ドキュメンタリー映画「国葬の日」と劇映画「福田村事件」を観て・・・

◎昨日、阪急電車神戸線宝塚線京都線の分岐の駅十三(じゅうそう)にある第七藝術劇場で2本の映画を観てきました。どちらも今見逃すと後悔するのでは…と思って、出かけました。夫は今年最後のカヤックのチャンスに備えて忙しいというので一人で出かけました。12時開演で途中30分近くの休憩で4時20分まで、帰宅したのは5時半ごろでしたので夕飯支度には丁度良い時間でした。

映画『国葬の日』は文字通り昨年の9月27日の「国葬の日」の1日を全国各地の色んな人に問いかけたその回答を映像と録音で繋げたものでナレーション無し。時々、インタビュアーの「私も反対ですけど…」という声が入る。8年間の長きにわたって首相の座に居て日本の民主主義の根幹にかかわる悪行の数々、怨んでも怨み切れないと私は思っていますが、長ければよい、色々やってくださって、と中身を問わない・・・偉人扱い、など…聞いているうちに『日本人って・・・』と一寸がっくりしてきます。献花の列が夕暮れまで続く映像も・・・情緒に弱い日本人・・・。

「6割反対、4割賛成」の中強行された『国葬』ですが、やったもん勝ちの結果かな~。チラシの最後に大島新監督の言葉「完成版を観てたいへん困惑しています。」と書かれていますが・・・『国葬』という仕掛けで葬られたのは、やはり日本の民主主義の一片ではなかったかと。

◎2本目はコレ。右のチラシは8月入手分。左が今回の2つ折り4頁のチラシ。

大ヒットでよかった。パンフレットも『二刷』になってました。

『福田村事件』が観客動員数10万人を突破関東大震災後の混乱のなか”虐殺”はなぜ起きたのか…話題呼び多くの劇場で満席続出 👏🏻👏🏻👏🏻
 
森達也が初めて劇映画の監督に挑み、1923年9月1日の関東大震災から5日後に千葉県福田村で起こった虐殺事件を描いた『福田村事件』現在、計69ヵ所で上映
中の本作が、9月23日に観客動員数10万人を突破した9月24日時点で動員人数10万4416名、興行成績1億4091万1710円に達する。

内田樹さんがリポストしました

ヒットは予想外…映画「福田村事件」森達也監督いわゆるメディアのタブーみたいなものですよね。『朝鮮人虐殺』政府は東京都も含めて否定の見解を出しているわけですからね、やるからには相応の覚悟が必要になるし…。」 「劇映画の企画書をつくって 今度は映画会社を→
関東大震災後に起きた虐殺事件を描いた映画が話題となっています。沖縄での公開を前に、この映画を監督したジャーナリストで作家の森達也さんにインタビューしました。
オウム真理教」「ゴーストライター問題」など、「タブー」に切り込むドキュメンタリー作家として知られる森達也監督。その森監督がドキュメン
タリーではなく初の「劇映画」に挑んだ作品「福田村事件」。関東大震災直後の混乱の中で起きた虐殺事件がテーマです。
 

クローズアップ現代」が取り上げています。30分のテレビ番組以外に豊富なインタビュー記事をアップしています:クローズアップ現代(8月30日)「集団の”狂気“なぜ 関東大震災100年”虐殺”の教訓」 - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)

コチラは映画で倉蔵を演じた東出昌大さんのインタビューです:

内田樹さんがリポストしました

映画「福田村事件」が描く「集団の狂気」 東出昌大さんインタビュー - #クロ現 取材ノート - NHK みんなでプラス
NHK関東大震災直後に起きた「福田村事件」。香川県から来ていた行商の一行が、地元の自警団に朝鮮人と疑われ、9人が命を落としました。この事件を題材にした映画で、不安と恐怖から暴徒化した村人たち

こちらもNHKの詳しい記事:

なぜ“群集”は暴走するのか 関東大震災100年 ある事件の問い | NHK | WEB特集

◎観て本当に良かったと思いました。100年後にこうして知る事実。こうやって語り次ぎ、様々な感情を呼び起こし考えさせる映画の力というか有難さのようなものも感じますし、ドラマの持つ意義のようなものまで・・・凄い映画だなと思います。(一方でこの事実を認めない政府や小池都知事!????)

見終わったときはやはり怖い、集団が狂気を帯びて一方向に走ってしまったら個人は抗えるのか・・・。最後、目撃者でもあった二人が小舟で消えていくシーンや、殺された9人にも名前があると言った少年が故郷の橋の上で女の子と再会するラストシーンなど、映像として心に残る美しいシーンともども、行商人のリーダーの「朝鮮人だったら(殺されても)いいのか」という問いかけがいつまでも心に残ります。

きのう入手したチラシから「ストーリーとイントロダクション」を:

1923年9月1日 11時58分

関東大地震が発生した。

ストーリ

大正デモクラシーの喧騒の裏で、マスコミは政府の失政を隠すようにこぞって「…いずれは社会主義か鮮人か、はたまた不逞の輩の仕業か」と世論を煽り、市民の不安と恐怖は徐々に高まっていた。そんな中、朝鮮で日本軍による虐殺事件を目撃した澤田智一(井浦新)は、妻の静子(田中麗奈)を連れ、智一が教師をしていた日本統治下の京城を離れ、故郷の福田村に帰ってきた。同じ頃、沼部新助(永山瑛太)率いる薬売りの行商団は、関東地方へ向かうため四国の讃岐を出発する。

長閑な日々を打ち破るかのように、9月1日、空前絶後の揺れが関東地方を襲った。木々は倒れ、家は倒壊し、そして大火災が発生して無辜なる多くの人々が命を失った。そんな中でいつしか流言飛語が飛び交い、瞬く間にそれは関東近縁の街や村に伝わっていった。3日には神奈川に、4日には福田村がある千葉にも拡大され、多くの人々は大混乱に陥った。

福田村にも避難民から「朝鮮人が集団で襲ってくる」「朝鮮人が略奪や放火をした」との情報がもたらされ、疑心暗鬼に落ち入り、人々は恐怖に浮足立つ。地元の新聞社は、情報の真偽を確かめるために躍起となるが、その実態は杳としてつかめないでいた。震災直後の混乱に乗じて、亀戸署では、社会主義者への弾圧が、秘かに行われていた。

そして9月6日、偶然と不安、恐怖が折り重なり

後に歴史に葬られることとなる大事件が起きる―――。

イントロダクション

関東大震災の発生からわずか5日後の9月6日のこと。千葉県東葛飾郡福田村に住む自警団を含む100人以上の村人たちにより、利根川沿いで香川から訪れた薬売りの行商団15人の内、幼児や妊婦を含む9人が殺された。行商団は、讃岐弁で話していたことで朝鮮人と疑われ殺害されたのだ。逮捕されたのは自警団員8人。逮捕者は実刑になったものの、大正天皇の死去に関連する恩赦ですぐに釈放された…。これが100年の間、歴史の闇に葬られていた『福田村事件』だ。

行き交う情報に惑わされた生存への不安や恐怖に煽られた時、集団心理は加速し、群衆は暴走する。これは単なる過去の事件では終われない、今を生きる私たちの物語。

100年の時を超え、ついに、実話に基づいたかつてない日本映画が公開される。