あべのハルカス美術館へ


昨日、3連休の真ん中の日、夫が山で留守の間、私は一人遊び(?)の冒険?に。
夜帰宅予定の今日より、昨日のうちに済ましておいた方が…と思い立って2時半ごろ、隣の母に、「なんばのあべのハルカスで美術展見てくるね〜」と言って出かけました。
一人で大阪の「南」に出かけるのは滅多にないことです。
阪急線から地下鉄御堂筋線は若いころ通勤で淀屋橋まで通っていたので問題なし。電車に乗ってから、さて、なんばは、”大阪なんばの高島屋”だったけど高島屋は今はないし、近鉄百貨店か。あべのハルカスってなんば? あべのってどこ? 自信がなくなって、誰かに聞くのも・・・で、思い出しました。夫と行った市立美術館、そこから建設中のあべのハルカスを見たことがあった。あれは、天王寺! 私の行き先は「なんば」より4つか5つ先の「天王寺」でした。
あべのハルカス美術館は専用のエレベーターで16階まで直行でした。そこで、ラウル・デュフィ展をやっています。

デュフィの絵を初めて知ったのは、カレンダーの写真だったと思います。海に船が浮かんで万国旗がはためいて多色の海の色の青や緑がとっても美しい絵でした。
忘れられなくて、(記憶に間違いが無ければ)大阪駅(梅田)にできた大丸百貨店の美術展で、この絵の実物を見ました。その時、絵葉書を買っていました。1996年のことです。今回も出展されていて二度目のご対面を果たしました。絵のタイトルは今回は「ル・アーブルの水上の祭り」。1996年の絵葉書では「ル・アーブルの海軍観閲式」。デュフィ、48歳ころの油彩画です。(88X89cm)

ラウル・デュフィ(1877-1953)は、ピカソマティスなどとともに20世紀前半に活躍した画家です。

彼は1937年に開催されたパリ万国博覧会のための装飾壁画『電気の精』に代表されるような、明るい色彩と軽快な筆さばきで描く独自のスタイルを築きました。
本展は、デュフィ1899年に故郷のル・アーブルから国立美術学校で学ぶためにパリに出てきたころから晩年にいたるまでの作品を紹介する回顧展です。20世紀初めのパリでフォービズムやキュビズムによって造形の革新を試みる動向のただなかに身を置きつつ、また様々な分野を横断しながら自らの独創的な表現を探求し続けたデュフィの歩みを辿ります。
(写真は1996年の大丸の展覧会で求めた絵葉書です。大装飾画《電気の精》10分の1レプリカの部分(最後)。(110X600cm)

チラシに書かれている通り、初めて知る若いころの絵や木版画、テキスタイル分野のデザインなどがあり驚きました。チケットに使われた絵は「ヴァイオリンのある静物:バッハへのオマージュ」です。チラシの写真にあるように、ケープの豪華な織物や陶芸、椅子の布張りの部分の絵も。これらが晩年のとても自由で草書体のような絵につながっていきます。

茶店のチラシに使われているのは1918年のシルクプリントのテキスタイルパターン「たちあおい」。そして音楽を絵にしたものも。楽器だったりオーケストラだったり。シャルル・ミュンシュが指揮するリハーサルに出入りして描いたそうです。グランドピアノが描かれているのもありましたので、ピアノ協奏曲の絵ですね。「電気の精」の最後、電気の恩恵を描いたあたり(囲みの中の写真)にも下の方に茶色く見えるのがそうです。そして作曲家の名前を描いた楽譜のある絵。写真はドビュッシーですがモーツァルトもありました。

ところで、この左の絵、幸運なことにチラシの裏に写真が載っていました。
この絵は、ニースの海岸を描いた数枚の中にありました。5年前の南仏の旅のスタートがニース3泊、起点にバスであちこち訪ねたことがありました。朝と夕方から夜はホテル近辺を歩いたので、この辺歩いたかな〜なんて思いながら見ていたのですが、これ!!でした。
左に急な階段があって茶色い城塞のようなところ、ここは崖の上の公園の展望台になっていています。この階段を降りた処の黄色いホテルの角を曲がったところの小さなホテルに泊まっていました。ヤシの木があって曲がり角になっている所で、次の目的地に向かう朝、タクシーを待ちながら見納めに眺めたニースの海岸と海の色を覚えています。デュフィが同じ景色の中に居て、それを描いていた!! とても嬉しい発見でした。
外に出ると椅子が置いてあってデュフィのパリを描いた絵を背景に写真が撮れるようセットされています。
タワーは別として日本一の高さを誇る地上60階・300mの展望台からの眺めは、チケットを求める行列もできていましたし、お預けにしました。でも、せっかくなので、16階の展望台に出て、生駒山なのか…周りの景色を写して帰りました。

◎トップのチラシの絵は「馬に乗ったケスラー一家」。220X270cmの大作です。