ETV特集「義男(ギダン)さんと憲法誕生」(生存権)

ETV特集「義男さんと憲法誕生」(平和主義)の書き起こし

に続いて「生存権」です。コロナ禍のさなか「生存権」がいま改めて切実な課題になっていることに不思議なめぐりあわせを感じます。70数年前、ギダンさんたちが議論した時代の世相が今再び新自由主義の生きつくところとしてはっきりと目にも解る形となって表れています。歴史を繰り返さない方向で・・・今回はギダンさんたちが憲法に書き込んだ「生存権」が活かされることを願いたいです。それでは・・・(速記録は旧仮名遣い)

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 第二章 二十五条  生存権

それは社会党の提案によるもので、提案者は森戸辰男。「すべて国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有する

戦前東京大学で経済学を教えていた森戸は思想弾圧で教壇を追われていた。

日本社会党・森戸辰男:「文化的水準と云ふことの為には、最小限度の生活を維持する権利を持つと云ふことは、ぜひとも必要なことであらうと思ひます。」

芦田:「それも一つの理屈に違ひないかも知れないが、文化的水準を維持する最少限度の生活と云ふことは幸福追求の最小限度でせう」

ナレーション(N) :芦田委員長は最終案の提案は改正案の12条でよいのではないかと疑問を投げかけます。

改正案 12条 すべて国民は個人として尊重される

        生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については

        公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で

        最大の尊重を必要とする。

               (日本国憲法 第13条)   

N:森戸はこの幸福追求権とは別に生活権・生存権を提案した。

芦田:「趣意は分かるのですが、唯『イギリス』のやうに、さう云うことを憲法に書かなくてもちゃんと政府に於いて法律がどんどんやって居る。だから文字にさう拘泥しなくても目的は実行にあるのだから。」

森戸:「実行にあっても日本では中々やらないのですよ。追求する権利はあっても、実は生活安定を得られない者が沢山あると云ふのが今日の社会の状態です。

其の状態を何とか民衆の権利を基礎にして良くして行くと云ふところに生活権の問題と云ふものが出て来るであらうと私共は考へます。」

N :当時、戦災孤児が街にあふれ餓死するものも続出していた。

三日後の8月1日、生存権について議論が続けられた。

日本社会党・吉田安:「社会党から出ている『すべて国民は健康にして文科的水準に応ずる最小限度の生活を営む権利を有する』と云ふのは此の前から十二条との関係で『幸福追求』の所に入るのではないかと云ふこと大分議論があったのでありますが、私共も12条でそれは宜しいのぢゃないかと云ふ見解を持っている」

芦田:「だから十二条のところですべて国民は個人として尊重されその生活権は補償される」

N : 芦田は幸福追求の権利の条文にそのまま生存権を付け加えることを提案しました。

ギダン・鈴木義男(日本社会党:「違ふのです。十二条の最初の一項は倫理的な要求なのです総て国民は個人として尊重される。「Respected as individuals」無論「individuality」が尊重されると云ふことなのですから経済上の生活保障と云ふものを之に継ぐと木に竹を継いだやうになる。」

ギダンさんはなぜ生存権にこだわったのでしょう。

戦前、ギダンさんと森戸辰夫はヨーロッパへの留学で生活権を学んでいた生存権が初めて憲法に規定されたのは1919年のドイツ ワイマール共和国でした。第1次世界大戦戦乱のさなかにあったドイツ、膨大な賠償金、極度のインフレと食糧難、そんな中、ワイマール共和国では労働者の権利や社会保障など新しい社会権憲法に規定した

経済生活の秩序は

全ての人に

人たるに値する生存を

保障することを目指す。

 

 (ワイマール憲法151条)

N :ギダンさんは20世紀に入って生まれたこうした社会権に注目していた

一橋・東大名誉教授 油井大三郎さん(ギダンさんの孫):「保守政党の政治家の場合は19世紀的な自由権で十分だと思っている。それに対して社会党など革新政党の人たちは社会福祉など社会権につながるような権利が新たに登場したという意識が強い自由権だけでは19世紀的で新たな社会権を入れるのが20世紀の憲法だという意識を強く持った。

 社会権というのはもちろん労働者や貧しい人たちの権利でもあるが国家がそういう人たちを救済する義務を負う面があるところが古典的な自由権は国家は干渉しない形になってしまうだから古典的な自由権だけでは国家の義務が明確にならない社会保障というのは基本的に政府が貧しい人たちの生活を保障をする側面が強いので義務規定という側面が強い

 義務規定を権利規定と一緒にするのは法律学上はあまり考えられない事なので、独自に社会権を保障しろという主張を祖父はしたのだと思います。

ギダン:「生存権がもっとも重要な人権です。

結局、19世紀までの憲法の体裁だとお考へになるか、20世紀になってから出来て居る各国の憲法のやうな憲法を作ることが差し支へないかと云ふことに帰着するのです

「フランス』の憲法でも『ソ連』の憲法でも労働者の権利とか色々なことをもっと詳しく書いてありますよ」

日本進歩党・原夫次郎:「あなた方の言われるのは所謂社会主義・・・」

ギダン:「『アメリカ』の憲法に書いてあることなら黙って通すが『フランス』や『 ソ連』や『ドイツ』の憲法に書いてあるのは通さないと云ふような意見が非常に強いので我々は心外に思って居るのです。」

芦田:「鈴木さんのご意見は私もさう思ひます。」

日本自由党 江藤夏雄:「やはり十二条は個人の解放即社会解放になると云ふ時代とは是だけの規定で宜しかったと思ひます。併しやはり今日の時代はさうではないのですから、やはり是は十二条に直ぐ生活権の保障と云ふ風に持って行かなくて社会党の仰しゃるやうな風に持って行った方が宜しいのではないかと思ふ。是は私の私見ですけれども、さう云ふ風に考へます。

N : ギダンさんの発言で議論の潮目が変わりました。賛同の議員だけで結局憲法生存権が追加されました。

  第二十五条

 

     すべて国民は

     健康で文化的な

     最低限度の生活を営む権利を有する

 

 25条に基づき生活保護法が制定され社会保障が拡充していきました

格差社会と言われる今日、生存権の規定がますます重要になってきている

油井大三郎:「社会権が登場した時代は19世紀の末自由主義謳歌されていた時代で、モルガンとかロックフェラーの百万長者が出てきた時代ですその中で労働者の権利は無視されて非情に貧しい人たちが大量に発生した時代ですね。ですから自由主義の暴走を止めなければいけないという意識の中で社会権という発想が出てきたそういう状況は今の状況に非常に似ている。新自由主義の下で再び格差が拡大して本来20世紀に入って充実してきたはずの社会保障が否定されていく風潮があるその結果としてものすごく大きな格差社会が生まれてきたので、だからある意味ではもう一回社会権が見直される時代に入った。(第二章 おわり)

第三章  十七条 国家賠償請求権

     四十条 刑事補償請求権                             (つづく)

 

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