4月になって・・・

木曜の午後、Sさんが雑誌を持って訪ねてくださいました。毎月の「いきいき」あらため「ハルメク」と、私は生協さんの雑誌「ステーション」を交換しています。桜のトンネルの時期は過ぎて、芽吹きを迎えています。暑いくらいの日だったので、最初に生協さんの缶ミカンのヨーグルト掛けをガラスの器に。それから、義弟夫婦のお土産で「皇太子殿下献上お買い上げの品」という「加賀紫雲石」という名の”きんつば”を出して、マンデリンコーヒーを淹れることに。
いつものように、情報交換と、近況報告を。その一つが我が家の樋の架け替え工事と隣の実家の屋根と外壁塗装工事です。マンションより戸建ての方が住宅の維持管理が大変みたいと言われましたが、マンションだって管理費の積み立てがあるし…個人だと、お金が尽きれば放ったらかしでも自由ですから。でもモルタルの塗装はコリゴリです。タイルとかレンガとか、塗装工事の要らないのがいいですね。借家がいいかも。

そして、わがや家は、また大きな工事をしなければならなくなりました。先週、南側が更地になっている機会にと、夫を誘って、ゴミ袋と植木ばさみと小型のノコギリを持って裏へ廻りました。道路から見ると、天然石を綺麗に手摘みした石垣がまだまだ大丈夫と思っていたのですが、真近に行ってみると大変なことになっていました。十数年空家状態が続いて、わが家の南隣の裏は夏はジャングル状態。石垣の下から蔦類が這いあがって、毎年、トタン屋根から瓦屋根の北半分を覆いつくすような状態でした。その蔦が我が家の白いアルミ板の塀にも伝ってきますので、塀の下のブロックに足をかけて身を乗り出して手が伸びる範囲で引き剥がしていました。放っておくと、ブロックの隙間に根を下ろしてセメントが崩れるし、蔦の枝が太ってアルミ板を押し広げてしまいます。

空き地の整地は完了していますが、石垣に残っている枯れた蔦の枝はそのままなので、芽が出る前に枝をはぎ取って、根っこから引き抜いておこうと思いました。ところが、枯れた枝を引っ張ると石がくずれてきますし、すでに崩れている個所も。夫は、我が家の植木の根っこの所為もあると言いますし。それに石垣全体が土圧に耐えかねて南に随分張り出しています。これは大変と、先日、足場を組む前に隣近所に挨拶をするため来られた工務店の会長さんともうお一人に、一緒に裏に回って見てもらいました。
「えらいことになってるな〜。よう、気〜つきはりましたな〜」と。プロのお二人で「どうしたもんかな〜」と首をひねっておられます。土台の石垣をそのままにしてコンクリートを流し込めたらいいですが、細かい石や山土とはくっつかないでしょうし、石垣とブロックを全部取り除いてやり直すとなると大ゴトですし・・・。帰って考えてみますとのこと。
えらいことです。今度地震が来れば、確実にこの石垣は崩れるだろうということは分かります。母は嫌がっていますが、確実に両親よりは長く住むことになる私たちとしては、直さないわけにはいきません。我が家が工事費を出せばいいと、お願いすることにしました。その工事の見積もりと計画書を持って来られたのが熊本地震があった日の午後でした。
石垣の石は全部取り除いて、鉄筋を入れてコンクリートを流し込む工事を、一気にするのではなく、少しづつ区切って順番にやっていくそうです。なるほど、石を外すと土が崩れる恐れがあるので、幅を区切って少しずつやっていくという作戦?のようです。少し斜面になっている更地の上に板を渡して道を作って一輪車を走らせて工事をする許可を得ないといけないので、持ち主に連絡を取る必要があります。看板も立ってないので、元持ち主のNさんの長男さんに連絡を取って不動産屋さんを教えてもらうことになりました。その夜、熊本の震度7地震でした。

一夜明けてテレビで地震の被害の様子を見てビックリしました。熊本城の城壁が崩れています。あんな地震があれば我が家の石垣も崩壊しているでしょう。この辺は梨畑だったそうです。国道171号線から山に向かって傾斜地ですので、戦前か戦中か戦後すぐに造成された高さ1メートルほどもない石垣です。私が引っ越してきた7歳の時には、すでに石垣がありました。
実は、東隣りと我が家は元々は一つの敷地でした。家道楽の方が母屋と離れのある家を建てて、結局住むことなく家を売りに出され、買った人が、父の大聖寺の今は無き実家の隣の方で同級生。箕面に越して来るなら、”離れ”を買って隣に住まないかと誘われたそうです。住むには大きすぎたのですね、きっと。抽選で当たっていた駅向こうの府営住宅をやめて、こちらに移り住んだ時は、まだお隣とは廊下で繋がっていて、「離れ」といっても、押し入れ付きの8畳間と襖で隣り合っている6畳間それに4畳半の板の間が付いていただけ。それに、その後私たちの子供部屋になる蔵が西側にありました。床の間付きの6畳は何故か南が全部壁、その代わり、部屋の上下4隅に回転窓のある空気窓がありました。6畳間の床の間の横の壁を壊したり、玄関、トイレ、ふろ場、台所、と家の肝心部分は自分で大工さんに頼まなければならずでした。結局、父を呼んでくれた幼馴染の同級生の一家(男の子が二人、弟は私と同い年)は、ほどなく、売って出て行かれました。その時、廊下が切れて、隣りとの間に塀が出来ました。
その後、何年かして、I産業の社長さんが息子さんの為に隣を買われた時に、元々あった家を潰して、奥さまが関東大震災で怖い目にあったからと、今住んでいる方が建て替えるのに、壊すのが大変だったという鉄筋コンクリートの城塞のような頑丈な家を建てられました(今の方が住んでおられた時、阪神大震災があり、さすが、お皿一枚も割れずビクともしなかったそうです、我が家は食器類が飛び出し、隣の両親の家ではタンスが倒れました)。Iさんが頑丈な家を建てる時、西隣の我が家との境界のブロック塀(我が家からは2mほどの高さ)を建てられたのですが、今回、その土台を見ることが出来ました。

我が家より一間ほど南に張り出しているので、その基礎の部分が見えるのですが、石垣の上にコンクリートの分厚い層があって、その上にブロックを積んでいます。高いブロック塀で心配でしたが頑丈な造りで大丈夫だと分りました。我が家は石垣の上に、最初のブロックが二段。それが土台に引きずられて少し斜めになっています。その上に新たなアルミの塀を支えるブロックが二段です。これは、今、石垣部分を直しておかなければ本当に次の地震で崩壊です。予期せぬ出費ですが、今、解ってよかったと思ったことでした。
昨日は、4月になって、水中ウォーキングを止める決心をして、退会の手続きに出かけました。今年1月に入って、週2回は行けると喜んでいたのですが、2月、3月と結局、風邪気味、花粉症で、一度も行けず。そういえば、毎年、2,3月は行けていない。行かなくても月謝は天引き、個人年金も先が見えて来たし、万歩計をつけて外を歩いても足腰は痛まなくなったし、止め時かな〜と思いました。
夫が、琵琶湖畔テント一泊に出かけたので、私は思い切って自転車で退会届です。丸6年間、月4回ほどですが、通ったおかげで、3回の海外旅行へ行くことが出来ました。最初の夫婦海外旅行に行くために始めた水中ウォーキングでしたし、スタートしたのも4月だったかも。4月は私の誕生月だし、何かを辞めたり、何かを始めたりするには良いかも。これで、行かなきゃ行かなきゃという強迫観念?からも卒業できます。しばらく来なかったせいか、唐池公園の新緑がまぶしいくらいです。