◎昨日は9月最後の金曜日、再稼働反対抗議デモについて、いつものように「特別な1日」さんのブログからです:『上生菓子の作り方』と『問題の責は彼個人ではなく(朝日『論壇時評』)』 - 特別な1日
🔲双葉町にできた原発事故の伝承館、語り部に特定の団体を批判しないよう求めたとか。特定の団体って東電のこと?政府のこと?なんですね~やはり・・・と、いうことで、今週は金曜官邸前抗議はオンライン、現地での抗議は中止です。100人に満たなかった先週の人の集まり具合を考えれば、リアルでの抗議はまだ時期尚早だと思いました。感染の具合を見ながら、ムリする必要はないと思います。先は長いのですから(笑)。
◎原発事故直後、SPEEDIの情報が伝えられずに、浪江町の人たちは放射性ブルームの流れる方向へ逃げて行ったという話は伝えられていました。あれから間もなく10年、9月11日は、その10年の半年前、9年半の3・11です。
「SPEEDI」というのは、「原子力規制委員会が、原発事故の際に放射性物質の拡散を予測する『緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム』(SPEEDI=スピーディ)のことで、原子力規制委員会は事故の際、この活用を明記していた」ものです。
🔲9月23日付で次のような記事が発表されました。以下全文引用です:
原発事故、避難させた先は…「『殺人罪』ではないか」亡き町長の怒り
東日本大震災から間もなく10年。福島県には住民がまだ1人も帰れない「村」がある。原発から20~30キロ離れた「旧津島村」(浪江町)。原発事故で散り散りになった住民たちの10年を訪ねる。(朝日新聞南相馬支局・三浦英之)
被害対応に追われた震災当日の夜
「原発が危険な状況に陥っているなんて、夢にも思いませんでした」
「まさか原発が」。10キロ圏内には町民の約8割、約1万6千人が暮らしている。すぐさま災害対策会議を開き、原発から20キロ以上離れた町西部の旧津島村に避難することを決めた。
午前8時40分、3台のバスによる町民の輸送が始まった。馬場町長が町役場を離れた直後の午後3時36分、南東で原発の1号機が水素爆発する音を聞いた。まるでジェット機が墜落したような音だった。
伝えられなかった放射能の汚染予測
避難先となった旧津島村には約8千人が身を寄せていた。近隣の住民が総出で炊き出しや避難者の世話に当たっていた。
そこで翌日夕、防護服を着て周辺で放射線量を測定している男たちを目撃する。「町民が怖がるので、やめてもらえませんか」と申し入れても、聞き入れてもらえなかった。
「もしかすると、この地域はすでに放射能で汚染されているのではないか」
予感は半ば的中していた。事故で発生した放射性プルーム(雲)は原発から旧津島村がある北西方向に流れた。馬場町長は結果的に住民を放射線量の高くなる地域へと避難させてしまっていたのだ。
国所管の「SPEEDI」(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)は、放射性物質が北西に飛散することを事前に予測していた。しかし国は結果を浪江町には伝えず、福島県も結果をメールで受け取っていながら、伝えなかった。
馬場町長は5月、福島県の担当者が拡散予測を浪江町に伝えなかった事実を報告しに来たとき、泣きながら謝る担当者にこう詰め寄った。
「放射能の汚染予測がわかっていたら、町民を津島には逃がさなかった。あなた方の行為は『殺人罪』にあたるのではないですか」
◎SPEEDIのデータは「無用の混乱を招くため」自国民には知らされず米軍には知らされた:
◎政府の言い訳は「データの精度が低かった」だったが:
◎そして、「SPEEDIの予算縮小」その理由が:
◎そして、原子力委員会はSPEEDIを住民避難の判断には使用しないことを決定!:
◎そして、SPEEDIの記述の削除:
◎戦争犯罪について反省できない日本、また今回も同じです。反省して責任の所在を明らかにして次に備える…これが出来ない日本。あいまいな国、日本・・・
◎原発関連では「shuueiのメモ」さんがフォローされています。最近のブログから4つの記事を紹介です: