京都新聞「"面倒に関わりたくない" 公が圧力、委縮する表現」


内田樹氏のツィート欄で京都新聞の7日の記事の紹介がありました。この中に京大憲法学者の「憲法は、臆病者の勇気を守り、変人になることも保障する」というのが紹介されています。
これを読んで、20年程前、「ワイルドスワン」を読んだ時のことを思い出しました。文化大革命のさ中、紅衛兵の迫害を耐え忍んで貫く人が描かれていました。小中の同窓生の友達がその本を返してくれる時に言った言葉が、「俺らはこんな英雄とちゃうからな、こんな時代になる前に反対せなアカンな〜」と彼は言いました。
そうなんですね、臆病で変節で変な人を守るのが憲法であり、そういう人たちの存在を保障する社会でなければ、あの時代になってしまうんですね。最後の項目「”臆病者”を守る」がとても良かったです。

「面倒に関わりたくない」 公が圧力、委縮する表現
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20160507000074


(「電波停止」発言に抗議するジャーナリストたち(右下)と三宅裕一郎・三重短大教授(右上)と昨夏、京都大で開かれた安保法反対集会(左)のコラージュ )



安保法の審議で国会が紛糾した昨年、全国の大学で法の違憲性を訴える有志の会が結成された。強行採決で国会が幕引きした3カ月後、ある地方議会で追及が始まった。


 「即時活動停止を求めたい」。昨年12月の津市議会本会議。保守系市議が語気を強めた。追及したのは市立三重短期大の教員が有志の会をつくり、法の廃止を求める市民団体の事務局を学内に置いて短大の電話番号などを連絡先にした行為。市議は、公立私立を問わず学校や、公務員に対して政治的中立と政治活動禁止を定めた教育基本法人事院規則違反と述べた。「教授は罷免や」。議場にやじが飛んだ。


 有志の会を呼び掛けた一人で、研究室に市民団体の事務局を置いたのが三重短大教授の三宅裕一郎(43)。9条と安全保障を専門にする憲法学者だ。培った知見を基に「安保法=違憲」と考え、平和主義尊重を訴える集会で法の矛盾や市民生活への影響を訴えた。


 学長の東福寺一郎は、教員の活動は研究活動の一環で、憲法が保障する学問の自由に照らして政治的中立性に抵触しないと報告した。すると3月議会で別の市議が学長の不信任動議を提出。市も教員の活動や施設利用を調査する委員会の設置を決めた。市議たちの言葉は激しさを増した。「団体に呼ばれて同じ主張を講演したのは団体の支持そのもの」「拡声器で法反対を主張するのが市民や学生の求める教職員の職務なのか」



■「中立」が一人歩き


 有志の会メンバーが市民向け学習会を開くたび、短大に「公共財産で政治活動をしてもいいのか」などと電話がかかる。教員30人のうち26人が有志の会に賛同したが、市議の追及後、「面倒に関わりたくない」という雰囲気が出始めたと三宅は感じている。何より大学人の政治的発言への偏見が市民や学生に広がるのを懸念する。「社会科学の領域に無色透明の言説と実学的貢献だけが求められるなら、政府の公式見解しか残らなくなる。なのに『中立』の言葉が一人歩きして特定の言論を制約するマジックワードになっている


 表現への介入、異論に対する不寛容がコトバの萎縮を広げている自民党はテレビ各局に「公平中立な」選挙報道の要請を強め、総務相高市早苗は局の電波停止にまで言及した。安保法論議が高まった昨年来、兵庫県姫路市の広場や立教大など各地で政権を批判する集会への会場使用拒否が出始めた。気に入らない意見を集中攻撃する「炎上」がネットにあふれ、近年はイルカ漁や靖国神社を取り上げた映画の上映中止が相次いだ。


 自民党が4年前に公表した改憲草案は、表現の自由の制約要件を、現憲法の「公共の福祉」に代えて「公益及び公の秩序」とした。「公益」に対しては、恣意(しい)的な解釈によって今より広い表現規制が可能になる危険性を多くの法律家が指摘する。



■権力に好都合
 

「僕も違法行為ということになるんでしょうか」

 京都大で安保法反対の有志の会を立ち上げた一人で京大人文科学研究所准教授の藤原辰史(39)は苦笑する。三宅同様、法の違憲性を問う市民集会に参加し、法反対を訴える。会結成の動機の一つは作家百田尚樹の「沖縄2紙はつぶさないといけない」発言だった。「優れた言論や芸術は現実を越えようとするカウンター(対抗)にある。後世に残る表現は御用学者や御用芸術家から生まれない」


 藤原の専門は農業史。特にナチスドイツの食料事情を研究してきた。近著「ナチスのキッチン」は、食料自給や兵士養成を目的に残飯利用などを国民に強要した食料政策を追跡した。


 ごみ箱まであさって順守を確かめるやり方に市民の多くがナチス党員に文句を言ったが、不平をこぼす人への弾圧はまれだった。半面、ナチスは社会的な意見表明を徹底的に取り締まった結果、無関心が社会を覆い、ドイツは粛々と第2次大戦に突入した。「日本もかつて検閲があったが、検閲より恐ろしいのが自己検閲自分に関係ないならリスクを負うより黙っておく自制が権力に最も好都合だ。今は威嚇を使って自分で自分の言葉を刈り込ませる



■“臆病者”を守る


 京都大教授毛利透(49)はなぜ民主主義に表現の自由が不可欠か問い続ける憲法学者だ。誰も聞いてない街頭演説、捨てられるビラを配る行為は無意味にも見える。なのに、政党紙配布事件最高裁判決が「精神的自由は民主主義を基礎付ける重要な権利」「(公務員の政治行為禁止は)必要やむをえない限度に範囲が画されるべき」と明確に述べたように、なぜ憲法学説は表現の自由に優越的地位を与えるのか。その説明に毛利が重視するのが「萎縮効果論」だ。


 毛利は政治哲学者アーレントの論を援用する。政治的意見を公にする人は、見返りもないのに社会の矛盾に耐えられず異議を申し立てる“変人”。脅されれば引っ込む臆病者でもある。だが臆病者こそ真の勇気を持てる。多分この勇気があっても世界は変わらない。でもそれがないと世界が変わることはない


 民主主義の根幹は臆病者同士でより良い社会を目指して議論をする不断の営みにある。だが、「公益」によってあるべき社会の“かたち”が前もって決められる恐れがある点に改憲草案の問題点を見る。


 「臆病者の勇気をくじいてはならない。誰でも変人になれると保障するのが憲法

 =敬称略

【 2016年05月07日 17時00分 】


◎ツィート欄に解りやすい表がありましたので、ついでにコピー。日米仲良く高負担です。
貧困問題が想像以上に深刻なことに驚きますが、教育の機会均等も、高等教育にお金のかかる日本では、実現されているのでしょうか。貧乏人は充分な教育も受けられなく、親子二代、三代へと貧困の連鎖が続くことに。三浦朱門さんのエリートは少数で良い、残りは従順でさえあれば、の政策が功を奏しているんですね。その上、大金持ちは税金逃れに精を出し、貧乏人はなけなしの生活費からも税金は取られる。老後貧困も待っているし、日本もフランス革命前夜になりそう(?)

内田樹さんがリツイート


舞田敏彦 ‏@tmaita77 · 2015年4月3日
高等教育費の公私負担割合の国際比較。国によって大きく違う。日本は,家計に負担を強いる「私費負担型」。北欧は「公費負担型」。

子どもの貧困について:
☆「ほのぼの日記」さんの「今、6人に1人の子供が貧困だという」(http://d.hatena.ne.jp/miyotya/20160506
朝日新聞デジタルの「3歳児「おなかすいて、盗んだ」 両親は借金背負い不在」(http://digital.asahi.com/articles/ASJ4C3DS1J4CPTFC006.html?rm=439#Continuation