今年の家族会・その1(湖北長浜にて)

去年は3・11の2週間後であり、母が圧迫骨折で動けない時期でしたので、有馬温泉で両親抜きで集まって帰りに我が家へ寄ってという段取りにしたのでした。関東勢は計画停電や余震があって、避難生活を兼ねて出てきたような感じもあって、帰りにはお米を買って送ったりという具合でした。それから一年後の今年、震災以後に明らかになった天災・人災のひどさ、政治の無策、と状況は好転しているわけではありませんが、我が家に限って言えば、両親の健康状態も良好、私達3人娘3組の夫婦、従弟一家総勢11名、何とか無事に集まって2泊3日を楽しく過ごすことが出来ました。

今回当番だったのは小松市の従弟夫婦、5年生の女の子を連れて家族旅行を兼ねていますので、毎年春休み限定の計画になります。1月に両親について確認の電話が入り、父に訊ねたら、車で座ってる分には何処だって行けるということで返事。しばらくすると湖北の長浜でという案内が届きました。そして、29日(木)午後1時出発、ナビを頼りに長浜へ。近江富士が正面に、米原で高速を降りて、雪の伊吹山を右手に見ながら・・・

翌日は、男性陣は4人でゴルフ大会。優勝者には父が持ち回りの優勝カップを授与することになっていますので、優勝杯争奪戦です。練習してくる人もあれば、我が夫のように山に出かけて足腰鍛えてゴルフは本番勝負という者も。大きいボール(ボーリング)は県大会で活躍するくらいだけど小さいボールは苦手という者もいますので、そこはハンディをたくさんもらって楽しめるように工夫しているようです。
男性陣がゴルフ場に行っている間、残るカメラマンの父と女性陣5人と小学5年生はジャンボタクシーで観光ということに。
今年は琵琶湖岸を南に下って、安土城近江八幡彦根城ということでした。
安土城のお城あとは階段が残っているだけで高齢者向きではなくタクシーは麓で階段を見るだけで、復元された天守閣を見るために別の建物のある方へ。田んぼや畑の真ん中に忽然と建物が現れます。バブルの頃の遺産ねと誰かが、そうねテーマパークとか流行ってたねと。

信長の館には1992年に開催されたスペイン・セビリア万博へ出展された原寸大の安土城天主(5・6階)が展示されています。
内部には当時信長が狩野永徳を中心に描かせた「金碧障壁画」、金箔10万枚を使用した外壁、金の鯱をのせた大屋根など絢燗豪華な安土城が復元されています。5階は八角形の朱塗りの黄金の間。真ん中に信長の座る畳二畳が置かれています。
最上階の扉は螺鈿細工なんでしょうか、部屋の周りは障壁画が金箔の上に描かれていて、左に階段の欄干が見えます。お城全体も吹き抜けがあったり宣教師から得た西洋の教会建築を参考にしたのでしょうか日本離れした建物だったようです。
惜しいことに1582年の「本能寺の変」半月後、わずか3年で焼失したといいます。2010年9月13日に、NHK大河ドラマ「江−姫たちの戦国」の撮影が行われたそうです。それと、宣教師が描いた一番実物に近いという信長の肖像画がありました。いつも教科書に出てくる薄い口髭の気の弱そうな信長像は、お寺の焼き討ちをしたり、明智光秀への仕打ちや秀吉を使いこなした信長とは一寸違うと思っていたので、こちらの信長像の方がふてぶてしくて「らしい」感じがします。

次はタクシーで近江八幡市のヴォーリーズが建てた建物、今は郷土資料館・歴史民俗資料館と近江商人の旧家を訪ねました。そして、最後に国宝の彦根城です。両親は初めてではないし、大事を取って休憩。私たちはお城目指して歩くことに。お城を出てからはお城を借景にした玄宮園を訪ねました。近江八景を模したという立派なお庭でした。
 
風もなく暖かいお天気に恵まれて盛りだくさんのコースを堪能して帰路に。
夜は授賞式を兼ねた宴会?です。なんと我が夫、無欲の勝利で優勝でした。練習して行かなくって大正解だったようです。が、実は本命は腕を痛め、若手は幹事で遠慮した結果?ということもあったかも。
食事の後は恒例のカラオケ。私と真ん中の妹はいつも通り聞き役です。初めて「ワンピース」という評判アニメの主題歌を小5のMちゃんが歌ってくれたので知りました。前向きのメッセージソング風? 難しい歌を新旧何回も歌ってくれたのでやっと「ワンピース」のイメージがわかりました。(つづく)