市営駐車場の裏にある一本の木
メープルホール越しの山、点々と白く見えるのは桜、咲き出しているようです
芦原池の周りの木々も芽吹き出しています
◆今朝の「shuueiのメモ」さんは、「第五福竜丸に乗り組んで操業していた1954年3月1日、太平洋・マーシャル諸島のビキニ環礁で米国が実施した水爆実験による放射性降下物「死の灰」を浴びた」大石又七さんの死去を取り上げておられました。
◆大石又七さんと言えば、私が思い出すのはNHKの番組で、大江健三郎さんとの「核をめぐる対話」です。
「大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話」(1) - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)
「核をめぐる対話」(3) - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)
◆こちらは、2013年2月24日の記事で、「3・1ビキニデーを前に、第五福竜丸の元乗組員で59年前に被曝した大石又七さん(79)が、「福島の原発事故と核兵器から出る放射性物質が同じと分った以上、ビキニ事件を黙って消すわけにはいかない」と病床から復帰して証言活動を再開した記事」を写真で紹介しています。
今朝の新聞から(原発ゼロ白紙を日米会談で明言) - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)
◆こちらは2014年3月1日の記事。アメリカの水爆実験での被曝から60年、被曝体験を語り続ける大石又七さんを取り上げた日経新聞の記事を取り上げています。
金曜デモと3・1ビキニ・デーとアレコレ - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)
◆こちらは、2015年の3月2日の記事。
クリスマスローズ咲いて…「3・1ビキニ・デー」と「植民地的やり方」 - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)
◆記事の中でmiyotyaさんの第五福竜丸展示館見学の手記を紹介しています:
◎3月1日の昨日、「ほのぼの日記」さんのブログでは、「3・1ビキニ・デー」を取り上げて、ブログ主のmiyotyaさんが、第五福竜丸展示館を訪ねた記事も紹介されています。
◆私は、池田市にあった映画館へ黒澤明監督のこの問題を扱った三船敏郎主演の映画を一人で見に行ったことがありました。三船敏郎が死の灰を被ったマグロを異常に恐れる老人を演じていて、周りから狂人扱いされるという内容でした。当時の私には黒澤明監督の痛快作品を期待していたのに・・・ちょっと理解しきれない怖い内容だったことしか覚えていませんが、今から考えると、日本人として三度目の核被害を通して反核を世に問う問題作だったのですね。Wikipediaから引用です:
『生きものの記録』(いきもののきろく)は、1955年に公開された日本映画である。監督は黒澤明。モノクロ、スタンダード、103分。米ソの核軍備競争やビキニ環礁での第五福竜丸被爆事件などで加熱した反核世相に触発されて、原水爆の恐怖を真正面から取り上げた社会派ドラマで、原爆の恐怖に取り付かれる老人を演じた三船敏郎は、当時35歳で60歳の老人を演じた。作曲家の早坂文雄の最後の映画音楽作でもある。
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あらすじ
歯科医の原田(志村 喬)は、家庭裁判所の調停委員をしている。彼はある日、家族から出された中島喜一(三船敏郎)への準禁治産者申し立ての裁判を担当することになった。鋳物工場を経営する喜一は、原水爆の恐怖から逃れるためと称してブラジル移住を計画し、そのために全財産を投げ打とうとしていた。家族は、喜一の放射能に対する被害妄想を強く訴え、喜一を準禁治産者にしなければ生活が崩壊すると主張する。しかし、喜一は裁判を無視してブラジル移住を性急に進め、ブラジル移民の老人を連れて来て、家族の前で現地のフィルムを見せて唖然とさせる。
喜一の「死ぬのはやむを得ん、だが殺されるのは嫌だ」という言葉に心を動かされた原田は、彼に理解を示すも、結局は申し立てを認めるしかなかった。準禁治産者となった喜一は財産を自由に使えなくなり、計画は挫折。家族に手をついてブラジル行きを懇願した後に倒れる。夜半に意識を回復した喜一は工場に放火した。精神病院に収容された喜一を原田が見舞いに行くと、喜一は明るい顔をしていた。彼は地球を脱出して別の惑星に来たと思っていたのだった。病室の窓から太陽を見て喜一は、原田に「地球が燃えとる」と叫んだ。
◆映画の中の二つのセリフを引用です。
志村喬の調停委員「私は正気でいるつもりの自分が不安になるんです。狂ってるのはあの患者なのか、この時世に正気でいられる我々がおかしいのか」
三船敏郎の老人「「バカなものをつくりやがって!!」
◆黒沢作品の中で「生きものの記録」をおススメのトップに選んでいる方のブログから黒澤明監督がこの映画を撮った意図がうかがえる部分を引用です。これを読むと当時の私(11か12歳くらい?)も分かっていなかったと思いました。(PS:それにしても封切り直後に観たとすれば小学生!一寸年齢が合わない気がします。直後でなくても中学生ぐらい?我ながら???)
さきほど述べたように、1954年の水爆事故が映画の作るきっかけになったのだが、この時代の日本人は一部では反対の運動が起き(水爆実験に対しての)その後、沈静化する程度の問題だった。映画の公開パンフレットにはこのようにかいてある。
「この水爆の恐怖を他の動物が知ったならおそらく本能的な行動を起こすだろう。少しでも安全な場所を探しそこへ向かって種族保存の本能から大移動を起こすだろう。この主人公は人間として欠点だらけかもしれない。しかしその一見奇矯な行動の中に、生きものの正直な叫びを聞いてもらいたいと思う」
狂気に陥った人間が最も正気な人間で、その正気な人間を法律というもので縛り付ける。
そのことによって、本当に狂って「ああ、地球が燃えとる、地球が燃えとる」と叫ぶ。
また、この作品は家族というものが大きなキーポイントになっている。この時代では特に、父親という存在が家族の中での象徴、大黒柱として崇められていた。だが、その権力をもってしても原水爆の恐さを説得することが出来ない。この中島の家族を日本という国家単位で考えるとしっくりくると思う。そうすると、原爆投下という惨劇を過去のものとして忘れ去られていく怖さがメタファーとなっていることが分かる。
この「生きものの記録」が公開された時代は一歩間違えれば核戦争が起こりかねなかった。その恐怖を危惧して映画というものの中にメッセージをこめた。その過去の遺産を改めて見直し、人間がどのようにその不安と戦い解決しようとしたのかを知るべきだ。だが、いくら少数の人間が未来に対しての不安を語ったとしてもいまの日本では、「生きものの記録」の中島のようになってしまうのだろうか。
『黒澤明監督「生きものの記録」は最も優れた原水爆映画だ!!~おすすめ黒澤映画、ベスト3もあるよ~』 (taidan.org)