(3)「きみの瞳が問いかけている」塁の帰る場所(絶望から希望のあかりと再生)

☆☆(2)では、あらすじを書いていて色んな小物たちが物語の中にどんな風に織り込まれるているのか確認したくなって色を付けてみました。色とりどりの綾なす糸を紡いで織りあげた美しい織物、あるいは緩急自在、たびたびの転調を伴いながら穏やかなうっとりする音楽から一転、デモーニッシュで悲劇的な楽章が現れるドラマチックな交響曲のような物語。それが終盤、暗転して途切れるところがあります。織物に鋏を自ら入れて切断するような、音楽が突然停止するような。昔見たフィルム映写の映画館で映画が佳境を迎えたところでフィルムが切れることがよくありました。そんな時観客のみんな「え~っ!」と言いながら後ろを振り向いて映写室に向かってブーイングを浴びせます。そんな懐かしい子供の頃の光景が浮かびました。

あんなにち密に物語を組み立てて流れるようにスムーズに紡がれていくストーリーが、どうして終盤になって何度もブツ切り状態になるのだろう?と不思議でした。その都度、もうこれで終わり?と思ったことも。終わってほしくないという思いが反射的に”いや、そんなはずはない”と打ち消しますが。

一ヶ所は時間の経過を表すための暗転かなと思うところもありますが、そのほかの暗転が不思議。そこで、考えたのが、監督さんの何か意図がある切断、暗転なのではないかということ。それを考えてみたいと思いました。その前に、映画のテーマについても整理してみたいと思います。

(リメイク元の韓国版は未見、ノベライズも未読、チャップリンの「街の灯」の淡い記憶があるだけで映画「きみの瞳が問いかけている」だけを見ての感想です・・・)

明香里と塁の境遇と性格

二人の境遇と性格を比較すると、境遇は似ていますが性格は似ていません。

・明香里は自分が運転する車の事故で両親を死なせている。その罪を自覚しているので目が不自由になるという罰を受けていると考えて盲目という不幸を受け入れている。しかし、視覚障害であっても前向きに生活も仕事も健常者並みに頑張って明るく健気に生きている。「たとえ傷を負ってもあの時の傷はこの先の幸せのためのモノだったって思いたい」という積極的なプラス思考で楽天

・塁の境遇は、3歳の時無理心中を図った母と一緒に死ねなかった生き残りであの時死ねば良かったという思いを抱えている。その後は児童養護施設修道院で育つが、長じて先輩恭介に誘われて半グレ集団に加わり恐喝まがいの用心棒として暴行を働き、そのせいで一人が焼身自殺を図っている。警察に捕まり3年5か月の刑期を終えた前科者で罪の意識に捉われている。性格は消極的なマイナス思考で悲観的。

明香里と塁の決定的な違いは家族

・明香里は両親が亡くなってはいても、好きな人が出来たら一緒にお墓参りに出かけて墓前で紹介もする。両親は死んだとはいえ暮らしの中に今も生きています。それに成人して大学を出て25歳まで両親と暮らしていた幸せな家族の体験があります。温かい家庭の実感をしっかりもっています。

・塁は物心ついた頃から孤児であり、母の面影と言えば幼子の自分を抱いて海へ向かうというシーン、常に死の誘惑を伴った母のイメージを抱えて孤独。その後施設で優しいシスターの下で暮らすが、家庭の味は知らない。痛めつけた血だらけの坂本に「家族がいたらわかるだろう」と言われた時、塁は絞り出すような低い声で「俺に家族はない」と言っている。家族に愛された記憶はない。

「椰子の実」の歌と明香里

映画の中で明香里が歌い、そしてやがて塁も歌うようになる「椰子の実」の歌ですが、かなり早い段階で歌われます。駐車場の管理人室で塁と2回目に会った日、塁が差し出す桃をもらって家に帰った明香里が洗濯機を回しフォークに刺した桃を食べながら口ずさむのがこの歌。普段から何気なく口ずさんでいる様子が分かる。

 椰子の実(やしのみ)』は、1936年に発表された日本の歌曲。

作詞:島崎藤村、作曲:大中寅二。

歌詞『椰子の実』

名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ

故郷の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)

旧(もと)の木は 生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる

われもまた 渚(なぎさ)を枕
孤身(ひとりみ)の 浮寝(うきね)の旅ぞ

実をとりて 胸にあつれば
新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)

海の日の 沈むを見れば
激(たぎ)り落つ 異郷の涙

思いやる 八重の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん

その後、 12月25日クリスマスの日のお墓参りのバスの中で明香里がこの歌を小さな声でハミングするように歌い、塁が後に続くように歌い出す。この時、明香里は「この歌は私にも帰る場所があるんだという歌」だと塁に話す。今は海の上を一人漂い流れ着いた椰子の実の私もいずれの日にか帰る場所があって、そこに帰っていく。いずれ家庭を持って家族を作る、すなわち塁と暮らしている今の家こそ帰る場所。

 塁は次第に明香里の明るさに心を開いて明香里を受け入れるようになる。やがて二人は愛し合うようになり共に暮らすようにも。ボクシングジムから家の前の階段を弾むように上ってきた塁に明香里が「お帰り」と言って塁が「ただいま」と答えて明香里に迎えられるシーンがあります。この時点では塁にとっても帰る場所は明香里と暮らす家であったはず。それが、なぜ、最終場面で塁は海へ帰っていくことになるのか? 

クリスマスの衝撃(天国から地獄・テーマの切り替え)

お墓の前で明香里が語る事故の顛末を聞いて愕然とする塁。明香里は両親を乗せて運転中火だるまの男が空から降ってくるのを見て我に返ったら事故を起こしていたという。塁はその日、ビルのその場所にいて、坂本が油をかぶってライターで火をつけ火だるまになって落ちていくのを窓から見た、そして事故を起こした車も。間違いなく自分は明香里の両親の死と明香里の失明の原因を作っている。罪の意識にさいなまれる塁。ここから「街の灯」とは別の物語に。「街の灯」(あるいは韓国版?)の大胆な換骨奪胎のスタートです。

 シスターと塁の「罪の意識と贖罪」をめぐる会話 

(★「街の灯」は年上の健常者が年下の視覚障害者へ『無償の愛』を捧げる様子を描いていますが、この映画はここから『無償の愛』から『罪の償い・贖罪』の話になっていきます。「犯した罪はどうすれば赦されるのか」と言う塁の問いかけが新しいテーマになっていきます。

迷ったとき、悩んだとき、行き詰ったときは必ず訪れるシスターの元、迷える子羊が今度も身を寄せ、シスターが持ってきてくれた温かいスープに気を取り直した塁は、シスターの制作中だというオルゴールの話を遮って問いかけます:「過去の罪はどうやったら赦されるのですか?。「あなたはもう十分に償っている」と話すシスターに、何も償えていなかった。それどころか幸せになってほしい人を何時だって不幸にしてしまう(明香里の両親を死なせ愛する人の失明の原因を作った)」と話す塁に「あなたには大切な人がいるのね」と気づいたシスター。どうすれば罪は償えるか?」と問う塁に「過去は変えられない。今、捧げられるものを捧げるしかないわね。でもあなたを許していないのは、あなただけなのよ」と諭します。

ここから塁は決意を固めます。その前に明香里を襲った上司を痛めつけたとき、明香里に「責任は俺がとる」「俺が明香里さんを助けるから」と宣言していましたので、シスターの「今捧げられるものを捧げる」というのは、「明香里の目の手術代を得るために無法な地下の賭け試合で勝つこと」と決めたのですね。そして明香里を恭介から守るためにも自分は明香里とは二度と会わないと。

命がけの試合に臨む塁。試合の結果は恭介の意に反したものに。意外にも塁が勝ちます。塁にとっては明香里の為に賞金を得たい一心で勝機を狙っていました。凄まじい試合でボコボコにされながらも塁の獲物を狙う目が光ります。塁は試合に勝ちます。その結果、自分が不幸にした二人、坂本の残された妻と明香里の二人に罪の償いの大金を渡すことが出来、明香里の目も手術がうまくいったことをコーチに電話をして知った塁は「良かった~本当に良かった」と喜びます。贖罪は果たされた。電話ボックスを出た塁はここで待ち伏せていた車に轢かれ背中を刺され路上に倒れます。暗転。(映画は此処で終わっても良いようなシーンですが・・・「街の灯」では無償の愛の贈り主を盲目の時の手の感触が覚えていて探し当てることになりますが、この映画では手術代の贈り主が塁であることは解っていて、塁はこの後2年間、行方不明です)

「きみの瞳が問いかけている」(”お帰り”と”ただいま”)

塁が明香里のパソコンの蓋に点字で張り付けてあるこの言葉に気づいたのは、初めて明香里の部屋の中に入って排水溝のつまりを直した日のことでした。その後、二人が一緒に暮らすようになってから、塁が「なんて書いてあるの?」と聞いて明香里が説明します。ロミオとジュリエット」の言葉で、ジュリエットの目を見たロミオが言うセリフ「彼女の瞳が問いかけている。僕は答えなくてはならない」。塁はこれを知ったときから以前にもまして明香里の見えない瞳を覗き込むようにして『きみの瞳の問いかけ』を知ろうとし『答えよう』とします。

ここで二人の目について。明香里は親しくなった塁とベッドの上に座って柔らかな逆光のなか塁の顔を見せてと言いながら初めて塁の顔を見るシーンがあります。手で順番に顔のパーツを触りながら両手で見ます。一方塁はこれ以降、見える目で見えない明香里の瞳を探るように覗いて愛する人の問いかけに答えようとしてきました。

明香里も気づいていた塁の「死の誘惑」

明香里は見えないけれど塁の心が見えていた。あれは明香里が初めてどこかへ連れて行ってと言った時、塁が連れて行ったのは母親が無理心中で小さな塁を胸に抱いて海の中に入って行ったという風力発電の風車が回る海岸でした。その時塁が話した母への憧憬にも似た死の誘惑に明香里は気づいていました。「どうして一緒に死んであげられなかったのか。僕だけが生き残った」と話す塁に明香里は塁の話を打ち切るように「シーグラスを探して」と塁に頼みます。塁が探してきた赤いシーグラスを手にして明香里が言います「ガラスもここまで削られたら誰も傷付けない。傷ついたことのある人は優しくなれる。このシーグラスは二人を繋ぐお守り」。死の誘惑から生の世界に塁を繋ぎとめるお守りを明香里は渡していました。

塁は見えない明香里の瞳が問いかけるものを見てその都度答えを探していました。でも、それは結局、自問自答を繰り返していたにすぎなかったのかも

明香里と塁の別れ

目が不自由なことは事故を起こして両親を死なせた自分への罰だと受け取っていた明香里に、手術をして幸せな未来を自分の目で見たくないのかと塁は希望の明りを明香里に与えて自分は明香里の元から姿を消す覚悟。胸を打つ別れのシーンです。命を掛けた見返りを求めない塁の愛ですが、明りを取り戻した明香里の瞳が塁を見ることが出来ないというのは残酷です。

退院したものの塁の突然の消失に打ちひしがれている明香里の元に塁宛にオルゴールが届いたことから明香里は修道院にシスターを訪ね、そのシスターの話から自分が起こした事故の原因の落下する火だるまの男と塁の関係を知ります。そして塁の罪の意識と贖罪の気持ちを聞かされた明香里は、塁が自分の元から姿を消した理由を知りました

一方塁の方は、明香里が起こした事故に自分が関わっていたことを隠したままで明香里の元を去っていましたので、明香里が塁の罪を赦しているのかいないのかを知らないでいます。

塁の「帰る場所」(死んだ母の眠る海)

松葉杖で歩けるようになって、明香里がスクを連れて店を出たのを見計らって店を訪ねた塁。店の名前が自分の洗礼名「Antonio」で、 二人の思い出の金木犀の苗が店にあったこと、そしてシスターが言っていたあのオルゴールが非売品として置いてあったこと。これらを通して明香里が今も塁を愛していることは解るけれど、自分は傍にいる資格はない、愛する人を不幸にしてしまうと思い込んでいる塁。オルゴールの蓋を開けると「椰子の実」のメロディ。この歌は「帰る場所があるという歌」と明香里が言った。塁にとって今「帰る場所」は、あの二人で訪ねた思い出のあの浜辺、それは母との思い出の海でもあると、塁はその海岸に向かいます。

少しの行き違いで塁が店を出たあと、金木犀、オルゴール、椰子の実の歌と塁の涙、塁の姿を見つけて吠えながらとびかかったスク。先ほどの松葉杖の青年が塁であると分った明香里は塁を追いかけますが、結局見当たらず路上に泣き崩れます。その手にはオルゴール。オルゴールの曲は「椰子の実」。明香里には、塁が向かった先が分かります。

塁のもう一つの「帰る場所」(絶望―あかり―再生)

最終場面。椰子の実の一節を口ずさみながら赤いシーグラスを手に海に入る塁。そこは死んだ母が眠る海。孤独な椰子の実が帰る海。車で追いかけた明香里が「ルーイ!」と呼びかけて、振り向いた塁に近づいて明香里が掛けた言葉は、

「ここじゃないよ、塁の帰る場所は。一緒に帰ろう」

「私の目を見て」・・・「お帰り」・・・「ただいま」

明香里に抱きしめられてもう一度今度は少し大きく「ただいま」

塁が自分に問いかける明香里の光を取り戻した見える瞳を、目と目を合わせて見たのはこれが初めて。

(このシーンの前、病院でベッドに横たわる塁にマッサージのボランティアに来た明香里と恐る恐る目を合わせるシーンがありますが、この時は明香里は目が見えていても塁の顔を覚えているのは手と耳だったので、名前を変え一音も発することのない塁には気づけず、また塁は出かかる明香里という名前を飲み込んで名乗りを上げられないまま。立ち去る明香里を塁があの赤いシーグラスを手に目で追いながら嗚咽する痛切なシーンとなっています)

塁がそれまで見ていたのは明香里の「見えていない瞳」でした。

焦点の合わない明香里の瞳を塁は探るように見ていました。

今、塁のお陰で光を取り戻した明香里の瞳を塁が初めて見ます。

いまやっと、その瞳が語り掛ける言葉が理解できて正しく答えられたのです。

「そこじゃないよ、塁の帰る場所は・・・お帰り」「ただいま」。

明香里は塁を赦している、明香里は塁を愛している。

 罪の意識を抱えながらその罪を償いながら生きていくためにも塁は赦されなければなりません。明香里にはわかっていました。共に愛し合って生きていくことで二人の罪は償われることを。とっくに明香里は塁の罪を赦して塁が自分の元に帰ってくるのを待ち続けていました。

何回かの暗転の意味は?

 さて、では、あの違和感の伴うぶつ切りの暗転、これで終わり?と何度も思わせるあの暗転は?どう考えたらよいのか・・・・もしこれが現実なら、あそこで終わっていたかもしれない。あの路上で車に轢かれナイフで背中を刺されて死んでいたかもしれない。それよりも前のあの無法な死闘で負けて死んでいたかもしれない。2年後、あのまま塁が明香里の店を訪ねていなければ、二人はそのまま離れ離れだったかもしれない。あのまま明香里が諦めて塁を探さなければ、あるいは塁が海へ向かったことが分からなければ、二人は二度と会うことはなかったかもしれない。たとえ駆けつけたとしても間に合わなければ塁はそのまま命を絶っていたかもしれない。

この物語には幾通りかのエンディングがありうるという暗示のための暗転?! そしてまた映像が続くのは、ここで終わらせないで希望をつないで生きていけば別の道が開ける、諦めなければ希望へと続く道が開けるかもしれない、生きていれば、こんなハッピーエンドを迎えられるかもしれない、そのなかの最上級の幸せなエンディングを提示して映画は終わる・・・

絶望して、亡き母の懐の海に帰ろうとする塁に一条の明りが差して、塁はこの世につなぎとめられる。この時の明香里は塁の全ての罪を赦して胸に抱く聖母であり、これから生き直す塁の新しい生母でも・・・・いい映画でした。

塁は生まれ直して、今より少し楽天的で前向きでプラス思考になって明香里と幸せな家庭を築くことでしょう・・・。

映画の撮影中、塁の目を見ないで演技していた吉高由里子さんが映画を観て横浜流星さんがこんな豊かな表情をしてたの…とその多彩な表現に驚いたという感想がとても素敵です。辛い過去を背負う塁を生きている撮影の間、吉高さんの明るさに何度も救われたという横浜流星さんの感想もまるで塁そのものでさすがと思いました。

最後に、先日ブログで紹介した奈良少年刑務所の二人の少年の詩を紹介した記事を張り付けておきます。服役中の少年が書いた詩です。愛されて育っていれば誰も刑務所へ来なかったかもしれないと寮さんは書いています。それほどみんな優しい子たちだそうです。

愛されるより愛したいという人はたっぷり愛されたことがあるから言える言葉。愛されなければ愛し方は分からない。生まれた子どもは血の繋がりがなくても誰かから抱きしめられて愛されて育てばいい人に育つと私も思います。犯した過ちを悔い改めて反省すればやり直せる優しい社会であってほしいと思います。 この映画でも刑期を終えた塁はシスターやジムのコーチや会長から優しく迎えられていました。そして愛し合う明香里に出会って強くなれました。 

 

<PS>寮さんの「ハルメク」最終回です: 

奈良少年刑務所「人間の本質は、優しさでした」(寮美千子さん) - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com) 

 

 【追記】横浜流星さん2021年の抱負も「優しく生きたい」です。

12月7日の「エルメン賞」の俳優部門を受賞した横浜流星さんの授賞式での言葉:

<受賞作について>毎回自分の代表作にするという思いで芝居をやっていますが、塁という役をシッカリその世界の中で”生きれた”と感じていたので、そんな作品が皆さんの心に届いていると思うと嬉しい。僕自身も人としてすごく学ぶことが多い作品で、ずっとこれから先も心に残る作品となった。

<2020年はどんな年?>嬉しいことも悲しいこともすごく沢山あった年で、人の優しさに救われたりとかしたので、自分も周りをもっと意識して優しく生きたいなと個人的に思っていて、凄く色々考えて、自分の気持ちが定まった年ではありました。

<2021年はどんな年に?>皆さんに良い作品を届けられるよう全力で”役”として生きるのみです。

 

 

(2)「きみの瞳が問いかけている」メモと記憶によるあらすじ

(映画をこれから見るという方は読まないで・・・)

(1)はコチラで:

★先日観た「きみの瞳が問いかけている」の終盤の暗転、もうこれで終わり?と思った箇所が複数回あったことが気になって、先日、またこの映画を観に出かけました。同じ映画を複数回映画館で見るのは初めての体験。この映画は随所に小物が登場し、かなり緻密にドラマの中に組み込まれて浮いては沈む穏やかな流れを見ているような物語なので、余計にあの違和感のある突然の暗転が気になります。見事に織りあがった美しい布に鋏を入れて断ち切るような終盤の暗転は何故?と不思議です。

三木孝浩という監督さんの映画を観るのは初めてです。三木監督が吉高由里子さんを主役に起用するのは2度目とか、横浜流星さんとは初めてとのこと。トップシーンの横浜さん演じる篠崎塁(24)が助手席に乗っている軽トラに「横濱屋」という屋号が書かれていたり、管理人室で二人で見るテレビのドラマが「LAST LOVE」で、ドラマの男の子を「かっこいいけどちょっとチャラそう、頭はピンクだし」と塁に説明させていますが、これは横浜流星さんのブレイクのきっかけになった「初めて恋(First Love)をするとき読む話」でユリユリと呼ばれるピンク頭の高校生を横浜流星さんが演じていましたので、出だしから横浜流星(ファン)さんサービスが行き届いています。

トップシーンは真上から小さな部屋(ネットカフェ?)で丸くなって眠る塁。この時の左手の甲、次の場面の軽トラの助手席から見える左手の甲には大きなタトゥーを消したらしき跡。酒屋の配達をして回る塁。それが終わると新しいバイトに。途中から雨が降り出しフードをかぶる塁。駐車場の管理人の仕事で年配の前任者が突然やめた後を継いで住み込みの仕事にありつけた様子。「遅刻するなら電話してこい」と言われ「携帯持ってないので」と答えています。

ここに目の不自由な明香里(吉高由里子)(29歳)が前任者のお爺さんが突然辞めたのを知らずに入ってきて二人は知り合います。目の見えない分、明香里が臭いや音に敏感、自然に五感が鋭くなる様子が描かれていきます。塁の張りのない低い声を聞いて明香里は、お爺さんより若いけれど生活の苦労で生きるのに疲れたネズミ年生まれの36歳の”おじさん”と呼びます。

鉢植えの金木犀が入り口に置いてある。初めて勘違いで訪れた日、帰ろうとする明香里を「雨も降ってるしテレビ見ていいよ」と低い声でボソッと話す塁。その日、明香里は、”不細工いなり”と呼ぶいなりずしが入ったパックを置いて帰ります。シャワーを浴びた塁はパックのいなりずしをつまむと一口、美味しいのかパクつくように食べる塁。

明香里は部屋でフライパンに油をひきベーコンエッグを作ってパンを焼いて目が不自由でも器用に調理して美味しい朝食を摂っている様子が。そしてコールセンターのお客様電話係りとして働く明香里。視覚障害者は明香里一人ではないことも分かります。どうも職場の上司(野間口徹)が異様に明香里に執着している様子も。

 一方、塁の方はドリンク剤のパックを手にボクシングジムに。コーチ(やべきょうすけ)と会長(田山涼成)の前で正座して頭を下げる塁。突然消えたことを責められていますが謝罪に徹する塁。何かわけがありそう。

管理人室で初めて一緒に過ごした日の帰り際に明香里が「水やり忘れないで」と言っていた鉢植え、2度目、塁が空のいなり寿司のパックを返しに外に出たとき、金木犀の花の香りに気づいた明香里が「花が咲いたのね」と言います。管理人室に入った明香里が窓を開けてと頼む。どうも汗臭いにおいがしたらしい。この日もドラマを見て帰ろうと外に出た明香里に「ちょっと」と呼びかけてを渡すシーン。「私は”ちょっと”じゃなくて柏木明香里」と名乗って手を差し出します。塁がその手を握り返して握手。「固い手」に気づく明香里。

ぼさぼさ頭で汚い靴を履いて平気だった塁も次第に汗の臭いが気になり身の回りを清潔に保ちシャワーを浴び履いている靴の臭いも気になりだします。そして今では目を閉じて明香里の白杖(はくじょう)の音を待ち焦がれるように。

明香里は洗濯機を回しながら刻んだをフォークで口に持って行きながら、口ずさんでいるのは「椰子の実」の歌。この歌はこの映画の主題そのものであることが徐々に明らかになってきます。

明香里は素足に水を感じ、排水溝に何か詰まったせいで洗濯機の水があふれているのに気づく。その日塁は新しいスニーカーを履いている。明香里は「新しい靴のにおい」に気づきます。明香里がドラマを見て主役の男の子「カッコいい?」と聞くと「かっこいいけどチャラそう、髪の毛ピンクだし」と答える塁に「ドラマじゃなくておじさん。ハンサムでなくても男は顔じゃない、ハートだから」。

管理人室に戻った塁は、外で急発進する車をよけた明香里が転ぶのが見えて慌てて助けに。病院で治療を終えて出て来る二人。バスの中で名前を聞かれた塁は「恥ずかしいから」と答えない。家への帰り道「背中に乗って」「後悔するよ」「大丈夫」と明香里を負んぶして坂道の長い階段と自宅の前の階段を上ってくれた塁に、ついでに排水溝を見てほしいと頼む。詰まったパンツを取ってもらったお礼にと上司からもらったコンサートのチケットを渡し、二人で行くことに。

いつもよりちょっとオシャレした明香里を外で待つ塁。二人でコンサートにでかけ、終わって後、焼き肉店へ。ここは両親とよく来た店だと身の上を語り始める明香里。大学では彫刻を専攻していたことなど。塁のことも知りたくて過去の仕事のことなど聞き始めた明香里に、苛立つ塁はつい乱暴な言葉を吐いて二人は気まづくなり、送っていった明香里の家の前で、悪いと思った塁は、バスの中で聞かれた時「恥ずかしい」と言っていた名前を告げます。「アントニオ・篠崎塁」「芸名?」「本名。年は24.キックボクシングをしていて結構悪いこともしたけど、今はそうじゃない」「おじさんじゃないのね。言いたくないことを聞こうとしてゴメンね」二人は気まずいまま別れます。

塁の方はまたジムの二人に呼び出され会長に「今までどこにいた?」と問い詰められる。二人の話から地下格闘技の世界にいた塁はコーチに見出されて表のキックボクシングのボクサーとして育てられ活躍していたことが分かります。とうとう塁の口から「懲役3年5か月の刑を受け刑務所にいた」ことが明かされます。

(過去の映像が流れて)塁は半グレ組織のリーダーであり幼馴染の児童養護施設先輩恭介(町田啓太)に誘われて金貸しのあくどい取り立ての用心棒のようなことをしていた様子が分かります。恭介のグループの金を持ち逃げしようとする坂本(岡田義徳)を追い詰め、塁が手先となって坂本を殴りつけている。先輩仲間が金を取り戻し後は任せたと二人きりになったビルの一室、「家族がいればわかるだろ~見逃してくれ」と懇願する血だらけの坂本に絞り出すような低い声で「俺に家族はいない」と答える塁。突然、部屋の外に「警察だ」の声がする。

塁は自分が育った養護施設の修道院のシスター風吹ジュン)に会いに行きます。洗礼名の変更は出来ないかと聞いても取り合ってくれないシスター。自分は許されないことをしたとシスターに語る塁。もうあの人たちとは付き合ってないのでしょうと尋ねるシスターに左手の甲のタトゥーの消し跡をみせる。子どもたちが作った髪飾りのシュシュをシスターは塁に渡して「誰かイイ人がいたらあげて」と言います。

十字架を仰ぎながら塁は此処で育った子ども時代、先輩の恭介に人を殴っても罪を認めるなと言われたことを思い出しています。恭介との関係はこの時からの上下関係が続いているようです。

緩やかに二人の間の距離が縮まるエピソードが積み重なるように描かれるなか、この日ある事件が起こります。明香里の家の前で待ち伏せしていた職場の上司が部屋に入り込んで嫌がる明香里を押し倒します。抵抗した明香里に顔を引っかかれた上司は逆上して迫ろうとするので明香里は防犯ベルを引き抜いて鳴らしますが益々凶暴になりベルを止めろと言われ止めたところへ修道院からの帰りに寄った塁が現れ、上司を引きはがして殴りつけます。塁の怒りは収まらず明香里の止めてという叫びにも耳を貸さず、上司の指を折って「今度は殺す」と言い放つ。指が折れる時のきしむ効果音と一瞬凶暴な塁の目が怖い。

優しい声に戻った塁は「だいじょうぶ?」と明香里に。「どうして私の言うことを聞いてくれなかったの。首になったら責任取ってくれるの?仕事を見つけるのがどんなに大変か分かる?」となじる明香里。「あんなことされても会社に行くの?」と聞く塁に「何事もなかったふりして笑って仕事をする、生きていくためなら」と答える明香里に「責任は俺が取る。俺が明香里さんを助けるから」と言う塁の言葉も耳に入らない様子の明香里。うなだれて、プレゼントのシュシュを置いていく塁。二人が理解し合えないまま終わるこの場面の緊迫感に引き込まれます。

管理人室で白杖の音を待っている塁ですが、しばらく姿を見せない明香里。ある日、見回りから戻ると扉のところに明香里がいる。「今、退職届を会社に出してきた」という。そして「スッキリしないから週末私をドライブにつれていって」とも。黙っている塁に明香里が「責任取ると言ったのだからそれくらいしてくれてもいいでしょ」と言うと、塁はボソッと低い小さな声で「いいよ」と答える。

一転、画面は明るくなって畑の中を走る車。いつになく穏やかな明るい表情で車を運転する塁、窓の外の風を手で受ける明香里。二人が車で向かったのは風力発電風車が並ぶ海岸。ここは塁の一番古い記憶のある場所。母親に抱かれて海に向かったところ「母さんは無理心中をしたんだと思う。僕だけ生き残った。どうしてあの時一緒に死んであげられなかったのかと思う」と話す塁。

聞いていた明香里は吹っ切るように「シーグラスを探して」と言います。「ガラスが割れて角がとれて丸くなっていくの」。塁が赤い破片を持ってきて明香里に渡すと目に近づけてこれこれという感じ。視力が少しは残っている様子。「ガラスもここまで削られたら誰も傷付けない。傷ついたことのある人は優しくなれる。たとえ傷を負ってもあの時の傷はこの先の幸せのためのモノだったって思いたい。このシーグラスは二人を繋ぐお守り」と言って塁に手渡します。

(ここまでがゆっくり丁寧に描かれる物語の序盤部分)

 ******(中盤で描かれるのは「天国と地獄」)

ここから転調、明るい画面に主題歌のメロディが流れ、塁のキックボクシングシーン。再開した塁のはつらつと躍動する軽快な動き。弾むように階段を上っていく塁。明香里の「お帰り」に「ただいま」と言って帰る塁。二人は一緒に住むことに。塁に帰る家が出来たのです。

配達の仕事先でゴールデンレトリバーを見た塁は子犬を買って来て二人で育て始める。名前を付けてといわれ「すくすくそだつようにスク」と名付ける。二人の家の改装を着々と進める塁、窓を覆っていた波板も外して光のさすベッドルーム。柔らかな光の中二人はベッドに座っている。明香里が手を差し伸べて顔を見せてと塁の顔を触り始めます、眉、目、鼻、口、耳と両手が滑るように塁の顔を見ていきます。二人は初めてキスを交わします。逆光の中の柔らかで優しく美しいキスシーンです。

以前から気になっていたノートパソコンの蓋に貼ってある点字の言葉に塁が「なんて書いてあるの?」に答える明香里。ロミオとジュリエット」の言葉で、ジュリエットの目を見たロミオが言うセリフ「彼女の瞳が問いかけている。僕は答えなくてはならないというの」。この最初の部分が映画のタイトルになっています。ここから塁の意識の中に『明香里の瞳の問いかけ(Your eyes tell.)』に『I will answer it.』がインプットされます。

塁はますますキックボクシングに励み、めきめきと腕を上げ試合も連戦連勝というスピード感あふれる生き生きとしたボクシングシーンが続きます。躍動する塁の体。明香里は陶芸のほかにも点字マッサージを独学で習得しようとします。かたくなだった塁の心もすっかり明るく優しくなり明香里の膝枕で横になるまでに。明香里が横になっている塁にうつ伏せになってと促して馬乗りになってマッサージを始めます。左手の甲に火傷の跡を感じて「火傷?」と問いかけますが塁はすぐ手を引っ込めて・・・後半、陰を宿す運命の不吉な暗示ですが、気を取り直したように塁が夢を語ります、「二人でお金をためていつか小さな工房を持とう明香里は器や花瓶を作って」と。

12月24日、クリスマスイブの試合の日。壮絶な打ち合いを制して塁は試合に勝ちますが左目が腫れあがってこのまま帰れば怒られると血抜きをコーチに頼みます。二人で引き上げるところに恭介が待っています。「アントニオ、さすがだな。表の世界では敵なしか。でもファイトマネーは大したことないだろうし、一緒にやろう」と言われ「戻らないと決めましたから」と答える塁に恭介の「またな」が不気味で不吉です。

開けて25日のクリスマス。明香里と塁はバスに乗っています。明香里が口ずさんでいるのは「椰子の実」の歌。この歌は「私にも帰る場所があるんだという歌」と明香里が塁に話します。一緒にハミングする塁。

訪ねた先は柏木家のお墓。明香里の両親が眠る。「こんにちは、大切な人を連れてきました」と両親の墓に向かって話す明香里。墓石に向かって「こんにちは」と頭を下げる塁。ここで明香里は4年前の事故の話をする。事故のきっかけはビルの上から火だるまの人間が落ちてくるのを見たからだった。その時、そのビルに、塁はいた。塁に殴られた血だらけの坂本が助けを乞う。「家族がいればわかるでしょ」と言われた塁は「俺に家族はいない」と答えたその時「警察だ」という声。驚く塁の背後で坂本が油をかぶってライターで火をつけ火だるまになって窓から飛び降りて自殺をはかる。思わず窓の外を見ると一台の車に衝突した車が事故を起こした。あの車の中にいたのが明香里、あの事故で両親を失い、視力を失ったのが明香里。墓石の日付を確かめるとあの日の2015年12月25日。間違いなく愛する人の不幸に自分は関わっている、原因は自分にある。

サンドバッグをうなり声と共に叩きつける塁。

雨の日、修道院の外でしゃがみこんでいる塁を見つけたシスターが食堂に招き入れて温かいスープを持ってくる。「今皆でオルゴール作ってるの、塁にも作ってあげる、曲は何がいい?」と話しかけるシスターに唐突に質問する塁。「過去の罪はどうやったら赦されるのか?。「あなたは十分に償っている」と話すシスターに何も償えていなかった。それどころか幸せになってほしい人を何時だって不幸にしてしまう」と話す塁に「あなたには大切な人がいるのね」と気づいたシスターは「どうすれば罪は償えるか?」と問う塁に「今、捧げられるものを捧げるしかないわね。でもあなたを許していないのは、あなただけなのよ」と諭す。

帰ると、キッチン前が荒れている。明香里は部屋で料理をしているとき誤って転んで病院に。病院に駆け付けた塁に明香里は肋骨にひびが入ったと。医者は肋骨はコルセットで自然に治るが目の方が網膜剥離で手術をしなければ失明の恐れがあると伝える。

車いすの明香里を屋上に連れ出した塁。「どうして手術しないの?」と聞く塁に「私には塁がいるし、お金もいるし」と言う明香里。それに両親二人を亡くした事故の罰として目が見えないことを受け入れている様子。「このままでいいのこの方が気が楽なの、お金もかかるし」と答える明香里に「お金は何とかするから」「将来子どもが出来たり、新しい家に引っ越したり、幸せになった自分をちゃんと自分の目でみてほしい」と熱心に説得する塁。退院してきた家のドアに恭介のグループのタトゥーのマークがスプレーで大書されているのを見て驚く塁。

画面は一転して大音量の音楽と青い照明の盛り場。塁は急ぎ足で恭介の元へ直進、「彼女とは別れてきた。あの人を巻き込まないと約束してください」と恭介に頼む。「わかった。試合に勝ったら自由にしてやる」「ファイトマネーは?今すぐ」と言う塁に膨らんだ財布ごと投げつける恭介。

塁は裏の試合を引き受けたことをコーチに伝えている。「こっちに戻ってこれないぞ。チャンピオン一歩手前まで行ってるのに」と引き留めているが、塁の決意が固いのを知って「勝手にしろ!」と。

病院の廊下、手術直前の車椅子の明香里の前にしゃがんで明香里の目を見つめている塁に明香里が言う「塁の言う通り、二人の結婚式も、子どもも、引っ越した家も見たいし、塁の顔も見たい」と二人の明るい未来を見るために手術の決心をしたことを喜ぶ明香里。一方塁はこれが最後と目に焼き付けるように明香里の顔を見ている。見つめ合う二人は自然に互いの顔に手を伸ばしている。看護師に促されて車椅子の明香里が離れて行くのを目で追う塁。明香里は塁のお陰で暗闇の世界から光の世界へ。塁は明香里に生きる意欲と希望を与えられたけれど、今は贖罪の為に命を掛けて闇の世界へ行こうとしている。二人のすれ違う別れのシーンです。

ここから、一転する画面。音楽が鳴り響く。勢いを増すテンポと美しいメロディと激しく喘ぐリズム。家に帰って猛スピードで二人の暮らしの痕跡、運転免許証も二人とスクの幸せな写真も燃やし尽くす塁。一転、画面は地下の死闘の場面へ。どちらかが気絶するか死ぬまで闘うKO勝ちの闇の試合。恭介は競合する闇グループの相手に負け試合をプレゼントするつもりで「はみ出し者同士上手くやろう」と持ち掛けた。試合の相手は予告と違って塁とは比べ物にならないほどの大男の外国人に変わっていた。裏切り者は徹底的に制裁するつもりかと塁。ゴングが鳴り試合が始まる。歯が立たないほどの体格差に殴られ締め上げられる度に骨のきしむ効果音が怖い。投げ飛ばされたり顔面を殴られたりリングにたたきつけられる塁。しかし、負けるつもりのない塁は一瞬のスキをついて回転胴回し蹴りで相手の首を狙う。相手はもんどりうってリングに倒れ動かない。リングの上で大の字になって倒れている二人。一人は死んだように動かない大男だが白い塁の胸は激しく上下して、生きている。塁に賭けていたコーチに塁は倒れたまま拳を上げて勝利のアイコンタクト。

 ケイタイを持たない塁が電話ボックス。相手はコーチ。「言われた通り半分は明香里ちゃんにあとの半分は坂本〇〇さんに。誰だよ。お前二又かけてたのか?」「自分の所為で死なせてしまった人の奥さん」「明香里ちゃんの手術上手くいった。術後の経過もいい」「良かった。本当に良かった」「お前何処にいる?帰ってこい、早く帰ってこい、な」の呼びかけに、黙って受話器を置く塁。

外に出たとき一台の車が急発進して塁を跳ね飛ばす。倒れた塁に降りてきた男がナイフで背中を2回突き刺す。去っていく車の後部座席にサングラス姿の恭介。勝ってはいけない試合に勝った塁への制裁・・・   

ここで映画は終わる?のかと一瞬

***** ここから終盤

目が見えるようになった明香里ですが、塁がいない。目が見えなくてもいいと思っていた明香里に未来の希望の明りをともして手術を受ける決心をさせてくれた塁がいない。

立ち退きを求められている部屋の家具の運びだしの最中、階段に力なく座っている明香里に、アントニオ篠崎宛の荷物ですと渡された小包はオルゴール。明香里は送り主のシスターを訪ねて塁が育った児童養護施設修道院へ。シスターは塁の大切な人は貴女ね、と塁から聞いていたと話す。塁は貴女の傍にいる資格がないとも言っていたと車の事故の原因になった火だるまの男に自分も関わっていたことを責めていたと知る。

初めて知る塁の過去と事故の関係。アトリエで彫像の前にいる明香里。両手で見た塁の顔の感触を思い出しながら塁の顔の彫像を創る明香里だが、泣いている。

その2年後。小ぎれいなインテリアショップの白い店の前、車から大型のゴールデンレトリバーと一緒に降りてくる明香里。成犬になったスクだ。店の中は器や鉢や小物が置かれていて、明香里は店長となりマグカップを届けに来ていた。塁が語っていた夢を叶えたようだ。病院のマッサージのボランティアもしている。

病院の一室。明香里のポニーテールの髪を束ねているのは塁がシスターにもらったシュシュだ。ドアの手前の患者の佐藤に明香里は約束の手作りの湯飲みを渡しマッサージのボランティア。窓際で横たわっていた若い患者が気づいて顔を向ける。明香里には分からないが、塁だ! 明香里がマッサージに行く。佐藤が「その人ここに来てから2週間口をきいたことがない、喋れないんだろ」と。

恐る恐る目を合わせる塁。ボランティアの柏木ですと自己紹介する明香里。横になって背中をマッサージして何事か気づいた明香里は名札に目をやるが、高橋という別の名前。塁は固くなって必死にタトゥーの跡を「火傷?」と明香里がきいたことがあった左手の甲を隠している。今、明香里の目は見えるが塁の顔は知らない。塁の顔を見たのは手だった。手で触らない限り塁とは確認できない。声を聞かない限り塁とは分からない。明香里はまた来ますと言って去っていく。右手の甲を隠すため重ねて握っていた左手がほぐれると落ちたのはあの赤いシーグラス明香里と塁を繋ぐお守りでした。

目が見えるようになった明香里と再会できた塁はなぜ名乗らない、なぜ名乗れない。彼は未だ自分は愛する人を不幸にしてしまう、愛する人と共に生きる資格はないと思い詰めているのか。口元は何度か『あかり』と言ってみるが声にはならない。去っていく明香里を目で追いながら声を殺して嗚咽する塁。胸が締め付けられるようなシーンです。

一転、小雪が降る窓の外を見ている車椅子の塁の後ろ姿。

寝たきりから座れるようになって少しずつ回復しているのか。

ここでまた暗転 都会のビル群。

明香里の店が見える。明香里がスクを連れて外に出るのを見計らって松葉杖の塁が店に近づいていく。見上げると店の名前に塁の洗礼名の「Antonio」。中に入ると、塁が明香里に語った夢が実現している。

真ん中の展示物の中に金木犀の苗が植えてある器。手に取る塁。店の奥に目をやるとシスターの姿が浅く彫り込んである木製のオルゴールが。ふたを開けると、このメロディは「椰子の実」。涙を流す塁。明香里によるとこの歌は「帰る場所がある歌」。塁にとって今帰る場所は?

松葉杖で外に出る塁。丁度そこへ帰ってきた明香里。気づいたスクが塁を追っかけ、追い付いて喜んで身体を預けるスクに松葉杖ごと倒れる塁。明香里が飛んできて「大丈夫ですか?怪我は?」顔を見て「もしかして病院でマッサージした?」と気づくが、逃げるように立ち去る塁。

店に入って金木犀が売れたのに気づく明香里、店員から金木犀を買った人がオルゴール椰子の実の曲を聴いて泣いていたとも。その人松葉杖の? スクが近づいて行ったのも! 塁に気づいた明香里が外を追いかけるがすでに塁の姿はない。追っかけて路上に泣き崩れる明香里。手に持っているのはオルゴール

暗転。(またここで終わる?かと思った)

塁の小さな歌声、♪とお~きし~まより、な~がれよ~る、やし~のみひとつ

杖を捨てて、海に向かって歩く塁、手には赤いシーグラス

履いている靴は2年前のあの日新調したスニーカー

ルイ!と呼ぶ声、振り返る塁の目

「ここじゃないよ、塁の帰る場所は。一緒に帰ろう」

「私の目を見て」目と目を見合わせる。「お帰り

ただいま」。明香里に抱きしめられて塁がもう一度「ただいま

死の誘惑の間際で思いとどまれた塁。

この世に引き戻してくれたのは明香里。

柔らかい西日を正面に受けた塁の目の涙があふれる

明香里と塁が抱きしめ合う姿を映して映画は終わる。

 

 (抜けた大事なシーンや言葉があるかもしれませんが・・・)

☆☆☆(3)では、これを元に考えてみます

 

cangael.hatenablog.com

 

 

 

「公共とは何か~学術会議任命拒否問題から考える」ほかアレコレ

◎今日は夫がシルバーの仕事日、お弁当を持って8時ごろ自転車で出勤。私はヨーガの日。家を出る時間まで国会中継を聞くことに。立憲民主党の枝野さんの質問。原発新設と日本学術会議の任命拒否の問題を質問していました。いいところをついていると思いながら・・・アメリカの大統領選の結果も気になりますが、投票結果だけで決着しない様子。あのトランプ氏、何をゴネルか分からないところが無茶苦茶でアメリカが気の毒です。

🔲大阪市住民投票が終わってからと思っていた内田X寺脇X前川三氏による学術会議任命拒否問題をめぐる記事です。

 
 
 
谷虹陽
 
@Koyo_Tani
 
学問の自由を守るために、抗議行動に参加。国会前。 「政権の言いなりになれば、真の学問はなく、学問の自由はない」といった学生のスピーチに100%同意。 時の権力の都合で学問のあり方が決められる国に未来はない#日本学術会議への人事介入に抗議する #学問の自由を守れ1103行動

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🔲任命拒否が法律違反である論拠の部分を引用です:

前川 所轄というのは、事務的な、最低限必要なお世話はします、しかし中身に口は出しませんという意味なのです日本学術会議法に「内閣総理大臣所轄とする」とは書いてあるけど、「内閣総理大臣の監督とする」とは書いていないですから所轄という言葉が、学術会議の独立性の証左なんですね。日本学術会議は「独立して職務を行う」とも、はっきり書いてありますし。人事に関してはもっとはっきりと、「推薦に基づいて」と法律に書いてあるわけだから、内閣総理大臣の裁量ではねたり入れたりできないはずですよ。

🔲もう一つ寺脇氏の「税金を使っていれば国旗国歌もやるべき」について: 

寺脇・・・・・・ 安倍首相が国会で、国旗国歌について「(国立大学の経費が)税金によって賄われていることに鑑みれば、教育基本法にのっとって正しく実施されるべき」と答弁したんです。でもそれがそれっきりで終わってしまった。国会が止まるくらいの発言だったのに、「そんなバカな!」と誰も言わなかったので、「税金を使っているのなら、国旗国歌もやるべきだ」という話が通ってしまったんです。「あいちトリエンナーレ」のときもそうでしたね。発端のときに官房長官文化庁から補助金が出ていることを持ち出して、一気に忖度ムードができていった。「国が金を出しているのだから、この国のトップである俺の言うことを聞かなければいけない」という論理がまかり通っている。私はどこかに書いたけど、そんなことを言ったら生活保護を受けている人は毎日、国旗掲揚国歌斉唱をしなければいけない、ということですかと。

🔲最後に内田氏の部分から「公共的なものと国家は別」というくだりを:

内田・・・それはそうですよね。国道があったり、堤防があるおかげで僕たちは安全に暮らしているわけですけれど、それに向かって「税金の恩恵を蒙っているんだから、国道を歩く人間は政府に逆らうな」と言われたって困る。公共的なものと国家とはカテゴリーが別なんですよ。そして、学術は公共のものです。個人のものじゃないし、一政府のものでもない。学者たちの「コモン」すなわち共有地なんです

学術が公的なものである以上は、集団全体が、公的なかたちでそれの活動を支援するのは当たり前のことなんです。集団の知的なアクティビティを高める活動が、一月程前にできた一政府の意向に従わなくてはいけないなんてことはあり得ない。今の政府は「公的」という言葉の解釈を全く理解できていないと思います。生活保護を受けるのも、道路を使うのも、公教育を受けるのも、誰でもが公的な支援を受けているわけで、公的な支援を受けて暮らしていない人間なんてこの国に一人もいない。それを、公的な支援を受けている人間はその時々の為政者の意志に従い、その政治イデオロギーに賛意を示さなければならないなんてことはありえないわけです。

🔲山崎雅弘氏のツィッターから、菅首相の言い訳が支離滅裂に:

加藤陽子先生以外を知らない」のに悩んだ首相(朝日)digital.asahi.com/articles/ASNC1 「『加藤陽子先生以外の著作や研究論文も読んだことはないのか』と質問。首相は『それ(読んだこと)はありません』と答弁」 この一言だけでも、今までの説明が全部吹っ飛ぶ内容だろう。何者か知らずに任命拒否した。
(続き)菅義偉氏が、加藤陽子さんの「市販された本」しか読んでいないのに6人の会員の資格を学問的見地から「総合的・俯瞰的」に評価するのは不可能で、前例踏襲がいいか悪いかなど全く関係ない話。 「顔が俺の好みじゃないから任命しなかった」と言っているのと変わらない。判断の次元が低すぎる。
【詳報】「加藤陽子先生以外を知らない」のに悩んだ首相:朝日新聞デジタル
 菅義偉首相が2日午前からの衆院予算委員会で、初めて一問一答形式での論戦に臨んだ。日本学術会議の会員候補6人を任命しなかった問題などをめぐり、野党の追及にどうこたえるのか。タイムラインで速報し、記者が…

🔲「維新の会」の大目標の都構想があえなく潰えました。松井市長の悔し紛れの発言には、これまで市長として何をしてきたのかが分かります。同じく橋下氏も然り: 

内田樹さんがリツイート

 
 
 
 
@chocolat_psyder
 
やっぱ納得いかないから寝る前に書いとこ。 松井一郎さんさあ、住民投票は「市民の意思を問う場」のはずですよ。市長として「戦い」とか「勝った負けた」という次元で捉えてはダメでしょ?公職をかけた選挙じゃないし「賛成=維新の会」でもない。そもそもこの住民投票、最初から最後まで間違ってる。
 
 
 
 
のら亀
 
@kumano35han
 
中野さん、本当に真っ当な反論してくれててスッキリした。 中野「そんなに経済効果があるとは思えない」 橋下「上がるかどうかはやって見ないと分からない」 えっ? 毎年1000億円はウソ?
引用ツイート
山崎 雅弘
 
@mas__yamazaki
·
橋下徹氏は「大阪都構想」の張本人なのだから、厳しく追及されて当然の局面であるはずだが、問題を追及したのは中野雅至さんだけで、橋下氏は論点すり替えの詭弁ではぐらかした上、いつものように「相手に無礼なことを言う」手で「嗤い」に転化した。こんな芸風を面白がる番組制作者はどうかしている。
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大阪市存続決定と「箕面の森 アートウォーク」

 ◎昨夜は祈る思いで開票速報を見ていましたが、ひょっとしてダメかもと思っていたこの時間に「反対多数が確実」の速報!? なんで?とにわかには信じられず、でしたが都構想は否決されました。三度目はないとのこと。それにしてもやらなくてもいい住民投票に多額の税金を投入して・・・これで維新の会や公明党が正当に評価される大阪になれればいいのにと思っています。とにかく、ホッとして嬉しい朝を迎えました。

 
 
 
考えたい
 
@maxta
 
反対多数が確定 NHK報道
 
 
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 ◎先週の金曜日のこと、Sさんからの電話があり要件が済んだ後、今滝道でアートウォークという現代美術の展示をやってるから見てくるといいよ、土日は混むから今日行ったらよいと思うとのこと。東の坊の島の稲刈りも済んだので11月になったら西の滝道にしよう、と思っていたところでした。紅葉にはまだ3週間ほどあるけど、長い間行ってないな~コロナ以前と言えばお正月以来かも。それで午後2時ごろ家を出ました。

ドライブウエイを横切って竹藪の手前が六甲まで見渡せる場所です。竹藪のところでドライブウエイから離れて坂道の住宅街の道を聖天(西江寺)さんへ向かいます。こちらは聖天産の境内の裏になります。イチョウの木の前の階段を上ると小さな彼岸花のような花が咲いています。直径5センチもないかも。なに?これ?よく見ると針金で土に突き刺してあります。秋口花が絶えて寂しいからお寺の人が・・・?

1)志村陽子さんの「アカイシムラ草」

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境内に入ると奥の方に丸く一面赤い花が浮いたようになっています。これが作品です。

あずまや風の建物に今風の絵が描かれた幟のようなものが掛けてあります。中に入ると一人の女性がパンフレットを持って説明してくれます。これか~?アートウォークが始まっていました。西江寺はその発表の場所の一つでした。昔の箕面山の絵図をコンピューターで再現した新しい表現の山地図がありました。パンフレットの表紙になっています。ところで西江寺箕面弁財天とも言い、聖天さんと呼ばれて親しまれています。

2)橋本修一さん「BENNZAITEN Project」

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聖天閣と呼ばれる広いお堂、ここは天狗祭りの時に縁先に太鼓が置かれドーンドーンと下の住宅街まで響きます。お酒を呑んだ天狗たちが低い姿勢でササラをこすりながら子どもたちを追いかけて中の坂の急坂を子どもたちを追っかけまわす起点の場所です。

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3)浜本隆司さんの「この都市は幸福の理想郷なのか」、左は「EXPO' 70」

床の舟形の作品は

4)嶋田ケンジさん「NOAH]

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◎聖天さんを後にして滝道へ、昆虫館前から竜安寺の境内を目指しました。

急階段を登ると濃い緑の木々が生い茂る静かな境内。神域という感じです。

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お正月に参拝する鳥居の方とは反対側の山際の地道を下ることにしました。左下は竜安寺の下の広い境内を見下ろせます。滝道を下ると昆虫館前の箕面川。ここで川は直角に曲がっていて上流側は大きな石の間を激しい水音を立てて流れる瀬、曲がり切った先は池のような静かな水面の淵となっています。

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ここを少し行くと滝道がヘアピンカーブ状になっています。ヘアピンの頭部分を通らないで手前の橋を渡り、躑躅原を左手にもう一つ橋を渡る近道を歩く。少し下ると梅屋敷があります。ここは何時も素通りする建物。入るのは初めてです。写真の入口正面に細長く光っているのは作品の鏡。もみじが少し色づいている。

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お客さんが2,3人。正面の鏡の前に立っているとマスク姿の男性が、この鏡どこかおかしいと思いませんか?と話しかけてきました。「細長いけど・・・」「じっとよく見てください」「あれ、前後に動いてる?」「じっと見てるとおかしくなりますから」「ほんと、船酔いみたい」。「こちらの四角いのも少し動いています」。確かにゆっくりと少し動いています。芭蕉の句「岩鼻やここにも一人月の客」にヒントを得て、見るものから見られるものへ。自分を客体化することを狙ったものとか。

5)山口良民さんの「鏡/月の客」

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すぐ隣にあるのはこれも現代俳句からヒントを得た作品。

6)芳野ヒロユキさんの句「花鋏チューとリップに切るなんて」

 X 長野久人さんの「断絶の形」

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俳句のおかしみになじみがあると思ったら、母の俳句の千里教室で伊丹三樹彦氏が西宮から出てこられなくなった後句会の先生を一時期されていた坪内捻典氏と関係があるようです。捻典流だとチューとリップにはキスと唇が隠れているはずです。それをハサミで切るなんて・・・と言うこと?! この句をうけて彫刻の方は正攻法?ミロのビーナス像を首のところで切断。灰色の死んだ花たちのケースの上で遠近法を利用して手前の顔と頭部には大きくチューリップの花の部分が描かれていて、遠くにある小さな胴体部分には花を切り取られたチューリップの茎と葉が描かれています。これは面白いと思いました。

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もう一つの作品の前、左が解説をしてくださった方、もうお一人はスマホでこの作品に描かれた木の名前を作者に聞いておられました。

7)田中博之さんの「水簾に役行者が見たる月」

取れもリアルに描かれた鉛筆画の葉を見ると、これは金木犀の枝です。みんな金木犀と言うので今問い合わせていると。本人は「椿」と言ってます。椿は横に走る葉脈がないのでこれは金木犀だと思いますと私。本人も知らんのと違うかな。言っとかなあかんな~みんな金木犀やと云うてる。役行者が滝を見たときの状況を想像して作品にされたものとか。

解説のお礼を言って梅屋敷を後にしました。一の橋に差し掛かると新しく再建された橋本邸が見えました。工事中だったのに完成したのを見たのは初めてです。 

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最近のポスターには必ず漫画が入っています。若い人たち向けですね。

スパーガーデンのエレベーター塔が見えてきました。いよいよ滝道も終わりに近づいています。途中で小さな横道伝いに北小方向へ向かって我が家に帰ることに。

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今年、お正月以来、初めての滝道散歩でした。未だ紅葉には早いのでこれから散歩は坂道の西江寺竜安寺、出来れば年内に滝まで行けるようになりたいと思っています。

8)橋本修一さん「箕面山古絵図」(部分)

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◎Sさんの電話のお陰で「箕面の森 アートウォーク」の作品の一部を見てきましたがとても楽しかったです。隔年開催のこの催しは本来なら2019年開催予定だったが台風の為1年延びた。ところが今年は新型コロナウイルス感染症で日本中が大変なことになり、あらゆる文化活動が自粛を余儀なくされる状況。しかし、このままでは「コロナ禍は人々を社会から隔離し社会活動や文化活動を、荒びれ廃れさせる。今こそ、地域社会や住民とともに活動することで、アートが力を発揮し人々に心の潤いを取り戻すときではないだろうか。」とプロデューサーの中谷徹氏がパンフレットの「後記」に書いておられます。
◎昨日、箕面の山絵図が500円で販売されているというので散歩がてら聖天さんを再訪。裏口から入って鳥居の方向を見ると木々に何やら絡んでいるものが。鳥居をくぐって正面から見ると布(テキスタイル)の作品でした。これは見落としていたと写真を撮りました。

9)中村えい子さん「共に ここに 在る」

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左の小さな急な階段を上ると右手に西江寺聖天宮)の社務所、左手に赤い花が浮いたように見えた境内と右手に東屋。(トップの写真)

 

官邸前再稼働反対金曜デモと「エール」山崎育三郎さんの『栄冠は君に輝く♪』

いよいよ今日から霜月、カレンダーも残るは2枚。そして今日は大阪では2度目の大阪市廃止の是非が問われます。2度目も良い結果が出ることを願っています。

 
 
 
長谷川羽衣子
 
@uikohasegawa
 
維新の委託先:パソナパソナパソナパソナパソナパソナパソナメディカル、パソナパソナパソナ富士ゼロックスシステムサービス、パソナパソナパソナ
引用ツイート
サカモトハルキ
 
@sakamoto1haruki
·
ほらね、維新の裏には竹中平蔵がいるでしょ。笑 だから言ったじゃないか!

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◎遅れてしまいましたが、29日は10月最後の金曜日、官邸前再稼働反対のデモの日でした。いつも「特別な1日」さんからデモの様子を知らせていただいていますが、この日はオンラインではなくて珍しくリアル参加でしたが、SPYBOYさんは先約があって欠席でした。写真をお借りします。「原発新設」とか「トリチウム汚染水海洋放出決定か」と、ただならぬ新政権の動きですが・・・

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◎タイトルの『菅内閣の内実』は、SPYBOYさんお馴染みの情報源からの新しい情報です。「コロナについて」、と「菅内閣の人事と性格」について、ぜひコチラで。来年の見通しも言及されています:

◎さて、先週のNHKの朝の連続テレビ小説は「栄冠は君に輝く」の誕生秘話を描いていました。久志(山崎育三郎)が戦時歌謡を歌っていたことで父親まで非難されていたことを知り、益々自暴自棄になっているところへ、古関裕而役の祐一( 窪田正孝)が甲子園の高校野球の大会歌の歌を久志に歌うように勧めます。一週間の締めくくりの金曜日は、断る久志と二人で一緒に甲子園球場まで出かけた二人。山崎育三郎さんが「栄冠は君に輝く」をアカペラで歌い出し、徐々にテンポがあがり最後フルコーラスの3番はオケの演奏が加わり、見事な応援歌の歌唱になり、自ら立ち直っていくという素晴らしいシーンがありました。

真正面のマウンドでこの一発OKの歌唱を一人聴いていた窪田さんは、「この人なんなの!?と思うくらい」と「エール」に続く番組「あさイチ」の「プレミアムトーク」(ゲストは山崎育三郎さん))の中で感想を話しました。一人で収録時伴奏無しで一番から三番まで鮮やかに歌い分けていくのを聞いた祐一の窪田さんはその歌声に「泣きそうになった」と話していました。山崎さんは久志を辛抱強く歌の世界に誘ってくれる祐一への感謝とコロナで今年野球も出来なくなったことなどを思い浮かべ、こみあげてくるものを押さえながら歌ったと話していました。

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 歌と演技の両刀使いで魅力あふれる山崎育三郎さんですが、5年前からミュージカル・スターが活躍できる道を拓きたくてテレビ出演を目指してきたとか。そういえば、あれは何年前だったか、ミュージカル界のプリンスとしてではなくて役者としての山崎育三郎さんを見直したドラマがありました。落語家の話で岡田将生さんとダブルで出演していた、あれはそう「昭和元禄落語心中」(1918年)でした。(12月21日蛙ブログ)

それに今年の夏の連ドラ「私たちはどうかしている」では、七桜(浜辺美波)を何くれとなく助けてきた人物が実は最終回で椿(横浜流星)の父親殺しの犯人だと分る謎の遊び人?の難役を好演していました。本当にミュージカルスターでありながら役者としても素晴らしいという二足の草鞋を立派に履いていますよね。

ところで、福島の三羽烏と言われた古関裕而と歌手の久志は誰?と今頃になって調べてみてびっくりしました。伊藤久男だったのですね。あの声量豊かな声でドラマチックな歌をたくさん歌った歌手。私は「イヨマンテの夜」が好きでした。もう一人は新聞記者から作詞家になった野村俊夫。

ドラマでは、祐一が戦争中に戦時歌謡に久志を誘ったことをわびていましたが、どん底を経験したからこそ希望が書ける、歌える、のではないかとも言っていました。戦争体験者が発信できることは、こんな今だからこそまだまだあるという時勢になってきたようにも思います。若い人たちのために戦争を体験した方たちやその時代の空気を知っている私たち世代も黙っていてはいけないと思いながら「栄冠は君に輝く」を聞きました。

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 ◎「栄冠は君に輝く」。作詞者の加賀大介と言う方のエピソード。16歳で足を切断して野球が出来なくなったことなど初めて知りました。野球は出来なくても応援は出来るとこの詩を書いたそうです。この歌、勝者も敗者もなく栄冠は君に輝く青春賛歌になっています。

(引用元:https://j-lyric.net/artist/a000ad8/l017ca2.html

栄冠は君に輝く ~全国高等学校野球大会の歌~ 歌詞

歌:伊藤久男

作詞:加賀 大介

作曲:古関 裕而

雲は湧き 光あふれて
天高く 純白の球
今日ぞ飛ぶ
若人よ いざ
まなじりは歓呼に応え
いさぎよし
ほほえむ希望
ああ 栄冠は君に輝く

風をうち 大地をけりて
悔ゆるなき
白熱の力ぞ業ぞ
若人よ いざ
一球に一打をかけて
青春の賛歌をつづれ
ああ 栄冠は君に輝く

空を切る 球のいのちに
かようもの
美しく匂える健康
若人よ いざ
緑こき 櫚梠の葉かざす
感激をまぶたに描け
ああ 栄冠は君に輝く

 

大阪市廃止構想と日本学術会議問題(共通する維新のプロパガンダ手法とは)

🔲試算によれば大阪市を四分割した場合要するコストは218億円になるという、大阪市廃止構想が財政負担増になるという毎日新聞の報道に対して、試算をした市職員が市長に言われて「捏造」だったと撤回。投票を前に不都合な情報はつぶすという強権発動:

 
 
 
 
大阪府職労
 
@fusyokuro
 
例え事実であっても時の権力者にとって都合の悪い言動をすると徹底的に叩かれ、吊し上げられる。こうやって自治体職員は「住民全体の奉仕者」ではなく「権力者の下僕」となっていく。 大阪市4分割コスト試算「捏造」 市財政局 2日で一変、謝罪 市長面談後 - 毎日新聞
大阪市4分割コスト試算「捏造」 市財政局 2日で一変、謝罪 市長面談後
 大阪市財政局の東山潔局長は29日夕の緊急記者会見で、市を四つの自治体に分割すると行政コストが現状より年間218億円増加するとした局の試算を撤回した。わずか2日前に「きちっと記事を書いてある」と述べていたが「試算そのものがあり得ないもの」と態度を急変させた。「大阪都構想」の住民投票を3日後の11月1

🔲小田嶋氏のツィートから: 

 
 
 
@tako_ashi
 
「捏造」というあり得ない強弁。役人とメディアを悪者に仕立て上げて急場をしのぐ。でもって、投票後は「済んだ話やないか」てなことでシカトを決め込む。どこのヤー公だよ。 大阪市4分割コスト試算「捏造」 市財政局 2日で一変、謝罪 市長面談後 - 毎日新聞

🔲小田嶋氏 の心配は既に現実となっているような気がします: 

 
 
 
@tako_ashi
 
日経ビジネス電子版上のオダジマの連載コラム「ア・ピース・オブ警句」は、以下のリンク先から無料購読できます。よろしくよろしく。 「改革は待ってくれない」というのはウソ:日経ビジネス電子版(この記事は2020年10月31日 9:03まで無料で読めます)
「改革は待ってくれない」というのはウソ
この週末の日曜日(11月1日)に、大阪市を廃止して4特別区に再編する、いわゆる「大阪都構想」への賛否を問う住民投票が実施される。今回は、その「大阪都
想」について書く。結果がいずれに落着するのであれ、現時点で自分がどんなことを考えていたのかを書き留めておくことには意味があると思うからだ

◆小田嶋氏の心配を引用してみますが、「2つの心配」は不思議なことに今中央政界でも同じ言葉で猛威を振るっています。大阪では自民党は維新の反対勢力ですが、中央政権の安倍、菅の両首相は都構想を歓迎。すでに維新の手法は使われているのでは:

 
 

 私が懸念しているのは、大阪維新の会の推し進める「大阪都構想」が、市民の多数の賛成を得て成立した場合に、彼ら(つまり「維新」)のプロパガンダ手法が、中央の政界で猛威をふるうようになる近未来だ。

 そのプロパガンダ手法とは、具体的に言えば
1.既得権益」への闇雲な敵意
2.「前例踏襲」への一面的な批判
のことだ。 

🔲今頃任命拒否の理由に出身大学の偏りを上げる菅首相。ルール(法律)違反までして個人の見解で出来ることではないはず。すでに「任命拒否しない」「推薦に基づく任命」という法律を犯しています。他にも「総合的、俯瞰的に判断」と言う法律にない基準を理由にしたり、学術会議の推薦権に対して首相以外の杉田官房副長官が関り、首相の任命権を犯す法律違反をしています:

 内田樹さんがリツイート

 
 
 
安全保障関連法に反対する学者の会
 
@anpogakusya
 
山極壽一日本学術会議前会長。 「さまざまなところで任命権者が理由なく人事を認めないことがまかり通るようにならないか心配している。国が人事にまで介入してくると、大学をはじめとする学術界全体の自立性が大きく損なわれかねない。」
【学術会議】山極前会長「2年前も難色 理由示さず恐ろしい」 | NHKニュース
NHK日本学術会議が推薦した会員候補6人が任命されなかったことを巡って、推薦の責任者だった山極壽一前会長が初めて取材に応じまし…

 

 
 
 
Bazil
 
@bazilbuildgamo
 
「首相が勝手に基準を作り」と批判されたが、その「基準」すらことごとく的外れだったという。もう何をやりたいのか、自分でもわからなくなってないかガースー。
引用ツイート
東京新聞編集局
 
@tokyonewsroom
·
#日本学術会議 の構成、最多の東大2割未満 首相「偏り」繰り返すも地方が半数超:東京新聞 #菅首相 は会員構成が一部の大学に偏っているなどと繰り返すが、実際には最多の東大でも全体の2割に満たない。 tokyo-np.co.jp/article/65133

🔲維新の橋下氏が参戦?「政治的バランスが必要」と政治的な主張を述べるも・・・

想田和弘 「精神0」公開中さんがリツイート

 
 
 
五百旗頭幸男
 
@yukioiokibe
 
映像は残酷なまでに本質を映し出す。
引用ツイート報道1930学術会議問題、橋下・小川・木村。

 

 

 

 

 

奈良少年刑務所詩集「世界はもっと美しくなる」(寮美千子)より

寮美千子さんの奈良少年刑務所詩集の「世界はもっと美しくなる」から詩を2編引用してみます。前回取り上げたのはこちら:

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◎寮さんの詩の解説付きで書き移してみます:

 

  あたたかい手

 

ねえ かあさん

あなたの手は

ときに 強く抱きしめてくれた

ときに やさしく涙をふいてくれた

ときに 怒られ 叩かれ 冷たい手だと感じたけれど

どんなときでも

あなたの手は あたたかい手

 

そんな手をもつあなたが 大好きです

 

 

(寮美千子さんによる解説)

 

「いいお母さんだと思いました」

「親への感謝をすなおに言えていいなあと思いました」

次々に声があがります。みんなが前向きの感想を述べる中、一人だけ「ぼくは、親に感謝するような話に、いつも反発を感じてきました」と言う子がいました。

その子は、すこし間を置いて、こう付け加えたのです。

「でも、いま気がつきました。ほんとうは、ぼく、うらやましかったんだなって」

さみしさを封印してきた彼が、自ら心の蓋を開いた瞬間でした。

最後に、作者のAくんの話を聞いて、声を失いました。

「自分は、親とは赤ん坊のころ、2年だけしかいっしょに過ごせませんでした。だから、顔も覚えていません。こんなおかあさんだったらいいなあ、という夢を書きました」

「反発を感じた」といった彼も、はっと顔を上げ、Aくんをじっと見つめていました。

その彼が、次の時間、こんな詩を書いてきてくれました。

 

 

   愛について考える

 

愛って

もらうものではなくて 与えるもの

与えようとする気持ちこそが 愛

もらいたい気持ちは 欲

 

ぼくは 家族の愛を知らずに育った

だから 家族の話をきくと いらだちしか湧かなかった

でも それはうらやましかったからだ と

いまは 素直に思える

 

愛を欲しい自分

愛を与えたい自分に 気がついたから

これからは

「与えてもらえる人になるため 人に与えていきたい」って思う

 

 

寮美千子さんの解説)

「世の中の人がみんなが、愛を与える人になれば、みんながもらえる人になると思いました」と、感想を言ってくれた子がいました。ほんとうに、そんな世の中になったらいいのにね。

 

寮美千子さんの少年刑務所での詩の授業を読んで思うのは、共感する力の偉大さです。わずか一行、数行の詩を書いたとしても、その作者が自ら声を出して朗読するその詩を聞いてそれぞれがそれぞれの感想を発表する。その感想を聞いて作者も寮さんも一緒に聞いていた仲間たちも別の次元の理解に進んでいける。心を開いて共感することが人を優しくもするし、また強くもします。そして、それは美しくもある。

 政治の世界で、いま最も共感力が必要な立場にある人がこの能力を備えていないか、あるいは隠しています。先日電話で話した友人とも世の中がもっと優しくなればいいのに……と二人で話したことでした。

 (トップのモニュメントの写真は唐池公園にある「愛 父母子像」)

 

◎「ハルメク」の寮さんの連載の最終回はコチラで:

奈良少年刑務所「人間の本質は、優しさでした」(寮美千子さん) - 四丁目でCan蛙~日々是好日~ (hatenablog.com)