◎アメリカで暴動にまでなっているきっかけはミネソタ州で白人警官が黒人男性を死なせた事件でした。9・11があった年を挟んで2年ほど夫はミネソタ州のミネアポリスで暮らしていました。仕事の関係でアメリカに進出する必要があってミネソタを選んだのは夫でした。郊外に住んでいて近くの林にはリスがいて、北欧系の移民が多く静かな田舎という感じだったそうです。 差別については特に厳しく、人を雇うのに性別年齢を特定することも禁じられていたと聞いていました。その後も夫は数回転職していますので本当に遠い昔のことですが、今回テレビや新聞で知る事件の様子はとても悲しい・・・
deepthroat @gloomynews 6月2日
共同◆大谷、大坂選手らが暴行死に抗議 SNSに黒い無地の画面で https://47news.jp/news/4874944.html… 「米ミネソタ州での白人警官による黒人男性暴行死事件を巡り、米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平選手ら米国を拠点に活動する日本選手が2日、会員制交流サイト(SNS)を通じて抗議の意思を示した」
人種差別や警察の残虐行為に抗議する「Blackout Tuesday(真っ暗な火曜日)」の活動に応じたもので、大谷選手はインスタグラムに黒い無地の画面を投稿。カブスのダルビッシュ有投手、女子テニスの大坂なおみ、プロバスケットボールNBAウィザーズの八村塁、グリズリーズの渡辺雄太の3選手も同様にインスタグラムやツイッターに黒い画面を表示させた。
◎憲法記念日に合わせてNHKで放送された「義男さんと憲法誕生」、録画したのを後で見ました。5月の最終週。この辺りで取り上げておかないと・・・と思ったのですが、いろいろあって昼間テレビの前に座ることが出来ず、5月中にブログにアップすることはあきらめました。
番組を見るまで「よしおさんと憲法誕生」って何?と思っていたのですが、違いました。憲法制定の会議で議長に次いで発言が多かったという鈴木義男の愛称、義男の音読みで『ギダン』なんだとか。故郷の福島ではギダンさんと呼ばれていた国会議員です。
学校の憲法の授業で習わなかった人物です。日本人なら知っておくべき人物だと思いました。今回の番組の内容は憲法制定小会議の速記録を丹念に読み込むことで掘り起こされた議論が元になっています。安倍政権になってから議事録が消えました。戦後70年以上も経って知る憲法の追加修正の過程はこの速記録がなければ分からなかった事実です。70年後の日本人は安倍政権のこの文書を改ざんしたり破棄したり文書そのものを残さないという政治の在り方を何と評価するだろうと思いながら書き起こしをしました。
その前に、NHKのサイトとネットで拾った番組案内と感想を貼り付けました。
1)NHKのサイトから
「義男さんと憲法誕生」
日本国憲法の制定にかかわった人物の再評価が始まっている。ギダンさんの愛称で親しまれた福島県の法学者・鈴木義男(すずきよしお)。東北大の教授時代、軍事教練に反対して教壇を追われた義男さん。弁護士となり治安維持法違反者の弁護に尽力。敗戦後、衆議院議員になると9条の平和主義や25条の生存権だけでなく国家賠償請求権や刑事補償請求権の追加を求め、三権分立の確立を目指す。その波乱の生涯を新資料をもとに描く。
2)ネットで拾った番組案内から:
思想班•松谷基和先生が協力した「ETV特集[鈴木]義男さんと憲法誕生」が5月2日放映されました。
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鈴木義男(1894-1963)は福島県に生まれ、東北学院中等部を卒業し東北帝国大学教授を経て、第二次大戦後に日本社会党の政治家となって、帝国憲法改正、日本国憲法前文の起草、生存権規定の挿入に貢献しました。その過程が、NHKのETV特集で放映されます。鈴木義男については2017年から東北学院大学でシンポジウムが開催されています。2020年3月には、松谷先生も登壇されるはずでした(コロナで中止)。
鈴木義男は元一橋大学・東京大学教授の油井大三郎先生のご祖父で、2017年の東北学院大学シンポジウムで油井先生ご自身が登壇されています。また、鈴木安蔵(1904-1983)も福島県小高町の出身で、帝国憲法改正の憲法研究会草案を1945年末に起草したことはよく知られています。
ETV特集 義男さんと憲法誕生
2020年
5月2日(土)23時~
5月7日(木)0時~(6日水曜深夜) Eテレ
4K版 5月3日(日) 15時~
5月12日(火)11時~
日本国憲法の制定にかかわった人物の再評価が始まっている。
ギダンさんの愛称で親しまれた福島県の政治家にして法学者・鈴木義男(すずきよしお)である。
敗戦の翌年1946年、帝国憲法改正案の審議を行う衆議院の小委員会。
ギダンさんらの提案から第9条に平和の文言が加わり、GHQ草案にはなかった25条の生存権が追加された。
さらに、最近の研究で、国家賠償請求権や刑事補償請求権もギダンさんの提案から追加されたことが明らかになった。
戦前、東北大の教授時代、軍事教練の導入に反対して教壇を追われたギダンさん。
弁護士に転身し、河上肇や宮本百合子など治安維持法違反者の弁護に尽力した。
この時の経験が、戦後、国家賠償請求権や刑事補償請求権の要求へとつながっていった。
番組では次々に明らかになる鈴木義男の新資料をもとに、憲法改正案の小委員会や法廷での弁護を忠実に再現。憲法誕生の陰で長く忘れられていた日本人による追加修正に光を当てる。
出演:鶴見辰吾、斎藤洋介ほか 語り:中條誠子 ディレクター:吉峯美和 演出:佐古純一郎思想班•松谷基和先生が協力した「ETV特集[鈴木]義男さんと憲法誕生」が5月2日放映されました。 | 和解学の創成〜正義ある和解を求めて〜
3)米田 佐代子さんという方を初めて知りました、丁度私の10歳年長ということは昭和9年生まれの戦争体験者。「日本の、女性史研究者、ノンフィクション作家。NPO平塚らいてうの会会長」だということです。番組を見て感想を書いておられますが、私も同感でした。引用してみます:
NHKのETV特集「義男(ギダン)さんと憲法の誕生」を観ました | 米田佐代子の「森のやまんば日記」
わたしの感想ですが、一つは彼の「平和主義」が「一国に軍備があればかならず戦争に至る」として「世界警察軍」の設置を構想していたという指摘への関心です。彼は1928年のパリ不戦条約が「戦争違法化」の原則を打ち出したことを学び、戦争のない世界を作るために個別国家による軍備を廃止する構想があったというのです。日本国憲法九条はそのような意味を持ち、それを積極的に進める文言を加えることによって普遍的原理になったとみていいのではないか?わたしは第一次大戦後に平塚らいてうが「国家のエゴによる軍備はわれわれの敵」として「世界民」を主張したことを思い出しました。「世界国家」というのはカントの「永遠平和のために」でも提唱されていますが、日本の大正デモクラシー期には、こうしたグローバルな平和思想が育っていたのだということを改めて感じました。
もう一つは、この番組が衆議院の憲法審議過程の速記録の再現ドラマによって構成されているのですが、少なくともそこでは「保守」に属する進歩党や自由党の議員と、革新派の社会党議員などの出席者が異なる意見を出し合いながら、最終的に合意していくのです。この時の選挙は中選挙区制で最初の選挙は連記制でした。与野党はそれぞれ一定の勢力を持ち、対等に話し合う基盤があったわけです。日本の政治がダメになったのは小選挙区制になり、1票でも多いほうが当選して他の票は死票になってしまうようになってからです。それにしてもこの時はみんな自分たちで日本の将来を「二度と戦争しない」方向にという点で一致点を見出す可能性があったのだと思う。今の与党と政権はどんな不始末があっても多数をとっているからおかまいなし、という独裁体制に等しいことをあらためて痛感しました。
ですから、「憲法はアメリカの押し付け」という主張が成り立たないことを明らかにしてくれた点で、この番組の意義は実に大きいというのが感想です。
🔲見逃した方はコチラで。これ、いつまでも見ることが出来るのかな?