◎歴史的事実を認めない、あったことを無かったことにしてやり過ごす東京都知事のここ数年のやり方を見て、思い出した詩がありました。槙村浩の「間島パルチザンの歌」です。学生時代に知った長詩ですが、ブーニンファンで知り合った高知のSさんは、槙村浩が入院していた病院と縁のある方で、30年ほど前、後書きに触れてあるよ、ということで、この本を送ったことがありました。その後、本は手元に戻っていますが、間違いない.とのことでした。浩は「こう」と読む。
読んでみると、朝鮮人青年の書いた作品に違いないと思ってしまうぐらいで、まさか、日本人の19歳の青年が書いた詩だとは到底思えない内容です。幼くして神童と呼ばれた槙村浩が亡くなったのは1938年、「第2次世界が始まる前年、既に日独伊防共協定は成立し、中国では南京で中国民衆への大虐殺の行われた次の年である」。政府による弾圧を受け、拷問と投獄により身体を壊し、病死。享年26。
私の手元にあるのは「新日本出版社」の1964年第二版本。書き移さないといけないかなと思いながら、ひょっとしてと検索してみたら出てきました。全文コピーさせていただきます。伏(X)字は最後に。
―一九三二・三・一三―
「プロレタリア文学」臨時増刊(昭和七年四月二十五日発刊)
(1)日章 (2)海 (3)焼 (4)崩 (5)綴 (6)血 (7)突 (8)刺 (9)姦 (10)腹 (11)殺さ (12)血 (13)日章 (14)日本 (15)革命 (16)解放
底本:「槇村浩詩集」平和資料館・草の家、飛鳥出版室
2003(平成15)年3月15日
初出:「プロレタリア文学 臨時増刊」
1932年(昭和7年)年4月25日
※底本は新字旧仮名づかいです。なお拗音、促音の小書きは、底本通りです。
※「飜った」と「翻った」の混在は、底本通りです。
※()内の編者によるルビは省略しました。
入力:坂本真一
校正:雪森
2014年9月11日作成
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