ETV特集「義男さんと憲法誕生」第四章  三権分立をめざして

◎「ギダンさんと憲法誕生」いよいよ最終章です。充実した内容の番組でした。GHQ憲法草案になかった日本独自の条文も加わったり、戦前、戦後を旧憲法、帝国憲法のもと人権を侵害された沢山の人々を弁護した経験から新憲法に何が必要なのかをギダンさんは理解して、それを小委員会で提案し率先して意見を述べています。第三章の国家賠償請求権と刑事補償請求権は本当に大事な権利です。このおかげで間違って裁かれたり身柄を拘束された場合の賠償や保障が可能になり救われた人が大勢いたことでしょう。

さて、最終の第4章も新たな記録から分かったこと。この当時の速記録とか記録のお陰で鈴木義男さんの憲法誕生で果たした大きな役割が新たに分かってきました。実はブログで鈴木義男さんを取り上げるのは初めてではありません。

一昨年8月に「二人の鈴木と憲法の青春期」と題して取り上げています。しかし、メインは福島県の民権思想家・鈴木安蔵でした。鈴木安蔵は:相馬郡出身。京都帝大で川上肇に学び、治安維持法で投獄中、憲法学を独学。土佐立志社の民権運動家、植木枝盛起草の「東洋大日本国国権按」を発掘大日本帝国憲法とは異質な民間憲法制定への動きを知った。 敗戦後、安蔵は占領軍民生局のノーマンらと交流しながら、当時の代表的言論人、森戸辰夫高野岩三郎岩淵辰雄らと「憲法研究会」を結成、憲法改正案をまとめ公表した。総司令部はこの草案に驚き、それを基に占領軍草案を起草した。(引用元↓)

GHQ憲法草案の元になる憲法草案を作った鈴木安蔵GHQの草案に修正追加条文を提案した鈴木義男。 この時の鈴木義男さんについては、これほど詳細な事実には触れられておらず、今回速記録による再現のエピソードは鈴木ギダンさんの活躍を余すところなく伝えてます。これで二人の鈴木さんが現憲法に果たした役割が改めて解ってきました。私にはどうしても福島出身の二人というより『会津』が受けた帝国憲法下の歴史的悲劇をこうやって新憲法という戦後日本の基本中の基本を定める中に活かしきったことにお二人の熱い自由民権の想いを感じて涙します。それでは、最終章です:

   MMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMM 

    第四章 三権分立をめざして

ナレーション(N):弁護士として裁判の在り方を問い続けたギダンさん、去年新たな弁護の記録が韓国ソウルの国家記録院で見つかった。

日本の統治下独立運動にかかわった朝鮮の人々が国体の変革を目指したとして治安維持法に問われていたのです。

朝鮮の近代文学の祖と言われる作家イ・グァンス。修養同好会と呼ばれる団体の活動が治安維持法容疑に問われ、1937年に逮捕された。、ギダンさんは修養会が飽くまで文化向上を目的としており政治に関わっていないと弁護します。

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被告人の意思は朝鮮同胞の文化的向上に在リテ他意ナキコト明

朝鮮の独立の場合に

 役立つべきことの認識の下に

 文化向上運動を助成したりとするも

 治安維持法の犯罪を構成するものにあらず

1941年11月 朝鮮の高等法院は全員無罪の判決を下した

アメリカ フィラデルフィア イ・グァンスさんの次女のジョンファさんは今アメリカに住んでいる。判決が出た当時のことを鮮明に記憶している。

イ・ジョンファさん「みんな飛び上がらんばかりに喜んでいました。ムジュエ(無罪)と父の無実が証明されたのです。弁護士の鈴木さんのことを心から尊敬しています。

修養同好会は自己改善運動にすぎなかったし、文化運動だったと私も思います。

そして鈴木さんは言いました。無実の人たちを訴追して有罪に仕立て上げるのは神聖な法の世界、正義の世界における重大な過ちなのだと。」

 N : 戦前、政治の意向に左右されることが多かった地方、ギダンさんは強く憂いていました。

有澤廣巳の裁判、弁護要旨より

裁判がその時の政治的勢力に左右された形跡ありと見える事例は歴史の法廷に於いては常に醜いものとして再批判されます学問が政権から超然としておらねばならぬやうに裁判も常に政権政治的な動きからは超然出なければならぬと信じます

 裁判は政治ではない一切の政治的勢力乃至影響から超然として法によってのみ為さざる所に司法の尊厳があり、国家の盤石の安きに置く保障があるのであります。」

一橋・東大名誉教授 油井大三郎さん「言論の自由が奪われて治安維持法がまかり通っているような時代であっても法律家が法的な論理を尊重しあうところにかけていた面があったのではないか。

裁判官も法律家ですので祖父が言うことは分かると思うだけど政府には逆らえないと保身みたいな気持ちもあって政府に対立するような判決は自重する面があったのではないか。結局、思想の自由とか基本的な被告側の人権がまもられなくて裁判自身が政府に迎合していく傾向があったと思う。ですからそういう日本においては司法の自立性が欠けていると、すごく痛感したのではないかと思います。

N : ギダンさんは新憲法で司法の独立を徹底しようとした。最高裁判所長官の任命の在り方にも修正を求めます。

1946(昭和21)年7月31日 帝国憲法改正案委員小委員会

日本社会党 鈴木義男三権分立の建前から言ひましてもひ実際上から見ましても最高裁判所の長官の云ふものは此の憲法に於ては将来非常に重要な意味を持つ、又持たすべきであると私共は見て居る。従来の憲法上でも大審院長やそれ以下の裁判官と云ふものが不当に低い地位に置かれた。それが一つは裁判と云ふものに権威を持たせなかった理由で、此の憲法の建前から見ても是非とも此の最高裁判所長官内閣総理大臣と対等の地位に置く内閣総理大臣天皇に依って任命されるものなら最高裁判所長官天皇に依って任命されると云ふことが正にあるべき姿ではないか。」

日本進歩党 吉田安「個人と致しまして私自身全面的にそれに賛成して居る。」

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日本自由党 芦田均委員長「私個人としては斯う云ふ修正案の趣旨に賛成であります。」

こうして天皇による内閣総理大臣の任命を定めた第6条に次の条文が追加された。

第六条

  二 天皇は内閣の使命に基いて

    最高裁判所の長たる裁判官を任命する

1946(昭和21)年11月3日 自由と平和とを愛する日本国憲法が公布された。

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天皇「朕は国民と共に文化国家を建設するように努めたいと思う」

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N : 九条の平和主義、生存権、司法に係る様々な権利も追加修正されたのです。ジダンさんはその後片山内閣で司法大臣となり戦後日本の司法制度の整備に力を尽くしました。

鈴木さんの孫 油井大三郎さん「敗戦が日本社会を変える大きなチャンスだと感じたと思う。そのチャンスを自分なりに生かさなければいけない、戦前社会のいろんな問題点を体験しているわけですから、その体験を生かして戦後の日本をより良くしないといけないという思いで政治家になっていったと思う。 

祖父のような大正デモクラシー期の知識人は日本にもある程度の民主化の芽があったわけですよね。

そのことを知っている人たちがGHQの改革に呼応して外と内からの合体として戦後改革を実現していったですから外から改革されてきたわけですが、その憲法がずっとその後も持続しているのは内からそれを定着させたその成果は内の日本人自身が定着させてきた。」

東北学院大学名誉教授 仁昌寺正一さん「鈴木義男さんの思いは国とか性別に捉われないでとにかく弱い人の立場を弁護する助けるとか、そういうことがかなり強く広く根底にあった。それがやがていろんな経験をしながら外国に行ってきたり弁護士の経験をしたり全ての人の基本的人権を自分は守る守らなきゃいけないという使命感になって憲法を作成するときに噴出した、という風に考えられる。」

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N : ギダンさんの生まれ故郷 白河。地元の人を魅了した演説があります。

鈴木義男の甥・義次さん「ギダンおじが白河に来ると近所の人が朝早くから皆来るんです。こたつがあって村民が集まって話をされる。

その最初の頃の話が、戦争のない国を作りたい、勉強が出来ればお金がなくとも上の学校にいけますよ、それからお金がなくても病院に入れる、そういうスウェーデンみたいな国を作りたい。

振り返ってみるとおじきが話していたものは今の世の中だいたい出来ているんですね。ただ予想外だったのは格差がある、格差が出来ちゃったというのがおじきが話していたのと違うけれども。」

N : 1963年、ギダンさんは69歳で生涯を閉じました。

国民に分かり易く憲法を解いた「憲法読本」。戦争の時代を生き抜いたギダンさんは日本国憲法に託した思いを記しています。

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   日本国民はまじめで

   働く意思がある限り

   だれでも人間に値する

   最低限度の生存だけは

   国家に向かって要求する権利がある

 

   今度われわれ国を建て直す

   ことになったのであって

   そのために世界を見なほすこと

   戦争に対する考え方を

   根本的に変へることを

   明にしたわけである

 

   これは世界の憲法史上

   画期的なものである

 f:id:cangael:20200613180755j:plain「義男(ギダン)さんと憲法誕生」(完)

 

◎関連ブログ(「書き起こし前に」と第一章~三章まで)

ETV特集「義男さんと憲法誕生」書き起こし前に… - 四丁目でCan蛙~日々是好日~

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