昨日は令和元年5月1日(水)、ヨーガは5週あるので1日がお休み、夫のコーラスの夜の練習もお休みでした。前日、姪っ子がお菓子をお土産に持ってきてくれましたので、しばらく雑誌の交換もしていないSさんに朝電話。今日は空いてるということで、午後お茶にすることに。雨の日でしたが1時前にチャイム。雨の中・・・と、言ったら、ご主人に車で送ってもらったとか。しまった、私と同い年のご主人、一緒に誘うんだった、と後悔しましたが後の祭り。次回から・・・
部屋に入るなり、Sさんも、「しばらく来てない、お母さんの入院があったからね~」と。4月は、わが家が母の病院通いでしたが、3月は、Sさんの東京の長男さんの婚約者が初めてご挨拶に見えるというので、後半、遠慮していました。それで、珍しいことに、丸1か月半ほど我が家でのお茶はナシでした。
早速、りくろーおじさんの焼き立てチーズケーキと横浜の栗餡のお菓子を出して、日本茶、紅茶、コーヒーで2時間。途中までは夫と三人で、座骨神経痛からSさんの次男さんの職場である高齢者の施設や、母親のSさんが月2回のお茶会にボランティアで手伝いに行っての体験談や、息子さんが休みの日に参加されている自閉症の方たちのボランティアについて、お話を聞きました。
そして、この日は、バツイチの長男さんたちが婚姻届けを出されたというので、夫と二人で、おめでとう!でした。Sさんは、最初のことがあるから喜ぶのはまだ早いと言いながら嬉しそう。こんなに身近に令和結婚があるとは!! 3時ごろ、栗餡ケーキの包みをお土産にお渡しして、お開きでした。
その後、私たちはバスタオルや洗濯物、朝刊を袋に入れて病院に向かいました。母がちょうど看護師さんに車いすを押してもらって2階の病室に戻るところでした。ベッドの横で3人で話。痛みが完全に治ることはないかもしれないと母が。私はMRIで狭窄個所を見て手術以外に痛みの除去はないと思っていますので、覚悟はできているほうが良いと思い相槌を。母も、入院前の何でも自分で自由にできた暮らしは望めないと思っているようでした。痛みを我慢しながら父のようにリハビリデイサービスに通わせてもらえればよいと私も思っているので、そう伝えました。
母が「お父さんのところへ行けると思ったのに、これぐらいではだめね、迷惑をかけるわね~」と。母にしては娘夫婦に世話をかけたくないと思い続けてきたのに…という気持ちなのですが、隣にずっと暮らしてきた私としては、こんな時こそと思っているので、そんなに気にしなくていいのに・・・なんですが、人生思い通りにならない辛さですね。でも、退院後の自分の暮らしを何とかイメージできてきたようで、さすが気丈な母と娘としては一安心でした。
◆ もう先月(平成!)のことになってしまいましたが、統一地方選の応援演説に駆け付けた杉田水脈議員に大ブーイングと帰れコールが浴びせられた事件?がありました。杉並区議の候補者が招いたことを後悔していると書いていましたが、一転、選挙妨害だとか言論封殺だとか言い出したそうです。
野間易通
@kdxn 4月26日
応援演説にブーイング 杉田水脈議員が「自ら招いた危険」
《そのような者が地方選の応援にのこのこと出て来たのだから、そこで罵倒されても当然である。このような状況を、法格言では、「自ら招いた危険からは保護せられず」と言う》
◆日刊ゲンダイの小林節氏、杉田氏自身の無責任な差別発言が招いたことと反論です。短いので全文引用:
ここがおかしい 小林節が斬る!
応援演説にブーイング 杉田水脈議員が「自ら招いた危険」
公開日:2019/04/26 06:00 更新日:2019/04/26 06:00
統一地方選の最中に、杉並区議候補者の応援演説に訪れた杉田水脈議員が「帰れ!」コールに囲まれて演説どころではなくなってしまったとのことである。
候補者自身は、現場で、杉田議員を招いたことに後悔の弁を述べたとのことである。
ところが、翌日のSNSでは、思い直したように、「演説妨害は公選法で処罰対象」である、「言論封殺とは闘い続ける」などと発信したとのことである。他にも、「一人の女性に対して寄ってたかって罵詈雑言を吐いていいのか?」「人権と多様性と寛容性を求める人々とは真逆の人々」などの非難が発せられているとのことである。
確かに、4月16日の高円寺駅頭から話が始まったのならそうした批判にも一理ある。
しかし、話は、昨年、杉田議員が新潮45誌上で公然とLGBTを「差別」(つまり、違いを捉えて卑しめること)をした時から始まっている。何度も読んでみたが、それは、要するに、LGBTは子をつくらないので生産性が低く、公的支援なしでは生きづらい人々ではない……と断言している。これは、明白な無知に基づく差別発言で、訂正と謝罪を要するものだ。
この「公人」の発言に対して、当然に謝罪と公開論争(釈明の機会でもある)への参加が求められた。しかし同議員は、「誤解だ」「差別の意図はない」と明白な嘘を発信して、一切の論争から逃げまくってきた。これでは明らかに公人失格である。
そのような者が地方選の応援にのこのこと出て来たのだから、そこで罵倒されても当然である。このような状況を、法格言では、「自ら招いた危険からは保護せられず」と言う。さんざん他者に言い掛かりをつけておいて怒った相手が胸ぐらを掴んだら「暴行罪だ!」と騒ぐ体で、笑止千万である。
まさに、自らの暴言に一切責任を取らずに逃げ回ってきた者に直接向けられた批判の言論を「違法」だと言う不可思議である。
他者の人権を否定して逃げ回って恥じない公人をようやく捕まえた現場で、怒った大衆が「あなたには語る資格がない」と叱ったことは、それこそ憲法21条が保障している表現の自由の行使以外の何ものでもない。
◆先日のツィッターでは、また維新の会のメンバーによる差別発言が取り上げられています。丸山ほだか氏、生活保護で外国人の受給者が増えている・・・以下が辻褄合わないので、これは、やはり、いいがかり?
Shin Hori
@ShinHori1 4月29日
厚労省が確認や分析の調査していないのに、生活保護で「中国籍・韓国籍・北朝鮮籍(?)」が増えていることをどうやって知ったのですか。ちなみに「北朝鮮籍」というのを特別永住者に対して日本政府は認めているのでしょうか。
引用ツイート
丸山ほだか
@maruyamahodaka · 4月26日
返信先: @kazuyahkd2さん
この景気状況の中で日本全体の生活保護受給世帯数は減っているにも関わらず、外国人の受給者が増えている。更にブラジル籍の方は減っている一方で、中国籍や韓国・北朝鮮籍の方は増えているとのことでしたが厚労省は確認や分析の調査もしていないとのこと。引き続き、厚労省へ話を詰めていきます。
◆今から半世紀以上前の昭和41(1966年)に手塚治虫さんが「学校教育法改正」で朝鮮人学校での民族教育が問題にされたことについて書いておられる新聞記事をツィッターで見つけました。さすが、手塚氏、50年後の日本の現実を的確に見抜いておられました。韓国(朝鮮)ヘイトや外国人労働者の差別的待遇など、50年前にしっかり対応できていない日本人の問題だったということが分かります。
学生時代、乗換駅の阪急十三駅でチマチョゴリの女学生をよく見ました。当時、民族服で通学する姿に畏敬の念を覚えたのを思い出します。写真記事、拡大しても読み取りにくいので文字起こしして全文引用です。手塚氏の本当に優しい一面が読み取れます:
内田樹Retweeted
Satoko Oka Norimatsu
@PeacePhilosophy 4月26日
1966年4月16日、手塚治虫
私は広く呼び掛けたい
在日朝鮮人の民族教育を日本の手で守ろう
朝鮮の人達は好き好んで日本へやってきたのではありません。日本の軍国主義の犠牲となって、民族の歴史を奪われ、踏みにじられ、強制労働につかわれたかたがたです。最低の生活においつめられ、偏見と蔑視の中で、何十年も生き抜いてこられたのです。私は日本人として本当に恥ずかしく、申し訳ないと思います。
しかし、その弾圧の歴史の中にあって、常に民族の誇りをもって抵抗し、ついに開放と再建の日を勝ち取られた朝鮮民族は偉大です。それは朝鮮という祖国の歴史を教え、家庭の歴史を子弟に教えた朝鮮人の功績でしょう。
朝鮮人がなぜ自国の歴史や文化を朝鮮人の教師によって朝鮮語で学んではいけないのでしょうか。逆に、われわれは、朝鮮人に対して行ったかつての日本軍国主義の弾圧政策をどのくらい知っているでしょうか。更にまた、われわれは、これを再び繰り返さぬようどれほど反省しているのでしょうか。
今回の「学校教育法改正」はそれらに全く耳をふさいだ軍閥時代のよう腫が、またもや表面に噴出し始めたと思うほかありません。それらの法案を作成し通過させようという連中は、その暗黒時代にそれによって利益をり、あるいは植民地蔑視に頭がこりかたまった、ごく一部の亡者たちでしょう。
人種差別を更に強め、母国の歴史も学べぬような骨抜きの教育を強制し、朝鮮人でも、日本人でもない自覚のない人間を作ることを意図している今度の法案は、まさしく改悪どころか問題にならぬ愚案です。この法案が可決されれば、朝鮮人子弟が卑屈感と無国籍的人間性を助長されることは間違いありません。
日本の歴史から考えると、「外国人」ということばから、すぐヨーロッパ人とアメリカ人を連想します。朝鮮人はその中に含まれていないといっても過言ではありません。
口では民主主義政治を唱えながら政府がまたもや朝鮮人に政治的な弾圧を加えようとしていることは、許せないことです。彼らは弾圧の理由付けの一つとして、朝鮮人の民族教育を「反日教育」だといっていますが、これも笑止の至りです。こんなことを言っている当局者には、日本人自身に民族教育を行うことすらおぼつかないのではないでしょうか。
ある日本の公立中学に在学していた朝鮮人学生が、朝鮮人学校へ転校した時、同級の日本人中学生は「母国語を勉強し、いつかは母国のために役立つことが本人にとっても幸福なのだ」と感想をのべて、変わらぬ友情を誓い合ったといいます。
私はこのことに、素直な共感を覚えます。教育とは本人のためにもなり、また社会や祖国のためにもなるべきものです。強制され、歪められたわくの中で教えられるべきではありません。日本人も、朝鮮人も、それぞれ民族的で民主的な教育を受けるのは当然の権利です。いま少なくない日本国民はつんぼ桟敷(さじき)に置かれ、平和ムードと政治家の詭弁(きべん)に麻痺(まひ)してこのような重大な問題が次々と国会を通過して実現してしまうのを見過ごしています。
日本国民は朝鮮人の民族教育が政府に弾圧されぬよう、これを阻止し、日本人の手によってこれを守っていかなければなりません。私はそのことを広く呼び掛けたいと思います。 (漫画家)
(3枚の写真は、亡き父が小さなサンルームから眺めた庭)