城崎から玄武洞・出石へ…そして「憲政の神様」斎藤隆夫

10月13日金曜日。雨は降らず曇り。
旅館の前の小さな赤い橋を渡ると
奥にお寺が見えます。
山門のところで翌日のお祭りの
御輿の飾りつけをしています。
「西国薬師霊場第二十九番」の
大きな札が下がっている薬師寺です。
境内に入って少し歩きましたが、
ここから町へ向かいました。


途中、元湯があって湯けむりが上がっています

山陰本線城崎温泉駅
すぐ横にある駅舎温泉。
すぐそばに与謝野鉄幹、晶子の句碑が。
駅前は広場になっていて温泉が飲めます。
「城崎にて」を書いた島崎藤村の句碑も。
←大屋根の建物が駅舎温泉。
ここから城崎文芸館を通って
桜橋を渡り、川沿いに桜が植わっている道を辿り
また橋を渡って元の道へ
一時間の散歩で、さて、次の目的地出石へ。

その前に、もらったチラシの右下にある玄武洞へ寄ってもらうことに。
円山川を渡って少し行くとすぐでした。手前で車を置いて少し歩く。
円山川沿いに玄武洞と書いたところがありました。
母が出がけに時間があったら玄武洞へ寄ったらと勧めてくれました。
俳句の仲間で城崎へ寄る途中で、舟で玄武洞へ行ったとのことでしたので、ここが船着き場だったかも。
帰ってから聞いた話ですが、ここに俳句の先生の伊丹三樹彦夫妻の句碑があったのだそうですが、気づかなかった。

玄武洞。大きさがわかるように先客のカップルも一緒に撮ってみました。噴出した溶岩が冷えて固まるときの節理がはっきりと見えます。タモリさんが喜びそうと義妹と二人で。左から縦、斜め、横。下には崩れた大きな石ころが転がっています。

天然の石材みたいなのがゴロゴロしています。この玄武岩で城崎の川の堤ができています。上の写真の左の石垣もこの玄武岩の石ころを積んだもの。
隣の青龍洞も見て帰ろうということに。こちらはまた凄い!!


↑左上と右端の赤い蔦あたりに六角形の鉛筆みたいな断面がきれいに見えます。
さて、出石(いずし)を目指して出発です。ちょうどお昼ごろに到着。出石城跡近くの西の丸駐車場に車を止めて、街中へ。
お城の登城門前からメインストリートの豊岡市役所前を歩きました。大きな辰鼓楼(しんころう)は修理中で防護膜に覆われていました。

義妹がネットで4つ星の皿そば屋を探して目星をつけて街はずれへ向かうことに。若い方たちはこうやっておいしいお店を探すんですね〜。
先客は一組だけで、静かな佇まい。私は暖かい山かけそばを注文。夫はにしんそばで体を温めてから皿そばを注文。うどん派の私たちですが、とても美味しいお蕎麦でした。

ここで、義弟の提案で二手に分かれ、一時間後駐車場に戻ることに。義弟は地酒を選びたい、義妹はバッグを手に入れたい。私たちは義妹についていくことに。駐車場の近くにカバンと丹後ちりめんのお店があったのでそこへ向かいました。私は革製の小さめのバッグを購入。
2時頃、出石を出て、箕面へ。このまま福知山から福井経由で石川県へ帰れば早いのに、わざわざ大回り、ありがたいことです。途中、一部を義妹が運転を代わって、5時ごろ、箕面のわが家へ。今度は我が家へは入らず、隣の父の顔を見に寄ってもらうことに。母も予定より早く帰ったのでびっくり。賑やかな珍しい人の訪問に父も喜んでいました。しばし歓談後、義弟夫婦たちは車へ。3人で見送ることに。二人も無事9時ごろには加賀市着。
出石は、見るところが一杯過ぎて、結局、おそばを食べただけに終わってしまいました。桂小五郎が潜伏していたとか、その潜伏先を司馬遼太郎が訪ねたとか逸話もたくさんあるようです。
帰りの車の中で、確か、あの、反軍演説をした斎藤隆夫もここの出だったはず・・・と、そば屋さんでもらったガイドブックを探してみましたら、ありました! やはり、斎藤隆夫の出身地でした。今度、出石を訪ねたら、斎藤隆夫の記念館、静思堂を訪ねよう。

「憲政の神様」斎藤隆夫、いみじくも立憲民主党が新しくできた選挙戦のさ中、昔のブログを思い出して読み直してみました。
斎藤隆夫(1870~1949)は弁護士で政治家。現在の兵庫県豊岡市出石町中村に斎藤八郎右衛門の次男として生まれる。旧制東京専門学校(早稲田)卒業後、弁護士となり、アメリカのイエール大学に留学。帰国後の1912年(明治45年・大正元年)に立憲国民党より総選挙に出馬、初当選。昭和11年の2.26事件直後には「粛軍演説」、開戦前夜、昭和15年(1940年)には反軍演説。一か月後、議員の圧倒的多数の投票により衆議院議員を除名。演説内容は議事録から削除。しかし2年後の翼賛選挙で非推薦ながら兵庫県5区からトップ当選で衆議院議員に返り咲く。戦後、1946年(昭和21年)に第1次吉田内閣の国務大臣として初入閣。(主にWikipediaより)

NHK/BS「英雄たちの選択」斎藤隆夫
1)開戦前夜の「反軍演説」(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20141224
2)2・26事件直後の「粛軍演説」(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20141225
3)「反軍演説」すべきか否か(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20141226
4)「反軍演説」と戦後の斎藤隆夫http://d.hatena.ne.jp/cangael/20141227

◎今選挙前でもあるので、次のくだりを引用しておきます:

「請看百年青史上」=百年後の歴史の上を見てくれ、「正邪曲直自分明」=正しいか間違っているか自ずから明らかになるだろう。逆に言うとこれは百年後の日本国民を彼は信じていたわけですよ。
 政治家をどう選べばよいかー 斉藤の残した言葉を聞くと「国会議員には知識と道徳が要るんだ」と。だけど「知識も道徳もない人間が往々にして議員になってしまうんだ」と悔しそうに言うんですよ。ここは大切で、日本人はスローガンに弱いんですよ。何か言うとすぐするスローガンより、僕は自分が選ぼうとしている人が誠実であるか、ずるいことをしないか、知識と道徳を持っているか、これが大切だと思いますね。