◎昨日はこのカニシャボテンを昨年分けてもらったSさんと珍しく午前10時頃に我が家で忘年会でした。午後から生協の配達があり、道路の込み具合で時間が分らないからということでした。
いつもの雑誌と新聞を受け取ってから、冷蔵庫で解凍していたショコラケーキとコーヒーで。このケーキがとっても美味しくてビックリでした。昨日は夫に、今朝は息子にも出したら、「うまい! COOP、侮れない!」でした。
◎さて、今年亡くなられた松岡正剛氏は私と同じ1944年(昭和19年)生まれで、このブログを始めた頃、よく読んだり「千夜千冊」を訪ねたりしていました。「編集工学」という考え?を生み出した方ですし、なんとなく影響されてたかなという感じもします。というのが今の正直な感想ですが・・・思い出しました。このブログの出発点からが松岡正剛氏無くては…だったのでした。古い過去のブログを読んで思い出しました。
◎もうお一人は、大谷恭子さん。知った最初は永山則夫死刑囚の件でした。検索してみると、一番古くて2012年の<「永山則夫 100時間の告白」を見て>でした。2023年は<村木厚子さんと大谷恭子さんと寂聴さんの「若草プロジェクト」>
私より若い方ですので、まさかと思っていましたが、死去されたと知ったのは朝日新聞夕刊の11月28日からスタートした「大谷恭子さんに聞く」という瀬戸内寂聴さんを取り上げた「愛された日々」という4回シリーズでした。
この最後の案内で、10月に74歳で亡くなられたと知りました。村木厚子さんの講演は直接、ま近で聴き、その時、大谷恭子さんと立ち上げた「若草プロジェクト」についてもお話を聴きました。
(「村木厚子さんと考える(2)『つながりあう力 豊かな社会』」
https://cangael.hatenablog.com/entry/2023/12/10/132836)
「青春は恋と革命」という寂聴さんの言葉について、大谷恭子さんが思い出を語っておられる箇所を書き移してみます:シリーズ【1】から
――― 「青春は恋と革命」と何度も言われていました。
寂聴さん自身も、寂聴さんが書いてきた女性たちも恋と革命に生きています。世の中を変革しようという情熱を持った女性が、それに懸ける男性を愛さないはずがない。男性も、それほどまでに激しい女性を愛さないはずがない、と。命を懸けた闘いの中で、男性も女性もエロスが生まれる。それだけは揺るぎない確信だったと思います。
一方で、変革を求める人たちは社会からバッシングされます。寂聴さんも「子どもを捨てた」「女のくせに生意気だ」と批判されました。孤立しながらも闘い続け、自らの地位を固めてきた自負がおありになったと思います。
だから、社会で孤立する人を放っておけませんでした。自分が苦しんだ時に励ましてくれた人がいて、その気持ちを今度は困っている人に返したいと思っていました。
◎さて、今年は元旦の能登半島地震に始まって、9月の能登の豪雨と、災害に見舞われた年であり、いつまでも復興が伴わない被災地を見ていなければならない年にもなりました。我が家は元旦の地震で、息子たち二人が高齢の両親を置いて遠く離れて暮らしていることについて話し合ったそうで、長男が東京を引き上げて急遽大阪に戻って再就職活動を始め、両親の住んでいた隣の家の、父の趣味の写真部屋を自分の部屋にして、我が家は、3人暮らしになりました。
19歳で東京に出て35年ぶりに大阪に戻った長男。仕事柄、山口県を除いて全国の美味しいものを体験しているというだけあって、結構、味にうるさいことが分かりました。食べた後の感想?がこちらの力の入れ具合とピッタリだったり、取り立てて言うほどのことがない時は、今日は取り合わせが良かった…と言ったりします。とにかく、今までのところ、朝晩の食事は一切外食してないからね、と言う通り、私にとっても励みになっているかもしれません。
80代に入って身体の不調や、判断力・決断力・記憶力・聴力などの衰えも自覚出来ますし、これから良くなることは無いので、ぼつぼつできる範囲で出来ることをということになります。
先日、Christmasの日に4人で集まれたのは久しぶりだな…と思っていたら、2020年から、ずっと、コロナで自粛していたのでした。翌日、日没後に、チャイムが鳴って、Sさんがお正月用のオーナメントを作ったからと届けてくださいました。「昨日は楽しかった!」という話にもなったのですが、2024年の年末に、『やっとコロナが終わった』と実感できました。
今年はブログはこれでおしまいにします。
一年間、ご訪問、ありがとうございました。良いお年を!!!
(写真はお向かいさんから頂いたストレプトカーパスの小鉢。日の当たるところに置いていたら花が咲き始めました。)