「西山事件に匹敵するような不当な行為は処罰の対象」(11/16 報道特集)

報道特集」の先月11月16日の放送分です。秘密保護法が成立するまでにと思いながら、なかなか進まなくて、13日の公布直前になってしまいました。どうしたものかと思いましたが、この法律が準備された段階(2008年の議事録)から内容が秘密にされてきたことや、森まさ子担当大臣が、西山事件を例に挙げて秘密保護法の処罰の対象と発言されたりしていますので、西山太吉氏ご本人に取材しているこの放送は残しておきたいと思い、取り上げることにしました。
<国家機密に・・・ジョン・レノン報告書>
番組の出だしは、ジョン・レノンで始まります。ベトナム戦争に反対していたジョン・レノンアメリカFBIの監視の対象でした。その報告書は長年国家の機密だったが、情報公開法によって明らかになった。記されていたのは尾行や盗聴によって得られたレノンの一挙一動。中には集会で歌った歌詞の一節まである。
情報開示を求め続けて明らかにした歴史学者のジョン・ウィナー氏は、「FBIは、”♪どうしても、どうしても、どうしても〜♪”という歌詞を含めてレノンの一言一句をメモしていた。フーバーFBI長官に届いたそのメモは12年間機密扱いでした」と語る。

<”秘密の対象”、広がる懸念>
今(11月16日)、日本の国会で、私たちの何気ない日常会話も国家の機密の対象となりかねない法案が審議されている。

秘密保護法案を作るきっかけになったのはこの映像(←)だと言われている。尖閣諸島沖で中国の漁船と海上保安庁の巡視船が衝突した事件。この映像が海上保安官によって流失したことを契機に当時の民主党政権が秘密保護法案の有識者会議を設置。2011年8月、報告書を提出、法案の原型を作ったとされている。しかし、実は政権交代前の自公政権でも秘密保護法案を巡る議論は進められていた

<塗りつぶされた議事録>
2008年4月22日、福田内閣当時に作られた文書だ。タイトルは「秘密保全法性の在り方に関する検討チーム会合 議事録
その内容は? 市民の立場で情報公開に取り組んできたNPO法人情報公開クリアリングハウスの三木由希子理事長が、内閣情報官宛てに議事録の中身の公開請求をした。「情報を取って全体のプロセスを見て見ようと、なんでこうなるのかちゃんと検証しないと、この法制の性質はわからないと思ったんですね」。
三木さんに資料が届く。しかしその中身は驚くべきものだった。「『関係者限り・用済後廃棄』となっていて・・・普通ではあり得ないんですが、廃棄を前提に作られていて、一番下が具体的な検討の中身だと思うんですが、ここから先は真っ黒です。何を検討したのかとか、どういう意見があったとか全然明かされていない。」
金平キャスター「規制対象者の範囲、処罰の対象となる行為、とか黒塗りになっている。」
ナレーション:この会議の1年後、2009年の4月「秘密保全法制のあり方に関する基本的な考え方について(案)」、議事録の非公開部分はさらに増えていた。一頁の「はじめに」と39頁の「最後に」までの間、実に37枚の文書が黒塗りとなっていた。
三木さんは内閣総理大臣宛に不服申し立てをしたが受け入れられず、東京地裁に裁判を起こした。

<機密のプロの懸念>
「昭和62年(1987)5月28日、於仏内務省テロ対策サミット」と書かれた一枚の写真がある。「パリでのG7の内務司法相会議、第一回の対テロサミットに私が駐仏一等書記官として参加した写真です」。こう語るのは小野次郎参議院議員(12月9日みんなの党を離党)。警察庁出身の小野氏はテロ対策をしたほかに小泉首相の秘書官を4年務めるなど、実際の政府の機密に接しつづけて来た人物だ。
金平「ま、いわば、政府の内側に居て情報の機微に触れる立場に居て、今回の秘密保護法案は率直に言ってどうですか?」
小野「まず日本安全保障に関する情報管理についてきちっとした制度にしなきゃいけないというのには賛成な立場です。その上で、今回出てきている法案を見ると、一言でいうと、拙速
ナレーション(N):1976年入庁の小野氏にとっては、かつての部下が現職として警察現場にいる。自らの発言の影響を考えてこれまで取材を受けてこなかった小野氏も、秘密保護法案には問題点が多く、今語っておかなければと考えたという。
小野「一番欠けているのは、ガイドラインというか、情報収集の行動規範とか倫理規範が確立されていない事だと思うんです。その上に立って、いきなり最大10年という重い罰則の、いわばアウトは決めたけどセーフはどんなことなの? ストライクってどんななの?というストライクゾーンが決まらないのにアウトだけを決めたのは、中身が詰まっていないなーという気がします。」
N:国民が情報収集活動を行う際、どこまでの行為が許されるのか、規範が明確でないまま、秘密を漏えいしたときの罰則だけ重くなれば担当者は萎縮する。そう考える小野氏は秘密の期間についても危惧している。
小野「西山さんの事件、内閣をいくつも、いくつも経ても秘密にされてきた。政権交代、あるいは閣僚の交代の時に秘密の指定を解除するか継続するのか、大臣の責任、内閣の責任でやるべき。」
今回政府が国会に提出した特別秘密保護法案では、著しく不当な方法で国家機密を入手すれば処罰の対象となる。その「著しく不当な(取材)方法」とは何か?
森まさ子少子化相(特定秘密保護法案担当)は10月22日、「具体的には判例があるので西山事件に匹敵するような行為だと考えている」と答えた。

<密約と秘密保護法案>
11月3日、現在、北九州市に住む元毎日新聞記者西山太吉氏(82歳)を訪ねる。沖縄返還を巡る日米の密約をスクープしたが、秘密を漏らすようそそのかしたとして国家公務員法違反容疑で逮捕、有罪判決を受けた。
1971年6月、沖縄返還協定調印式。日米の沖縄返還協定では、軍用地を元通りにする費用として400万ドル(当時のレートで約14億円)をアメリカが支払うことになっていた。ところが西山氏は外務省の女性事務官から秘密扱いの外務省公電を入手。それは、アメリカが支払うべき400万ドルを、実は日本が負担してアメリカが支払ったように見せかける密約の存在を示す文書だった。

西山「あの〜これは機密というものの、事件なんです。機密というのには、守られるべき機密もあります、しかし、守られるべきでない機密もある。密約は保護されるべき秘密ではない完全に違憲、違法な秘密だから。」
N:密約の存在を暴いた西山氏。しかし、情報の漏えいをそそのかしたとして、1972年4月国家公務員法違反(秘密漏洩教唆)容疑で逮捕された。捜査では情報入手先である外務省の女性事務官と西山氏の男女関係がクローズアップされた。密約の存在が男女のスキャンダルにすり替えられてしまった形だ。
その後、2000年になって、アメリカの公文書館で密約を裏付ける外交文書が見つかった
2006年には、外務省で交渉に当った吉野文六氏(元アメリカ局長)もメディアに密約の存在を認めた
しかし、当時の政権は、密約の存在を否定していた

2006年2月、当時の安倍官房長官は「全くそうした密約はなかったという風に報告を受けております」と答えている。
2006年3月、社民党福島みずほ党首(当時)の質問「アメリカの公文書の言うとおり、吉野さんの言うとおりでしょうか?」に、麻生太郎外相(当時)も「沖縄返還協定が全てであって、それ以外の密約の存在はございません」と答えた。
当時の自民党政権は密約の存在を否定し続けた。民主党への政権交代後、2010年3月、外務省の有識者委員会が初めて密約があったことを認めた。
西山氏の逮捕から実に38年が経とうとしていた

現政権は沖縄密約をどう認識しているのか? 11月13日(木)、<参院国家安全保障特別委員会での菅官房長官の答弁:「民主党政権で、(密約の存在を認める)報告書が出ている。現政権はその報告書を踏襲する立場にある」。社民党福島みずほ副党首:「2006年、私が聞いた時、自民党は密約はないと言いましたが、今日の今の段階で自民党政権は密約はあるということでよろしいのですか?」
官房長官:「民主党の報告書を現政権としては踏襲していくということであります」と密約があったことは明言せず

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西山「(沖縄返還協定に虚偽表示がいくらでもある。これを国民に知らしめるべきという事は新聞記者としてやるべき最高の仕事ですね。それをもし罰するんであれば、(違法行為を行った政権)自らを罰するべき。自分たちは全部棚上げじゃないですか。偽証も問題にしないし、その後出てきたこともいまだに否定している。これは彼らは未だに政治的判断をつづけているということですよ。」
N:「沖縄密約は政権側の違法行為だ」と断じた西山氏。その西山氏の事件の判例を取り上げた森まさ子大臣は今どう答えるのか?金平キャスターが森担当相に記者会見で、直接問うことに。
金平「(政権側の)違法な行為を隠すために特定秘密に指定しても、それは無効である、つまり密約の存在自体が違法であるという認識で西山氏は仰っているが大臣自身はあの密約は違法だという認識はございますか?」
森「密約に関しましては、菅官房長官のご答弁通りの認識と同じでございます。過去の事件について言及することは差し控えたいと思っています。一般的に違法な行為を暴こうという義憤にかられて違法行為を世の中に知らせようとする行為は、または取材行為というのは、私は正当な行為であり守られるべきものと思います。」
記者会見が始まって7分後、「国会審議があるので」と制止される。
金平「これだけ議論が出ている中で、最後にお聞きしますが、なぜ、こんなに急ぐんですか? 」
森「国会で答弁している通り、(法案は)緊急性があるものと理解しております。」(11/16放送)
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◎沖縄密約について、NHKの番組で知った佐藤元総理の密使若泉敬氏とモートン・ハルぺリン氏との交渉で話し合われたのは、いわゆる「核兵器の持ち込み」に関する密約であり、西山太吉元記者が暴いた密約は、軍用地の原状回復費用の肩代わりについて、いわゆる”思いやり予算”の始まりに当る密約のこと。デジタル大辞泉より以下に:

沖縄返還密約】

昭和47年(1972)の沖縄返還に際して、日米間で結ばれたとされる合意・密約有事の際の米軍による核兵器の持ち込み、および軍用地の原状回復費用の肩代わりに関するもの平成21年(2009)9月から翌年3月にかけて外務省の調査チームと有識者委員会がそれぞれ調査・検証を行った。→密約問題


沖縄返還時に日米間で成立した、有事の際の核持ち込みに関する合意のこと。日本周辺で極めて重大な緊急事態が生じた際に、事前協議のみで、米軍が沖縄へ核兵器を持ち込み、また嘉手納などの基地を核兵器貯蔵地として活用する、というもの。返還前の沖縄の米軍基地には核兵器が配備されていたことから、「再持ち込み」という表現も使われる。日本政府が昭和43年(1968)に宣言した、「核兵器を持たず・作らず・持ち込ませず」とする非核三原則と矛盾する有識者委員会によって合意議事録の存在が確認されたが、沖縄返還当時の佐藤栄作内閣から後継内閣に議事録が引き継がれた形跡がないことなどから、有識者員会は必ずしも密約とは言えないと結論づけた。


沖縄返還協定では、米軍が使用していた軍用地を米国側の自発的支払いによって原状回復することが規定されていたが、この原状回復補償費を日本側が肩代わりする、という密約。昭和47年(1972)の外務省機密漏洩事件によって公にされた。有識者委員会は、明確に文書化されてはいないものの当時の書簡案や記録などの資料から日米間で合意・了解が成立していたことは確認できるとして、広義の密約があったと結論づけた。

◎関連記事:
・2010・7・31「密使 若泉敬 - 沖縄返還の代償」(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20100731/1280578806
・2010・9・21「安保とその時代」「愚者の楽園へ〜安保に賛成した男たち」http://d.hatena.ne.jp/cangael/20100921/1285054403
・2010・9・22「愚者の楽園へ」つづき(1)・2010・9・23「愚者の楽園へ」つづき(2)

2012・3・20「運命の人」と西山元記者と「沖縄密約」
2013・11・21 ツワネ原則と秘密保護法(西山氏外国特派員協会質疑応答)