(「巨大ユズと俳句」に次いで2つ目です)
◎オスプレイの墜落は給油ミスで機体は大丈夫? では、同じ日の普天間でのオスプレイ胴体着陸は? 給油中じゃないのに脚が出なかったというのはどう説明されるの? 米軍の命令には日本は盲従。それに、また19日にも最重大事故「クラスA」の事故。 何をされても怒らない本土国民と思われている?選挙でキッチリ意思表示!!でないと、まともな右翼も左翼も真ん中も日本にはいないってことに・・・と思っていたら、「日本共産党の小池晃書記局長は19日、国会内で記者会見し、来年1月15〜18日に静岡県内で開催される党大会に民進、自由、社民、参院会派・沖縄の風の各政党・会派からそれぞれの代表が来賓として参加することを発表しました。党大会に来賓として参加するのは、民進党の安住淳代表代行、自由党の森ゆうこ参議院会長、社民党の吉田忠智党首、沖縄の風の糸数慶子代表の4氏です」とのこと。野党は共闘!
米軍、オスプレイ飛行再開前にも最重大事故 嘉手納基地で哨戒機が胴体破損
【嘉手納】米軍嘉手納基地内で19日午前6時ごろ、同基地所属で米海軍のP8対潜哨戒機が胴体下部と前輪を破損する重大事故を起こしていたことが21日、分かった。米海軍によると、事故の規模は4段階で最も重大な「クラスA」。13日に墜落したオスプレイが19日に飛行再開する直前に、重大な事故を起こしたことになる。
嘉手納基地で19日に胴体破損事故を起こしたP8A対潜哨戒機の同型機=21日午後1時ごろ、嘉手納基地
(引用元:http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/76752)
◎沖縄県の普天間基地の辺野古への移設をめぐる裁判で、最高裁が国側の勝訴という判決。これを第二の砂川判決と呼ぶ人も。アメリカもこの判決を歓迎。翁長知事の弁論も聞かず異例のスピード判決。その前の福岡高裁那覇支部の判決からして不当。もう一つさかのぼって福岡高裁那覇支部裁判長の人事異動からしておかしかった。ここまでやるか?ということを今の政府はやるんですね。これは、沖縄敗訴の結論が周到に準備された裁判であり、三権分立が侵され、この国の司法の独立はないと言わざるを得ないような事態です。
★日経新聞21日(水)朝刊一面より
辺野古 国の勝訴確定/ 県と対立の構図続く
沖縄県の米軍普天間基地(宜野湾市)の名護市辺野古沿岸部への移設を巡って国と県が争った訴訟の上告審で20日、国の勝訴が確定した。最高裁第2小法廷(鬼丸かおる裁判長)は判決で、埋め立て承認取り消しを撤回しない翁長雄志知事の対応が違法と判断。県の上告を棄却した。
辺野古移設をめぐる司法判断が確定したのは初めて。菅官房長官は判決後、「知事による承認取り消し処分の撤回がなされ次第、速やかに埋め立て工事を再開する」と述べた。 防衛省は年末年始にも辺野古沿岸部の会場で立ち入り禁止区域を示すフロートを復旧する作業に着手する方針だ。
翁長知事は記者会見で判決に従う意向を明らかにする一方、「新基地建設を進めることは絶対に許されない」と強調。知事は岩礁破砕許可など埋め立て承認とは別の知事権限を使って移設阻止を目指す。国は代執行訴訟で対抗する見通しで、国と県の対立構図は続く。(後略)
★同じ日経朝刊の3面見出し:「前知事の判断『適法』/ 移設是非、触れず」
◎この判決をアメリカは歓迎です。時事通信(20日)の記事から:
米、国勝訴確定を歓迎=辺野古工事の早期再開期待
時事通信社 2016年12月20日 15時41分 (2016年12月20日 23時57分 更新)
【ワシントン時事】米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐる訴訟で国の勝訴が確定したことについて米国は、「普天間飛行場の継続使用を避けるには、代替施設の建設が唯一の解決策だ」(国務省当局者)と歓迎している。代替施設建設に向け、辺野古沿岸埋め立て工事の早期再開を望んでいるとみられる。
一方、米政府は、名護市沖で13日に起きた米海兵隊の新型輸送機オスプレイの事故で、住民のオスプレイへの不安再燃だけでなく、普天間飛行場の県内移設見直しを求める声が高まっていることを懸念している。
ただ、米側は「パイロットの練度を維持し、訓練の機会を持つことが大切」(在沖縄米軍トップのニコルソン四軍調整官)と説明。沖縄県が中止を求める中、19日に飛行を再開した。また、「移設を前進させるわれわれの決意に変わりはない」(国務省のカービー報道官)としており、移設計画を見直す考えはないことも強調している。
★首都大学東京教授、憲法学者の木村草太氏の「沖縄タイムス・プラス(12月21日)」の【木村草太の憲法の新手】というコラムの記事から:
辺野古訴訟の最高裁判断 憲法反するあしき前例
2016年12月18日 10:01
最高裁第二小法廷は、弁論を開かないまま辺野古訴訟の判決期日を12月20日に指定した。このことに、私はかなりの衝撃を受けている。原審の結論を覆す可能性はほぼなく、県敗訴となる見通しだ。福岡高裁那覇支部判決の問題を振り返っておこう。
まず、判決が、仲井真弘多前知事の埋立承認処分の適法性を審査対象としたのは誤りだ。前知事の決断時には合理的に見えても、後に、新たな事実や、考慮すべき要素が見いだされることもある。翁長雄志現知事の行った取消処分の適法性を判断するには、前知事ではなく、現知事の処分の判断の合理性・適法性を審査しなくてはならない。
また、専門家の判断軽視も看過できない。環境問題の専門家からなる第三者委員会は、今回の埋め立てが「環境保全」への「十分配慮」を求める法律に違反していると判断した。知事の埋立承認処分取消は、これを受けたものである。通常であれば、特別の事情が示されない限り、裁判所は専門家の判断を尊重する。しかし、今回の判決は、第三者委員会の判断のどこにどのような問題があったのかを指摘していない(判決の問題点については、岡田正則氏の『世界』11月号の論稿参照)。
さらに、再三この連載で指摘したように、憲法上の問題もある。
沖縄県側は、次のように主張していた。米軍基地の設置は地元自治体の自治権制限を伴う。そして、憲法92条は、自治体の組織・運営に関わる事項を「法律」で決すべき事項としている。しかし、米軍基地の設置基準や手続きを定めた法律や辺野古基地設置法は制定されていない。従って、辺野古新基地の建設は、そもそも違憲である。
これに対し判決は、自治権制限は「条約」に基づくものだから良いのだ、と開き直った。言うまでもなく、法律と条約は異なる法形式だ。原審の判断は、安保法制で騒がれた「解釈改憲」どころか、憲法明文に反する解釈だ。
原審には、主だったものだけでも、これだけ問題がある。原審の判断を維持するなら、その一つ一つに理論的に反論を示す必要がある。しかし、判決後の法律家らの議論を見ていても、理論的に筋の通った反論は見当たらない。現実問題として、基地の建設はやむを得ない、といったものばかりだ。
最高裁が、これほど法的に筋の通らない原審を、議論もせずに維持するとすれば、裁判所が「法」に従わずに、「権力者の意思」に流された、あしき前例となるだろう。
<後略> (引用元:http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/76278)
◎「shuueiのメモ」(12月22日)さんから、TBSの報道特集のキャスターでおなじみの金平茂紀氏の記事です。9月の沖縄タイムズに掲載されたものです。(引用元:http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20161222/1482343928)
【金平茂紀の新・ワジワジー通信(19)】辺野古判決 司法の危機露呈 三権分立の確立 望み捨てず
2016年9月27日 沖縄タイムス
「政府が右というものを左と言うわけにはいかない」。かつて物議を醸した籾井勝人NHK会長の発言だ。報道機関の独立性への理解を欠いているとして、当時一斉に批判を浴びた。だが、いやしくも国の司法を担う裁判所ともなれば、国が右と言っても、それが法と真理に照らして、理がなかったならば、絶対に右と言ってはならない。
司法の独立、三権分立は民主主義社会の礎であり、それがくずれる時、次にやってくるのは行政権力が突出した独裁社会である。裁判所も議会も独裁権力の追認機能しか果たさなくなる。現にナチス政権下では、裁判所も議会も学者も新聞も、ヒトラーの隷従者となった。もちろん戦時中の日本もそうだった。
9月16日、福岡高裁那覇支部でいわゆる「辺野古訴訟」(違法確認訴訟)の初の司法判断が下された。判決要旨を読んで、僕は冒頭のNHK会長の言葉を思い出したのだ。こりゃあひどいや。ここまで司法の範囲を逸脱した独断的な文章というのも珍しいのではないか。特筆すべき行政隷従例として、そう遠くない未来に、法律家のたまご向けの教科書にも載るのではないか。「あの時代にはこんな判決文を書いた裁判官がいたのですよ」と。
判決は、国側の主張をすべて受けいれ、県側の主張をことごとく否定した。判決で特徴的なのは、前知事が行った辺野古の埋め立て申請承認に不合理な点があったかどうかを述べれば済むものを、裁判所がさらに踏み込んで判断を示している点だ。すでに多くの法学者らが批判・疑義を表明している。
だが、それ以上に僕が強調したいのは、そもそもこの裁判は、法廷の成り立ちからして果たして公正なものだったのかどうかをきちんと検証する必要があるという点である。端的に2点、指摘しておこう。まず、この法廷の最終的な裁判官の構成に至るまでに、不公正を疑われる点はなかったか。裁判官の着任、異動に不自然な点がないか。
裁判長の多見谷寿郎氏は、国が代執行訴訟を提起したわずか18日前に福岡高裁那覇支部へと異動してきた。それまでは、東京地裁立川支部の部総括判事をわずか1年2カ月という短期間つとめていた。前任者の須田啓之氏はわずか1年しか那覇支部長に在任していなかった。須田氏は、C型肝炎訴訟などで国の責任を厳しく糺(ただ)してきた判歴をもつ人物だった。通常の裁判官の任期が3年といわれるなかでは、これらは異例の慌ただしい異動である。
さらに右陪席の蛭川明彦氏。那覇支部には昨年4月に来た。前任地は、多見谷氏と同じ東京地裁立川支部で任期が重なっている。一般の会社に例えれば、上司と部下で同じ支社にいたということだ。蛭川氏は今回の判決文を起案したといわれている。左陪席の神谷厚毅氏は、今年4月に那覇支部に来たばかりである。
多見谷裁判長の訴訟指揮の「ユニーク」ぶりは、法廷を傍聴した記者たちの間でも話題になったほどだ。第1回の口頭弁論で、翁長雄志県知事に「確定判決に従うか」と聞いた。代理人が、「政治的な挑発的な質問だ」と抗議すると、第2回口頭弁論では「判決に従わないのなら裁判をやる意味がないので」という趣旨の釈明をした。
今回の判決主文言い渡し後も何を思ったのか、多見谷裁判長は法廷で、表情を緩ませながら、「さすがに最後の決断(意味不明だが、確定判決に従うという意味と解される)について知事に明言していただいて、ほっとしたところであります。ありがとうございました。判決は以上です。じゃあ終わります」と述べた。
一体何を言おうとしていたのだろうか。「ありがとう」は敗訴した相手にいう言葉ではないだろう。「ほっとした」とは、確定判決に従うという言質をとった自分は役割を一応果たしたのだという安堵(あんど)の言葉か。ならば、法廷で言うべき言葉ではなかろう。適格性を欠いていないか。
もう一つ。国が代執行訴訟を提起し、県と国ががっぷり四つに組んでいたなか、提訴からわずか2カ月後の今年1月29日に、唐突に、多見谷裁判長が提示してきた和解案を巡る不透明さだ。この和解案、まず県が、そして次に国が受けいれた(いわゆるB案修正案)。その後、和解協議は大方の予想通り難航し、国が違法確認訴訟(今回、判決が出た訴訟)を提起し直すというプロセスを辿(たど)ったのだが、その背後で一体何があったのか。
官邸では菅義偉官房長官を中心に、代執行訴訟では国が敗訴する可能性が検討された形跡がある。法務省の定塚誠訟務局長がその検討作業に加わっていたとされている。法務省訟務局長が作業に加わるのは何ら不自然なことではない。定塚氏はもともとは裁判所の判事で、司法修習は多見谷氏の一期下、37期である。日本の法曹界には「判検交流」という制度があり、もともと裁判官であった人材を一定期間、検事として行政に携わらせる仕組みがある。
だがその過程で、いつのまにか裁判官の判断が行政寄りに変わっていく、という根強い批判がある。多見谷氏と定塚氏は、成田空港に隣接する農地の明け渡しを求められた訴訟を、千葉地裁、東京高裁でともに裁判官として手掛け、空港会社勝訴を言い渡した「重なり」がある。過去の日本の裁判の歴史を顧みると、国や行政、あるいは国策に沿った側を負けさせてはならないという力学が強く働いたことがあった。そのような場合、一番分かりやすい方法は、裁判官を変えてしまうことである。あるいは、裁判所が一方の側と「密通」してしまうこともある。
駐留米軍基地は憲法違反とした伊達判決で有名な砂川裁判の場合は、飛躍上告を受けた田中耕太郎最高裁長官が、何とアメリカの駐日大使のもとを極秘裏に訪れて「一審判決は誤っております」と述べ、上告審での破棄を示唆していた事実が米国立公文書館の公式文書から21世紀になって明らかになった。何という恥ずべき事態だろうか。いわゆる「統治行為論」もあとづけの理屈に過ぎないことが暴露されたのだ。
僕自身も裁判を取材した伊方原発訴訟では、結審直前に何と裁判長と左陪席判事が突然人事異動になった。判決は、原発は安全、電力会社勝訴だった。法曹界ではそのような力学が働く。これが司法の独立、三権分立のあられもない現実である。
だが最も大事なことは、そのような現実を前にしても、司法の独立、三権分立はまもられなければならない。そうでなければ、法治国家のたがが外れてしまうのだ。無法状態が当たり前になる。沖縄の高江のように。(テレビ報道記者・キャスター)=随時掲載
(写真はパソコンに残っていた11月の写真から、Yさんの垣根の白い山茶花、黒い実の白山吹、去年の株のシクラメン、最後のチェリーセージ)