父の退所予定と傘寿・喜寿・古希のお祝い会

昨日は夫の姉夫婦と弟夫婦に声を掛けて箕面の元「みのお山荘」、現「風の杜」で集まり一泊しました。
夫の兄弟は、独身のまま若くして不慮の事件で亡くなった兄を入れると4人兄弟姉妹です。姉は大津に、弟は実家をついで加賀市山代温泉にいます。親戚同士が集まる機会はしばらく法事ばかりが続いて、我が家の息子たちが結婚式と縁がないし、弟の所も二人の息子がまだ結婚式とは無縁。ということで、義兄が9月に80歳になると聞いて、それ!それ!それで集まろうと。お義姉さんの年齢を確かめてみると77才! これは傘寿と喜寿のダブルおめでただから、いいじゃない!ということで、夫が案内状を作り、姉夫婦、弟夫婦の都合を聞いて、10月の21,22日と決めていました。
当日を控えた前日の日曜日は、加賀市の私の従弟が父の弟に当る叔父を連れてすぐそこまで来ているとお昼過ぎに電話。ビックリして外に出たら、6月に福井で「九谷焼でマンガ」の展示会で会って以来のお二人です。暫く我が家で皆でお話して父のいる老健へ。私は一人残って片付けものをしていましたが、帰ってきて母に聞くと、父は、早く帰りたいと言ってるそうです。先日一時帰宅で自信がついたのでしょう。母は今月中にでも帰してもらえるか今度訊いてみると言っています。先週後半から毎日のように遠来のお見舞客続きでした。
そして、昨日は、3時前に、夫の弟夫婦が大津の姉夫婦を乗せてわが家到着です。
隣りの母も出てきて、我が家で久しぶりのご挨拶を交わして、お土産のやり取りや、父の様子を話したりと、にぎやかな親戚同士の交歓です。いつも使ったことのない、サンルームに続く籐の長椅子を置いた6畳の部屋に集まって、思い思い不揃いの籐椅子に腰掛け、母と私は食卓の椅子を部屋の方に向けて腰かけながら、7人で積もる話に花が咲きました。
4時頃になって、そろそろ出かけますかと、弟の車が8人乗りというので、私たちも自分の車は出さないで、乗せてもらうことに。母を置いて、出発です。箕面に居て山の上の山荘に泊まることはありませんので、いつも見ている山の上の建物に夜をめがけて出かけるのも、そこで一泊するのも初めてです。ロビーからの見晴らしの素晴らしさ、大阪湾から梅田のビル街、手を繋いだスカイビルも見えますし、あべのハルカス千里中央の高層マンションが見えます。正面に生駒山、右に二上山生駒山葛城山が見えます。夜は満月に近い月が出て、夜景が見事でした。中央の強い光が右に下降していきます。伊丹空港に着陸する飛行機です。着陸するまでみんなで目で追って見ていました。
お料理も美味しくて大満足でした。日本酒も種類が多かったらしく、二人が色んなお酒を頼んでいました。ゆっくり2時間半かけてお喋りしながらでしたので私も全部食べることができました。お義兄さんの中国引き上げの話が聞けて良かったです。父親の郷里の田舎では”シナ帰り”、”シナ人”と酷いイジメにあった話には、驚きました。命からがらやっと帰国できた引揚者に、同じ日本人なのに、そういうイジメがあったんですね〜。中国人の中にも日本人をかくまって逃がしてくれた中国人がいたといいます。それには、日本人が中国人と普段から付き合いがあって食べ物のやり取りをしたり人間関係があったからというお話になるほどと思いました。イジメが嫌で親子3人で父親の故郷を出て奈良へ帰って、優しく食べるもの住むところを提供してくれ学校にも通わせてくれたのは天理教の教会だったそうです。お料理とお話が一段落したころ、私は先日の同窓会の帰りに阪急百貨店で買ったペアのカップのプレゼントを渡しました。イギリス製のかなり厚手の陶器で薄いピンクとブルーの古典的なレース模様がカップにもお皿にもついています。おとなしくてかわいい感じの普段使いのコーヒー茶碗ですので、お番茶を入れて飲んでもいいくらいです。気に入っていただけるといいのですが。
9時前食事を終って、4合瓶を一本持って部屋に引き上げ、私たち夫婦の部屋にグラスを届けてもらいました。10時頃まで喋りましょうということで座って、もう一度お酒で乾杯して話し出したのですが、いつのころからか、原発の話になりました。「今は、言論の自由があるようで、自由ではない。脱原発を表立っていうと差しさわりがある」という話から、「それではだめだ」「いや、実際そういう時代になってきている」という話に。お義姉さんも、「オリンピックでようあんなこと言うね〜」と、ダダ漏れの汚染水問題の話になり、結局、脱原発の最大の意思表示は選挙だという話から、ガッカリの民主党の話にも。野田さんの評価や小泉さんの脱原発についても「信じない」というのと「利用すればいいんだ」というのと評価が分かれます。そのあとは安倍政権は恐いという話が出て、なんで自民党に入れるんだ、という話から、選挙に行かない人がどうしてこんなに多いのか…ということに。時間を見たら11時。最後にお義兄さんの意見は「原発は反対や、昔から敦賀が危のうてしゃ〜ない。原発はアカン」ということで長い一日の終わりでした。

一夜明けて今朝は、車で勝尾寺へ行くことに。境内をゆっくり一巡して、お茶を飲んで一服、そのまま車で我が家まで送ってもらって、皆さんは帰路へ。楽しかった、会えてよかった、また会いましょう、と言って別れました。勝尾寺からの帰りの車の中で、弟のお嫁さんが夫の齢を聞くので、「今年70歳、古稀よ」と答えて、そうか〜傘寿に喜寿古稀と満年齢3人分のお祝いだったんだ!と気が付きました。いいお祝いができました。

その後、ヨガから帰った母を車に乗せて、老健へ。母は父のことで退所を早めて今月中にできないか相談したいと言ってますので、先日父を連れてきてくださった係の方に声をかけました。係の方にまず母が、入所して初めて父が自分から家に帰りたいと言っているので、本人の思うようにさせてやりたいと切り出しました。父の場合は歩くことより、誤嚥の心配が大きいとのこと。老健では治療は出来ないので、退所したら病院の誤嚥外来で診察を受けて診断してもらうことを勧められました。手すりの準備や、食事の事で引継ぎができるのを待って、やはり来月中ごろまでかかるのではないかと言われました。先日の一時帰宅で2階まで上がったりしてきっと自信がついたからでしょうと、丁寧に対応していただき、母も、父にそう伝えますと納得していました。エレベーターで上の階に上がって、いつものコーナーで母が父にそのことを伝えたら、「分った」と父も納得しました。これで、来月中ごろ退所が決まりました。
今日は、夫の親戚との再会とお祝いの集いのあとの気持ち良い余韻が残る中、父の退所の方針でも両親ともに納得できる良い話ができて、二人でほっとしたところでした。怒涛の6日間でした。
(写真は「風の杜」のロビーからの眺め、今日は曇っていますが、昨日は素晴らしい晴天でした。真ん中は勝尾寺境内。下の写真は老健に行く前に水中歩行に出かけた時、稲刈りの済んだ田んぼ越しに山のてっぺんに見える風の杜の建物。あそこで初めて一泊してきました。)