自覚なき「日本の差別」について:小熊英二氏「『有色の帝国』の呪縛」(『民族という妄想』)から

◎光陰矢の如し。年を取ると一年経つのもはやいはやい。一日はそれこそ流れる如く、と言い訳してますが、今月の10日の朝日新聞の記事から子熊英二氏の「『有色の帝国』の呪縛」という記事をSPYBOYさんがブログ「特別な1日」に取り上げられたのが 翌日の金曜日でした。「民族という妄想」という独自のタイトルをつけておられます。

🔲朝日の記事の肝心な部分を取り上げておられますので、記事を引用です:

 10日の木曜朝日で慶應小熊英二教授が『民族』について面白いことを言ってました。
『民族という言葉は明治期中盤に日本で発明された人間の区分の仕方』というのです

 その特徴は

1.独立して一国をなすべき集団、2.内部に分裂がない、3.千年単位の歴史を共有している

 作られた理由は

英語のNATIONなどのように国家を社会契約によって人工的に作るという概念に対抗して、日本が国家一丸の体制を作り外部に対抗していくために作られた(*契約に際して必要になる個という概念が天皇制には都合悪いのでしょう)

人種という概念は明治初期に入ってきたが、人種という指標を使うと、日本人は有色人種ということで劣位に置かれる可能性があり、台湾や朝鮮の人との区別がつかなくなった

 だから

(少数派など)一丸となるべき体制を乱したりするものが差別対象になった

◎私はこれを読むまで 「民族」というのは輸入された言葉で世界で使われている言葉の翻訳語だと思っていました。「民族自決」なんて言う言葉のせいかもしれませんが。それで、ある意味、ショックでしたので、慌ててその日の新聞を探して全文を読んでみました。SPYBOYさんのまとめが核心なんですが、その部分のあとの記事を全文書き移してみます。まず言葉の整理から:

・『人種(race)』=「黄色人種など肌の色など身体的特徴で区分」される。

・『民族』≒ 「英語のネーション(nation), ドイツ語のフォルク(vork)と重なる部分がある」が、「西洋的な社会契約によってつくる国家に敵対する形で作られた」

「有色の帝国」の呪縛

朝日新聞 9月10日(木)オピニオン&フォーラム(インタビュー)

 「民族」の概念発明

 同じ肌の色なのに

 日本に差別生んだ

 

歴史社会学 小熊英二おぐま えいじ)さん

 (1962年生まれ。慶応大学教授。著書に「単一民族神話の起源」「<日本人>の境界」「<民主>と<愛国>「日本社会のしくみ」など。

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 黒人の男性が白人の景観に窒息死させられた米国での事件をきっかけに、世界中で改めて人種差別問題への関心が高まっている。この難問、日本でどう考えればいいのだろう。肌の色が同じ人々を支配した戦前日本の歴史を調べ、「有色の帝国」という視点を使って人種や民族の問題を考察してきた小熊英二さんに聞いた。

(一段半省略 SPYBOYさんの箇条書き前半部分)

 

     ■    ■

ーーーなぜ発明したのでしょう(?)。

国家一丸の体制を作り、外部の強敵に対抗していくためです。民族とは当時の日本の知識人たちの危機感を映した概念でした。彼らは、日本が西洋の列強に植民地化され、国の独立を奪われることを恐れていました外国勢力の介入を招く要因として恐れていたのが、国の内部に対立が生じることでした」

「内部に分裂のない社会は本来ありえませんが、彼らは民族を『千年単位の歴史を共有している』集団とみなしました。天皇という存在を担保に、天皇の下でずっと分裂なく団結しっ続けてきた集団というイメージを作り上げたのです。その意味で民族とは、実像と言うよりは理想像でした。 

 ◎ピンクの所、今の日本会議の人たちはこれを21世紀の今の日本に実現したがっているということですね。かつても存在しない夢だった物語を・・・

―――日本は台湾を領有(1895年)、朝鮮半島を併合(1910年)しました。自らを民族と規定するその考え方は、どのような差別を生んだのでしょう(?)。

「答えは、民族という概念の特徴から論理的に導き出されます。つまり、分裂を引き起こしたり一丸的な体制を見出したりする者たちが差別対象になりました。

 「日本の支配に対して独立運動を起こそうとする朝鮮人は『団結を乱すやつら』として差別対象にされました。また『植民地の連中は経済力や教育程度が低く国家のお荷物になるやつらだ』という視線も差別を生みました。一丸となるべき戦いで足を引っ張る者たちだ、とする理屈です。天皇への忠誠心が低いとされる者たちも差別対象でした。『歴史を共有していないやつら』だからです。

ーーー朝鮮半島の人々は「朝鮮民族」だったのでは?

「当時の日本側は一般に『朝鮮人』と呼んでいて、朝鮮民族という言い方はあまりしていません。理由の一つは、民族と呼ぶと『独立して一国をなすべき集団』という意味につながってしまうからでしょう。一つの民族であるとみなす意識は希薄で、むしろ『できそこないの日本人だ』だと見下す視線が一般的でした」

朝鮮民族という言葉を積極的に使ったのは、むしろ朝鮮の独立運動の方です。切っ掛けの一つは、英語の『self-determination』を日本の新聞が『民族自決』と訳したことでした

朝鮮人差別というと私は小学校時代のことを思い出します。あれは6年生の時だったと思いますが、担任の先生が転校生を紹介して白さんという女の子がクラスに入ってきたことがありました。白さんは顔に水ぼうそうの跡があって、ほとんど話をすることなく、あっという間に教室から消えるようにいなくなってしまいました。白さん、どうしたの?と先生に聞いたことがありましたが・・・辞めたということだけでした。家族ごとどこかへ引っ越したということだったような。その時、朝鮮人という言葉を使うことはためらわれました。子ども心に「朝鮮人」という言葉には蔑(さげすみ)の響きがあって平気で使える言葉ではありませんでした。

 もう一つは母からごく最近(入院する6月以前)聞いた話ですが、女学校時代一里(4キロ)の道を歩いて通学している途中、大聖寺川の堤防の補強工事の蛇篭(じゃかご)作りを朝鮮人がやらされていて、そこを通るたびに勉強しないでふらふらしていたらあんな仕事をさせられると思って怖かったのを覚えている。朝鮮から連れてきてあんな仕事をさせていたのかね、日本も朝鮮や中国には悪いことしてたのね~という話でした。

中村哲さんが、アフガニスタンで川を作るときに現地の人たちの手で作って修理も出来るようにと土手は蛇篭で作り補強のために柳の木を植えるという工法を伝えていましたので、『蛇篭』という言葉が母の口から出てきたのが一寸驚きでした。

朝鮮人』が差別の響きを持つようになったのは明らかに明治になってから。それまでの江戸時代は朝鮮人は進んだ大陸の文化の担い手で日本に伝える伝道師のような尊敬と憧れの対象だった時代があったのをNHKの番組で知りました。朝鮮通信使を迎える街道沿いの歓待騒ぎがアチコチに残っていると知りました。何年か前家族旅行で訪ねた滋賀県、近江の長浜でその名残を見ました。

徳川幕府が秀吉の朝鮮出兵のお詫びに復活させて友好関係を結び直したおかげですが、明治政府がこの関係を台無しにしてしまいました。敗戦1年前に生まれた私でさえ明治期の差別の空気を感じていました。戦争中の差別語、チャンコロ(中国人)やロスケ(ロシア人)と共にチョウセンジン(朝鮮人)も同じでした。横道にそれてしまいました・・・

         ■   ■

ーーー米国社会の人種差別と戦前の日本社会での差別を比べたとき、何がみえるでしょう(?)。

「図式化すれば、米国型の人種主義は階段のイメージです。上の段には白人が、下の段には黒人がいるけれども、白人の内部は平等と考えられている。因みに18世紀半ば以前の北米では、身分の違いの方が肌の色の違いより重要と考えられていました。つまり米国型の人種主義は、白人内の身分差別撤廃の副産物とも言えます。

「それに対し戦前の日本は、天皇が頂点にいて、身分の高い人から低い人までがその下に階層化されるピラミッド型社会でした。上には軍人や官吏が、下には民間人がいて、そのさらに下に被差別部落民は沖縄人が、そのまた下に朝鮮人が置かれる構図です。朝鮮人も差別されていましたが、日本人の内部にも身分や差別があって当然と考えられていました。

―――しかし戦前には「日本は人種主義を乗り越えた国であり、西洋より倫理的に優位にある」という議論があったそうですね(?)。

当時の日本の人々は、西洋から人種差別されているという被害者意識は持っていました。しかし、自らが支配・差別をしているという自覚は希薄でした。朝鮮人も肌の色は同じだから人種差別ではない、と考えていたようです。」

「だから『日本は人種差別のない国ですよね』という質問にもし皮肉で答えるなら、こうなります。『そうですね、人種主義以前の国だったかもしれませんね。日本人の中にも差別が山ほどありましたからね』」

ーーー 小熊さんは、大日本帝国は有色人種による有色人の支配で、支配や差別の自覚を欠く「有色の帝国」だったと形容しています。1945年の敗戦を機に大日本帝国自体は消滅させられましたが、民族という概念の影響は残っていますか(?)。

残っていると思います差別を残しているという自覚がないこと、『国のお荷物になる』とみなされた者や内部の分裂を起こすとみなされた者が差別されること、などの点においてです」

「たとえば、生活保護を受ける人々や政府に人権侵害を抗議する人々が不当に非難されるなら、それは差別です。肌の色を基準とする米国型の人種主義とは違うかもしれません。しかし、差別のありようは社会によって違うのです」

      ■   ■

ーーー「有色の帝国」と言えば、今の中国をそう見る人もいそうです。かつての帝国だった日本と重なるところがあるでしょうか。

「民族と言う言葉は当時の朝鮮や中国にも伝播し、独立運動などで使われました。西洋に対して被害者意識や警戒心があること、千年単位の団結の歴史を掲げて忠誠心や標準語を強要すること、国内の人権侵害に抗議する集団を裏切り者とみなすこと、差別や支配の自覚がないことなどは、日本が発明した民族概念の特徴です。今の中国が大日本帝国と同じ道を辿らないことを望みます。

―――日本人自らが生み出した民族という概念の呪縛を、どうしたら超えていけるでしょうか。

「今の日本の人々は、国の独立が脅かされる危機を感じてはいないでしょう。その為民族という日本語も、かつてほどまがまがしい言葉ではなくなりました」

「しかし、差別があるのにその自覚がない傾向は今も強い。日本政府は国内の『民族』統計をとっておらず、日本に人種問題や民族問題は存在しないという立場をとってきました。国内の差別を直視しようとしないという点では、民族という概念の呪縛は続いているとも言えます

「まず、国内に差別があることを認識する。そこから始めてはどうでしょう」                

              (聞き手 編集委員塩倉裕

 ◎読み終わるとSPYBOYさんがブログで『民族という妄想』とタイトルをつけられたのはとてもよく分かりますしピッタリです。「日本民族 」という妄想を抱いて、自国民や他国を差別したり分断や排除を正当化することは歴史を戦前に戻すことに繋がりますね。妄想=悪い夢から早く覚めて現実を直視して、日本も本当の戦後を迎えなければと思います。冷戦体制の残滓である日米安保条約に基づく日米関係を日本側から見直して新しい近隣友好(米国を含む)の政治を築こうとする政治勢力が多数を占めるようになるまで・・・道のりは遠く、夢かも知れませんが、そういう人たちが増えること、特に若い世代にそういう考えを持つ人たちが現れてほしい。自立した個人がふえることこそ自立した国の基礎だと思います。なんで奴隷根性の人たちが日本の政治の中枢を占めるような日本になってしまっているのか・・・

 ◎書いているうちにこれは福沢諭吉の「一身独立して一国独立す」という明治の課題が未だ達成されていないということなんじゃないのと思いました。言葉を確かめようとネットで探ると「学問のすすめ」のダイジェストが。全く今もそのまま通用します: 

・「一身独立して一国独立する」 。学問の目的は、まず第一に「一身の独立」にある。独立できていない人間は他人から侮られ軽んぜられるが、国家も同じである。国民が甘え・卑屈・依存心から脱却し、日本は自分たち自身の国であるという気概を持たない限り、日本は独立した近代国家として諸外国から認められることはない。

・「人民が無知・文盲ならば政府は威力で押さえつけることになる。よき政府は、人民の品性によって決まる

・「圧制から逃れるには学問に志し、才能と品格を磨き、政府に対して同等の資格と地位に立つだけの実力を持つべし

・「文明の外観はほぼ備わったように見えるが、それは政府が些細なことまで関わり、指示したからである。まるで人民は政府の居候(いそうろう)であり、政府への依存心はますます強くなっている。一国の文明は政府からではなく、庶民から生まれるものだ」

https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/4553