本日、「歴史責任、負うべき」に次いで二つ目です。
3月17日の今日、関西電力の美浜原発1,2号機、日本原電の敦賀1号機の廃炉が決まりました。
丁度お昼過ぎの毎日放送「ちちんぷいぷい」で取り上げていましたので慌てて写真を撮りました。並べてみます。
美浜の原発は1970年の大阪万博に電気を送ったのでした。当時は大歓迎で負の部分を問題にすることはなかったはずです。あれから40数年です。
「何故このタイミングで?」という問題提起で解説をしています。
◎日経デジタルの記事を貼り付けます。
関電、美浜2基の廃炉決定 日本原電の敦賀1号機も 2015/3/17 10:27 (2015/3/17 12:42更新) (http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ17H5W_X10C15A3MM0000/)
関西電力は17日午前の臨時取締役会で、運転を始めて42年以上の美浜原子力発電所1、2号機(福井県)の廃炉を正式に決めた。規制基準を満たすには1000億円超の安全投資がかかる。出力が50万キロワット以下と小さく、費用に見合う効果を得られないと判断した。原発専業の日本原子力発電も同日午前に取締役会を開き、敦賀原発1号機(同)の廃炉を決めた。
写真:関西電力美浜原発2号機(手前)と1号機(福井県美浜町)=共同
東日本大震災後に東京電力以外の国内原発の廃炉が決まるのは初めて。関電の八木誠社長は福井県庁を訪れ、廃炉の方針を西川一誠知事に説明した。そのうえで「具体的な廃止措置計画をできるだけ早期に作成したい」と述べた。西川知事は「安全確保が何より重要」と、県と関電が廃炉事業を協議する場を設けることを提案し、八木社長も合意した。
八木社長は会談後、美浜3号機と高浜1、2号機の再稼働を午後に原子力規制委員会へ申請する予定であることを記者団に明らかにした。
日本原電の浜田康男社長も同日午後に福井県庁を訪問し、廃炉の方針を報告する。敦賀1号機は1970年に営業運転を始め、国内の現役原発で最も古い。出力も35万7000キロワットと小規模で効率も良くないため、廃炉を検討していた。<後略>
(引用元:http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ17H5W_X10C15A3MM0000/)
歓迎ムードに包まれた船出だったが、運転を始めると原子炉の熱を取り出す冷却水漏れなどのトラブルが続出、国や電力会社から「放射能は一滴も漏らさない」と聞いていた地元民に不安が広がり始めた。
拍車をかけたのは、両原発で相次いだ「事故隠し」だった。76年には、美浜1号機で原子炉内の燃料棒が折れた事故が、4年近く公表されていなかったことが内部告発で発覚。敦賀1号機でも81年、放射性廃液が漏れ、海に一部流出した事故を隠していたとされ、批判を招いた。
市民団体「原子力発電に反対する福井県民会議」幹事で元美浜町議の松下照幸さん(66)は「流出事故の発覚後、魚や海産物がぱたりと売れなくなった。『事故隠し』『風評被害』など負の部分でも全国の原発の先陣を切る形になった」と振り返る。その後も、91年に美浜2号機で細管が破断し、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動するなど事故は続いた。 2010〜12年、3基はともに運転40年を迎え、それぞれ運転を延長する方針が示されたが、11年3月に起きた東京電力福島第一原発事故が、こうした方針をすべて覆した。国が原則として運転期間を40年と規定し、古くて、出力の小さい原発は淘汰されることになった。
廃炉決定について松下さんは「廃炉作業は何十年もかかる。国や関電が放射性廃棄物の扱いなどをどうするのか。今後も提言していく」と表情を引き締めた。