◎昨日の土曜日、沖縄では7万人が集まって辺野古NOの県民大会が那覇市で開かれました。
7月27日の承認撤回記者会見が翁長知事の”白鳥の歌”となりました。この中には、翁長氏の知事としての思い、沖縄県民としての思い、そして日本の置かれている位置、そこで進むべき日本の道についても述べています。
また記者会見では、最後の機会に県民や国民に伝えたいこと訴えたいことが繰り返されています。
ぜひ、全文を読んでみてください(引用元:琉球新報:https://ryukyushimpo.jp/news/entry-769882.html)
翁長雄志沖縄県知事の承認撤回表明記者会見の全文(記者との質疑応答含む)
2018年7月27日 18:12
翁長雄志沖縄県知事が27日午前10時半、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設について、前知事の埋め立て承認撤回を表明した臨時の記者会見での発言全文(記者との質疑応答含む)は次の通り。
「はいさいぐすーよー、ちゅうがなびら。
発表事項に入ります前に辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票条例の署名活動が7月23日に終了し、主催者によると中間集計で必要署名数約2万3千筆を大きく上回る約7万7千筆もの署名が集まったとのことであります。
署名活動に取り組まれた皆様のご努力に心から敬意を表するとともに、政府におきましてもこれほど多く県民が署名を行った重みについてしっかりと向き合ってもらいたいと思います。
東アジアにおきましては南北首脳会談、あるいはまた米朝首脳会談のあとも、今月上旬には米国務長官が訪朝をし、24日にはトランプ大統領が北朝鮮のミサイル施設解体を歓迎するコメントを発するなど朝鮮半島の非核化と緊張緩和に向けた米朝の努力は続けられています。 このような中、20年以上も前に決定された辺野古新基地建設を見直すこともなく強引に押し進めようとする政府の姿勢は、到底容認できるものではありません。私としては平和を求める大きな流れからも取り残されているのではないかと危惧していることを申し上げた上で発表事項に入らせていただきます」
【知事コメント「聴聞手続きに関する関係部局への指示について」読み上げ】
「本日、辺野古新基地建設にかかる公有水面埋め立て承認の撤回に向けて、事業者である沖縄防衛局への聴聞の手続きに入るよう、関係部局長に指示をしました。
辺野古新基地建設にかかる公有水面埋め立て処分には、『環境保全および災害防止に付き十分配慮』という基幹的な処分要件が事業の実施中も維持されるために、事前に実施設計や環境保全対策等について協議をすることや、環境保全図書等を変更する場合には、承認を得ることなどを事業者に義務づけて留意事項を付しております。
しかし沖縄防衛局は、全体の実施設計や環境保全対策を示すこともなく公有水面埋め立て工事に着工し、また、サンゴ類を事前に移植することなく工事に着工するなど、承認を得ないで環境保全図書の記載等と異なる方法で工事を実施しています。
留意事項で定められた事業者の義務に違反しているとともに、『環境保全および災害防止に付き十分配慮』という処分要件も充足されていないものと言わざるを得ません。
また、沖縄防衛局が実施した土質調査により、C護岸設計箇所が軟弱地盤であり護岸の倒壊などの危険性があることが判明したことや活断層の存在が専門家から指摘されたこと、米国防総省は航空機の安全な航行のため飛行場周辺の高さ制限を設定しているところ国立沖縄工業高等専門学校の校舎などの既存の建物等が辺野古新基地が完成した場合には高さ制限に抵触していることが判明したこと、米国会計検査院の報告で辺野古新基地が固定翼機には滑走路が短すぎると指摘され、当時の稲田防衛大臣が、辺野古新基地が完成しても民間施設の使用改善等について米側との協議が整わなければ普天間飛行場は返還されないと答弁したことにより、普天間飛行場返還のための辺野古新基地建設という埋め立て理由が成り立っていないことが明らかにされるなど、承認時には明らかにされていなかった事実が判明しました。
これらの承認後の事実からすれば、『境保全及び災害防止に付き十分配慮』の要件を充足していないとともに、『国土利用上適正かつ合理的』の要件も充足していないものと認められます。
この間、県では、様々な観点から国の埋め立て工事に関する内容を確認してきましたが、沖縄防衛局の留意事項違反や処分要件の事後的不充足などが認められるにもかかわらず、公有水面埋め立て承認処分の効力を存続させることは、公益に適合し得ないものであるため、撤回に向けた聴聞の手続きを実施する必要があるとの結論に至ったところです。
私は、今後もあらゆる手法を駆使して、辺野古に新基地はつくらせないという公約の実現に向け、全力で取り組む考えであります」
(辺野古の埋め立て承認の撤回を表明する翁長雄志沖縄県知事=27日午前10時30分すぎ、沖縄県庁)
【記者との質疑応答】(省略、最後の部分のみコピー)
アジアのダイナミズムを取り入れて、アジアが沖縄を離さないんです、沖縄はアジアの地政学的な意味も含めて経済ということでは大変大きな立場になってきている。こういったこ と等を平和的利用、アジアの中の沖縄の役割、日本とアジアの架け橋、こういったところに沖縄のあるべき姿があるんではないかと思う。
いつかまた切り捨てられるような沖縄ではできない。この質問にこんなに長く答えていいのかということもあるかもしれないが、思いがないとこの問題には答えられないんですよ。この思いをみんなでどういう風に共有して何十年後の子や孫にね、私たちの沖縄何百年も苦労してきたんだから、いまやっと沖縄飛び立とうとしている訳だから、そしてそれは十二分に可能な世の中になってきているんで、そういう中で飛び立とうとしているのを足を引っ張ろうとしてまた沖縄はまあまあまあ振興策もらって基地を預かったらいいんですよなどというものが、これから以降もこういうのがあったら沖縄の政治家としては、これはとても今日までやってきた政治家が私と別な事を言っている場合には、私からすると容認できないというような思いです」
―承認撤回は移設阻止の最後のカードと言われている。知事はあらゆる手法駆使して造らせないという公約を今後、どのように実現していくのか。
「今、長々と話しをしたので、若干重なるものがあると思いますが、撤回というと、まず裁判に勝たないといけない。本会議でも話しをしたので問題ないと思いますが、今の日本の米に対しての従属は、日本国憲法の上に日米地位協定があって、国会の上に日米合同委員会がある。この2つの状況の中で日本はアメリカに対して何も言えない状況がある。これはもし違うなら反論しながら『そうじゃないよ。ちゃんと憲法が日米地位協定抑えているよ、国会も日米合同委員会から報告させているよ』と日本の最高権力がそうやっているならいいが、F15から何から飛んでいくのをみんな日米合同委員会で決められて、何も問題がないということで国会でも議論にならない。
こういう中で撤回ができないときにどうなるんだと、効力を発しないときどうなるんだと、なりますが、それこそ米韓合同軍事演習がストップしたこと、トランプさんが金正恩と会ったこと、アジアが大きく変わりつつあること、アジアは経済ということから世界の中で一番発展していますから、アジアは中国とも米国とも安保条約結んでいるところはベトナムでもタイでもどこもありませんのでね、距離を測りながら国際外交をやっている。
日本だけが寄り添うようにして米国とやっている。それに関して司法も行政もなかなか日本国民、今の現状から言うと厳しいものがあるかもしれませんが、そういう動きは必ず日本を揺り動かす、今の日本の動きではアジアから閉め出されるのではないかというものを感じている。その辺のところは撤回以外にも何か変わる要素がありますか、というところにも入ってくると思いますね」
◎アジアに近い沖縄で、大きな時流を感じながら辺野古移設撤回を表明されたことが良くわかります。次に、琉球新報が政治家としての翁長さんを写真で振り返っていますので、コピーしてみます:(引用元:https://ryukyushimpo.jp/photo/entry-778731.html)
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沖縄と沖縄人の誇りのために闘った政治家・翁長雄志氏 その生きざまを写真で振り返る2018年8月9日 10:45
膵臓がんの手術を受け、治療を続けていた沖縄県の翁長雄志知事が8日午後、入院先の病院で死去した。辺野古新基地建設の阻止を最大の公約に掲げ、歴代の知事の中でも高い県民支持率を背景に、米軍普天間飛行場の辺野古移設を推し進める国と鋭く対立してきた。政治家としての翁長氏を写真で振り返る。
沖縄戦から5年後の1950年、那覇市に生まれた。父助静(じょせい)さんは旧真和志市長を務め、兄助裕(すけひろ)さんは西銘順治知事時代に副知事を務めるなど政治家一家に育ち、復帰前から保革の激しい対立を見て育った。
政治を志したのは小学6年の時だ。父・助静氏が立法院議員選で敗れ、母の和子さんに「お前だけは政治家になるなよ」と抱き締められた日。後に「父の背中を見て決意した幼きあのころの夢を追い求め、政治の門をくぐった」と振り返っている。
そんな翁長氏の政治家としての歩みは那覇市議選に初当選した1985年に始まる。
(那覇市議選で当選し、バンザイする翁長雄志氏=1985年7月15日)
その後沖縄県議会議員2期、自由民主党沖縄県支部連合会幹事長3年を務めた。98年の知事選であるは、大田昌秀県政の与党だった公明党を稲嶺恵一氏への選挙協力に導いて自公態勢を構築した。県議で自民党県連幹事長だった99年当時、辺野古移設に関しては今とは正反対の移設推進派だった。
2000年11月、那覇市長に初当選した。
(当選証書を付与された翁長雄志氏=2000年11月16日、那覇市役所庁議室)
ウチナーグチの使用を推進する「ハイサイ・ハイタイ運動」に取り組むなど、沖縄人のアイデンティティーにこだわった。翁長氏のあいさつはいつも「ハイサイ、ぐすーよーちゅーうがなびら」(こんにちは。みなさんご機嫌いかがですか)から始まった。
(市民課窓口前で「ハイサイ運動」をPRする翁長雄志市長(左)ら=2012年4月2日、那覇市役所)
「自民党本流」だった翁長氏の転機となったのは07年。文部科学省の高校歴史教科書検定で沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)の日本軍強制の記述が削除・修正されたことに対し、記述復活と検定意見の撤回を求めた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」。当時那覇市長だった翁長氏も参加。「沖縄が心を一つにして物事に取り組むのは平和問題だけでなく、経済なども今後の諸問題を解決していく上で重要なことでもある。平和を希求する思いは保革を問わず、全県民の根底に流れていることを実感した」とコメントした。
(ターニングポイントになった教科書検定意見撤回を求める県民大会での翁長氏=2007年9月29日)
10年の知事選では2期目に挑む仲井真弘多氏の選対本部長を務めた。仲井真氏は普天間飛行場の「県外移設」を掲げて当選。県内移設を容認してきた姿勢を覆すことに思い悩んでいた仲井真氏に方針転換を決意するよう促したのは、翁長氏だった。
(出馬表明会見での記者団との質問応答の際に、翁長雄志選対本部長に助言をあおぐ仲井真弘多氏=2010年10月16日、那覇市のいとみね会館)
県民の反対を押し切り12年10月、米軍普天間飛行場にオスプレイが配備された。13年にはオスプレイ配備撤回を訴え、全市町村長(代理を含む)と銀座をパレードした。パレード終了後、翁長氏は「温度差がなければ、県民大会に10万人集まったり、全市町村長や議長らが来たりする前に、もっと敏感に反応するはずだ。そうならないところに、恐ろしい、根深い問題がある」と、普段は見せないほどの厳しい表情を見せた。
(オスプレイ撤回を訴えパレードする参加者ら=2013年1月27日、東京都中央区銀座)
13年12月末、仲井真知事(当時)が政府の辺野古沿岸部の埋め立て申請を承認した。翁長氏は「辺野古を認めれば、今後100年置かれる基地の建設に加担することになる」と、かつての盟友とたもとを分かつことを決意し、14年の県知事選に出馬した。仲井真氏に約10万票の差をつけ、36万820票を獲得し初当選した。「県民の声を日米両政府に届ける」と約束した。
(初当選を果たしカチャーシーを踊る翁長雄志氏(中央)と支持者ら=2014年11月16日午後8時32分、那覇市壺川の選挙事務所)
辺野古新基地建設の阻止を最大の公約に掲げた翁長氏は、知事当選の3日後、名護市辺野古のゲート前を訪れた。「官房長官は粛々と(埋め立てに向けた作業を)進めると言っているが、沖縄から本当の民主主義国家とは何かを発信していく」と意気込んだ。
(海上基地建設に反対する市民らに挨拶する県知事選で初当選した前那覇市長の翁長雄志氏=2014年11月19日、名護市辺野古のゲート前)
翁長氏の知事就任後初の県民大会となった15年5月の「辺野古新基地断念を求める県民大会」。約3万6千人の参加者を前に「土地を奪っておいて沖縄が負担しろ、嫌なら沖縄が代替案を出せということが許されるのか、日本の政治の堕落だ」「うちなーんちゅ、うしぇーてー、ないびらんどー(沖縄人をないがしろにしてはいけませんよ)」と力強く述べた。
(3万6000人の参加者を前に、「辺野古新基地は作らせない」と演説する翁長雄志知事=2015年5月17日、那覇市の沖縄セルラースタジアム)(蛙注・佐藤優氏の顔も見えます)
米軍属女性暴行殺人事件に抗議する県民大会では地位協定の抜本的な見直しを求め、不退転の決意を表明した。事件を受けて「怒りとやるせなさ、将来の子や孫の幸せをどこの誰よりも考えていかないといけない立場からすると、日本を守る安全保障は何だろうかと」と悔しさをにじませた。
(地位協定の抜本的な見直し等を求め、不退転の決意を表明する翁長雄志知事=2016年6月19日、奥武山陸上競技場)
2018年6月23日の沖縄全戦没者追悼式には病を押して出席。平和宣言では「辺野古新基地建設は沖縄の基地負担軽減に逆行しているばかりではなく、アジアの緊張緩和の流れにも逆行していると言わざるを得ず、全く容認できるものではない」と厳しく政府を批判した。
(沖縄全戦没者追悼式で、平和宣言を読み上げる沖縄県の翁長雄志知事=2018年6月23日、沖縄県糸満市の平和祈念公園)
7月27日には前知事による辺野古埋め立て承認の撤回を表明。これが県民の前に姿を見せた最後となった。記者会見では「アジアのダイナミズムを取り入れ、アジアが沖縄を離さない。アジアの中の沖縄の役割、日本とアジアの架け橋、こういったところに沖縄のあるべき姿があるんではないか」「『沖縄は振興策をもらって基地を預かったらいいんですよ』などということがこれからもあったら、沖縄の政治家としてはとても容認できない」と言葉を続けた。
(玉城江梨子)
(辺野古の埋め立て承認の撤回を表明する翁長雄志沖縄県知事=2018年7月27日、沖縄県庁)
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☆☆☆東京新聞2018年7月27日 夕刊
「辺野古埋め立て 翁長知事、承認撤回を表明 国は法的措置で対抗へ」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201807/CK2018072702000271.html