はあったんじゃないかと、直接的な話じゃないですけどね。そういう間接的な影響はあったんじゃないかと私は思っておりますけれども吉田証言をベースにして韓国側と議論したという事は私はありません。私は繰り返し申しますけれども河野談話の作成過程で吉田証言を直接根拠にした強制性を認定したものではない。」
○実際調査に当たった政府の慰安婦調査担当者:「私たちは吉田さんに実際会いました。しかし信憑性が無く、とても話にならないと全く相手にしないことにしました。」
当時の政府関係者によれば、河野談話の焦点は”日本軍が強制連行したかどうか”ではなかった。あくまで慰安婦となった女性たちが”意に反して集められたかどうか”が焦点だったとしている
では日本は、どのような調査を行い、何を根拠に”強制性”を認めるに至ったか? ”強制性”を認める根拠は?
石原信雄氏:「「政府としてはその”意に反する形で”慰安婦を募集したという事があったのかなかったのか、これは非常に重大な問題ですから、再度全省庁督励して同時の戦中の資料の発掘調査を行ったわけです。初めは各省の倉庫、書類その他を調べたんですが、それだけでは不十分ということで都道府県の公文書館とか、さらにはアメリカの公文書館とか、あらゆるところに手を伸ばして当時の資料を集めたんですが、ま、最終的には慰安所の運営につきまして深く政府が関わっておったと、それから、慰安婦とされた人たちの輸送とかについても政府が関わったと、輸送について安全を図ってほしいとか、あるいは慰安所の運営について衛生管理、あるいは治安の維持をしっかり頼むという趣旨の文書は出てきたわけですね。」
集めた資料は230点以上に及ぶ。外交文書や決算書なども含まれる。石原氏は調査の結果、「慰安所の設置や運営について当時の軍が関わったことは明らかになったが、意に反する形で慰安婦とされたのかどうか直接裏付ける資料はでてこなかった」と話す。しかし、政府は韓国側の要請に応じて16人の慰安婦からの聞き取り調査を行う決断を下す。
宮澤内閣としては最終的に当事者の話を聞いて、その話の心証から強制性の有無を判定することが必要だという風に決断したわけです。これは大きな政治決断だったと思いますね。」
○結局、証言の内容が”意に反して慰安婦となった人たちがいた”ことを日本は初めて認めた
石原氏:「当時の軍が募集を業者に委託しました。その業者が直接募集にあたったわけですが、その募集の過程でかなり強引な募集が行われたことがあったようです。ですから結果的に脅かされたとか、騙されたとか、あるいは当時の官憲ですね巡査なんかが関わってかなり強制的に慰安婦に応募させられたという人がいるということが証言から否定できないということになりまして、その点を踏まえて河野談話では、総じて意に反する形で(慰安婦と)された人たちがいるという事を認めたわけです。」
○当時の金泳三(キム・ヨンサム)大統領は、河野談話を評価したという。

「金泳三大統領も河野談話を認めていたか?」
元外務省アジア局長金ソクウ氏「そう聞いています。」
強制性があったという事を認め、それに対して謝罪するという表現が河野談話には盛り込まれているでしょう
そのことを勇気あるものとして認めたのでしょうね。」
石原氏:「韓国側も、一応日本側が強制性の認定をしたわけですから、これで了として、これからは日韓未来志向で行きましょうというムードでしたですね。」
☆続いて国連人権委員会のクマラスワミ報告について、「吉田証言」の影響を検証ー(つづく)