「国力、国益を考えない連中が『安倍的なもの』を生み出し、日本をビッグモーター化させている【池田清彦×適菜収】」

🔲「安倍政権とは何だったのか?」「なぜあのような人物を日本社会は生み出してしまったのか」・・・とても読み応えがありました:

いまだに安倍を保守だと思い込んでいるチンパンジーもいますが、目を覚まさないと国が滅びますね。もう、滅びかけていますが。 ↓ 国力、国益を考えない連中が「安倍的なもの」を生み出し、日本をビッグモーター化させている池田清彦×適菜収】
 
適菜収著 『安倍晋三の正体』(祥伝社新書)がベストセラー街道を爆進中だ。今回、日本の社会評論についても鋭い論考を重ねる生物学者にして評論家の池
田清彦氏との白熱した対談を全2回にわたってお届けする。安倍政権とは何だったのか? 全体主義が覆いはじめた日本の大衆の心とは? 国力、国
益を考えない連中が日本をビッグモーター化し破滅に導いている・・・「だから何度も言ったのに」連載第45回。
 

◎維新が大阪でなぜこうも受け入れられるのかが不思議で、ここ2回ほど維新についての記事を取り上げてきました。3回目の本日の記事の中の維新(=「社会に蔓延する悪意、不安、ルサンチマンが、維新のようなものを生み出したのだ」が私には一番ストンと腑に落ちたような気がします。

・「現実を直視しなければ『維新の強さ』は分からない(松本創)」と「世界日報と『憲法改正』と統一教会」「マイナ保険証の資格確認書って?」など - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)

・届いた供花と維新の話「雨宮処凛の『なぜ維新なのかについてのロスジェネ的考察』マガジン9」と「1年で65万人以上の人口減」など - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)

◎維新と安倍元首相はとても気が合いました。自民党安倍晋三ではなくて、安倍晋三夫妻と維新、当時は松井府知事です。森友学園の園児が、安倍昭恵氏が見守る中、教育勅語を唱えたり、安倍昭恵氏が籠池氏の案内で学園の用地を視察に行ったりしていた頃です。この記事を読むとあの頃を思い出します。ソックリ引用です:(下線・色字・太字by蛙)

国力、国益を考えない連中が「安倍的なもの」を生み出し、日本をビッグモーター化させている【池田清彦×適菜収】

【隔週連載】だから何度も言ったのに 第45回 :『安倍晋三の正体』をめぐって(対談前編)【池田清彦×適菜収】

 

■ニッポンを蝕む全体主義

池田:今回適菜さんは『安倍晋三の正体』(祥伝社新書)を上梓されたけど、大変面白かったですよ。適菜さんはその前に『ニッポンを蝕む全体主義』という新書も書かれていたけど、今回は安倍だけに焦点をあてたみたいだね。基本構造としては「ニッポンを蝕む全体主義」と安倍が体現しているものは重なっている。僕が安倍はおかしいなと思ったのは、第1次政権の総理を辞めるとき。「この人はかなり幼児的だな」と思ったね。政治家にはとても向いていない。小学生が駄々をこねているような感じで、なぜこんな人が首相をやっていたのかと疑問に思った。谷垣禎一さんのほうがはるかにマシだったけど、なぜか首相になれなかった。谷垣はリベラルっぽいところがあったから、安倍を支えてきた連中は、安倍のほうが操りやすかったのかもしれないね。

適菜:先生がおっしゃるように、全体主義と「安倍的なもの」は重なる部分が大きいです。もちろん、歴史的な背景により全体主義の現れ方は異なりますが、共通するのは大衆社会において発生することです。前近代における専制の一方的な権力の行使とは異なり、騙される大衆がいないかぎり、全体主義は発生しない安倍政権の特徴は、国民に対する丁寧な説明を行わず、社会に一定数存在する「騙されやすい人間」を嘘やデマを最大限に利用することで動員し、権力基盤を強化していったという構造があると思うんです。

池田:そうだね。大衆がいなければ全体主義は発生しない。ナチスドイツのヒトラーを熱狂的に支持したのは大衆です。ヒトラーの頃は反対する奴を全部追放したりした。時代が進んだから日本では支配の構造がマイルドになってきたよね。だからかえって続いたという面はあると思うんですよ。

適菜:アレクシ・ド・トクヴィルが『アメリカのデモクラシー』で、「穏やかな専制」という言葉を使っていますね。ここは今回の対談のテーマと深くかかわる部分だと思います。今の時代に「専制」のようなものが打ち立てられるとしたら、それは別の性質を持つものだろうと。それはより穏やかで、人々を苦しめることなく堕落させるだろうと。まさに今の状況ですね。トクヴィルはこういうことも言っています。

《誰もが自分にひきこもり、他のすべての人々の運命にほとんど関わりをもたない。彼にとっては子供たちと特別の友人だけが人類のすべてである。残りの同胞市民はというと、彼はたしかにその側にいるが、彼らを見ることはない。人々と接触しても、その存在を感じない。自分自身の中だけ、自分のためにのみ存在し、家族はまだあるとしても、祖国はもうないといってよい

 
国家や公共というものを前提としない人間をテクノロジーにより動員する。まさにそれが安倍政権だったと思います。安倍は銃撃され物理的には消滅しましたが、「安倍的なもの」は依然として今の日本社会を深く蝕んでいます。逆に言えば、戦後日本の病を放置してきたツケが回ってきて、腐ったものが押さえきれなくなり、安倍政権という形で一気に表出した。それで、国や社会がとんでもないことになってしまった。だから先生がおっしゃるように、安倍を批判するだけでは十分ではなく、なぜあのような人物を日本社会は生み出してしまったのかという構造の問題として捉えないと間違えます。
 

池田:そうですね。安倍が辞めて別の人間が自民党の総裁になっても基本構造は変わらない。根本が変わらないと。根本というのは、日本の大衆の心のインフラみたいなところが固定してしまいそこから抜け出せない。

適菜:だから総理が岸田文雄になっても変わらないですね。

池田:うん、まったく変わらない。

適菜:一部から総理候補と呼ばれる高市早苗河野太郎小泉進次郎みたいな連中も、恫喝体質、カルト体質、浅はかさ、無責任さ、強烈な自己愛など「安倍的なもの」を引きずっている感じがします。

池田:根本的な問題は国民のためにという発想はハナからなくて、あるいは国力を上げるというパトスもなくなったこと。国力を上げようと国民も政治家も考えなくなったね。経団連の連中とか安倍の取り巻き連中は、国民は労働奴隷だと考えている。だからなるべく低賃金に抑えて搾取する。江戸時代の小作農みたいなものだね。生かさず殺さずという最低限の生活を強いて、上がった利益は日本国内ではなくて、外国に流す。大企業もそれで儲かるわけだから、その利益を自分たちと自分たちの取り巻きで分ける。そいつらだけが繁栄すれば問題はなく、残りの9割の国民は貧乏のどん底でもいいと思い始めたんじゃないかな。

 

■維新の会とナチスの構造

適菜:維新をはじめ、あの類の連中の特徴は大言壮語することにあります。荒唐無稽な目標を定めることで、運動を持続させようとする。「大阪都構想」だって住民投票が通っても、大阪が都になるわけではなかった。大阪市特別区に解体されるだけだったのに、維新は確信犯的に嘘をつき、大阪がニューヨーク、ロンドン、パリ、上海、バンコクと並ぶ大都市になるといったデタラメな話で盛り上げ、大阪市の財源を狙ったわけです。その背後には竹中平蔵菅義偉、安倍のような人物がいた。先ほどの大衆運動の話と同じで、社会に蔓延する悪意、不安、ルサンチマンが、維新のようなものを生み出したのだと思います。維新とその周辺は凶悪犯罪を含めて、数多くの問題を引き起こしています。これはTwitterにも書いたのですが、「なぜ維新の会は問題を起こす人物が多いのか」と問うのは間違いで、問題を起こすような人物だから維新に接近していくのです。遵法意識や社会性の欠如。維新にとって有権者は詐欺によって騙す対象でしかありません。

 

池田:そこは日本が貧乏になっていることとパラレルになっている。どこかに「自分たちよりうまく儲けている奴がいる」と思って憤慨するのだけど、それが維新や竹中のような奴であることには気づかない。そういう人がターゲットにされている。「公務員の給料を減らせ」といった類の言説に騙されてしまう精神構造は、江戸時代にだいぶ魂を抜かれたからかもしれないね。日本は市民革命を経験しなかったので不満をぶつける対象は、自分たちよりちょっと上の暮らしをしている人になるだからトップの連中の悪行が目に入らないわけだ。フランスみたいにデモもしないし。

適菜:先ほど先生に紹介頂いた『ニッポンを蝕む全体主義』に書きましたが、日本の近代化は内発的なものではなかったむりやり鎖国を解かれて、西洋に巻き込まれていった。だから、近代化に付随して発生する「個人」が日本ではうまく成立しなかっ。その一方でマイケル・オークショットが言う「できそこないの個人」「反–個人」が拡大していった。オルテガ・イ・ガセットが定義した「大衆」も同じです。要するに、隣の人と自分の価値観が似ていることに安心するような人です。確固とした自分というものがなく、世間体ばかり気にしている。前近代的な共同体から切断され、不安に支配された大衆は、自分をしばってくれる、管理してくれる強いリーダーを求めるようになる。政治はこうしたニーズに応えることにより変形していく。こうした「根無し草」の大衆が全体主義の土壌になるわけですね。

 

池田:まったくその通りです。1960年代、70年代に日本が経済大国になっていった要因はいろいろあるけど、日本人が横並びでもって自分の意見を言わないでやっていくのが当時の工業製品を作るうえでは一番適応的だったしかし、それはいつまでも通用しない。それで外国に追い越されていったわけですよ。それは教育のせいでもあったんです。教育はひたすらバカな人間を量産するという文科省の方針でやった「上の言うことを聞いていればいい」と思っている人間は工業化社会の中で奴隷労働をさせるのにはいいが、新しいことを考えたり、イノベーションを起こしたり、何か変なおもしろいことをやるのにはまったく適しなかった。そういう人間を叩いてきたわけだよスティーブ・ジョブズにしてもビル・ゲイツにしても日本にいたら落ちこぼれだよね。そう考えると日本は江戸時代から明治、大正とずっと変わっていない。自分たちで決めることができなくて、上に先導されると右でも左でもいいから「わーっと」ついていく。それでも第二次大戦前までは国家という発想があったから、トップの連中は満州国でも何でも作って、戦争に勝って世界を支配して自分たちの力を上げようとしたんだけど、今の日本はトップが国が潰れようが知ったことではないという感じだよね。それを示したのが安倍政権です。

【後編に続く】