恒例の我が家のクリスマスを兼ねた忘年会、今年は少し早く14日、赤穂浪士の討ち入り日になりました。
先週のヨーガの日に、忘年会メンバーのUさんが「Wさんから電話無かった?」と言うので
聞いて見ると「誘ったのよ」ということでした。
4つ年上のWさんというのは、私が一番影響を受けた方。立派な家でも家具調度でも器でもケーキやご馳走でもなく、真のホスピタリィティとは何かということを教わったのはこのWさんからでした。30年ほど前、子ども会の当番が終わってからも、Wさんが、私と今年千葉へ引っ越したFさんをお家に招いて下さって、お昼をご馳走してもらったり、お茶をよばれたりしました。それからWさん、Fさん、私と持ち回りで自宅に呼び合って付き合うようになり、お正月に二組の夫婦を招いてくださった事も。その後、我が家でそれが続いて、読書会のようなものになったり、それを解散した後も、続けているのが今の集まりです。
そのWさんは、震災の年の11月にご主人を亡くされました。パーキンソン氏病を発症されていて、それによる事故でした。その後二人の娘さんたちもそれぞれ結婚、独りになったWさんは徳山の田舎で独り暮らしをされているお母さんの元へ引っ越していかれました。それから来年の4月で10年です。ところが、先日、年賀の欠礼・喪中の葉書を受け取ってビックリしました。92歳のお母さんが7月30日に亡くなられたと知って、直ぐ電話をしました。
Uさんもその葉書を受け取って先週の月曜日に慰めの電話を入れて、話をしている内に14日の集まりの話になって、「2時間で来られるんでしょ、思い切っておいで!」と誘ったそうです。私はまさか来て貰えるとも思えず、誘うなんて思いつきもしなかったのでビックリ!!
さすがUさん! それから用事があったりで金曜日の夜、「決めた?」と電話、「良かったら我が家で泊まって・・・」と一押し。私にとっては、鹿野のお宅で泊めてもらって萩観光をした時のご恩返しのチャンスです。そして、一昨日のお茶のお稽古の日に我が家へということに。
本番前日の13日、] 私がお茶のお稽古から帰って少しして、Nさん宅から戻ったWさんと、お稽古前、荷物を置きに寄られた時、少し話はしてましたが、もう一度改めて「よく来てくださいました」のご挨拶からやり直し。
隣から母もご挨拶に。お母さんの最後のご様子をあらためて聞きました。50日間の入院でご本人曰く「親孝行というより子孝行な最期」だったようです。私の母も「よく親孝行されたから、これからは貴女の人生を楽しみなさいね」と励ましていました。私は、その間に夕食の支度をしながら、話を聞いたり加わったり。自分の部屋で仕事をしていた夫も7時ごろには切り上げて3人で食事。夫がお酒をすすめましたので3人で珍しく日本酒で乾杯しました。夫は以前、Wさんにお正月に招いていただいた時にWさんのご主人に焼酎の「雲海」を教えていただいて、それ以来、夏冬とも焼酎のレモン割りです。そんな話もしながら、夫もまたWさんのお母さんの最期、病院の看護婦さん仲間で評判になっているという最期の話を聞きました。
身体を横にして「お水」と言われ、Wさんが吸い口で水を注ぐと、「ごくん、ごくん」と2度、大きな音を立てて水を含んでいるうちに瞳孔が開いて看護婦さんがお医者さんを呼びに走り、それが最期だったといいます。自宅でお葬式を済ませて何日かして、Wさんが病院にお礼のご挨拶に出かけた時、看護婦さんから「こんな死に方はない」と言われるまで分らなかったそうです。「有り得ないような幸せな最期だったと思う」と・・・
これには不思議な後日談があります。満中陰の頃、亡くなられる前から決めていた東京へ友達と遊びに行くという前日、Wさんは夢を見たそうです。お母さんと二人滑走路の上を走っていて「滑走路にしては狭いね〜」と話している内に、広いところに出て次々とお花が咲き広がってグングンスピードが出て・・・行っちゃったんです、私は行かずに残って・・・。不思議なお話に夫と二人感心して何ともいえません。Wさんも、「よりによって滑走路! K(亡きご主人)が迎えに来たんかね?」。「きっとそうよ。ANAの整備をされていたご主人が飛行機で・・・。もう、お母さんは西方浄土の極楽に行かれたね」。
片付け済んで、二人ともお風呂に入って、パジャマのまま、話が尽きず、じゃ寝ようかと言ったのが12時半ごろでした。
当日の14日(火) 11時集合ですが、少し前から一人、また、一人と集まりだしました。
手作りクッキーをクリスマス柄の布製バッグに入れたプレゼントや、花柄の可愛いメモスタンドやノートのプレゼントを用意してくださったり、シュークリームを差し入れて下さったり、Wさんからもお茶菓子の美味しいのを頂きました。6人集まって、辰年生まれが4人に申年生まれが二人です。一番若い辰年さんは58歳、次が今年古希の70歳を迎えたWさんとNさん、一番年長の辰年さんは82歳、隣の父がもう一回り上の94才の辰ですので、4世代です。前もってUさんが注文して下さっていた二段重ねのお弁当が届き、私が用意した御汁をつけて、食事スタート、本格的お喋りの開始です。
Wさんご自身は私が知ってからでも小説家が書けば凄い内容の物語が書けるような人生ですが、お人柄か一見苦労知らずに見えます。そのお人柄に惹かれて昨日の忘年会も本当に皆がそれぞれに本音で話し合って6人分の人生の勉強をさせてもらいました。
それぞれ持っているケイタイの番号やメールアドレスの交換もしました。
来年も是非山口から参加してくださいということで、4時過ぎお開き。
シュークリーム、お菓子、自家製干し柿
6時台の新幹線で徳山へというWさんは5時ごろ夫が車で千里まで送る事になり、しばらく叉二人で。
「思い切って出てきて皆から元気をもらって良かった」とWさん。本当に遠くからよく来て下さいました。有難う!
書き終わった今、丁度、Wさんから電話!! 「今、徳山から鹿野に着いたところ、雪よ〜!」