同窓仲間とシールズ「絶望も捨てたもんじゃない」

内田樹氏の少し前のツィート欄より:

茂木健一郎 ✔ @kenichiromogi
議論の実質を一切顧慮せず、「審議時間」がx時間あれば、論点が尽くされる、という形式主義は、講義の内容を一切顧慮せず、「授業時間」がx時間あれば、単位を与えて良いという形式主義と同じですね。どちらも、本質は反知性主義である。

◎先週の土曜日は、来月の合同同窓会の一中と二中の合同打ち合わせ会でした。一中さんは、5年ごとにキチンと開いておられて、毎回同じ幹事さんが至れり尽くせりの準備をしておられます。一方、前回から2、30年ぶりの我が二中幹事は、4人ともボランティア?精神旺盛、悪くいえばエエカゲン、会費で賄えることしかする気はないし、ひょっとすると写真と郵送料は4人で負担覚悟ですので、一中さんと違って打ち合わせのお茶代の領収書など残しておく気もなし(どうせ自己負担と割り切ってる)。で、先生の送り迎えも自前で幹事の一人がすることに。元気な先生には電車で来ていただくことにも。人数も、心配するほどのことはなく、5年ごとにやっている一中さんと10人ほどの差、なら上等、上等、と打ち合わせはお仕舞にして、世間話になりました。
そこで、誰ともなく、私たちはいい時代だったということに。何もない時代を親は体験したけれど、自ら戦争中を体験したわけではない。そして、戦後の民主主義教育を受け、所得倍増、家族も一応バラバラという訳でなく、親戚づきあいもほどほどに残り、かつ個人主義的な生き方も貫こうと思えば楽に貫くことが出来る時代。貧しくても努力すれば報われる時代を経験してきました。良い時代を生きてきた、今の若い子は可哀想という話になりました。

ところが、東久留米日記さんのブログでこんなツィートの紹介がありました。

■はな ‏@run_bun
このSEALDs のインタビュー、すごくいい
特に絶望の予感で胃に穴があきそうになってる先輩方に効き目ありそう。

【温かく緩やかな「ユナイト」の兆し】http://www.ele-king.net/interviews/004679/index.php … @___ele_king___


◎これ、読んでみると、「特別な1日」のSPYBOYさんが、11日のブログで紹介されていたのと同じシールズのインタビュー記事でした。
インタビュアーが1962年生まれの水越真紀さんという”ライター、編集者”。インタビューを受けるのはシールズのメンバーで、1992年生まれの3人と1995年生まれの1人です。タイトルは、水越さんのプロローグから来ています。そこの箇所から:

 デモで政治を変えられるか? 橋下某に言われなくたって、そんなの無理だと分かっている。だけどデモに変えられるものはたしかにある。それは人びとの、つまり「主権者」の考えや心だ。そして、つまるところそれだけが民主主義を護っていく。
 イラク反戦デモをやっていた時、日本のデモはしょぼかった。警察がデモ隊の隊列を250人ずつに分けさせるのでしょぼく見えたということもあったけど、全体の人数だって欧州の都市に比べたら全然少なかった。それでも、世界のどこかでもっと巨大なデモが起きていることが遠い国の私の勇気にもなった。そういう効用がデモにはある。ので、私はなるべくデモの「アタマ数」になろうと思ったのだった。


 「シーズルのデモは新しい」と言われる。この15年くらいだけど、アタマ数になって来た私から見れば、いつのデモだって新しかった。やってる人たちだって若くなっていってた。「左翼は互いの違いについて語り合うばかりで、ひとつにユナイトしないから勢力を失い、世の中を変えることが出来なくなった」(ブレイディみかこ『ザ・レフト』)──これは英国の映画監督ケン・ローチの言葉だと言うが、日本でもまったく同じだいつだって新しいデモがでてくるたびに、なんだかんだと“苦言”が登場するんだ。


◎シールズのリーダーたちは、その”苦言”を浴びているんでしょうね。13日のデモで、前を歩いていた若く見える女性が、「今の若い子たちは偉いね〜よく気配りが出来てる」と。シールズのスタッフが、「歩いていて街頭から挑発行為があっても冷静に、何かあったらスタッフに」という呼びかけを聞いてのことでした。よくやっていると思います。さて、「大学生の彼らの、高校生のデモ参加者への視線が、大人たちのSEALDsへの視線と重なり、温かく緩やかな「ユナイト」の兆しに思えた」というプロローグの締めくくりで始まるインタビューですが、イラク反戦デモ時代の『頭数の一人』だった聞き手の水越さんの視線も温かく緩やかです。
◎このインタビューを読んで、71歳の同窓生同士、「私たちは良い時代を生きた。今の若い人は可哀想」と思ったことが間違いだったのではないかと思いました。インタビューでは、もちろん安保法制についての詳しい反対理由がシッカリ述べられていますが、絶望しない、あるいは絶望の中から立ち上がるという彼らの生き方に感心しました。最後の質問の箇所から一部を:

(水越)──最後の質問ですが、おそらくはまもなくこの法律は成立してしまうと思います。だけど、その時に絶望しないために必要なことってなんだと思いますか?


奥田:これで通って絶望する人って本当にいるのかなあ絶望したってポーズをする人はいるだろうけど…。だって日本社会でももっともっと悲惨だったことっていっぱいあるじゃないですか。もともと声を上げようが上げまいが通ると言われていたわけだし。だって絶望的な社会でしょ、そもそも。


 たとえば俺たちが生まれたのは90年代の初めで、バブルは崩壊してた。小学校の時に見せられたのがホリエモンのビデオで、「ホリエモンみたいになりなさい」って言われた(笑)。社会が相手にしてくれないから、自分で生きていくしかない。
<中略>



牛田:で、だけど俺らは悲惨じゃない、というところを説明した方がいいよ


(水越)──あ、悲惨じゃないの?
奥田:だから逆にいうと、悲惨なことがスタンダードであって……
牛田:そうそうそう。

小林閉塞感のネイティヴなんだよね

水越)──閉塞感のネイティヴなんだ

牛田:超いい言葉、それ。

奥田:バブルから経験してそれがあった、というんじゃなくて、生まれた時からずっとダウンだった。で、ダウンの中で面白いものあるよね。

牛田:ダウン極めて行くと面白いよね(笑)。大人が絶望絶望言ってると、「分かった分かった」って。俺ら最初からそれだったから。最底辺から始まってるんで、あとは上がるしかないっしょ。

◎大人、それも70代のお爺さんお婆さんが(と本人は思ってないんですけど、一応年齢的には・・・)が、”若いは人は可哀想”なんて、したり顔で言うもんじゃありませんね。今の若い人の方がウンと大人です。参りました。逞しくって嬉しいぐらいです。日本の未来を悲観してる場合じゃないと思いました。

(水越)──高3で何が起きたの?
奥田・牛田震災ですよ

奥田震災が起きた時に、どんな映画とかどんな小説よりも断然、現実の方が悲惨。そのあとには、「日本社会はありとあらゆるものが終わった」みたいな話がポーズにしか見えなくなった。


牛田:そうそう。でも国会前に来てる人で絶望してる人はいないと思うんですよ。だってあんだけ、若い人たちが国会前にいて、当事者として、主権者として、この社会を見直そうとしてるんでしょ。もう希望しかねえじゃん、って俺は思ってる。

<中略>

(水越)──絶望も捨てたもんじゃなかったんだ。
奥田今日、高校生がコールしてたけど、彼らはもうこういうことすらいわないんだろうなって思う。社会が絶望的で、とか、バブル崩壊がどうしたとか。 内向的で鬱屈的な高校生とか、俺らが読んでたものにはスタンダードだったけど、あの子たち見てると、もうこれが当たり前で、絶望的な中でも、また絶望しても立ち上がれちゃう
ただ、少子高齢化とか年金のこととか、くそみたいなことばっかりだけど、それが新しい状況とも思わないんだろうな。

(水越)──SEALDsも、安保法制だけで終わる予定ではないんですね?
奥田:そうです。安保法制が通ろうが通るまいが、主権者であることには変わりないし、民主主義の問題は俺たちの問題であることも変わらない。安保法制だって、通ったあとも俺たちの問題なんですよ。次の選挙も、結局その主体は俺たちなんだと、そのことが信じられるんであれば、絶望する必要ないでしょう。まだやることいっぱいある

◎23歳の青年が高校生を見る目は、10年ひと昔ではなくて5年ひと昔ですね。それぞれが、与えられた条件の中で、受け止め、受け入れ、一生懸命前向きに生きていく。今までも、そうやって来たのだと思います。私たちだって、前人未到の長寿社会を、この先何年かすれば後期高齢者として生きていかなければなりません。生まれた時代を比べない。そういう意味で皆同じ、公平、対等ですね。
(写真は庭の花:次々と咲き続けるトラノオと白いジンジャーの花、北側の寄せ植えの鉢から下垂して咲く瑠璃色の花、名前は・・・何だっけ? 蝶の形をした花は確か白蝶花だったか、そして、春先に次いで少し涼しくなって咲き始めた黄色いアンデスの乙女、この花も蝶に見えなくもない。)

平川克美さんがリツイート


時安邦治 ‏@opalpanda · 2時間2時間前
公聴会を開いたその日に審議打ち切りなんだったら、何のために公述人を呼んで意見を聞くんだ、と。「聞きました」というだけの、まったく形骸化した儀式だよね。そもそもの制度の趣旨を踏みにじっている。こういうあからさまな反民主主義的姿勢をもはや内閣は隠そうともしない

平川克美 @hirakawamaru

安保関連法案と憲法は相容れない。安保法案が可決されれば、事実上憲法の非戦条項は死文化するだろう。しかし、次の総選挙で安保法案の廃案決議をすれば、日本は米国から受け取った憲法を、自ら選び直したことになる。強行採決の日は、その始まりの日だともいえる。


Retweeted by 内田樹