「運命の人」と西山太吉元記者と「沖縄密約」

18日の日曜日はTBSのドラマ、山崎豊子原作の「運命の人」最終話2時間スペシャルでした。
原作を読んでいなくて、あの事件は記憶も薄れて、でも、密約があったことだけは確かなこととして残っていました。当時は外務省機密漏洩事件と言われていました。
夜の最終話を意識してか、昼間の読売テレビたかじんのそこまで言って委員会」ではビデオ収録でドラマのモデルである元毎日新聞記者の西山太吉氏のインタビューが流されました。
日曜日の大河ドラマの後ということで、数回見逃したものの、夫と二人で最近はずっと見ていました。
読売新聞グループ会長渡邊恒夫氏の若かりし頃を大森南朋さんが演じていて、週刊誌にドラマでの描かれ方に文句をつけたという話も知りました。そのおかげで地味なドラマの視聴率が上がったとか? 私にはそれ以後、ナベツネさんがえらく”良い人”に描かれ出したような気がして・・・? 最終回を見た夫は、「ナベツネ、いいとこあったんや〜」と。ドラマや!っちゅうのに。 
原作のどこまでが事実でどこからがフィクションなのか、それこそ山崎豊子さんならではの世界ですが、脚色もあるでしょうから、ドラマだけでの感想になりますが、回を追うごとに面白くなってきました。面白いという言い方では収まらない切実さを感じました。
この事件があってから、新聞や言論は政府に楯突くことは出来ない、あるいは、しなくなったような気もしますし、日本の司法がいつも権力側の立場に立って審判を下すようなのも益々広く無力感を広げることになったような。
特に最終回は沖縄の戦時下、アメリカ軍上陸とその時の日本軍の仕打ち、ガマでの凄絶な記憶。泉谷しげるさん、上手かったですね。そして米兵に弄ばれた沖縄の女性と少女。弓成が新聞記者として沖縄から本土に筆で訴えようと再起する話も作り物っぽくなく自然に受け入れられました。物語を事件から沖縄の現実に引っ張ってきた山崎豊子さんはサスガです。
弓成に機密情報を渡した外務省の女性、特に裁判での証言は怖かったですね。最後は沖縄へ向かう奥様と北海道へ引き上げる彼女が空港で一礼して別れるシーン。

さて、「たかじんの…」では、今回のテーマが「日米安全保障条約」。朝鮮戦争後の治安警察隊、警察予備隊、51年のサンフランシスコ講和条約と抱き合わせの「日米安全保障条約」、これは、「武装解除された自主防衛力のない日本が米軍の駐留を希望するという形式をとって片務的で不平等な条約」というおさらいでした。以下番組の内容からかいつまんで:(写真は全部「たかじん…」の番組から)
朝鮮戦争こう着状態後、1954年7月1日「警察予備隊→保安隊→[自衛隊]←警備隊。保安庁防衛庁に。
岸信介首相とアイゼンハワー大統領の間で新・日米安保条約に。旧安保の片務的性質が、「集団自衛権」を前提の”双務的”体裁をもち、日米双方が日本及び極東の平和と安定に協力を規定。学生たちによる反政府・反米闘争の60年安保反対闘争に。
期限は10年、10年後の自動延長の時にも70年安保反対運動が。日米安保の締結は正しかったのか? 正しくなかったのか?(ひな壇の出演者に質問)

67年12月佐藤首相が非核三原則を表明。69年11月日米が沖縄返還に合意。70年6月日米安保条約が自動延長に
72年5月沖縄返還
72年9月田中首相が訪中。日中国交正常化
75年4月、サイゴン陥落。ベトナム戦争終結
78年8月に中平和友好条約調印。
78年「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)が決定。

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1972年5月15日、終戦から27年ぶりに沖縄が返還された。しかし、実現したのはある密約があったから。
1967年佐藤栄作総理大臣 非核三原則を表明。しかし、日米間には暗黙の了解で核持ち込みに同意していた。核持ち込みの密約があったのだ。
当時、東西冷戦下のソ連の軍事拡大を警戒していたアメリカは、朝鮮有事の懸念から沖縄米軍基地の自由使用に加え、有事の際の「核持ち込み」を要求。

是が非でも沖縄返還を目指す佐藤総理は1969年11月、佐藤・ニクソン会談で公文書にならない”核持ち込み”の合意議事録に密かにサイン。さらに公式発表ではアメリカ側が支払うことになっていた沖縄の地権者に支払う土地現状回復費400万ドルを実際には日本政府が肩代わりすることも密約した。
この密約をスクープしたのが、当時毎日新聞三宅久之さん(42)の部下でもあった西山太吉氏。(下の写真右上が三宅氏)

西山氏が語る真実とはー
Q・密約のスクープについて:「沖縄返還協定っていうのは協定に全部明記すべきテーマですから。それにウソを書くわけですから、民主主義国家でいえば絶対ありえないことです。私が思ったのは400万ドル問題が発覚したときに、400万ドルぐらいの問題で隠すくらいだから、凄いものを隠しているんだという見方はしていた。私の軍用地復元費用なんて氷山の一角だと思っていたんです」。


実際、沖縄返還に絡めて合計3兆円以上がアメリカ側に支払われたことを示す公文書の存在が判明。
しかし、当時の政府は密約の存在を完全否定。それだけでなく、東京の地検特捜部は外務省女性事務官に近づき機密情報を入手したとして西山氏を国家公務員法違反で逮捕した。憲法違反の密約問題は、いつしかマスコミにより男女のスキャンダルとして社会制裁にすり替えられていった。


Q・マスコミの動きについて:「この密約論は法律上違憲の密約だから、隠すってことは偽証ですから、そういうところまでメディアは追及しなくちゃいけないけど、その内潮流が変わって、社会制裁に行って、法的制裁論は雲散霧消、自然消滅しちゃた。『密約はない』だけが残っちゃった。」


結局、密約は闇に葬られ、西山氏は有罪判決を受ける。西山氏の逮捕から1か月後の1972年5月15日沖縄返還
そして、1974年12月には、佐藤総理は非核三原則などを理由にノーベル平和賞を授賞した
今の沖縄が日本にあるのは佐藤内閣の尽力の結果といえる。しかし、それはいくつもの密約の上に成り立っていた沖縄返還だった。


Q・密約が沖縄に与えた影響:「沖縄施政権返還の時に在日米軍の駐留経費ってのは事実あの時から始まったのですよ。”思いやり予算”と言われるものを隠していたんですね。1972年に沖縄が返還されて5年間に6500万ドルって金を米軍施設改良工事費って言って、もう施設区域の提供だけでなく新しい分野に日本が金を出した。改良、移設、その他どんどん出していった。これを防衛庁の予算の中に潜り込ませた
 これいまだに解明しようとしないけれど防衛庁の予算の中に潜り込ませて5年間でつかっちゃったんだよ。完全な予算案の虚偽表示だった。そして5年間でなくなっちゃったんです、お金が。
 それで出てきたんですよ、78年の”思いやり予算”は。 なくなったからもう仕方がない。結局表に出した。今度普天間の基地を辺野古に移すといったら、これに5千億かかるんですよ。それが全部タダなんだ。その後維持する金も全部タダなんですよ。維持経費も。日本人従業員、光熱費…全部タダだから。アメリカが日本から離れる訳ないじゃない、本土に居るよりいいんだから。」

「全部あれ(密約)が元なんです。あの時の対米軍事費を構造的に変えなかった。この”密約”が沖縄問題全ての原点にある。」

質問:日米の密約は正しかったか? 正しくなかったか?


森本氏、メイア氏、三宅氏が「正しくなかった、国民に説明すべきだった」というのは少し意外?な気がしました。外交に密約はつきものと容認した方も3人ほど。
ところで、昨日コメント欄に2010年7月31日の記事(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20100731#c)にコメントを下さった方がいました。
記事は、NHKの番組で沖縄返還の密約に直接かかわり佐藤総理の密使の役割を担った若泉敬を取り上げた番組についてでした。
西山氏は密約を暴く立場でしたが、一方の若泉氏は日本の自立のために沖縄返還は必要と思ってアメリカとの密約を総理に進言。不思議なことに対極の二人が辿ったその後は良く似ています。
若泉氏は沖縄がアメリカの基地として固定化されるのを見て、あえて、1994年、密約を明らかにして世に問う著作「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」を発表するも、政府は「密約は存在しない」と一蹴、世間からも無視。政治家、マスコミ、本土の人たちを「愚者の楽園」と呼び、沖縄行脚を続けるが、不治の病を得て、失意のうちに96年自死を遂げています。
日本の政治家は自国民を欺くウソを平気でつく。非核三原則を表明しておきながら、有事の核持ち込みに同意する。非核三原則を評価されてノーベル平和賞を与えられると平気で授賞式に出かける。世界を騙して平気という恥ずかしさ。原発事故対応の政府の発表、事故収束宣言、誰も信じていないことを平気で言える政治。
今回原発の問題を考えていると必ず「戦後史の問題・我々自身の在り方」に行き当たるというのは、昨日紹介した「SIGHT」の渋谷陽一氏の言葉でした。
昨日の「keniti3545の日記」(http://d.hatena.ne.jp/keniti3545/20120319/1332138403)さんでは、フランスでの大江健三郎氏の発言が取り上げられています。
「ぼくたちは、そんなに騙しやすい国民なのでしょうか?」というタイトルの記事から一部です。

今回の事故で明らかになったのは、日本社会の民主主義が脆弱なものであったということです。ぼくたちは問題に声を挙げることができるでしょうか。それとも、このまま黙ったままでいるのか。今から10年たてば、日本が「民主国家」の名前にふさわしい国であったのかどうかが分かるでしょう。


こんなに深く日本の民主主義が未熟であったことを感じたことはありませんでした。今起きている危機は、福島原発事故についてだけのことではないのです。私が最も絶望させられたのは、電力会社、政府の役人、政治家、メディア関係者が結託して放射能の危険を隠すために行った「沈黙による陰謀」とも呼ぶべき行為です。


去年の3月11日以来、たくさんの嘘が明らかになりました。そしておそらくは、まだこれからも明らかになってゆくでしょう。これらのエリートたちが真実を隠すため陰謀を巡らせていたことが明らかになって、私は動揺しています。ぼくたちは、そんなに騙しやすい国民なのでしょうか?

以下が締めくくりです:

本人の作家としての私の役割は、原発をなくすためにたたかうことです。日本の市民社会が(原発をなくすという)この「大仕事」を完成することに成功する日、私の仕事にはやっと意味が与えられるのです。


これは国民の意志が、おそらく歴史上初めて勝利するということに他なりません。 「大惨事」という言葉には、私にとって二つの隠れた意味があります。一つは、今日日本が経験している(原発事故による)大惨事。そしてもう一つは、人生の黄昏時にさしかかった全ての作家が経験する大惨事(注)です。


(注)個人としてやがて来る死を目前にしながら、揺らぐ民主主義という「惨事」の渦中にいる危機感をさしていると解釈できる。

若泉敬氏の最後の言葉は「安保廃棄、それしかない」でした。
詳しくは、2010年9月21〜23日のブログ「安保とその時代」第4回「愚者の楽園へ〜安保に賛成した男たち」を読んでみてください。(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20100923/1285207084