クローズアップ現代(8月30日)「集団の”狂気“なぜ 関東大震災100年”虐殺”の教訓」

◎今日は9月1日。今年も3分の2が終わって残り3分の1の4ヵ月しかありません。暑い日が早くからスタート、そのまま9月に入ってしまいました。台風シーズンでもありますが、1日は1923(大正12年)の関東大震災から100年です。そしてあの朝鮮人大虐殺からも100年。

🔲松野官房長官はその朝鮮人虐殺についてこう発言しています:

記録さえ残さなければ、また同じことが起きてもしらばっくれることが可能だと思ってるって政府って、最低最悪だな。
 
松野博一官房長官は、関東大震災当時の朝鮮人虐殺について「政府内において事実関係を把握する記録は見当たらない」と述べ、コメントを避けた反省や教訓の言葉もなかった朝鮮人虐殺でコメントせず 松野官房長官「政府記録なし」 | 2023/8/30 - 共同通信
松野博一官房長官は30日の記者会見で、関東大震災当時の朝鮮人虐殺について「政府内において.事実関係を把握する記録は見当たらない」と述べ、コメント
を避けた。反省や教訓の言葉もなかった。関東大震災は9月1日に発生100年となる。.
 
 

8月30日のNHKクローズアップ現代は「集団の”狂気”なぜ 関東大震災100年”虐殺”の教訓」でした。9月1日に公開を迎える映画「福田村事件」の監督森達也さんに桑子キャスターがインタビューしてスタート。最近のNHKらしからぬと言うか、久々のNHKらしい、30分とは思えない素晴らしい内容でした。

桑子さんの出だしは、松野官房長官が「政府記録なし」を理由にしているのがオカシク感じます。

関東大震災100年 朝鮮人殺傷事件の深層 - NHK クローズアップ現代 全記録

映画「福田村事件」森達也監督はなぜ埋もれた事件を撮ったのか - #クロ現 取材ノート - NHK みんなでプラス

コチラの取材ノートのダイジェストが30日に放送された「クローズアップ現代」の内容だったようです。詳しい方の取材ノートをコピーで。(太字・色字・下線 by 蛙)

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「福田村事件」森達也監督 100年前の“虐殺” が現代に問うもの

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これまで多くのドキュメンタリー作品を手がけてきた、映画監督で作家の森達也さん。今回初めての劇映画を監督しました。

タイトルは「福田村事件」。100年前の関東大震災直後の混乱の中、千葉県福田村(現・野田市)に香川県から来ていた行商団の一行が、地元の自警団に朝鮮人と疑われ、9人が殺害された事件をテーマにしています。

残された資料が少なく「歴史に埋もれていた事件」を、100年後のいまなぜ映画化したのか。作品にこめたメッセージとはなにか。

桑子真帆キャスターが聞きました。

 (政経・国際番組部ディレクター 渡邊覚人)

 

そこには“殺傷”に関する目撃証言が綴られていた―関東大震災から間もなく100年。今年、存在が明らかになった当時の小学生の未発表作文集の中に、朝鮮人などの殺傷に関する記述が多数含まれていることが分かりました。当時何が?独自取材で迫りました。映画監督・作家の森達也さんは、かつて千葉県福田村で起きた日本人が朝鮮人に間違えられ殺害された事件に注目し、映画化に挑みました。なぜ集団はパニックに陥り残虐な行為は起きたのか。

 

桑子真帆キャスター
今回、森さんが福田村という場所で起きた事件を描こうと思われたのはどうしてですか。

森達也さん
事件を知ったのは偶然ですね。たまたま新聞の小さな囲み記事を見たんです。(2003年に) 千葉県野田市で慰霊碑を建立することが決まったという記事でした。気になって現地に何度か行くうちに、関東大震災のあと、いわゆる朝鮮人虐殺があったときに、この地で日本人の行商団の9人が殺害されていたという、事件のアウトラインがわかってきた。
この事件では日本人も実は殺されている。たぶんこれは多くの人が知らないことだし、見る側も予想外の展開に驚くのではないかと。さらに、殺された人たちは被差別部落出身だった。この事件は朝鮮人に対しての蔑視(べっし)と部落の人たちに対する差別、つまり日本の近代のゆがみが二重に重なっているので、映画としても深くなるなという直感がありました。

 

桑子

今回、森さんは被害側ではなくて加害側を描くことを特に意識されたと伺っていますが、それはどうしてですか。

森さん 
僕のひとつの原点は、オウム真理教の信者たちのドキュメンタリーです。教団施設に入ったとき、信者たちがみんな本当に善良で穏やかで、やさしいことにびっくりしました。でも彼らは、もしも指示されていたらサリンをまいていたはずなんですね。そのとき、善と悪とはいったいなんなんだろうと大きな疑問になって、それ以降ずっと自分の中で引っかかっていて、いろいろな現場に行きました。アウシュビッツであったりカンボジアのキリング・フィールドであったり韓国のチェジュ(済州)島であったり、全部虐殺があったところです。
そこで思うことは同じでした。例えば戦中のナチスドイツには冷酷な人ばかりで、みんな凶暴だったのか、そんなはずはないわけです。大日本帝国時代の日本も、中国大陸でいろいろな悪行に手を染めましたが、でも国へ帰れば、よき夫であり、よき息子であり、よき父であったはずです。それは世界共通だと思うんですね。
人は善良なままで人を殺せる。僕はそう思っています。もちろん一面的には悪です。でも同時に、彼らは自分と地続きの人たちだという意識を僕らは持つべきだと思います
もし“虐殺”の場面だけを映画にしたとしたら、加害側は冷酷で残虐な人たち、「モンスター」です。でもそう描くのは僕の本意ではない。加害側の普通さを映画のなかで示したかった。そのためには、加害側の人たちも普通の日常があり喜怒哀楽があり営みがあると、しっかり描くというのが前提でした。

桑子
被害を受ける側にスポットを当てれば、見ている側は心を寄せやすいと思います。でもあえて視点を加害側にすることで、なにが浮かび上がってくると考えていらっしゃいますか。

森さん
極論すれば被害側は「たまたまそこにいた人」です。でも加害側にはそこに至るメカニズムがあり理由があります。からしっかり検証するならば、被害側ではなくて加害側なんです。被害に遭ってしまった人たちのことは、もちろんしっかりと記憶しなくてはいけないし、その思いを共有しなければいけない。でも被害側に感情移入しすぎるあまり、加害側は悪辣(あくらつ)冷酷で凶暴な人たちという見方をしてしまうことは危険だし、なにより事実と違います。もちろんやったことは裁かれなければならないけれど、加害側も同じような人間で同じような感情があり、同じような営みがある。でもなにかのきっかけで加害側と被害側に分かれてしまう。それを描きたかった。
普通のストーリーテリングの作法としては、「加害側は悪、加害される側は善」という構図にしておけば、感情移入しやすいし楽です。でも今回の映画は、多少見る側に負荷を強いるかもしれないけれども、加害側もしっかり見てくださいという思いを込めています。

「集団の暴走」を描く

桑子 
映画のなかで、普通の日常を送っていた村人たちが関東大震災を境にどんどん暴走していきます。なぜ人はあれほどまでに暴走してしまうのか。森さんはどうしてだと思いますか。

森さん
キーワードは「集団」です。もし人がひとりで生活する生き物であればあんなことは起きないと思います。
人は群れて生きることで社会性を獲得して、コミュニケーションが必要になるので言語や文字、文化を継承し文明が生まれ、ここまで人類は繁栄できました。でも群れには副作用があって、「みんなが同じように動く」ということですね。群れる生き物はたくさんいますが、例えばムクドリの群れやイワシの群れは、全体がひとつの個体のように動きますね。バラバラに動いていたら天敵に食べられてしまうから。なかでも人類は「群れ化」を一番進化させた生き物ですから、同調圧力が強い特に不安や恐怖を刺激されたとき、とにかく集団になりたくなる。自分の意思ではないけれども体が勝手に動いてしまって、気がついたら、とんでもないことをやっていた。ざっくり言うとこういうメカニズムではないかと思います。

映画のワンシーン
映画のワンシーン

桑子
集団がなにかをきっかけに暴走するそのきっかけになりうるのはどういうものが考えられますか

森さん 
例えば水が氷になったり水蒸気になったりすることを「相転移」といいます。水ってゆっくり熱すると100度を超えても沸騰せず、105度106度になるんですね。このとき、ちょっとした物理的刺激を与えると一気に沸騰します。逆にゆっくり冷やすと零下10度20度になっても凍らず、刺激を与えると急に氷になります。なにかのはずみで一気に変わってしまう。これはたぶん人間も同じようなものではないかと思っていて、集団になると本当に予測できない、ふとしたきっかけで変わってしまいます
関東大震災の直後については、内務省が各地の警察に「朝鮮人が暴動を起こす気配がある」とか「略奪をしている」とか、そういう通達をまず流しました。それはあとで取り消されるのですが、その話がひとり歩きして、それが事件の大きなきっかけになってしまったことは確かです。時代背景を考えれば、内務省がそもそも朝鮮人の暴動を恐れていたというのもあるし、当時はスペイン風邪パンデミックがあって、そのあとに震災があった。非常に国際関係もきな臭いというか、いまと似ているかもしれません。そうしたある意味の臨界状態にあるときに、なにかのきっかけで暴走してしまうということは、いまだって十分起こりうるのではないかと思います。

桑子 
それは自分を守りたいという心理ということでしょうか。

森さん 
まずはもちろん自分を守りたい。自分の家族を守りたい。これがどんどん大きくなって、親戚、友人、同胞、最後は国民とか国とかになる守りたいという気持ちはとても大切な本能ですが、結構「くせ者」で過剰防衛しちゃうんですね。守るための一番いい方策は攻撃を受ける前に敵を消すことですから。そうやって戦争は起きるし虐殺も起きるんだろうなと思います。

集団の中の異物は「希望」

撮影風景
森達也監督と東出昌大さん

桑子 
今回の作品のなかで、村人のなかでも少し一線を画しているのが、東出昌大さんが演じる倉蔵という人物でした。森さんは彼に何を託したのでしょうか

森さん
倉蔵は船頭です。田畑を持っていないので、村落共同体のなかではちょっと「異物」なんですね。おそらく財産もない。そうした存在が、集団が一斉に同じふるまいをするとき、少し周りと違う動きをする。それはある意味で希望というと大げさすぎますが、人間にはこういう可能性もあるんだということは示したかった。“虐殺”が始まってしまったら止めるのは難しいだろうけど、彼のような存在がもっと早い段階で声を上げていれば違う展開になったかもしれないという思いは、少し託したかもしれないですね。

桑子 
あの倉蔵という人物について、最後まで集団に異を唱え続けた人という見方ももちろんできるし、結局暴走を止められなかった人という見方もできるなと思いました。でも森さんは、最後まで異を唱え続けた希望の存在として描きたかったということですか

映画のワンシーン
映画のワンシーン

森さん 
そうです。福田村事件の史実としても、おそらくは異を唱えた人もきっといたと思いますが、結果としては凄惨(せいさん)な事件が起きてしまった。でも、ホロコーストのときにユダヤ人を逃がした杉原千畝さんのような人であったり、ルワンダの虐殺のときに多数の逃げてきた人を自分が勤めているホテルにかくまおうとした人であったり、そうした存在は絶対にいるんですね。それは絶対に救いになるし、映画のなかでちゃんと描きたかった。でも同時に、こうなってしまってはもう止められないという、無慈悲なまでの集団のメカニズムもしっかり描きたいと思いました

桑子 
それは、集団の中の「異物」を排除したり分断したりするのはやめようよというメッセージですか。

森さん
人は集団化が始まると異物を探したくなるものです。なぜならば異物を探した瞬間に自分たちは多数派になれて、より強く連帯できますから。なのでこの場合の異物って極論をすればなんでもいいんです。肌や目の色が違うとか、言語やイントネーションが違うとか、宗教が違うとか。
異物だからみんなで排除しようという、学校のいじめと一緒ですよ。いじめも多数派がひとりをいじめるわけでしょう。このとき多数派のなかにも、いじめに本当は加わりたくない人もいるはずです。でもそこで消極的な姿勢を見せてしまうと、今度は自分が標的になるかもしれない。だからみんなで連帯したふりをして、結果的には誰かを追い詰めてしまう。
その「異物」という言葉がたぶん適当ではないんでしょうね。異なっていない、本質は同じでちょっとだけなにかが違う人。そのちょっとだけ違う人が集まったものが社会である。そうした気持ちを僕らが持つことで、もっともっといろいろな人、価値観を包摂できる社会になれば、こんなに居心地のいい社会はないと思うんですけどね。

100年前といまのメディア

インタビュー風景

桑子 
映画には新聞記者も登場しますが、非常時・災害時のメディアの立ち居ふるまいはとても繊細でなければいけないなと感じました森さんは非常時のメディアの在り方についてどんな問題意識をお持ちですか。

森さん 
メディアにも記者であったりディレクターであったり、いろいろな個人がいますが、結局は組織の中にいるわけですし、社会が集団化したときはメディアも集団化しているんです。だから、その中で記者自身も不安や恐怖を感じるし、アナウンスしてしまうのだと思います。それに、不安や恐怖を伝えるほうが視聴率がとれる、部数が上がりますし。
今回の映画で、新聞記者が「真実より伝聞を信じるのですか」と、激しく先輩デスクに詰め寄るシーンがあります。そこでデスクは黙っている。彼も胸中では「そんなことはわかっている。でもそれをやったら政府から弾圧される。部数も落ちる。そうしたら、おまえたち食えなくなるぞ。この新聞だって存続できないぞ」と、そういう思いを持っている。でも同時にそれで本当にいいのだろうかと、きっと自問自答しているはずなんです。それは現代のメディアでも一緒ですよね。たぶん100年前と現在でメディアの悩みはほぼ変わっていないと僕は思っていますから、あの新聞記者のシーンは現在とのブリッジになるかなと思って設定しています。

桑子 
いまのメディアはどうでしょう、森さんにはどう映っていますか。

森さん
NHKは違うでしょうけど、基本的にはテレビ局も新聞社も出版社も、みんな営利企業ですから利益を求めるわけです。利益がないことには、会社が存続できないし社員たちも生活できません。でも同時にそれだけでいいのか、本来ジャーナリズムとはなんのためにあるのか、政治権力を監視するためにあるのではないか、弱者の小さな声をみんなに届けるためにあるのではないかという葛藤をしてほしい。市場原理に巻き込まれるのはしかたのないことですが、それが当然だと思ってほしくない。その葛藤は絶対に記事や映像に現れるんです。だから、そういうこだわりというか、気持ちを持てるかどうかの違いかなという気がしています。

自分の主語を保つ 視点を変えてみる

桑子 
メディアの組織のなかにも集団の心理と同じことが働いている。その前提で、自分がどう表現できるかで戦うということは大事なことだと思いました。

森さん 
集団に属しながらも自分を捨てない。言い換えれば「一人称単数の主語」、つまり「僕」とか「私」という主語を維持する。これだけでだいぶ違うと思います。これがもし「われわれ」とか、自分が帰属する集団の名称を主語にしてしまうと述語もより大きくなってしまう。
特にジャーナリズムは、僕は「一人称単数」が大事だと思いますね。取材現場に行ったときに悲しむ、怒る、これをみんなに伝えたいと思う。そのうえで、組織のなかでどう生きるかということをいつも考えることだと思います。

桑子 
常に集団の考えていることに対して疑問を持つ、疑問符を投げかけるということですか。

森さん
そうですね。リテラシーですよね集団のなかの情報は、それに対しても疑いの目を向ける。いまこの「クローズアップ現代」で、こういうことを言っているけど、これは本当にどうなのか、どこまでこれが正しいのか。そういうかたちで情報に対しては信じ込まない。多層的なんです。多重的で多面的ですちょっと視点をずらせば違うものが見えてくる、その意識を持つこと、それは僕はリテラシーの一番基本だと思っています。

桑子 
ただ、どうやって自分を保つか、それを実際にできるかどうか、本当に難しいとも感じます。

森さん 僕の経験談でいえば「視点を変えればいい」んですね。みんなが同じ位置からなにかを見ているときに、違う位置に回り込んだら、あるいは自分の目線の高さ変えたら、違ったものが見えてきます。そうすると、大多数が言っていること、見ていること、感じていることだけではないんだよなという気持ちがわいてくる。別に報道の現場でなくても使えるのではないかな。自分の主語を保つことにつながります。これは決して苦行でもないし修業でもないし、体力もお金も使わない。ただやるだけです。

桑子 私はキャスターという立場上、なにかのテーマを扱うとき、「これって本当にそうなの?」という疑いの目・視点を意識的に持つようにしています。ただ、もし社会全体があらゆるものに懐疑的で否定的な見方になったら、あまり幸せじゃないかもとも思うんですね。森さんはどう思われますか。

森さん それは、否定的に見るということではなくて、それぞれの見方があるということじゃないですか。僕は大学で教えている学生から「どの新聞が言っていることを信じればいいんですか」みたいなことをよく質問されるんです。僕の答えとしては「信じるという言葉を使った段階でアウトだよ」。情報は信じるものじゃなくて、あくまでも主体的に利用するものですから。新聞それぞれ角度が違うので、全部を見ろとは言わないけど、これは○○新聞の視点で、□□新聞にはたぶん違う視点があるだろうという意識を持つだけでも、情報の見方はずいぶん変わります。よくメディアリテラシーとは「真偽を見抜くこと」みたいな言い方をする人がいますね。僕、それは無理だと思っているんです。だっていまやCGであったりAIであったり、映像のフェイクなんて見抜けないですよ。だから見抜くのではなくて、そもそもひとつの視点であり、多様な解釈があるなかのひとつだという意識を持つことが大事なんだと思いますよ。

桑子 「疑う」と思うのがよくないですね。

森さん

はい。「疑う」じゃなくて、これはひとつの視点・解釈であると意識する。これを書いた記者、これを撮ったカメラマン、これを編集したディレクターの視点だという意識を持つだけで、ずいぶん変わるんじゃないでしょうか。

「負の歴史」を学ぶこと

追悼慰霊碑
福田村事件の犠牲者を追悼する慰霊碑

桑子 
今回の「福田村事件」は、長らくタブーとされてきて資料もほとんど出てこなかったと聞いています。私も見て知って苦しい気持ちになり、そういう歴史との向き合い方もすごく考えさせられました。負の歴史との向き合い方、森さんはどう考えていらっしゃいますか。

森さん 
負の歴史とは、日本国あるいは日本国民にとって都合の悪い、目を背けたい歴史ということになりますね。確かに最近、特にこの20年くらいで「自虐史観」という言葉が浮上してきて、こうした歴史に対して否定的な見方をする人がとても増えてきた
でも、人に例えればわかりやすいですが、人は失敗とか挫折とか失恋を経て成長するわけじゃないですか。うした都合の悪い歴史は全部なかったことにして、成功体験しか記憶しない人はたぶん成長しないと思います。成長というか、成熟と言い換えたほうがいいのかな。人間として、ひとりの生きる者として、まなざしがやさしくなるか。

やっぱり歴史はなんのためにあるのかというと、僕は失敗を学ぶためにあると思うんです。なぜこの国はこんな失敗をしたのか、なぜ自分たちはこんな過ちをしてしまったのか、それを学ぶこと。そこから目を背けてしまったら社会も国も成熟しないでしょうし、非常に尊大な嫌な国になる。・・・というか、もうなっているかもしれない
本来であれば教育やメディア、そして映画も、負の歴史をしっかりと見つめなければいけないと思いますが、ここにも市場原理があって、負の歴史をテーマにした映画を発表しても、おそらく誰も見に来ないだろうとか、テレビで報道したとしても反発がくるかもしれないとか、そうした不安や恐怖が先に立って、どんどん消えてしまっています。これは本当に不幸なことで、負の歴史だってエンタメにできるんです別に面白おかしいだけがエンタメではなくて、泣いたり怒りを感じたり、エモーションを動かされることがエンタメだと僕は思う。その意味では「福田村事件」の映画はしっかりエンタメにしているつもりで、教科書ではない。そんな上から教える気はさらさらないですから。楽しんでくださいとむしろ言いたいくらい。そうしたかたちで、負の歴史をしっかりと見てもらえればと思っています。

桑子 
負の歴史から目を背けるというのは、日本特有のことなのか、世界的なことなのか、この辺りはどう考えていますか。

森さん 
負の歴史を直視したくないというのは世界共通ですよ。だってみんな人間ですからね。ましてやこちらが加害側であれば、それはできるだけ忘れたいと思うことは人間として当然ですでもそれでは同じことを繰り返してしまうからだめだ、しっかり見つめようと意識的に振る舞うわけです。一番代表的なのはドイツだと思います。
具体的に言えば、例えば日本では戦争のメモリアルデーとして誰もが上げるのは、広島、長崎への原爆投下、そして終戦の日、あと沖縄戦でもドイツのメモリアルデーは、アウシュビッツに連合国側が初めて入った、つまりホロコーストが終わった日と、もうひとつはヒトラーが組閣した日です。これを聞いて僕は、日本と真逆だと思いました。
僕たちが記憶しているのは自分たちの被害ですドイツの人が記憶しているのは自分たちの加害です。ドイツは戦後もずっと、なぜ自分たちはファシズムを選択したのか考え続けざるを得ない。でも日本は、終戦の日を起点にしてしまいましたから、戦後の復興が物語になる。自分たちはこんなひどい目に遭ったという記憶も大切だけど、同時に日本はアジアで何をやったのか、その記憶もしっかり持たなければいけないのに、それはどんどん消えてしまうそれは都合のいい歴史と言われてもしかたないと僕は思います。

桑子 
いまからでも、それは変わることができますか。

森さん 
いくらでもできますよ。国民の過半数が、しっかり記憶しましょうという気持ちになれば、メディアも政治もガラッと変わります

桑子 
そのために必要なことはなんでしょうか。

森さん 
ひと昔前と違うのはネット、SNSという装置で誰もが発信者になれることですよね。映画を見た人、番組を見た人が誰かに伝えてくれるかもしれない。自分はこう思うとか、あの考えは違うと思うとか、そうした意思表示をもうちょっと積極的にするようになれば、メディアも教育も、もちろん映画もいまとは全然違うものになっていると思います。
もちろんネットで個人が情報発信することのリスクもあります。だからといって、いまさら僕たちはこのメディアを捨てられないし、ネットもやめられない。であれば、どうやったらよりよい方向に使えるかを考えるしかない。その先に絶対に希望はあるはずです。

桑子 
力強い言葉をいただきました。力強い思いがないと、今回のような作品はできあがらないと思います。

森さん 
僕らしくないですよ、力強さは(笑)。しょっちゅう僕も絶望しかけていますが、でもどこかで信じているかな。

桑子 
ありがとうございました。

(引用終わり)MMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMM